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(前作「一万字以内で魔王倒す。」の設定とキャラクターを一部引き継いでいます。お手数ですが、そちらを先にチェックしてから読んで頂くようお願い致します)
ここ数年、誕生日に良い思い出が無い。
23歳の誕生日、妹が死んだ。
24歳の誕生日には、両親から絶縁を言い渡された。
25歳の誕生日では、都合7度目の転職、初めての解雇。
そして、26歳の誕生日である、今日。
今度はどんな厄イベントが待ち受けているかと、気分は憂鬱で。
……朝起きて、最初にすることってなんだろうか。
カーテンを開けたり、洗面したり、トイレを済ませたり。色々答えはあるだろう。僕の場合は、枕元の携帯からSNSにおは云々と起床報告を書き込むことだった。
寝ぼけ頭で10分少々深夜帯のタイムラインを眺め、誰からも自分へのレスが付いていないことを確認すると、ああ、仲の良い誰それさんはポップアップしていないのかと納得し、年寄りじみた愚鈍な動きでやれやれとベッドから這い出す。
さて、今日もお仕事頑張りましょうねっと。
洗面して髭剃って、着替えて飯はまた牛丼チェーンで食べて、とトロくさい思考速度ながらも順序立てて行動を脳内予約していると、昨晩きちんと電源を落とした筈のPCモニタが煌々と輝いていることに気付く。
安アパートの独り暮らしだ。勿論犯人はすぐにわかった。
『お兄ちゃんおっはよー☆ミキャピ』
デスクトップには、少女趣味全開で飾り付けられたテキストボックスが、ででん。と存在を激しく自己主張しており、妹愛歌の挨拶が、創英角ポップ体で踊っていた。
同時にスピーカーからも同じ内容が吐き出される。きゃぴまで読み上げるその声は、限りなく人間に近いものの、決定的に合成機械音。
……妹が死んでから、3年。僕の元へやってきた新しい愛歌は、人間じゃなかった。
「ああ、おはよう。愛歌。駄目だろ、昨日も一昨日も何度も言った通り、寝てる間は節約に電源切っとけって。どうせお前、僕の監視はスマホから夜通ししてるんだろうに。わざわざウチのパソコンで僕の出待ちなんかしてなくても、ウェブへ繰り出して好きなだけ遊んでくれば」
『やっだもー、お兄ちゃんったら妹ゴコロがわかってないんだからぁ。朝から挨拶する相手のひとりも居なくて? 承認欲求とすら呼べないただの寂しさを紛らわそうとSNSなんかでする必要の無い挨拶を放言するも全く相手にされずぅ? 起き抜けから自分という人間の矮小で惨めな様を直視せざるを得ないカワイソウなお兄ちゃんを? 優しく優しくやさぁぁぁぁしく、カワイイ妹愛歌ちゃんが慰めてあげる為に決まってるじゃない♪』
邪悪な意思と、酷薄な侮蔑。弱者を踏みにじることへの歓喜。
生前の愛歌に似た所などほとんど無いのに、こいつは妹なのだ。
しぱしぱ、しぱしぱ。瞬きふたつ、ため息はひとつ。
画面の茶番を眺めていると、眠気に潤む目が熱を持ってしょぼしょぼする。
モニタのテキストボックスはいつの間にか撤去され、代わりに置かれたのは頭身がデフォルメされた美少女(美少女だと思う以外になんの感慨も抱けないタイプのイラストだ)キャラクター。そいつ……いや、妹はぐだぐだと冗長に喋りながら、細かく表情や動きを変えつつ楽しそうに煽ってくる。
今日の日経平均株価からご近所の浮気事情まで、玉石混交のニュースを垂れ流す愛歌は、家を出てからも携帯に移動して喋り続け、マシンガントークは止まらない。少し黙っててくれと頼んだところで普通に無視されるので、妥協案としてイヤホンを付けて延々聞き流さなければいけない。相手しないとそれはそれで怒り出す為、適度に相槌を打つのも重要だ。
