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記憶を失った少女と変態の青年

 乾いた風を身に受け女は気怠く低い息を漏らす。


 体のありとあらゆる箇所が動かず、体を起こすどころか首を動かし周囲を見ることすらできない。

 そんな状況でも不思議と生きていた。いや、生きながらにして動かぬ体を持つなど、ファンタジア大陸中心に存在するこの荒野では既に死んでいると同義かもしれない。


 そして死は、冷酷に女へと一歩ずつ近付いていた。


 重い瞼を持ち上げてみると、一面に赤い海。数百人いたであろう腕自慢の男達は忌まわしい魔物によって残らず原形をとどめていなかった。人と認識できる程度で済んだ自分は幸運だったと、女は場違いなことを考えていた。


 視線を上げると、装飾が施された柄が目を引く愛用のレイピアが自分の腕と共に転がっている。魔術武器(レムナント)や魔導具といった高価な物ではないものの、冒険者仲間で親友の二人がプレゼントしてくれた大事な宝物だ。それが無事なのを確認して女は瞼を閉じる。


 止めどなく溢れる血液を抑える腕は既にない。立って歩くための足は皮一枚でなんとか繋がっているだけで感覚は無く、二度と立ち上がることは叶わないだろう。辛うじて行っている呼吸も、大半の骨と内臓が潰れてしまったせいで、持って残り数十秒といったところだろうか。このまま生きるよりいっそ死んでしまった方が楽なのだと理解しているのか、もうそんな事を考えるだけの力が残っていないのか、かつて活気に溢れていた瞳は虚ろで愛嬌のあった顔には死相が浮かんでいる。


 すでに女は生きることを諦め、今まで信じてきた至高の神クレアストゥールや人神ミタカに見限られたのだと、心のどこかで感じていた。だが不思議と涙は出ない。


 女は再び瞼を閉じた。


 黙って無茶な冒険に出たことと勝手に死ぬことに親友達へ謝罪と、次に生まれ変われるならどんな身分なのだろうかと、死んだ先は茶会が良いなと。

 そんな夢を見ながら、女はそっと息を引き取った。




………



 

 ファンタジア大陸でも文明から隔絶されたそこを、人々はケフェウス荒野と呼んでいる。


 乾いた風が吹き抜けるこの寂れた大地は、大凡生き物と呼べる物は存在していない。突出した岩やコントラストの美しい岩山が多く、時折地滑りも見受けられる。明らかに、人が生きるには適さない場所である。


 しかし、必ずしも生きていけない環境というわけではない。岩肌が露出する広大な大地は、一見何も無さそうに見えるが、それは間違いだ。その硬い地面を一度掘り返せば、微量の魔素(マソ)を含んだ純度の高い魔水が止めどなく溢れ出るだろう。彩り良い岩壁を削ってみれば、美しく稀少な鉱物が顔を出し、麻袋一杯にすれば生きていくに不自由ない大金が手に入るだろう。


 そして中心部には、色とりどりの草花や穀物がひしめき合う楽園が存在する。

 この荒野に正しく手を加えれば、現在全ての国が抱える食糧問題を解消するどころか、生きる者全てを豊かにする事も、過言とは言い切れない。


 そんな、世界をも救う価値ある土地も、現在は人っ子一人存在しないどころか小動物すら確認できない。そもそも、この世に生きるすべての生物に、この聖域へ入る勇気などないだろう。

 それはこの土地をテリトリーとする強大な魔物が原因だ。



 その魔物を人々は『最古の上級位ドラゴン。“闇鱗の邪神”ドュンケルハイト』と呼んだ。



 英雄時代、英雄達により六神龍が倒された際弾けた魔力の塊より生まれた子竜の一体だが、稀にこういった強大な魔力を持つ個体が現れる。

 だが、その殆んどが生まれた直後に世界バランスを整える世界規模の巨大自動防衛型魔導人形、通称魔導甲冑を前に消滅してきた。


 しかしこのドラゴンは他と一線を画す賢さを有していたのだ。魔導甲冑の防衛範囲を巧みに躱し続け、遂に防衛の穴であるこの荒野に辿り着いたのである。


 しかし突然現れ、我が物顔で居座る彼に怒りを覚えた人類はこれに打って出た。今より遙かに団結していた人類は強大なドラゴンに対し数千万という大軍勢で挑んだのだ。どれだけ魔力を保有していようとも、これだけの数で攻められればどんなドラゴンであろうとひとたまりもない。



