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僕が今よりもっと腐っていた頃の話。
自分が凡人であると気付いたのは高校生の時だった。
凡の線引きにすら劣る部分があると気付いたのは、何時頃だったろうか。
それでもまだ、妹の生きていた頃は毎日がキラキラ輝いていて、くだらないことで悩む時間なんか意識に上らなかったのに。
今日も惰性で開くハローワークのウェブページ。2分に1回覗くSNS。舌打ちはせめて心の中だけで。慢性的に痛む首をゴキリと鳴らし、腰も連動して軋む。
……スリープボタンを押下。あばよ、二度と会いたくねえ。だけど押したのは、電源のオフじゃあない。それが僕という人間を何より端的に表していた。
ブラックアウトしたスクリーンには、情けない顔をした男が映っている。
僕にお似合いの、愛すべきクソッタレたおもちゃ箱。どうか永遠なれ地獄巡り。語尾へwを付ける代わりに、脳内のワードパッドへそう打鍵して。
よう、相棒。抱き締めてキスしてやりたいね、と破壊衝動を乗せて睨みつける、無表情の黒。
あまりにも人間と関わらず、パソコンとだけ向き合う生活を送っていると、なんだか人間も手入れの面倒なマシンの一種であるように、段々錯覚してくる。
人間は、人間である為に必要な整備が多く煩雑すぎるのだ。コストだってかかりすぎ。政府は一刻も早く人間整備士の資格を実装し、生きるのが下手な人間へ救済を施さないと、手遅れになるぞ、全く……限りある地球資源と人間、どっちが大事だと。
ともあれそのコスト。金。金だ。生きていくにはカネが必要なのである。カネを手に入れたかったらどんな内容であれ勤労に従事しなくてはならない。
それは至極当たり前の、世界を構成する法則。人間がどうにかできるレベルではないので、そこへ逆らおうとまでは流石に思わない。法に触れて遊ぶほど命知らずじゃないし、夢を食べて生きていけるほど心が若くもないからだ。
月の支出。
対外交遊費は真っ先に削ってゼロ。新しい服は必要無いので服飾ゼロ。車はほとんど乗ってないので維持費のぶんマイナス。車検はとりあえず乗り切った。お家賃駅チカ2LDK、周辺に主要施設は大体揃って駐車場込の4万5千。食費が1人で3万程度。水道光熱費電気も合わせてまあ端金の1万弱。雑費が1万5千。
そして収入――ゼロ。
貯金残高なんか言うまでもない。算数が出来れば、わかる未来。
座して死を待つか、生きて死を待つか。
行動したことにも、なにもしなかったことにも、報いは必ず用意されているのが世の中だ。僕は決断を迫られていた。
「世界とは物語で、物語とは世界だ。これは、なんの暗喩でもポエムでもねえ」
開口一番、面接担当の女性はそんなことを言い出した。
怪しすぎるオフィスの立地。髪もスーツも全てが派手すぎる人事。求人そのものに至っては電信柱の張り紙で見つけたものだ。貰った名刺なんか相沢鴨、company第2営業所主任、とだけ書かれており情報量が少なすぎる。
嫌な予感は最初から警報を鳴らしっぱなしで、ふぁんふぁん元気に唸りを上げ。
僕は曖昧に頷きながら、え、ええ……などとお茶を濁す。
対峙する人事が大胆に組んでいる美脚の、タイトスカートから覗く太ももにドキドキしている余裕もない。
「物語に必要なものが何か、わかるか?」
「……人間、感情、舞台、起伏。とかですか」
「そう、キャラクターだな。果たす役割、あと記号。キャラクターは観客にとって、魅力的じゃなきゃならねえ。なら、魅力的なキャラクターとは何か」
「えと、ん……募集は、営業補助、事務整理の求人なんですよ、ね?」
「あ? 勿論そうだ。何を今更。そんなの来る前に把握しておけよ」
「……ええ。それは、そうですね、はい」
