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『モグラ男』事件5人目の被害者救出劇の陰で一人の刑事の人生を賭けた決断。彼は「悪」なのか?

 週間 波濤 5月22日


 その未曾有の残虐性で日本中を震撼させた連続幼女誘拐

殺人事件、通称『モグラ男』事件が犯行に使用していたワゴン車の整備不良をきっかけに望月嘉貴容疑者(29)が逮捕されるという予想外の結末を迎えてから既に2日が過ぎた。しかし依然望月容疑者は都内大学病院に入院中で、未だ本格的な取り調べは行われていない。


 近来稀に見る凶悪な事件であり、誰もが真相の解明に注目しているにもかかわらず、警視庁は望月容疑者が入院している具体的な理由を未だに発表していない。一体何故なのか?


 今回筆者は信頼できる複数の捜査関係者への取材を通し

て、望月容疑者の逮捕以降の警察の謎めいた態度の真相にたどり着いた。そしてそれは警察の立場としては確かに対応を苦慮せざるを得ない、複雑かつデリケートな理由だった。


 望月容疑者の逮捕に至る経緯は既に各メディアにより報

道されている通りだが、ここでは逮捕以降の流れを整理して見よう。


  ◆◆署に連行されるパトカーの中で既に望月容疑者は自分が4人の少女を誘拐して殺害した『モグラ男』であり、5人目の被害者笛吹未来ちゃん(6才)を木箱に閉じ込めて、ある場所に生き埋めにしたと話している。


  ◆◆署に着いてからの取り調べで犯行動機について「自分は誰かが、特に幼女がもがき苦しんでいる姿に性的興奮を覚える。カメラとマイクを仕掛けた木箱の中で、生き埋めにされた幼女が苦しみながら窒息死する映像と音声を離れた場所で確認しながら自慰行為をしていた。映像と音声を記録したDVD と被害者を埋めた場所を知らせるメッセージを被害家族に送ったのは、被害家族が嘆き悲しむ姿を想像してさらなる性的興奮を得る為だった」と笑いながら供述し、そのあまりにも異常な加虐趣味を得意げに語ったという。


  5人目の被害者の笛吹未来ちゃんについては、「生き埋めにしてからそれほどの時間は経っていないので、まだ生きている筈だ。今すぐ助けに行けば命は救えるだろう。だが未来ちゃんの居場所を教えるつもりはない。どうせ自分は死刑になる。4人殺すのも5人殺すのも同じ事だ。あの子の死に様を楽しめないのなら、せめてお前達警察が助けられる筈の命をただ指を咥えて見殺しにするしか無い状況に、のたうち回って苦しむ姿を楽しませてもらう。取り敢えず弁護士を呼んでくれ」高笑いしながらそう語った後は固く口を閉ざし、何を聞いても答えようとはしなかったそうだ。


  虫酸が走る言い分だが、望月容疑者に未来ちゃんの居場所を話す意思がない以上、確かにこの段階で警察に未来ちゃんを救い出す手段は無かった。・・・合法的には。


  当然懸命な取り調べが行われた。捜査に関わる全ての人間が未来ちゃんの命を救う為に全力を尽くした。望月容疑者に対し時に脅しつけ、時になだめすかし、ありとあらゆる手練手管を駆使して未来ちゃんの居場所を聞き出そうと奮闘した。


 しかし既に極刑を覚悟している望月容疑者には何の効果も無く、取り調べを行う刑事が熱を帯び、必死になればなる程さも楽しそうにニタニタと笑うばかりだったという。


  確実に迫り来るタイムリミットに誰もが焦燥と無力感の間で立ち尽くす中、一人の男が覚悟を決めた。


  ◆◆警察署刑事第一課強行犯係、神城鋭治巡査部長(34)(以下神城刑事と略)である。


  望月容疑者への取り調べが30分を超えても、未来ちゃんの居場所に関して何ら情報は得られなかった。自供の可能性は極めて低く、このままでは未来ちゃんの生命を救えないと判断した神城刑事は、独断で行動を起こした。