 だがそれは、彼らの攻撃が通ればの話である。



 黒く輝く漆黒の鱗は矢を弾き魔力を吸収し刃を砕く。口から吐き出される黒炎は大地を焼き、魔術に護られた防具を容易く溶かした。しかし最も厄介なのは、目に余るその巨大さだ。この世で最も大きな魔導甲冑とほぼ同程度、つまり城を優に越えるほど巨大なのだ。その大きさは強靭な武器となり、尾を振れば、腕を動かせば、息をすれば、翼をはためかせれば、どんな些細な動きでも人類にとってそれら全てが必殺になる。


 戦いとも呼べないお粗末な大敗を期に、人類はこのドラゴンに手を出さず広大な土地を手放す羽目になってしまった。こうしてドゥンケルハイトは三千年という永い年月を生きてきたのだ。


 しかし、幾ら危険な土地であろうとそこに金が落ちていれば人は寄り付くものだ。


 テリトリーギリギリまで近付き欠片ほどの鉱物を採取するという、一歩間違えれば命を落としかねない行為を行う者達は後を絶たない。いや、人口が大きく減った六天魔王(人類最後の日)騒動後の現在のが多い方だ。そして、命を落とす者も後を絶たない。



 だが彼らが持ち帰った鉱石や純魔水は高値で売買され、ハルビンゼル国やマイセン帝国、ギャラック大陸のグリーバスや魔術国家リーフなどの大国からスパーク諸島のナニースらのような都市国家すらコレを買い付け、貴族らの間で重宝されている。


 今では冒険者同様国に認められ、冒険者以上の命知らずが挙って行う職業として侮蔑と尊敬の念を込め人々は『イディオット』と呼ぶ。



 そんな彼らはケフェウス荒野から最も近い騎士国家セフィリルの小規模商業都市ナルディアに多く見られる。騎士学院ノールズがある最も栄えた中央城塞都市ヴェルブルグから少し離れるものの、流通の場としてナルディアも引けず劣らずの活気が溢れている。


 だが騎士国家であるセフィリルではもともと騎士性を重んじるため元から冒険者の肩身は狭いが、ここナルディアにおいてはヴェルブルグより圧倒的に待遇が悪い。ケフェウス荒野で採れる代物を安く手に入れる以外の目的で、この都市に近付く冒険者はあまりいない。それどころか、近付く冒険者は冒険者同士でも変人扱いされてしまうのだ。



 同じ理由で、魔導甲冑の恩恵を受ける国々が結成した国境なき軍隊である中立的特別特殊防衛軍レギオンですら、同じ魔導甲冑の恩恵を受ける彼の地には近寄ろうとしない。


 あらゆる勢力を寄せ付けない確固たる意志を示すセフィリルは、辺境のような国ではあったが豊富な資源と経験豊富な自国兵の騎士団により何者も寄せ付けない一種の要塞の様な国だ。


 しかし白を基調とした街並みは世界有数の美しさを誇り、特に三十七代目王女アフィアネス=ティファールが住むグロスヴァノヴァ城はファンタジア大陸一と言われるほどの造形美から、その姿を一度目に焼き付けたいと足を運ぶ観光客は多い。



 不本意ながらも観光地になりつつあるセフィリルのヴィルブルグと商業都市ナルディアの丁度真ん中に位置する町ラクンドシャ。そこで最も繁盛している宿『カメリアの休日』は今日も満員だ。


 冒険者宿カメリアの休日はリーフから流れて来た魔術士の冒険者夫婦が営む変わった店で、冒険者に厳しいセフィリルでは珍しい冒険者を受け入れてくれる宿だ。ラクンドシャでは冒険者が適当な価格で泊まれる宿などここを置いて他ない。


 観光目的や討伐目的で来た殆んどの冒険者がこの宿に泊まるため、四六時中客で一杯になる。それを夫婦と数名の村娘らで回しているのだから驚きである。



 そして魔術士である名残からか『設置型記録展開式魔術道具シンドル』があるのは、冒険者にとっても村人にとっても有難いことであった。これにより大陸中の最新情報や冒険者ギルドが発行するクエストからイディオットの作業情報が閲覧できるのだから、客が溢れかえるのも仕方ないことである。


 そんなカメリアの休日の一室にて一人の女が目覚めたのは、陽が傾き始めた夕刻のことだ。

 小さな声と共に瞼を開けた女は、呆然と天井を眺めていた。


(……見たことがない天井。ここは、どこだろう?)


