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メモリースティック : 裏

 

《メモリスティック:裏》




 真琴に好きな男がいることは知ってる。そして、それが俺じゃないってことも。

 それを知ったのは今から三ヶ月前のこと。

 春休みが終わって新学期初日。全校集会も朝礼も終わって、放課後の教室では皆思い思いに知り合い同志で固まって会話していた。

 俺も例外ではなく、同じクラスになった友達と固まって「教頭の家に爆竹投げに行くか?」とか「あの新任の女のセンセ、マジ良くねぇ?」とか、いつものようにくだらないバカ話をしていた。

 その言葉が聴こえてきたのは、そんな時だった。


「つーかさ、真琴って好きな人いるんでしょ?」


 その瞬間、振り向きそうになる自分を必死の思いで食い止めた。その声が真琴の友達の声であることも、その場に真琴がいることも知ってたからだ。それを知らなかったらきっと、俺はとんでもない間抜け面を真琴に向けていただろう。


「……あんまりそう言うこと大声で言って欲しくないんだけど」

「あっ、ごめ〜ん。怒んないでよ真琴〜」


 落ち着いた調子で、真琴のそんな声が聴こえた。否定することなく、あくまで淡々とした声だった。

 振り向きたかった。真琴は今、どんな顔をしてるんだろう。真琴は今、誰を思い浮かべているんだろう。

 ……真琴の好きな奴って、誰なんだろう。


「――おい貴志、聞いてんのかよ」

「……ん? あ、ああ、悪い。全然聞いてなかった」

「は? ちゃんと聴けよ! だから今度うちに集まってさぁ――」


 目の前の話がまったく耳に入ってこない。愛想笑いを返すのがやっとだ。

 話の内容なんか全然掴めていないのに、大笑いする振りをして真琴の方をチラ見してみた。

 見なければよかったとすぐに後悔した。

 俺には見せたことのない、恥ずかしそうに照れた顔をした真琴が、そこに居たから。




 真琴と知り合ったのは中学の時。

 髪は短かったしマコトなんて中性的な名前だったから男みたいだなってからかったら、真琴は思い切りグーで殴ってきた。しかもそのパンチは、頬とか肩とかじゃなく、モロに俺の鼻を目掛けて飛んで来た。