  自分以外の捜査員を取り調べ室の外へ力ずくで追い出して、トイレから持って来たモップと電気の延長コードを使いドアを内側から固定。取り調べ室を望月容疑者と二人きりの密室にした。


  約10分後、外からドアをこじ開けようと悪戦苦闘していた捜査員達の中に、鬼の形相をした神城刑事が飛び出して来て、「□□山だ!急げ!」そう叫び駆け出した。


  望月容疑者と二人きりだった約10分の間に一体何があったのか?はっきりと知っているのは望月容疑者と神城刑事だけだ。だがおそらく望月容疑者にとっては、人生で最も長い10分間だったであろう事は容易に想像がつく。


  取り調べ室に残された望月容疑者の顔面は血まみれで、前歯を4本失い、鼻骨を叩き潰され、右腕は肘の関節が脱臼していた。さらに肋骨4本を骨折、内臓にも損傷があったという。取り調べ中のニタニタ笑いはかけらも無く、床にうずくまり涙を流しながら小さな声で「助けて、助けて」と何度も繰り返し、震えていたそうだ。


 なるほど、警視庁がマスコミへの対応に呻吟しているのも無理はない。神城刑事の行動が無ければ、未来ちゃんの救出は極めて難しかった筈だ。だが彼のやった事は明確に違法、犯罪なのだから。


  その行動の是非を云々する前に、神城鋭治という人物について説明しておこう。

 

  神城鋭治、34才、独身、親も兄弟もなく天涯孤独の身の上だ。未婚のまま妊娠した母親は、彼を出産してすぐに育児放棄。児童養護施設に入所してから現在に至るまで、一度も母親とは会っていない。父親に至っては、どこの誰かも分からないという。中学校の卒業と同時に施設を出所すると、肉体労働で生計を立てながら夜間高校に進学。高校卒業資格を取得して、警察官採用試験Ⅲ類を受験し合格、交番勤務となる。持ち前の腕っ節の強さと度胸の良さで目覚ましい活躍を見せ、◆◆署刑事課の目に留まり第一課強行犯係へ転属。柔道3段、剣道2段、ボクシング歴は10年を越える。まさに質実剛健、現場一筋の叩き上げだ。刑事課の同僚に彼の人となりを聞くと、「まあ、一言で言うと『岩』だな。とても今時の若い奴とは思えない頑固者。一度こうと決めたらテコでも動きゃしない。あのでかい図体といい、融通のきかない性分といい、ホント『岩』みたいな男だよ」


  未来ちゃんの救出後、神城刑事は傷害罪で現行犯逮捕され、現在◆◆署内に拘留されている。


  望月容疑者の弁護士は神城刑事に対して、殺人未遂での刑事告訴も検討しているという。


 さて、これで一通りの状況説明は終わった。それではいよいよ『その行動の是非を云々』してみよう。


 まず間違いなく神城刑事は失職する。なにしろ現職の警察官が勤務先の警察署内で犯罪を犯したのだから。前述した通り神城刑事に家族はいない。浮いた話を聞いたという同僚もいない。休日は様々な格闘技で体を鍛えているが、全て仕事に繋がるものだ。文字通り仕事一筋、刑事という職業に人生を捧げてきたと言っていいだろう。


 そんな男が失職する。


  狂った性欲の異常者によって殺されかけていた6才の少女を救い出せる、たった一つの方法を選んだという『罪』で。


  人は言う。どんな理由があっても暴力はいけないと。


  ・・・本当に?『どんな理由があっても』?


  誘拐され生き埋めにされたのが、あなたの子供でも?


  まず間違いなく神城刑事は傷害罪で有罪判決を受けるだろう。彼が望月容疑者に暴力を振るい、重傷を負わせた事に疑問の余地は無いのだから。


  誰もが言う。法の番人たる警察官が、違法な取り調べなど決して行ってはならないと。


 そう、その通りだ。それが正しいのだろう。

しかし、・・・しかしだ。


 だったらあの状況で神城刑事はどうすれば良かったというのか。ただ法を遵守し、殺人鬼の人権に配慮し、何の罪もない6才の少女の命の雫がこぼれ落ちて行くのを、漫然と待っていれば良かったとでも言うのか。


 それは正義なのか?