 思いはしたが、体を起こす気力はなかったのか目を開けたまま天井を眺めている。


 女は正気が無いような瞳で痩せこけた頬が目立つが、元の美しさが鈍る程でもない。肩まで伸びる茶髪と高い目尻が活気な印象を思わせる。だが少しばかり幼さが残っており、女性と呼ぶよりも少女と呼ぶ方がしっくりくる。


 細い体も含め全体的に整った容姿で、どこか貴族の娘のような風貌をしている。きっと、貴族の舞踏会に参加してもなんら違和感はないはずだ。



 ふと、視界の端に映ったそれを確認するため顔を傾けてみた。



 するとそこには一本のレイピアが立てかけられてある。


 その美しい細剣は、戦闘向けとは思えない凝った装飾が、最低限の形で織り交ぜられている。鑑賞用と言われても通用しそうな美しさとは裏腹に、磨り減った柄と刀身は所々に傷が付き日常的に戦闘へ用いられていることを物語っていた。


 美しい細剣を眺めていると、女は不思議な気分に陥っていた。どこか懐かしく哀しい気持ちが胸一杯に広がるのだ。それでも眺め続けるのは、それが決して苦痛であるというわけではなかったからで、哀しみと同じ位の嬉しいという気持ちが溢れ出て、それも哀しみに負けじと胸一杯に広がり、いつの間にか女は小さな微笑みを浮かべていた。


 口角が軽く持ち上がっただけのそれは微笑と呼ぶにはお粗末なものではあるが、今感じる気持ちを表すには充分過ぎる表情であった。


 そうしていると、突然金属音が鳴り次に木が擦れる音や軋む音が聞こえると、規則正しい音が床から聞こえ、それが徐々に近づいてくる。それは女が寝る横で止まった。

 黒い何かが目の前に現れたことにより、先程まで満足に眺めていた細剣が隠れてしまう。ちょっとした充実感を得ていた女は、目の前の邪魔者に小さく苛立ちを覚えながらも重い首を持ち上げ黒い正体を見てやろうと考えーー思考が停止した。



 黒い何かの正体は、人の男だった。



 しかし問題はその容姿にある。男を引き立てる黒い髪は毛先一本の乱れがなく、日に当たった部分が反射して不思議と純白に輝いている。人の良さそうな顔立ちは、まるで御伽話の王子様のようだ。高い鼻の上には平いガラスとそれを覆う縁の細い装身具。その奥に光る瞳は、引き込まれるような黒と赤の虹彩異色。


 身なりは貴族のように美しく、羅紗で出来た黒のジャケットは薄っすらとストライプが入り、庶民が手にすることのできなさそうな細やかな紋様が彫り込まれた金属製品が、胴と両袖に二つずつ計六個あしらわれている。そして胸には見たこともない凝ったエンブレムが張り付いていた。


 その内に納められている真っ白なドレスシャツも汚れや皺もなく、その前に掛かる一部が襟に隠れた無地の布も、喉前で結ばれ余った布が結び目から垂れ、シャツ同様にジャケットの中に隠れている。全身から溢れ出る清潔感と、そこらの貴族でも持っていなさそうな金属製品や服は男が只者ではないことを物語っていた。



 だがそう感じられたのは一瞬で、少し前屈みに曲がった背と陰鬱な目が男の印象をかなり悪くしていた。それでも整った顔は女の心を強く打ち、細剣を眺めていた時とは違った感情が胸一杯に広がり、心臓が強く鼓動を打つ。


「やあ、おはよう。十二日ぶりに起きた感想はどうかな? それとも生き返った感想かな?」


 言って男は、女を安心させるような笑みを浮かべる。それは、強く変化した感情に戸惑っていた女を追い込むのに適していたらしく、女の顔がみるみる朱に染まり、遂には耳まで真っ赤になった。

 その変化に戸惑ったのか、男は片手を前に出し焦った様子で謝罪の言葉を捲したてる。


「い……いやいやいや。冗談冗談、ほんの冗談だって、でもお前が死にそうになってたのは本当だし、別に恩を売りたくてやったわけじゃない。二人からお願いされて約束してたから、だから助けたんだ。本当だ、信じてくれ、俺は約束を守っただけでやましい事なんか何もしてない。法について討論するなら、まずドュンケルハイトの縄張りの禁止区域に入ったお前が一方的に悪いからな! 聖域監視局の人から聞いたぞ、侵入を止める局員の人達を数で押し切ったんだろ。お前のことは報告してないから、そこは安心してくれていい。……とにかく、俺は好意でやっただけで、お前と言い争うつもりは一切ないっ!」