「続けるぞ。思うに魅力とは、キャラクターたちの情動であったり、成長であったり、他者を惹きつけることだったり、まあとにかく気持ちを揺さぶったもん勝ち、そんな話になる。そして一番わかりやすく映えるのが、乗り越えるべき障害、打ち倒すべき敵の存在だ。要は、悪役」
「悪役」
「つまり、世界はいつだって悪役を求めているンだよ。魅力的な悪役を。善なる者の引き立て役に甘んじても良いし、獣欲に任せて蹂躙するのだって爽快だ。周囲を破滅に導き、自らもまた破滅の約束された安心感は、悪役を志すに理由として充分じゃないか? なあ」
「はあ……」
ちょっと論法が強引ではあるものの、理屈はなんとかわからないでもない。
ワナビもちゃんと通り過ぎてきた道だし。
が、就職の面接で振る話だろうか。
「我が社ではまーそんな悪役たる素質について、3段階に分けて考えてるンだな。1段階目【不和の種】はパンピーが足踏みして踊ってるとこ。2段階目【クズの蕾】は才能が芽吹きながらも燻っている状態。最終段階【悪の華】は業が開花して世界から悪たる者として認定された、到達すべき場所であり社の扱う商品であり、前線で戦うエージェント達の異名でもある。お前さんにやってもらいたい仕事は中でも2段階【クズの蕾】へ接触して可能であれば【悪の華】への昇華を促し、最後にはうちへ勧誘してもらう、と概略そんな内容なんだ。営業の方はな」
「えっと……はい?」
話が飛びすぎている。どこで僕は行間を読み飛ばした?
「ここへ辿り着けるということは一ノ瀬、お前さんにも素養があるのは間違いない。あるいはいつか【悪の華】として活躍できる日も来るかもな。精々励んでくれれば俺としても助かる。しっかり頼むぞ」
「え、採用頂ける……ということで?」
「併願でもしてたか? よせよせ、ウチは何一つ真っ当な企業じゃねえが、仕事の楽しさだけはどこにも負けてねえよ。明日から来てくれて構わんさ」
「あ、う、えー……はい。宜しくお願いします」
「決まりだな。なら、持ってって欲しいもんがあるんだ」
元より選択肢なんてあってないようなものだ。切羽詰まっていなければ、胡散臭い求人に飛びつきもしない。
人事、相沢さんは席を立つと、すぐに1台のノートPCを持って戻ってきた。
「こいつの異名は【インターネット】優秀な奴ではあるんだが、どうにも癖が強くてな。しばらく使い手が居ないんだ。良かったらお前に任せてみようと思ってちょっと出してきた」
「社用のパソコンですか?」
「まあそんなとこだ」
起動した画面を見ると、妙な文章が並んでいる。
名前を入力してください。
基底人格の概略を設定してください。
貴方との関係性を決めてください。
等々。
きょとんとして相沢さんの顔を見ると、何故か挑発めいた表情でニヤリと笑い、こう言った。
「死んだ妹を蘇らせたかったんだろ? 本物を喚び出したいなら【悪の華】になるしか方法は無いが、繋ぎにこいつを妹にしてみるってのはどうだ」
「ッ!?……なんで、アンタがそんなこと」
「おいおい。履歴書送っただろ。普通面接前に素性を調べ上げるなんて当たり前も当たり前、常識だっつーの。なんなら他にも挙げてやろうか。学生時代、愛太って名前からの連想でラブ太、更に容姿が肥えてたことからラ豚と皮肉って呼ばれてた話なんてどうよ。くく、なんだその顔。面白えことになってんぞ、なあおい。なんか応えろって。ラーブーター君?」
その後。
どこをどう歩いて帰ったものやら、記憶に無い。
ただ、脱ぎ散らかされた安物のスーツと、ちゃぶ台へ置かれたノートPCの存在が、今日あったことが現実だと否応なく突きつけてくる。
僕は。
僕は……。
2日後、僕は会社へと連絡を取り。
その翌日、無職の称号を返上した。
終わりの始まり。忘れ得ぬ記憶。
心の傷跡から、種が芽吹いた日のこと。
チュートリアル、終わりませんでした……。次は時間軸戻ります。




