第89話 赤き迷宮主
何かが仕掛けられている。
その事実を、僕は葵さんにだけこっそりと伝えて、皆と一緒に階段を進んで十階層へと降り立つ。
その後、周囲を見渡すとそこには……今までの洞窟らしい通路とは違った、何の変哲もないだだっ広い空間が広がっていた。
しかし不思議な事に、僕はこの何の変哲もない何もおかしくないはずの空間から、何か違和感を覚える。
まるで、ここにあるべきものが無くなっているかのような。
そんな違和感に頭を悩ませていると、あるクラスメイトの決して大きくはないはずの呟き声が、いやにはっきりと僕の耳に入る。
「魔物が、いない」
その内容は、僕が抱いていた違和感の正体だった。
それで、何かしらの異常事態が起きている事に感づいた僕は、取り敢えず今の状況確認をするべく、葵さんの特別な眼に何か映っていないか確認をする。
「葵さん。この部屋に何か異常な箇所はありませんか? さっきみたいに、偽物に見える壁だとか」
「ん、ちょっと待って下さい……私たちの正反対の位置にあるあそこの壁、多分丸々偽物です。それに何だか、その向こうからとても嫌な感じがします」
僕の質問に対し、葵さんが向かいの壁を凝視しながらそう答えた、その瞬間。
集団の後ろの方から突然「キャア!」と、悲鳴が上がった。
それに釣られて、僕は思わず会話を中断し、後ろの方を見る。
僕の目に映ったのは、例の幻影トラップで隠された空間から生えてきたであろう血のように赤い蔦によって、階段のある通路が無情にも塞がれていく様子だった。
近くにいたクラスメイトが咄嗟に蔦を剣で切っていたが、蔦は切られた傍から凄まじいスピードで再生し、一向に消滅する気配を見せない。
どうやら、僕たちはこの十階層に閉じ込められてしまったらしい。
流石にこれは、ちょっと不味いかもしれない。
閉じ込められた事に気づいたクラスメイトたちの間に、不安の波が広がる。
冷静な騎士団員さんやリーダーの神岡、元担任の九重先生が慌てないように呼び掛けているおかげでなんとか持ちこたえているが、いつパニックが起こってもおかしくない状態。
そこに追い討ちをかけるように、葵さんの言っていた[嫌な感じ]が、壁の向こう……正確に言えば幻影トラップの向こうから、ゆっくりと姿を現していた。
身の丈三メートルはあろうかという、樹木と人間の特徴を併せ持った魔物。
日本では、一般に樹人と呼ばれていた魔物だろうか。
しかし、形こそ樹木に手足が生えたかのような恰好ではあるものの、その色は尋常のものではなかった。
その魔物の幹にあたる部分は、例の階段を塞いでいる蔦のように赤く、あちこちについている細かい切り傷から流れ出る樹液は、タールのようにドス黒い。
そして、頭にあたる部分から伸びた枝には、毒々しい紫色の葉が生い茂り、血の涙を流している人の生首が、まるで果実のようにいくつも実っていた。
そんな、明らかに危険そうな魔物の出現に気づいたウォルス団長は、顔を青ざめさせながらも急いで指示を出し、勇者組を後ろに下がらせ、騎士団員が前に出るようにする。
そんな中で、僕はウォルス団長の指示に従って後ろに下がりつつも、その魔物の正体を知るべくスキル[鑑定]を使用した。
名前:九条広樹
種族:ヘルヘイムトレント
性別:無
年齢;百三十六
職業:ダンジョンマスター
魔力属性:闇
スキル:勇者LVMAX、言語理解LVMAX、捕縛接触LVMAX、罪悪の鎖LVMAX、スラッシュLV3、剣撃LV3
捕縛接触LVMAX:直接触れた相手の手足の動きを一時的に封じます(任意発動)
罪悪の鎖LVMAX:優柔不断による罪悪を以て之を縛る(常時発動)
表示された情報を見た瞬間、表情には出さないものの、僕は強い衝撃を受ける。
その情報が示していたのは、あの魔物が現ダンジョンマスターで、元は勇者であったというすぐには受け入れがたい事実だった。




