メモリースティック
《メモリースティック:表》
「ミュージックプレイヤーって病院に持ってってもいいんだっけ?」
「いいんじゃないの? 駄目だったら看護師さんが注意するでしょ」
無責任な言葉が台所から返ってくる。
私の疑問に振り返ることもなく、お母さんは昼食に使われた食器を洗い続けていた。
良く言えば臨機応変。悪く言えばいいかげん。「そうだねー」なんて何気なく返事を返せるあたり、お母さんのそんな気質を私も間違いなく受け継いでるんだろうなと意識してしまう。ま、それも我が家の家風なんだからしょうがない。そんなことより、今は荷造りの方が重要課題だ。
一ヶ月分のパンツやシャツ、歯ブラシやコップ等、入院用の生活品をカバンに詰め込む。貴志からのリクエストであるミュージックプレイヤーも突っ込んで準備は完了。
一息ついて、部屋を見渡す。つい数時間前の慌しさなんかもうどこにも残ってない。
まったく、人騒がせな弟だ。騒いでいたのは私一人だけなんだけど。
「それじゃ、先に病院行ってるからねー」
「貴志のことお願いね。お父さん帰ってきたらお母さんもすぐに行くから」
お母さんの声を背中に受けながら、玄関のドアを慎重に開け放つ。つい数時間前、慌てすぎてぶつかるようにドアを開けたことを思い出したからだ。
『貴志さんが事故に遭われて、ただいま当病院で治療中です』
病院からそんな連絡をもらって、私は勝手に貴志が生きるか死ぬかの重体なんだと勘違いしてしまった。ぶつかるようにドアを開け、転がるように病院に駆け込み、病室の中で「よう姉貴」なんて元気そうに言う貴志のマヌケ面を見るまでは、生きた心地がしなかった。
貴志の右足はギプスで覆われていた。複雑骨折とか言うやつらしい。
自転車で走行中、横から飛び出してきた車に驚いて変な倒れ方をしたんだとか。それで全治一ヶ月なんて、どんだけヤワな骨してんだって耳元で叫んでやりたいくらいだった。そうでもしなきゃ、心配させた分と割りあわない。
入院手続きを済ませてから病室に戻ると、貴志から「入院中ヒマだからミュージックプレイヤー持ってきて」と当たり前のような顔で頼まれた。こいつには一度きついお仕置きが必要だと強く思った。退院後には覚悟しとけ。
病院へと向かうバスに揺られながら数時間前のことを思い出す。あの時の怒りが沸々と再燃してくる。許されるなら、思い切り叫び出したい気分。
このまま怒りに気分が乱されるのも面白くない。カバンをあさり、貴志のお気に入りの音楽でも聴いてみることにしよう。少しは気が紛れるかもしれない。
イヤホンを耳に掛け、メモリースティックが入ってることを確認して再生ボタンを押す。
流れてきたのはパンク風の曲。いかにも男の子が好きそうな曲だ。だけど今の私には逆効果。さらに怒りの感情が刺激されそうだ。
もっとゆったりしたバラード風の曲を探して、次へ次へと曲を送る。前奏から賑やかな曲が何曲も続く中、14曲目のそれはとても静かだった。
「……?」
なかなか曲は始まらない。耳を凝らしてみるとかすかに物音が伝わってくる。何かが動く音。それと、息を呑む音。
ピンときた。多分これ、生録音だ。
もしかしたら、貴志がこの歌手に触発とかされて、自分で演奏しながら歌った曲なんかが入ってるのかもしれない。
貴志へのいいお仕置き……お見舞いの品になりそうだ。
ワクワクしながら曲が始まるのを待っていると、コホンと、誰かの声が聴こえた。女の子の声だった。
『……えっと、貴志へ。ダストの曲、聴かせてくれてありがと。面白かったよ! やっぱり貴志が勧めてくれるだけあるよね。私も貴志と同じで、二曲目のラビリンスが好きかも。イントロが良いよね、タラッターって軽快な感じが……って、これじゃそのまんま貴志からの受け売りだよね、あはは』
……何? 何よこれ?
イヤホン越しに流れてくるのは、さっきまで流れてた激しいがなり声でもなく、私が期待していた貴志の恥ずかしい生歌なんかでもなく、可愛らしい女の子の声だった。
呼びなれた様子で、貴志の名前が何度も繰り返される。
貴志とこの女の子は一体どんな関係なんだろう。友達以上であることは確かだろうけど、彼女にしては遠い気がした。女の勘ってやつだ。私にも備わっていればの話だけど。
『あたしの好きな曲入れてもいいって言ってたけど、ごめん。何にも入れてないんだ。あたしがよく聴くのって貴志の好きそうな曲じゃないからさ。……だから代わりに、前から貴志が知りたがってたあたしの好きな人、教えてあげる』
恥ずかしそうにそう告げる、名前も顔も知らない女の子の声。
深呼吸する音が聴こえた。その呼吸音がなんだかリアルで、聴いてるだけの私がなぜか緊張してくる。この後に続く言葉がなんとなく予想できてしまって、妙にドギマギする。
深呼吸の音と無言が続くこと、約五秒弱。
これも盗み聞きって言うのかなと不意に思った、その瞬間だった。
『――好きだよ、貴志』
「んぎゃーーーーッ!」
あまりの衝撃で、ついつい大声を張り上げてしまった。どのくらいの衝撃かって言うと、よそ見した瞬間にスネ毛を思い切り抜かれたくらいの衝撃。そんな経験ないけど、多分それくらいの衝撃だ。
あまりにも予想通りで、あまりにもストレートな告白。しかも相手は私の弟。あの貴志。あの貴志にだ!
「ウソだーーッ! 信じらんない! あの貴志が!? あのデリカシーのカケラもないあのバカが!? 騙されてる! 騙されてるよあなた! どこがいいの!? あんな奴のどこがいいのーーッ!?」
『……お客様、どこで降ろされたいですか?』
やけに冷たいアナウンスがバス内に響いた。
我に返って周りを見渡すと、そこら中から渇いた視線が私に向かってグサグサと突き刺さっていた。
「……ここでいいです」
……お母さん。この視線に耐えられる程、私はいいかげんには出来てなかったみたい……。まだ病院まで半分も来てないってのに……。
強制退去という名のバス停に降ろされた私に残されたのは、復讐という名の片道切符。
甘酸っぱくも憎たらしいメッセージが入ったミュージックプレイヤーを眺める。こうなったのも全部、あのバカ弟のせいだ。
この屈辱、晴らさでおくべきか……!
病院まではまだまだ時間も距離もある。考えるのには充分すぎる。
……さて、どうしてやろうかな。退院後じゃ遅すぎる。今からすでに覚悟しとけ、貴志。