「い……ってーなぁ! 何すんだよこの男女!」

「うっさい! ムカつくこと言うからでしょ! この変態!」

「あぁ? 俺のどこが変態なんだよ!」

「鼻血たらしといて何言ってんの」

「鼻血? ……こ、これはお前が今殴ったからだろ!」

「うるさいし、キモイし」

「あぁ!?」


 それが俺と真琴の出会いだった。

 あっさりした性格の真琴は男連中とつるむことにも抵抗はなく、気付けば遊び仲間の一人として俺らのグループに欠かせない存在となっていた。

 女として見たことがないって言ったら嘘になる。だけど、それはいけないことだと思っていた。

 真琴をそういう対象で見てはいけない。いつからか、俺はそんな思いを抱いていたんだ。




 知り合ってから三年。真琴は綺麗になった。

 髪を伸ばして、毛先だけパーマかけて、茶色に染めて。

 中性的だった顔は髪形を変えた途端に女っぽくなった。真琴の唇のグロスが光る度に、高鳴る心臓の音を隠すために思わず目を逸らしてしまう。

 真琴は女だ。そんなこと言われるまでもなく知ってる。

 心の奥に隠していた想いは次第に強くなっていく。真琴が女っぽくなる度に、真琴から目を逸らす回数が増えていった。

 真琴に好きな人がいることを知ったのは、そんな時だった。


「なぁ、お前って好きな奴いんの?」

「はぁ? 何言ってんの?」


 ある日の放課後、俺らがよく使う溜まり場で、いつもみたいな軽い調子で真琴にそう訊いてみた。

 あくまで軽く。気持ちが顔に出ないように、素っ気無く。

 他の仲間はまだやってこない。俺と真琴の二人きり。他の奴が来たら茶化されてそれで終わりだ。そうなる前に、真琴に直接訊いてみたかった。


「チラッと聞いたんだよ、そういう話」

「……彩でしょ? ったく、おしゃべりなんだからあの娘……」

「で、誰?」

「は? なんで言わなきゃいけないわけ?」

「いいじゃん、教えろよ。俺とお前の仲だろ」

「ふふ、変態と被害者の関係?」

「いつまで昔のネタ引きずってんだよ。真面目に訊いてんだけど」

「うわ、マジだよこの人。男のくせにそういうの興味あんの?」

「……興味っつーか、ちょっとした暇つぶし。いいじゃん別に。知られて損することないだろ?」

「いーやーだー。絶対教えない」

「言えよ。ヒントだけでもいいから」

「アンタみたいな変態じゃないってことは確かだね」


 笑いながら、真琴はそう言った。

 その直後に他の仲間がやって来てこの話はそのままおしまい。それ以来、真琴にこの話題を振ったことはない。

 あの時真琴は笑っていたけど、俺はちっとも笑えなかった。

 ――真琴が好きなのは、俺なんじゃないだろうか。

 ほんのちっぽけなその望みは、あの時につぶされたんだ。




 真琴が誰かと付き合う。

 俺の知らない奴と。ひょっとしたら、俺らの仲間内の誰かと。

 ある日、街中で、真琴がそいつと並んで嬉しそうに歩いている。もしそんな光景を目にしてしまったら、俺はどうするんだろう。俺はどうなるんだろう。

 苦しかった。まるで水の中にいるみたいだ。肺が圧迫されてるように息苦しい。そんな中をもがくように動き回る。動けば動く程苦しくなるのに、もがかずにはいられない。

 真琴に好きな人がいると聴いてから三ヶ月後。はっきりとわかった。

 俺は水中にいる。真琴に溺れている。

 俺は、真琴のことが好きなんだ。




「ねぇ、貴志『ダスト』好きでしょ?」


 夏休みを目前に控えたある日、真琴はいきなりそんなことを言ってきた。

 イヤホンを外しながら「つーか、今も聴いてるけど」といつものように素っ気無く言うと、真琴は拝むように両手を合わせて、ダストの曲が入ったそのメモリースティックを貸してくれと頼んできた。

 断る理由はない。だけど、そう頼んでくる理由には興味があった。

 ダストは典型的なパンクバンド。男なら大抵の奴は好きだろうけど、真琴が好きなバラード系の曲とかは一切ない。それなのに、なんで真琴はダストの曲を借りようとするんだろう。

 その理由を訊くと、真琴は「いいじゃん別に」と答えをにごした。

 その瞬間、ダストのライブが夏休みに開催されることを思い出した。真琴が関心のないはずのバンドの曲を聴きたがるのは、そのためなんじゃないか?


「もしかして、ライブ行くつもりとか?」

「……悪い?」

「悪くはねーけど。……誰と?」

「……誰とだっていいじゃん」


 その答えでわかった。例の、好きな男とだ。

 もう付き合ってんのかよ? まだ告白してないのか? ――それとも、これから告白するつもりなのか?

 胸が苦しい。周りが暗くなっていくような感覚。

 俺はまた水中にいた。


「とにかく、貸してよそれ。いいでしょ?」

「……いいけど」

「おっけ。今度なんかお返しするよ。何がいい?」

「……別に。お前の好きな曲でも入れといて」


 ようやく搾り出したその言葉と一緒に、俺はそのままお気に入りの曲が入ったそれを、真琴に渡した。

 俺が事故ったのはそれから一週間後。メモリースティックを返してもらった、翌日のことだった。




「……はぁ」


 病室にため息が漏れる。

 向かいのベッドのジジイが何考えてんのかよくわからない顔でこっちを見つめてくる。目を逸らすと、窓に入道雲が映りこんだ。もう夏休みも間近だってのに、何やってんだ俺。

 姉貴が持ってきたカバンからミュージックプレイヤーを取り出す。昨日、メモリースティックを返してきた時の真琴の顔が浮かんだ。


『サンキュ、貴志。また今度貸してね』


 その顔を見て、散々悩んで、決めた。真琴に告白しようって。

 勢いがなくなったらもう言えない。この気持ちのまま行こうって猛スピードのまま自転車漕いでたら、脇から出てきた車を避けようとして、この様だ。……かっこ悪いな、俺。

 このケガが治るのは一ヶ月先。その頃にはダストのライブも終わってて、真琴は好きな奴と付き合ってて、夏休みは終わっちまう……。


「……最悪」


 ため息しか出てこない。何もやる気が起こらない。

 姉貴はやけに愛想のいい様子でどっかに行ったきり帰ってこない。部屋の中にはこっちを見つめてくるボケたジジイと俺だけ。

 自然、俺はミュージックプレイヤーを聴くしかなかった。

 脳天を貫くようなギターの音。ハイトーンな歌声がイヤホンから響いてくる。

 この一週間、ダストについて真琴と交わした会話を思い出した。「ふーん」なんて素っ気無く返事を返す真琴に、俺はダストの良さを伝えようとついむきになって熱くなってしまった。

 真琴はそんな俺を笑いながら軽くあしらって、それでもちゃんと聴いてくれた。

 ……真琴。

 もし俺が事故ることなく、あのまま告白しに行ってたら。真琴はどんな顔をしただろう。どんな言葉を返してくれたんだろう。

 ――真琴。

 ――真琴。

 ――真琴。

 ふと窓を見ると、もう入道雲はいなくなっていた。ジジイはいつの間にか横になっていて、ダストの曲はもうメモリーしてあるうちの最後の曲になっていた。

 姉貴はまだ帰ってこない。もしかしてそのまま家に帰ったのか? それとも病院のどっかで迷ってるのかもしれない。どっか抜けてるからな、姉貴は。

 考えることがなくなると、当たり前のように真琴のことが浮かんでくる。

 真琴の顔を思い浮かべて、声を思い出して、どんどんあいつに溺れていく。


『……えっと、貴志へ』


 瞬間、俺の意識は急激に浮上させられた。

 驚きすぎて「ゴホッゴホッ!」と思い切りむせてしまった。急浮上した深海魚の気分だ。

 むせている間にも『それ』は続く。プレイヤーには『14:00:32』と表示されていた。ダストのアルバムは13曲しか入っていない。それなのに、表示は14曲目を浮かび上がらせているんだ。

