2.寂れた宿
魔導具と魔術道具の違いとはなんだろうか。
よく挙げられる点としては『英雄時代に作られた物か否か』というものだ。
そもそも英雄時代とは、約3000年以上前に存在した『六英雄』と呼ばれる6人が築き上げた時代だ。六英雄はその時代に抱えたほぼ全ての問題を解決した。暮らしていれば必ず恩恵を受ける魔術や魔導甲冑、冒険者システムに文字や学院といったものも全て六英雄が作ったものだ。
当初は食料問題や民間の差を解決し、死亡件数が多かった冒険者や傭兵の生存率を上げるため、冒険者と魔物にランクを付け接触自体を避けさせ、何が危険で何人でどんなバランスのパーティなら生き残れるのか。そういった基本的な事すら彼らのおかげで、現在がある。
彼らの恩恵は数え上げればキリがないが、人類にとっての数々の難敵を滅ぼしてきたのも、また彼らだ。
そして彼らが姿を消す寸前、人類に残した最後の恩恵が魔術道具なのだ。
まず魔術は英雄時代以前より栄えていた『魔法』という御伽噺のような術を、才能持たぬ者達にも使えるようにと作られた物らしい。そしてそれを更に簡略化し、魔力を通すだけで使用可能としたのが魔術道具である。
ならば魔導具は過去の産物であろうか?
いや、そうではない。
魔術道具はたしかに簡単に誰にでも使用できるため優勢に思われる。実際にそうではあるが、肝心なのは魔術道具は設定通りの事しかできないという点だ。『手のひらサイズの氷を作る』という設定ならばいくら魔力を通そうと結果は変わらず、下手をすれば魔術道具側が膨大な魔力に負け破壊してしまう可能性すらある。
それも魔導具なら同じ条件だろうと、魔力を通せば通すほど巨大な氷を作る事ができる。
つまり魔術道具の能力設定が融通が利かない一方通行なものに対し、魔導具は設定された能力が『最低限発動するライン』ということだ。それに難易度の高い能力になればなるほど魔術道具も魔力を通すだけの一筋縄ではいかなくなる。
そして最の違いは、干渉範囲だろうか。
最も身近な物で分かりやすい物といえば、冒険者ギルドで配布されている長円形の金属板だろうか。あれも英雄時代に作られた物で、本人の冒険者としてのランクや組んでいるパーティ名、生年月日から血液型に生死の有無などあらゆる情報が閲覧できる。これを世界全土の冒険者すべてが持ち歩き、それら全てが常時情報としてギルド本部に流れ込んでくるのだ。設置型記録展開式魔術道具など目も当てられないほどの情報量を常に一瞬で掻き集めるのだから、どちらが優秀かは見れば分かるだろう。
さらに人類を滅亡に追いやった『虚無の正方形』や常に世界へ監視を続ける魔導甲冑も魔導具なのだから、強力な魔導具が世界へ与える情報量は計り知れない。
そんな魔導具が浸透していないのは、単に使用者が見つからないというだけではなく修復や再現が行えないという背景がある。
こういった関係で未だ魔導具は流通すらせず流行りはしないが、そのおかげで魔術道具を作り整備する魔導技師が儲かるのだから一概に悪いことばかりとは言えない。
そして、大陸一評判の良い魔導技師ウジャト・ホルクアティが腰を下ろすここラクンドシャは今日も人で賑わっていた。
ラクンドシャ唯一の冒険者宿カメリアの休日は、元の2階建を増築して3階建にされている大きな宿で、その増築された階段の前で3人の冒険者が話し込んでいた。
一人は外見年齢16歳ほどで、赤毛が目立つ身なりの良い少女で名をカノンという。その隣に立つのは背の高い青年で名をユウト。こちらも貴族のような装束で、とても冒険者には見えない。最後の一人は少女を思わせる顔つきと背だがそれに似合わない大きな胸と、側頭部から生えるアモン角が目立つ獣人族の女で名をリュリュシータといった。
