5. 馬鹿の爆弾発言
「あーそうだ忘れてた」
ユウトとアジェンタの話が終わったということで帰ろうとした時、突然呼び止められた。
店内はすでにくまなく見ているので今のところここには特にこれといった用事はない。それになんと言っても、殺人未遂をしたアンジェリカという人物をあまり好きにはなれなかった。
外見は良いしナオが不自由な生活を送っていないのは二人で話をしていてある程度察しはついている。おそらく愛されているのだろう。
肝心のユウトも殺されかけた事については言及するつもりもなく、体調の方も虚空に向かって会話したりするくらいで特に問題はない。
だから何も彼女を嫌いになる必要なないのかもしれないが………
「……む」
見ると、面倒臭そうに体を揺らしているのが分かる。呼び止めたこと自体があまり好ましく思っていない感じだ。
(面倒だと思うなら呼び止めなければ良いのに……)
思いはしたが言葉に出すことはない。
元の癖なのか思わず愚痴を零してしまいそうになるが、それはそれ、今の自分としてはそんなこと許されない。隣にユウトがいるのは勿論だが、ずっと前に
「人前では表情を崩さず本音を胸の内に隠しておきなさい」と教えられた気がする。
それも記憶がない自分には見当もつかないし、それがいつ言われたのかなんて知る余地もない。以前の自分に興味がないわけではないが、そう焦らなくても良いとユウトと、エアリエルとかいう人が言っていたらしい。
断片的とはいえある程度自分に対する情報は揃っている。ならばその自分に合わせて動けば良いのだ。だから、あまり好きじゃないアンジェリカにも笑顔を見せる。
「ん、こっちの用は終わったんだが何かあるのか?」
ここで今すぐに「帰る」と言ってくれれば良いのだが、ユウトという人は何だかんだと人の話を聞く人だ。ここで彼女の言葉を無視することなどありえないはず。
仕方ないとは思いつつも、結局のところ話すのはユウトなのだから自分は表情を表に出さずただ立っていれば良いだろう。そう考えれば気が楽になった気がした。
そうして人当たりの良さそうな笑顔を作る。
記憶がない自分にも、これだけは自然と行える芸当だった。最初は相手に対して申し訳ないと思いやることはなかったが、記憶がない分話についていけないことが多い。そういった時は、これが一番だ。
「なに、大した用じゃないんだけどね」
「別に急いでるわけじゃないから良いよ。どうせティムは店を空けてて今はいないらしいからな」
「へー、アイツはそういう事にしたのかい」
「?」
大したことがないなら早く終わってくれ。
あの守ってあげたくなるような気弱なナオとならいつでも一緒にいて良いのだが……どうやったらこの母親を見てあの清楚な娘ができるのかと、カノンは胸の隅で黒く考えていた。
「で、アンタがこの馬鹿に助けられたってやつだろ?」
「………え?」
まさか自分に話題が振られるとは思っていなかったカノンは思わず素っ頓狂な声を上げた。
しかも悪どいことを考えていたのだから、戸惑いも人一倍だ。
「あっ、さっきの馬鹿へのアレはいつもの恒例行事みたいなものだから、アンタも早く慣れなよ」
「……は、はあ」
あんなもの慣れるわけがない。
自分のことをずっと側で見ていた人が風穴を開けて床に落ちる。これに慣れてしまえば、ユウトへどう顔向けすればいいのか分からない。
………そういえば、血はどうしたのだろうか。
「で、アンタの名前は?」
なんか、戸惑う反応を見てニヤニヤ笑ってるのが癪に障る。
「カノン……です」
少しぶっきら棒になってしまったが、これくらいの態度のが良いのかもしれない。相変わらず何が面白いのか、笑っているのが向っ腹に来る。
ちょっとユウトの方を見てみるが、こちらは優しい微笑みを返してきてくれる。うん、こうでなければ。
「そういや、アンジェリカ。『アジェンタ』ってのに覚えはないか?」
カノンの顔を見て思い出したらしいユウトが、そんなことを言った。するとアンジェリカは唸りながら男らしく腕を組む。
(こうなりたくなかったから、あえて言わなかったのに……)
ユウトの親切心は嬉しいがこういう所の意思疎通ができないのが何とももどかしい。
それでも表情を崩さず待ってみる。もしかしたら彼女がこの名に気付くことがあるかもしれない。
一途の想いに賭けてはみたものの、アンジェリカの顔は唸ったまま晴れず、ややあってから
「知らん!」
の一言だけを言って満足したように踏ん反り返った。
「そうか、最初っから当てにしてなかったから別に良いか」
「で、ユウト」
「なんだ?」
「カノンとはヤったのか?」
顔が一気に真っ赤になる。
鼓動が激しく胸を打ち、目の前がぐるぐると回り始めた。
「なっ、なっ、なっ、なあ!?」
ヤった?
ヤるってなにを?
ナニとナニをアレしてアレするアレ?