 誰がメモリーしたものなのか、考えるまでもない。だけど今の俺は、何も考えられずにいた。

 急浮上した魚は、ただただ口をパクパクするだけしか出来なくて。

 14曲目の表示が『14:02:42』を表示した時――、俺の呼吸は、止まった。


『――好きだよ、貴志』


 元々真っ白だった頭の中が、ただの空間に変わった。

 色も思考も呼吸さえもなくなったそこに、真琴の言葉だけがしんしんと降り注いでいく。


『……はぁ、緊張する……。どこでこれを聴いてるのかわかんないけど、貴志のことだから今頃かなりビックリしてるんだろうね。でも、あたしだって気付いてもらえるように結構頑張ってたつもりだったんだけど、アンタまるで見当違いのことばっか言ってるからさ、もうしょうがないから強硬手段。直接言うのは恥ずかしいから、こういう手に出てみたわけです』


 恥ずかしそうに話す、真琴の声。

 照れをごまかすように早口で。

 緊張で息を呑む音がはっきりと聴こえてきて。

 真琴の顔が浮かんだ。俺に見せたことのない、恥ずかしそうに照れた顔をした真琴の顔。

 その顔が向いているのは、このミュージックプレイヤー。

 真琴の視線の先にいたのは、……俺だった、のか?


『お願いだから教室で聴いてるのだけは勘弁して。あと、返してもらってすぐに誰かにまた貸しさせるのもイヤだなぁ。貴志には聴いてほしいけど、それ以外の人に聴かれてたら、また貴志の顔面グーで殴るからね。だから聴いたらすぐに消して。絶対だからね』


 ようやく、呼吸出来るくらいに落ち着いてきた。

 脳に酸素が回って正常な思考が出来るようになった。ぽっかり空いていた頭の中には、真琴のことだけが詰め込められる。

 ……真琴。お前ってやっぱ男みたいだよ。

 なんで俺よりも先に告白しちまうかな。俺はこんなにかっこ悪いってのに、お前はかっこ良くキメすぎ。俺よりも男上げてどうすんだよ、まったく。


『……で、返事だけどさ。今度夏休みにダストのライブあるでしょ? もしOKだったら、一緒に行こうよ。貴志とだったら、絶対楽しめる自信あるから。もしダメだったら……、うーん……、あ、ダメな場合どうしよっか? 全然考えてなかった……』

「ぷっ」


 顔がニヤけた。さっきからニヤけまくりだけど、さらに緩んでいくのがわかる。

 真琴の言葉の全てが愛しく感じる。もう水の中からは浮上したってのに、身体に力が入らない。全身が幸せに緩みきってる感じ。


『と、とにかく、どっちにしてもちゃんと返事してよね。ダメだったからって恨まないし、殴ったりしないから。……夏休みが始まるまでには、返事、欲しいかも。……じゃ、学校でね、貴志』


 そのまま14曲目は終了した。

 胸の中がくすぶっていくのを感じる。今すぐ真琴に会いたい。会って、返事をしたい。俺の今までの想いを全部伝えたい。なのに今、この右足は俺の言うことを聞いてくれないときた。

 ああ、そうか。携帯だ。携帯で伝えればいい。

 隣に置いてあるカバンの中から携帯を探そうとした、その瞬間。

 ――15曲目が、始まった。


『いや〜、甘酸っぱいねぇ。青春してるねぇ、た・か・し♪』


 瞬間、俺の意識は空中に放り込まれた。

 まるでスカイダイビングのように、なんとも言えない浮遊感が全身を包む。

 プレイヤーには『15:00:05』と表示されていた。

 誰が入れたものなのか、考えるまでもない。だけど今の俺は、何も考えられずにいた。


『んで、どうすんの? OKすんの? アンタのことだから素っ気無く『いいけど』とか言うつもりなんでしょ? 相手の娘はここまで甘酸っぱいことやっちゃってんだから、アンタも見習ってきっちり格好良く返事すんのよ。え〜と、何? 二曲目のラビリンスが好きなんだっけ? もう二人で思う存分迷ってきなさいよ。邪魔しないから〜♪』

「――姉貴ぃぃぃッ!!」


 病院に俺の叫びが響き渡る。

 15曲目は、実に一時間に渡って、バカ姉貴の俺を茶化す言葉がメモリーされていた。

 

 

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