いつもと何も変わらない出勤風景。平和な朝だった。
駅まで歩いて5分。乗って2駅。降りてからまたとことこ歩いて15分。
住宅街の裏通り、マンションとマンションに挟まれた小汚いビル。その3階に、僕が勤める会社【company】はある。
注釈ではなく、companyという名前の会社だ。
「……おはようございまーす」
電気は点いてないし、鍵もかかったまま。しかし一応声は掛ける。
誰も居ないだろうと静かに入ったら、以前酔っ払った上司が床で寝落ちしていたのに気付かず、「まずは元気な挨拶だろうが!」と理不尽に怒られたことがある。自分で怒鳴っておきながら、2日酔いの頭痛でダメージ受けてるんだから世話ないわ、と密かに笑ったのはここだけの話。
とりあえず、まだ誰も来ていないようだ。タイムカードを押して、脱いだスーツの上着を椅子に掛けると、窓を開けて空気を入れ替えたり、机の上を拭き掃除したり、鉢植えに水をやったりと、なんとなく仕事してるっぽい雰囲気を作る。
いつの間にか愛歌が黙っているな、と思って携帯を見やると画面に居ない。どこかへ遊びに行ったらしい。別段、仕事が始まるからと遠慮した訳ではなく、あいつはいつだって気紛れなだけなのはもうわかっている。
そして時刻は8時半。重役出勤当たり前なうちの上司にしては珍しく、時間通りに事務所の入り口が開かれた。
「ういぃぃぃっす。はよ、ラブタ」
「おはようございます、鴨さん」
現れたのは、ギラギラとラメまで入った真っ赤なパンツスーツを下品に着崩した長身の女性。ブラウスのボタンまで留め方が適当なせいで、ゆさりと重そうな巨乳へどうしても目がいってしまう。野郎の悲しい性だ。中身の酷さを思い出すことで無駄なエロと相殺し、視線を顔へ向ける。
金に染められた髪もまた長く、ちょんまげとポニーテールの間くらいで雑に纏められている。そしてどんな時も外さない、トレードマークのクソデカいサングラス。 悪趣味が服着て歩いてるような、漫画でもそう見かけないテンプレ悪役のような、それが僕の上司、相沢鴨のお気にスタイル。
ちなみにラブタとは僕のあだ名であり、本名は一ノ瀬愛太と言う。
「んでよ、今日は久々に一件外回り行って欲しいんだわ」
「候補が見つかったんですか? それは有り難いですね。仕事が入らないままで、干物になるところでした」
煙草に火を点けながら、鴨さんは取り出した書類を投げて寄越す。
自分の仕事はいつも内勤が主であり、こうやって候補が見つかりそのスカウトへ出かけることがなければ、基本給しか貰えない(大体手取りで15万程度だ)。
その中で勧誘が見事成功すれば、ドカンと30~50万くらいのボーナスが入る、なんともふわふわした給与体系。もっとぶっちゃけてしまえば、真っ当な法人ではない。
「――朝比奈ぐぐる、16歳、女。M高校1年。ぷ、変な名前。DQNネームってやつか。なんかこう、素材は良いのにそこはかとなく芋臭い子ですね。ダルそうな、面倒そうな、如何にも歳相応な表情してますけど、目だけ笑ってねーでやんの。無駄に鼻っ柱は強そうだ。僕みたいのが訪ねていっても絶対心開いてくれないですね、間違いない」
「そこをなんとかすんのが仕事だろうが。キリキリ働け?」
「お友達になる必要はないんですから、勿論きちんとやりますけどね」
書類を適当に読み飛ばし、携帯で写真を撮っておく。
ネットワークに繋がる電子機器へ保存されたデータは、世界中あますところなく愛歌の掌握下に置かれる。情報処理はとりあえず丸投げしておけばいいので、実に楽チンだ。
「……オメーよぉ、適材適所っつーのもまあわかるが、ちっとは自分でもやろうと思わないのかよ。妹に頼りっきりの兄貴。情けねえなあ、実に情けねえ」