 男の慌てふためく姿はどこか可笑しくて、出会った直後に感じた雰囲気を完全に破壊していた。それが面白くて、懐かしくて、思わず顔を綻ばせる。


 けれど、さっきの話通りならばこの男が自分を危機から救ってくれたということだ。先ほどから四肢が動かないのはそのせいか。と気付いた。残念ながらそれについて記憶にないが、感謝の言葉を伝えなければならないだろう。

 そう考えた女は、寝たままで失礼とは思いつつも、頭だけを下げた。


「眠ったままで申し訳ありませんが、何者とも知らぬ私を救って頂いて、本当に感謝いたします。ただ、お詫びしなければならないのは、そのことについて私が何も憶えていない。という至らない点なのです」


 申し訳ない気持ちと胸から湧き上がる言い知れぬ気持ちの板挟みにより男の顔を見ることができないが、なんとか口元辺りを見つめながら謝罪を口にする。

 しかし、区切りをつけた後にふと男の顔を覗いてみると、その顔が驚愕に変わっていた。



 小刻みに震える男は全身から冷汗が流れるのを感じた。それは、男が知る女の対応とが大きく違ったからだ。


 男が知る女は、常に自分が上に立とうと考え実行し、どんな小さな失敗も意地汚く拾い上げ、それをネタに人を辱め見下し、プライドを傷つける。そんな酷い女だと認識していた。もちろん、男も女の餌食となり反抗した結果、今では顔を合わせれば罵倒や嫌味が飛んでくる。そんな犬猿のような関係だったのだ。それが、ここまで礼儀正しくなっていれば嫌でも何か企んでいると考えてしまうものだ。


 だからといって、どれだけ嫌悪しようが傷付いている女性を見過ごせないのは、男の良いところであり、欠点の一つでもあった。


 喉を一つ鳴らし、拳を握りしめ、覚悟を決めた男は自分を奮い立たせた。

 そんなこととは梅雨知れず、女は顔を引き締める男を乙女のような瞳で見つめていた。胸に溢れる甘酸っぱい気持ちに満たされ、もっと味わいたいと考えていた。その気持ちが何を示しているのか分かりかねるが、決して辛い想いではない。それが、男が顔を引き締めたことで、胸が締め付けられる程に満たされたのだ。だから、男のちょっとした動作すら愛おしく思えた。

 その男が意を決したように話しかける。



「すまないカノン。お前の考えは分からないが、一つ言っておきたいことはさっきも言った通り、俺はお前と争うつもりは、ない。本当だ。何ならこのまま二人の元へ帰しても良い、今すぐだ。瞬き一つしている間に帰そう。俺にはそれができる。だから、これ以上ややこしくするな」



 男は一つ一つ絞り出すように言葉を発した。先ほど起きたばかりの女ーーカノンは、実際抵抗どころか男を責める力すら戻っていない。だが日頃の彼女から男の苦手意識が勝り、後々への予防線として言っておいて損はないだろう。そんな考えのことだった。

 いくら力や権力が無くとも、女は常に怖いものだと、男は重々理解していた。


 しかしカノンは、別のことが引っかかっていた。

 男が言った言葉には理解できないことも多かったが、一つだけ、今の自分でも分かることが紛れていたのだ。


「……カノン。というのは、私の……名前、でしょうか?」

「………は?」


 間抜けな声を出す男とは反対に、カノンは表情を曇らせ思考に耽っていた。


 カノンには目覚めるまでの記憶が一つも残っていなかったのだ。これには立てかけられた細剣を見た際に薄っすらと勘付いていた。しかし、自分が何者なのか分からないなど、背筋が凍るような恐ろしいことは考えないよう傍に置いていた。できるなら、知らぬまま意識を手放したかったのだが、男が自分と思わしき名を口にすれば、もう逃げることはできないだろう。


 カノンは真剣な眼差しで男を見つめた。それは先ほどの乙女のようなものではなく、真実を求めたもので、男がよく知る彼女本来のものだ。

 その視線を受け男は「うっ……」と呻き逃げるように視線を外す。


 介抱していた男自身も、ある程度覚悟はしていた事ではあったが、実際目の当たりにしてみると案外キツいなと思っていた。常に自分を蔑んでいた女が突然しおらしくなり自分に好意の目を向けるなど、寒気がして仕方ない。