 そうだ、これは『正義』の話しなのだ。


 『正義』、危険を孕んだ言葉だ。過去この言葉を旗印にして、一体どれ程の血が流れたのだろうか。この世界のありとあらゆる争い事で、この言葉が使われなかった事など無いのではないだろうか。ある意味でどんな暴力も正当化し得る、とても便利な『魔法の杖』なのだから。


 そしてその事をみんな知っている。歴史という縦の情報、社会という横の情報、そのどちらにもほぼ自由にアクセスできるこの情報化社会に生きる我々には、もはや『正義』という言葉に無邪気な憧憬を抱く事は出来ない。だから誰もが『正義』と聞いた途端に身構える。どこか胡散臭いと、疑わしいと。「正義ほど怖いものは無い」訳知り顔でそう語る人が、あなたの周りにも一人はいるのではないだろうか。


 だが、ならば人は『正義』を手放せるのか?『正義』無しに、人は人としてあり続けられるのか?


 不可能だ。筆者はそう信じる。人間がこの世界で社会生活を送る為に最低限度必要な行動規範を形作っている、倫理や道徳から『正義』を切り離す事など出来ないと。


  絶対的教義の一神教を持たないこの国で、倫理や道徳を育んで来たもの、それは『世間』だ。ごく平凡な市井の人々が、ありふれた日常を滞りなく過ごせる様、長い時間をかけて少しずつみんなのバランス感覚を擦り合わせる事によって生まれた暗黙のルール。それこそが我々にとっての倫理や道徳という物なのだろう。ではそのルールを作る際、取捨選択の基準となった物とは一体なんだったのか?普通の人達が普通に持っているバランス感覚の背景にある物とは?


 『正義』は諸刃の剣だ。決して万能では無い。それを振るう者自身を傷つける危険を伴う武器なのだ。だから人は、それを自らの手で握る事をやめた。代わりに、『ありふれた日常を過ごす為のバランス感覚』の中から『倫理や道徳』という部品を集めて『法というロボット』を作り、その無機質だが精密な手に『正義という剣』を握らせたのだ。


 だが人間が完璧な存在ではない以上、その人間が作る『法というロボット』もまた、自ずと完璧ではない。それを作る人間、国家、民族、歴史、宗教、経済、教育、様々な違いによって姿形も機能も全く異なる。しかし世界中に無数に存在する全ての『法というロボット』に共通する点が一つだけある。その冷徹な手に握った『正義という剣』の切っ先の届く範囲に限界があるという事実だ。


 時代や社会の変化に合わせて何度も部品を交換し、関節の可動域を拡げ、ソフトウェアをアップデートしても、『正義という剣』で余す事なく全ての悪を両断する完璧な『法というロボット』を作る事は、おそらく不可能だ。『完璧な人間』を作れない様に。


 ではその『正義という剣』の届かない死角に潜む悪をどうするのか?法で裁けない悪は諦めるしかないのか?それは『法治国家に住む者の諦観』なのか?・・・本当は『臆病者の保身』ではないのか?


 神城鋭治という男は『諦観』も『保身』も選ばなかった。『法というロボット』の血の通わない手から『正義という剣』を奪い取り、その諸刃の剣で己諸共悪を切る事を選んだのだ。


 そう、『己諸共』だ。彼は充分に理解していた筈だ、その選択の結果自らが何を失う事になるのかを。解った上で選んだのだ。


 彼は『拷問という違法な尋問を行った暴力刑事』だ。


 彼は『犯罪者』だ。


 犯した罪に応じた罰を受けなければならない。


 では彼は『悪』なのだろうか?


 『諦観』や『保身』をかなぐり捨てて、我が身を犠牲に一人の少女を救う為に全力を尽くした男は『悪』なのだろうか?


  今、我々の『当たり前のバランス感覚』が、『倫理』が、『道徳』が、『正義』が問われている。









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