「なっ! なんてこちょをいっちぇるんじぇすきゃ!」
「え? なに、ヤってないの? 若い男女が個室で、二人っきりでなのに?」
キョトンとした顔でアンジェリカが言う。
まるで信じられないかのような表情だ。目を丸くするとはこの事を言うのだろうか。
「ばっ、ばきゃなことを言わないでくださいっ! ユウトはそんなことをする人じゃありません!」
「えー……いくら馬鹿とは言え男だぞ? 処女を狙う1匹の狼なんだぞ、年中勃ちっぱなしのボッキーボーイだ」
「ぼ、ぼぼぼぼぼぼっ、ぼォ!?」
「俺への風評被害は止めろォ!」
限界だったのか、ユウトが顔を真っ赤にして叫んだ。
それを見て面白そうにアンジェリカが爆笑しさらなる油を追加していく。
「チェリーボーイアンドヴァージンガール! 」
「お前本当に既婚者か!?」
「ヴァッ!?」
二人の外向けの笑顔が剥がれ、顔を真っ赤にして怒る様にアンジェリカは腹を抱えて笑う。
だがナオが顔を赤くしながら下を向いてるのを見て、ある程度冷静さを取り戻した。それでも笑いは込み上げてくるので、若い二人を存分に笑ってやる。
何よりも面白いのは、二人とも顔は断然良いくせにそういうモノに関しては一切関わっていないことだ。特にユウトなんかは学院でも美少女1人をキープしているとか聞く。
そんな女性の敵のような馬鹿が初心だと知れば、これほど面白いことはない。
相も変わらず赤面で視線を泳がす二人をじっと見据える。
「もっと自信をもってヤることヤっちゃえよ。ユウトも、気があるから助けたんだろ? ん?」
「………あ」
満面の笑みを浮かべながらの質問にカノンは大袈裟にも反応してしまう。
なんとなく「気がある」という単語に反応してしまったのだ。未だこの胸に宿る想いがなんなのかを知らないかながらも、気になりだすとキリがない。
思わずユウトを見上げ、反応を待つ。
そのカノンの反応を見てアンジェリカは密かにほくそ笑んだ。
ナオを含んだ3人の視線を受け、逃げ場はないと考えて溜息を吐く。
ユウトはどちらかと言うと自分の女性観を人に話す事を嫌う。まず自分の劣等さを知られたくないため何かと優劣をつけるのを好まないからだ。
観念したように頭を掻くと、深呼吸をして自身を落ち着かせる。これから行うのは優劣を決めるということ、それは相手からも優劣をつけられ自分が見下されていることを自覚することでもある。
心を落ち着かせてから、胸の内に自らの答えを聞く。だがそれは、もう決まっていたことで、勢いに任せてぶち撒けることに決めた。
「俺は………」
「ユウトは?」
「………………………」
「省略されました。続きが聞きたかったら画面の前でワッフルワッフルと叫んでください」
「「「………………」」」
場が凍りつくのを感じた。
そこで自分だけが違う場所から来ていたことを思い出しだし、こめかみを押さえた。
「………サトシよ。サトシ来てくれ、この世界ではお前しかこのネタを知らない……どうかワッフルワッフルと叫んでくれ………」
疎外感から涙が出てきそうになったが何とか抑え、顔を持ち上げようとしたその時
「……わ、わっふるわっふる!」
小さく可愛らしい声が聞こえ、思わず顔を上げた。
そこには意味はわからなくとも恥ずかしさから顔を朱色に染め、必死になって叫んでくれたナオの姿があった。
思わず、頭の一つでも撫でてやろうと駆け出し……
「あっ、わっ、こ、来ないで下さい!」
全力で拒否られた。
ユウトは重く肩を落とした。
いや分かってはいた。ナオは体が弱いためユウトのような異常な魔力を持つ者が触れると倒れてしまう。
それを思い出し、行き場を失った手をどうしたら良いものかと悩んだ結果。
「戸惑う俺」
言って自分の後頭部を叩く。
そして、ワッフルワッフルと唱えられたため完全に逃げ場を失ったことを今更気付き、アンジェリカの方に向き直った。
この微妙な空気を変えるため、言ってしまおう。
「俺は………カノン」
「え?」
「ほほう?」
カノンとアンジェリカが驚いたような声を上げる。だがユウトの言葉はそこで終わりではなかった。
「………の、親友のツグモのような女の子が好きだ!」
「え?」
「……はあ?」
続きがあるとは思ってもみなかった三人は変な声を上げた。
「カノンより平らな体つきが好きだし黒髪ショートヘアーなのがこれまたナイス! しかも目つき悪くてぶっきらぼうで無口で人を見下したような態度のくせして何気にドジっ娘属性つきで、フードも良いし魔術道具のヘッドフォンとかあれ絶対探索に必要とかじゃなくてファッションで着けてるだろ! あと一人でいることを好むくせに、いざ一人にしてやろうとすると袖を指でこうっ、掴んで上目遣いで見てくるのがまた良いわけだ! 要するにスレンダー黒髪ショートの無口娘で一匹狼気取りの女の子が俺は大好きだッ!」
やり遂げたユウトは肩で息をしながら三人の反応を待った。
「……………」
だが、ただ一人の反応もなく、自分の発言を後悔しながら、ユウトは顔を伏せた。
………
……
…
(これは酷い……)
アンジェリカはユウトの言葉に声を無くしていた。
目の前に自分を慕う相手がいるというのに別の女の名前を挙げた挙句、完膚なきまで叩きのめしたのだ。
自分が促し逃げ場をなくさせたのだが、それが結果的にこのような惨劇になったことを酷く後悔した。
(あぁ、あれは駄目だ)
ユウトをやけに気にしていたカノンは今、放心していて見る影もない。いっそ何も知らないまま隣にいさせた方が良かったのかもしれない。
そして隣に立っているナオも、何か魂が抜けているように見えるのはきっと気のせいだ。親の行き過ぎた心配性のせいに決まっている。
惨劇を生み出した張本人はというと自分が言ったことに後悔しているのか顔を伏せたままだ。
「…………はぁ」
こればっかりはどうにもなりそうに無い。
そう自分の中で片付けると、まともに思考できるアンジェリカだけが立ち上がり、若者だけを残し逃げるようにして店の奥へと消えた。
仕事中に怪我をしました。
大丈夫だとは思いますが更新が遅くなると思われます。