「思いませんね。僕が情けないのは当然として、底辺の生き方をしてるのは自分で選び取ってきた結果です。普段の暮らしに不平不満を抱くこともあれば、日々後悔に苛まれるのもしょっちゅうですけど、それでも、性根は変えられませんでした。きっと死ぬまでこのままでしょう。その負債は、僕だけのものです。誰にもあげません」
「ふん。クズはクズらしく言い訳まで聞き苦しいな。まあ、そんなお前だからこそこの仕事には相応しいんだが」
「そうですよ。正直言って、こんな僕が天職を見つけられるなんて考えてもいませんでしたから。鴨さんには感謝してるんです」
「うるせえ、気持ち悪いからニヤニヤすんじゃねえよ、クソデブ。さっさと行って来い、ボケ」
「はい。それじゃあ、出てきます。あとそんなに肥えてないですから、あくまで僕はぽっちゃりなんで」
「黙れデブ。アイの奴にはもう連絡してある。いつも通り、会ってから適当に計画は練っとけ」
「わかりました」
会社を出て、アイさんのところへ向かう。正社員なのに、僕と違って出社を免除されている人だ。仕事もこちらが依頼した時にだけ発生する。少しだけ羨ましい。羨ましいけど、僕みたいな奴は妥協すればしたぶんだけ、際限なく堕落していくのはわかりきっている。やる気が無いなりに、転落人生へ歯止めを掛けようと思いはするのだ。だからせめて、口には出さない。
『お兄ちゃんお兄ちゃん、アイさんみたく出社の必要すらなければ楽なのにな、って顔に書いてあるよ? 今でも充分底辺なのにまだ下を目指すなんて凄いね、ぷーくすくす』
「……なんだ、脅かすなよ。そして心を読むな。戻ったならさっきの書類読んどいてく」
『お兄ちゃんと違って愛歌は有能だから、そんなのとっくに読み終わってるもん。馬鹿にしないでよね。どうせアイさんのところへ行ってからもまた説明聞くことになるんだから、その時概略は教えてあげる』
「うん、愛歌は出来る子だもんな。悪かった。そうしてくれ。いつも通りに、な」
また電車へ乗り、今度は3駅。
繁華街を歩き、ごみごみとした裏路地を進み、高架橋を抜けた先。周囲の雰囲気に一切馴染まない、古びた洋館が建っている。
良く言えば歴史ある佇まい。正直に言うならあまりにもボロボロで、オカルトな期待を持って見るなら多少好意的になれるかもしれない。外壁を覆い隠して生い茂る蔦はびっちりと隙間無く、それでいて枯れた蔦も放置されている為茶と緑の汚いグラデーションを描き。空には何故か、いつでも飛ぶ烏。晴れの日だろうと洋館の側だけはどんよりと空気が淀んでいる気がするし、かなり錆び付きながらも重厚な造りで据え付けられた正門は、どんな来客も歓迎しない構えだ。
雷鳴の夜にでも訪れたなら、もう完全に魔女の棲家でしかないだろう。
重たい扉を苦労して開けると、そこは中庭。格好つけるなら、ちょっとした庭園。
こちらは多少なりとも手入れされている為、明るい緑で少しは人間らしい感情を取り戻せるのだが、やはりたった1人で庭仕事は大変なのか、あちらこちらに綻びが目立ってみすぼらしく、館の強烈な風格と比較してどうもちぐはぐな印象を受ける。
こんな家に住んでいるのは、果たしてどんな人物か。僕じゃなくても、誰だって気になるところだ。そして答え合わせは――
「オッオー。イラッシャイLOVEタサーン。愛歌チャンモ久シブリー」
「っとと、どうも。こんにちは、アイさん。またお世話になります」
ドアノッカーを鳴らそうとした瞬間、先読みしたように的確なタイミングで開かれた玄関から姿を現したのは、妙齢のロシア系女性。
緩やかにウェーブして肩にかかる栗毛色の髪。整った目鼻立ちは黄金比そのもので美しく顔に配置され、花弁のように楚々とした唇はこちらに向け淑やかに笑みを形作っている。