「……そ、そうだ。お前は、君はカノンという名前だ」こんな情けない声を絞り出すのが男の精一杯だった。


 しかしカノンはその答えを聞き、自分に言い聞かせるように何度も口の中で「カノン」と唱え続ける。その見慣れぬ姿に、男は更に居心地が悪くなるのを感じた。

 耐えかねた男は、逃げるように持っていたお椀をカノンが寝るベッド横に鎮座するテーブルに置いた。中から小さな湯気が立ち、美味しそうな匂いが漂う。


「さ、起きたのならまずは水飲んで、飯を食おう。飯を食べなきゃ、回復するもんもしないはずだ」


 焦る声でそんなことを言って、小さなコップを取り出し水差しから水を入れる。それを横にやると、未だ自身の名を唱え続けるカノンに近づき上半身を起こす。


 これには流石のカノンも驚き小さな声を上げたが、すぐ大人しくなる。男の体が密着していることに戸惑いつつも、慌てる様子は見せなかった。

 カノンはコップを近づける男に対し、顔を真正面から見つめてみる。


 その整った顔は、近くで見れば見るほど魅入るものであった。まだ少年らしさが残る青年の長い睫毛や鋭い瞳、薄い唇と女性のようなきめ細やかな肌は、カノンの鼓動を早くするのに十分だ。

 困ったカノンは、火照った顔を誤魔化すように質問を投げかける。


「あ、あの……私の名前は分かりましたが、恩人である貴方の名前をまだ知らない……です」


 歯切れが悪く掠れるような声だったが青年にはしっかりと聞こえていたらしく、優しい声で返す。


「フタバユウトだ。君からはユウトと呼ばれていたよ」

「ユウ……ト」


 やはり知らない名前だった。しかし言葉にしてみると、不思議と勇気が湧き愉快な気持ちで満たされる。そしてやっぱり、甘酸っぱい気持ちも出てきた。きっと、記憶を失う前からこんな気持ちを抱いていたのだろうか。少なくとも信頼できる関係だったに違いない。以前の記憶を持たないカノンはそう決断付けた。


 再びコップが近づけられると、ほのかに柑橘系の香りがする。それは鼻腔をくすぐり、自然とリラックスできた。


「ロランジュの皮を入れたんだ。おま……君はこの果物が好きでね、よく買いに行けとパシられたもんだよ」



 言って笑う青年の顔は楽しそうで、嫌な顔はしていなかった。「パシる」の意味は分からないが、きっとお互いを認めるような間柄だったのだろうと思った。すると、トクンと胸が高鳴る。


 しかし目前に迫ったコップが、胸の高鳴りを追求することを許さなかった。弱った唇を開け、そっと口を付けると少しずつ水が流し込まれる。

 柑橘特有の香りとほのかな甘味が口一杯に広がり、自然と喉を鳴らした。


 小さくも確かに飲み始めた少女を見て安心したユウトは、明らかに安堵の表情を見せる。いくら嫌っていても、冒険者仲間で悪友の彼女が弱っている姿は、見ていて良い気分にはなれなかった。不思議といつもの五月蝿い姿が一日も早く見たくて、仕事を断ってまで毎日介抱していたのだ。今ならこの弱った悪友のために、ドラゴンと戦うことすら厭わない覚悟であった。


 飲み込む速度を確かめ、喉が鳴る間隔が伸びたのを確認してからコップを離す。端から漏れた水をハンカチで拭き取ると、最後まで飲むのを背中をさすって待つ。


「粥、って言っても分からないか。えっと、ミターンを作ったんだ。汁物みたいな物だから、弱ったカノンでも十分に食べられると思う」


 言って笑う青年は、お椀の中身を匙で掬い「あーん」と催促しながらカノンの口元へ運ぶ。おずおずといった様子でそれに口を付けると、野菜や穀類、豆類といった物の香りが口内を満たす。言葉通りそれ自体も水分が多く、スルスルと飲み込める。


 なんだかんだと自分を気遣う青年を見つめつつ、体は動かなくても幸せなんだと感じていた。声がかけられ、再び口を開けそれを含むと薄味が広がった。それと同時に青年が満足そうな顔を浮かべる。それが堪らなく嬉しくて、結果的に次の匙を催促するように口を開けるのだ。


 そうして繰り返すこと数十分後、ゆっくりとしたペースではあったが全てを食した少女の口元を、青年が優しく拭っている。満足した少女の瞳には目覚めたばかりの灰色は無く、青年が知る彼女らしい瞳に戻っていた。