彼女達は一つの指輪に視線を落としていた。その指輪の名は虚構幻惑といい、正真正銘本物の魔導具だ。
自分の指にはまった魔導具に喜びを隠せないカノンとは対照的にユウトは黙って思考していたが、その雰囲気を割くようにしてリュリュシータが提案した。
「その魔導具、気に入ったなら貰っていいわよ」
「え! 本当に!?」
ユウトと同じ物が持てる、しかも同じ魔導具とかいうやつだ。それぐらいの感情でカノンは指輪を大事そうに抱え満面の笑み浮かべた。
「おいおいおい、こんな物を無償プレゼントってなにを企んでいる!」
「んっふふー別にぃ? ただ恋する乙女の手助けにってね」
「恋するって……冗談でも言っていい事と悪いことがあるぞ。というか心臓に悪い」
ため息一つに頭を掻くと、カノンの手を取りリュリュシータには目もくれず歩き始める。これ以上構っていても埒があかないと思ったらしい。
早歩きで立ち去ろうとする二人へリュリュシータが思い出したように声をかける。
「カノンちゃんが今まで着てた服はクロペディアのナオちゃんのだから、お礼しに行った方が良いんじゃないかな」
確かに、カノンが今まで着ていたのは雑貨屋の娘から借り受けていた物だ。今でも身につけている下着もカノンの物ではない。それを思い出して今度こそ背を向け腕を上げながら歩き出した。
「ティムに挨拶したら行ってくるよ」
「あのっ、これ、ありがとうございました!」
伸びる階段を下りていく二人を笑顔で見送った後、残ったリュリュシータは部屋へと戻って行く。影に隠れてその表情は窺い知れぬが、何かを確信しているのは確かであった。
下に降りてみると、そこは大きなロビーが広がっていた。帰ってきた冒険者がすぐ酒が飲めるようテーブルや椅子が多数置いてあり、受付兼カウンターといった感じだろうか。
だがいつも多くの冒険者で賑わっているはずのそこは、今は静かでテーブルに座る冒険者も見受けられない。それは本来いるはずの受付係や店員に亭主も同様のようで、窓から射し込む日により明るいはずの店内が異様に暗く見える。
音を鳴らしながら階段を降りたカノンは周囲を見回してみる。とても静かで、ネズミの声でも聞こえそうなほど静寂だ。
(寂しいところ……)
「客がいなくて寂れたクソ宿、なーんて思っちゃいないだろうなお嬢ちゃん。それ早とちりってもんだぜ」
突然の声はカノンが考えていたことを見透かされたようで、飛び上がってユウトの背後に隠れた。
恐る恐るといった様子で背中から覗いてみると、影になる奥のテーブルで一人の男が酒瓶片手に飲んでいた。
存在に気付かなかったのは、その男の服装に問題があった。
全身を覆う漆黒のスーツは、体にピッタリと張り付いており闇に隠れてほとんど輪郭が見えなくなっている。肩からかかるショルダーホルスターだけが不敵に輝いていた。
顔は整っており、ユウトとは違い女性受けしそうな風貌をしている。男とは思えない細長い指で酌を取ると一気に飲み干す。行儀が良いとは言えないが一連の動きには優雅さがあり、男が只者でないことが伺える。
「ガイどうした、前はムンイヨルノに行ったって聞いたんだが」
「あぁそんでもってジャグジーの姐さんにこっぴどく怒られてなあ、こら堪らんってんで逃げてきたわけよ」
身振り手振りを加えて話す男ガイは、面白そうに自嘲の笑みを浮かべながら酒を呷る。彼の足下には沢山の空になった瓶が転がっていて、それらすべてが度数の高い事で有名な一品ばかりだ。
よく見てみると顔は若く、ユウトと同じか一つ上程度だろう。焦げ茶の髪と鋭い眼光が目を惹く。
「……ってことはハルビンゼルからここまで来たのか、そりゃ大変だったろうな」