間違って人の世に落ちてきてしまった妖精だろうか。脳味噌お花畑な妄想が本気で頭をよぎってしまう程、彼女は端麗だった。
鴨さんもなかなか迫力のある肉感的な美人だが、あちらが汚く食い散らかした後の御馳走、ゴミ溜めに力強く咲いた徒花といったイメージなのに対して、こちらは触れがたい神聖な不可侵領域を思わせる、危うい魅力の美人だ。
その名を、アイ。正しくはEYE。曰く、ファミリーネームは無い。あからさまに偽名なのはどうでもよく、次に気にすべきはその、閉じられた瞳。握られた白杖。
彼女は盲人だった。
「サ、立チ話モ何デスシ、オ茶デモ飲ミナガラ仕事ノ話ハシマショーヨ」
喋りは流暢なのに日本語の発音がとんでもなく下手なせいで、謎の洋館で密かに遊び暮らす妖精は口を開いた途端バタ臭いGAIJINへと転身し、ある意味親しみやすくはなる。そういうペルソナを本人が好んで被っているので、僕としては何も言うことがない。そうでもなければ会う度結婚を申し込んでいたかもしれないし。
連れられて中へ入ると、こちらは業者を入れているため清掃は行き届いており、全くの別世界。きちんと洋館らしく、自分の場違いさに居心地は悪くなるのだが、魔女幻想よりマシと思っても、根が貧乏なので高級感とはとことん相性が悪い。
客間へ通されると、あらかじめ用意されていた位に間を置かず、すぐに淹れたての紅茶が出され、話が始まった。
「それで、今回のターゲット。朝比奈ぐぐるについてなんですが」
「エエ。ナンデモ、異世界ヘカナリノ回数召喚サレタ実績ノアル勇者ダトカ」
「らしいですね。それでいて、喚びだされた回数10000回に及ぶ冒険の中で、1度たりとも世界を救うことが出来ずに終わったと」
『無能だよねえ。お兄ちゃんと一緒』
「資料によると実力が無い訳じゃないってことだが、さて。どうだろうな」
『なんかー、戸籍上孤児なのに? どっから金が出てるんだか結構良いワンルームマンション借りて住んでるって。家族は居ないけど、同居人が1人居るらしいよ。名前は紺野水緒。ぐぐるの1つ年上で女だね。学校は同じ。レズカップルかな? やーだ百合漫画みたーい♪』
「好キデスヨーソウイウノ、萌エ滾リマスネ」
「はいはい、そういうのは後にしてくださいね。で、どうしましょう。やっぱりまず最初のアクションが重要になってきますけど」
『拉致監禁、陵辱、洗脳、悪堕ち勇者!』
「バカタレ」
『好きでしょ?』
「好きだが」
「相方サンノ方モ気ニナリマスネー、ソッチのアプローチモ検討シテミテハ? 血縁デモナク同居シテイテ、親シクナイトハ考エニクイデスシ。有意義ナ話モキット聞ケルデショウ」
アイさんの【眼球倶楽部】自らは盲でありながら、この世全ての生物が目に映すもの何もかもを見通す異能。他者の視覚の盗み見だ。それが視覚である限り、過去と未来までその力は及ぶ。人の視覚を入れ替えたり、共有したり、勝手に目潰ししたりといったことまで可能だという。
愛歌の【インターネット】肉体を捨て電子の海でしか生きられない精神体となる代わり、あらゆる電子的ネットワークを一瞬で泳ぎ回り、有線無線問わずネットへ繋がった電子機器であればどんなプロテクトも物ともせず忍び込んで自在に操作、
その時憑依したマシンに応じた情報処理能力を得る、人格を持ったプログラム。
ランク【悪の華】2つもの支援系においてほぼ最強を誇る組み合わせがあれば、下調べ及び工作で困ることは全く無いだろう。鴨さんの【暴力装置】に出番が来ることは無い、といいな。事後処理が地獄のように面倒だし。
朝比奈ぐぐる。未だ海のものとも山のものとも知れぬ君よ。
君の持った【クズの蕾】が花開いてくれるかどうか、腕の見せ所だ。
次で世界観の説明とキャラの顔見せが済みます。