 少女が子供のように声を上げながら拭うことを抵抗なく受け入れている姿に、以前の傲慢さを知る青年は苦笑せずにいられなかった。そんな青年の苦笑に釣られ、弱々しくも笑う少女に青年は顔を更に引き攣らせた。

 さすがに耐えられなくなったのか、青年は少女の体を壁に寄りかかるよう姿勢を正させ、一度体を離す。すると、突然少女が悲痛な表情に変わったので、慌てて体に触れる。そうすると、途端にその表情が和らぐのだ。



(………やり辛いな)



 こうも性格が変わっているとぞんざいに扱うことを躊躇してしまう。いっそ少女と同性で世話好きのギアヤスチルにでも頼んでおけば良かったと深く後悔していた。しかし現在の姿を見せることは、カノンの名誉に傷をつけてしまうのではないか、そう考えると、もうダメだ。


 深い溜息を吐くと、次は青年が少女を眺める。

 整っていた顔は先の戦のせいか、以前のものと比べると天地の差を感じられる。それを知っているが故に、青年も気付かぬうちに、今手離すのは良くないと思っていた。

 だからこそ、カノンをこれ以上不安にさせないよう苦手な笑みを浮かべる。


「ちょっと腕と足の状態を確認するから、どかしても良いかな?」


 毛布を指差すのを、カノンは小さく頷いて応える。青年は感謝の言葉を伝えるとゆっくり毛布を退けた。


 現れたのは二の腕や太股が見えるほど丈の短い服を纏った、小柄で控えめな細い体だった。筋肉の判別が出来なさそうな細い手足は、幼さを残しながらも女性らしく繊細だ。その美しい肢体、特にむき出しの太股辺りに、薄く細い線が痣の様に刻まれている。左二の腕辺りにも似た様な痣がぐるりと一周していた。


 青年は痣を中心に真剣な表情で見つめ、時たま撫でるように触れて確認をしている。

 そのため青年は気付くことはなかったが、触れられているカノンは驚くほど赤くなっていた。異性に体を触れられて整然でいられるほど、今のカノンに余裕はなかったのだ。



「〜〜〜〜〜〜〜〜〜っ!」


 思考が乱れ、思わず涙目になる。可愛らしい小さな口からは羞恥心から来る言葉にならない悲鳴が漏れている。止めてほしいと思いながらも、片隅では続けてほしいと思う節があり、心の葛藤に苦しんでいた。

 特に股の近くに触れられると、どうしても我慢できない羞恥の声が途切れ途切れに漏れ始める。悶えていると、次第に下腹部が熱くなり股を擦り合わせずにいられなくなる。


「ふっ……んぅ、ヒゥッ! ィンッ、ふぅ、ゥン……あっ、はぁ!」


 色っぽい吐息がユウトの耳にかかり、ここで初めてユウトは目の前の惨状を理解した。


「うわっ! ご、ごめん!」


 ユウトも思わず手を離し、気恥ずかしいのかありもしない方に顔を向ける。


 何時間たっただろうか。いや、実際は数秒かもしれない。しかしそう感じてしまうほどカノンの緊張は熱を増し、遠く彼方からこの惨状を見ている錯覚を覚えていた。



 胸の辺りがチクリ。とした。



 それは青年を見て感じたものとは明らかに違う。

 まるで体中の何かが、この痛みに逆らえない様な、言い表せない痛みだ。それが、先程から体中に流れる何かを急速に、原因の胸へ押し寄せさせている気がする。


 思わず顔を顰めてしまうような不快感だ。

 これが青年の前でなければ躊躇なく顔を醜く変え動かぬ腕でベッドを殴りつけてただろう。そんなことがすぐ思いつくような不快感は、やはり目の前の青年が治してくれた。


「……と、とにかく、両腕足にこれといった異常は見られなかった。感覚も戻ってきているみたいだから、あと数日安静にしていれば以前のような自由な体が戻ってくるだろう」


 自分に目を合わしきれないのかチラチラとだけ見てくる青年に、カノンは思わず笑みを浮かべていた。

 すると感じていた不快感がスッと消え、またあの甘酸っぱい気持ちが溢れ出て気分が高揚するのだ。

すみません。本当に書くの初心者で設定もほとんどないんです本当に勘弁してくださいオナシャス!

ちなみに主人公は少女。

大事な事なのでもう一度言いますが、主人公は、少女の方です。

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