「それならそっちも同じ、いや俺以上じゃねえか。なんてったって、あのドゥンケルハイトのテリトリーに足を踏み入れて女の子一人抱えて帰ってくるだ。あそこに入って生きて帰った奴なんて今までいなかったのに、しかも入った理由が女の子を助ける為って……いやあ、おめでたいこった」
今度は自分にではなくユウトへ向かって高く笑った。それは嘲笑うものではなく忠告のように聞こえ、ユウトは黙って聞いていた。
ガイとユウトはそれほど長い付き合いではないが、お互いの仕事柄よく顔を会わせるのでなんとなく仲良くなっていた。しかもその殆んどが戦場のせいか、おかげでお互いの悪いところが手に取るようにわかる。
笑い終わったガイは再び酒を呷り、カノンを捉えた。次の瞬間には朗らかな笑顔が貼り付き、一転して軽そうな印象を受ける。
「で、そっちが命からがら救ったお姫様ってわけねん。あっ、俺はガラッシア・トゥルビネ。みんなからはブラスターガイって呼ばれてんだ。アンタも気軽にガイって呼んでくれ」
白い歯を見せ笑うガイは女性ならば誰でも気を許しそうな雰囲気をしている。先ほどの獲物を狙う獰猛さはどこかに消え失せている。
「………カノン。です」
ポツリと答えた言葉にガイは哀愁に満ちた悲しげな顔をして天を仰ぎ見た。
「カノンか……なあ死んじまったオフトゥンよ。もしかしたら遍く銀河に漂う一輪の花を、俺は見つけちまったのかもしれないな」
「いやあいつ生きてるし銀河ってどこだよ。っていうか勝手に運命の相手にするな」
呆れるユウトの言葉に哀愁で満ちていたガイはスッと元の軽さに戻った。それが演技だったと知らなかったカノンはその変貌に唖然となり、先程以上に警戒心を上げた。
そしてガイは自分の冗談が通じなかったことにショックを受け冷や汗をかいていた。
そんな微妙な空気が流れる中で、突如店の扉が強い音とともに勢いよく開いた。
「ニージス=ジャクレイシャ! 買い出しからただいま戻りましたぁ!」
飛び込んで来たのは大きな木箱を両手で持ち上げる少女だった。
ここ一帯で流行っている服に頭のカチューシャが可愛らしい顔を引き立たせている。だが自身の半分ほどの木箱を持ち上げる腕は細くも捻れたワイヤーのような筋肉が浮き出ていた。顔に似合わず、ここいにる男二人より男らしい腕だ。
活発そうな少女は返事がないのを疑問に思ったのか周りを見渡し、カノン達を見つけた。
「あっ、カノンさん起きたんだ!」
叫ぶと箱を床に置く。すると低く重量のある音がロビー内に広がり、その重さがどれほどのものだったのか嫌でも分かってしまう。
しかし疲れを感じさせない様子の軽い足取りで駆けてくると、背筋を伸ばし腕を横に伸ばして肘から先を額の方に曲げる。
「ユウト陛下、よくぞご無事で」
「今は甲冑が主流じゃないんだからそのポーズより肘を張って胸に拳を当てる方が今っぽいだろ。それに、その物言いでの敬礼なら急ぎでない限りは片膝と手を床につけるのが正しいんじゃないのか?」
ユウトが指摘すると、ニージスは舌を出してバツが悪そうに笑った。
「うへぇ、さすがに騎士学院に通ってるだけはあるね。他の人の前なら普通にイケるんだけどな……」
「それアフィアネスの前でやるなよ。無礼な友人を連れてきたって叩っ斬られそうだ」
「そうそれ! なんで騎士学院最下位を漂うユウトくんがアフィアネス王女様と面識があるのかが分かんないんだよねえ……同い年なのに理不尽だー!」
そんな会話を横に、カノンの眉間はキツくなっていた。
突然女の子が現れたかと思うとユウトを取られたのだから不条理なこと窮まりない。そのせいか胸の方がズキズキと痛むのだ。
苛立ちが頂点に達し、ついに頬を膨らませ始めたところでガイがその事態に気付いて二人の会話に割って入る。
「まあまあお二人さん、その辺にしなさんなって。いつもやってる痴話喧嘩よりも新顔のカノンがいるんだから収めて納めて、ニージスちゃんも一つバァーッと元気の出る自己紹介をかましてみんなまし」
そう言って笑うガイを見た二人は了承の意を伝えると、ニージスがカノンの正面に立つ。
改めて見てみると、村娘といった感じで好感が持てる印象だ。それにカノンが一番気にしていた金属板を身に付けていないし、狂気の谷間は無いし平過ぎるというわけでもない。
危険ではないと認識したカノンはリュリュシータやガイとは違い、ニージスの正面に立ち顔をしっかりと見上げた。
「じゃあ改めまして、私はニージス=ジャクレイシャ。バナーレ村出身で家は農家かな、まあ農家になるのが嫌でティムさんがやってるこの宿でお世話になってるんだけど」
「まあ金がなくて学院には通えず夢の騎士様にはなれなかったけどな、はっはっはっ!」
ユウトの失礼極まりない発言に、ニージスは肩を震わせて怒りを露わにする。
「ムッカー! ユウトくんは意地悪だよね、私が騎士志望でこっちに来たのにお金が無くて無理だったことをいつまでも掘りかえすんだもの。同じ学院生のティファちゃんならそんなこと言わないのに、それにカノンくんもこんな奴のどこが良いんだか!」
叫ぶと、次は両手を絡ませて天を仰いだ。
「あぁ、ユウトくんと同性ならこんな馬鹿よりシン様の方が最高に格好良くて理想の騎士って感じなんだけどなあ……物静かで凛々しくてイケメンで、まさに聖騎士に相応しい! しかも学院4位の実力で学年38位学院115位のユウトくんとは大違い! また馬鹿をダシに、私へ会いに来てくれないかな……」
「いやアイツ重度のシスター・コンプレックス患者だからレイタさん以外には関心ないし、ましてやお前を見ることなんて一切無いだろ」
「わかってるよ! いい加減乙女の夢を壊さないでくれる!?」
「自己紹介のはずだったのに……これはまた迷惑至極……」
再び再開された痴話喧嘩にガイは呆れたように首を振った。
その姿を見て、ガイの本性はこっちなのだと分かりカノンはガイへの警戒を少しだけ解いた。
そしてカノン自身もこの状況は良くないと、ユウトの前へ出てニージスをしっかりと捉えた。突然のことに二人が静かになると、手を胸に持っていきできる限りの優しい笑みを浮かべる。
「どうもニージスさん、私はカノン・アジェンタ。ユウトさんからはカノンと呼ばれているので、ニージスさんもカノンとお呼びください。私の記憶が戻るまでの間は何かとお世話になると思いますので、これからも何卒よろしくお願い致します」
そう言うとワンピースの端を持ち上げ優雅にお辞儀をする。その姿はまさに貴族そのもので、袖から覗く冒険者の証である金属板が彼女を着飾る装飾品の一つにしか見えない。
これには思わずガイも感嘆の声を上げ、以前の姿を知るユウトは笑いと吐き気を必死に抑えていた。そしてお辞儀を向けられたニージスはあまりの出来事に膠着していた。
ユウトの知り合いで、ユウトすら恐怖する女の子と聞いていたのでゴーレムのような人を想像していたのだ。最初に見たのは血みどろでよく分からなかったし次に見たときはベッドで眠る綺麗な姿だ。それでも「ユウトの知り合い」ということで冒険者の特有の「力で相手を屈服させる」ことを好むものだと勝手に考えていたのだ。それが宮殿に佇む貴族のような姿を見れば、驚きもするものだ。
言葉に詰まりあたふたと手を慌ただしく動かすと、結局両手を腿に乗せてできるだけ綺麗に見えるよう腰を曲げお辞儀をする。
「………こ、こちらこそお願いしますんる」
「はい、お願いします」
ニージスの失敗も指摘せず微笑むカノンを見て、ニージスは想像だけしてカノンを貶していた自分を恥じた。
(これからカノンちゃんにはサービスしまくろう)
今の自分が出来ることを考えながら、ニージスは頭を下げたまま動くことはなかった。