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五話 ぼくたちは、ヒーローである

 剣崎巽。正体不明のヒーローとして、今神凪の街が彼を注目し始めている。それにちょっとばかり気を良くしていた彼は、止めを損ねてうっかりロキを逃してしまった。それどころか乾に怪我まで負わせ、巽は意気消沈していた。



「……くそっ。くそっ、くそっ! 何がこの街を傷つけるものは許さない、だ! 調子に乗りやがって。野郎ぶっ殺してやるいてててて」


 全身に深手を負ったロキは、夕暮れの路地裏、そこにうず高く積まれたガラクタの陰に隠れ、ひたすらに巽達を嘲っていた。しかしいくら喚いたところで、今の彼に何か出来る力が無いのも確かだった。


「ちくしょー、あのドラゴンめ。人間の身体を手に入れたらああも違うもんかよ。クリエーションが有り余ってて付け入る隙もありゃしねえな……」


 ロキはあぐらをかいてぶつぶつ呟く。カルチャーとはいえ北欧一のトリックスターには違いない。顎鬚を弄りながら、早速悪だくみを始めていた。手を組んでいたオーディンが手も足も出ないままやられた今、並大抵の策で場を切り抜けられないことは明々白々だ。


「俺も人間に取り憑いてみっかなぁ。そうすりゃ少しはまともになるか? ついでにあいつらが俺に手出しできねぇようにすればいいか……」


 腕組みし自分の出した策にうんうんと頷く。わかりやすい小悪党ぶりを晒していたロキだったが、そのとき急に男の大きな声が響いて飛び上がってしまった。


「俺もボランティアでやってるんじゃねえんだよ! もううんざりだ!」

「いいじゃないですか。あと一杯です。あと一杯でなんかいいアイディアが出そうなんすよぉ」

「黙れへっぽこ。警察に突き出すぞ!」


 乱暴にドアの閉まる音が路地に響く。ふらふらと立ち上がった男だが、足元がおぼつかず、そのままよたよたとゴミ山の中へと突っ込んでしまった。


「なあんなんだよぉ。俺は未来の大ベストセラァだぞぉ。ツケくらいいいだろうがぁ」


 男は汚れた赤ら顔を拭き、無精髭の伸びた顎をぽりぽり掻く。ロキは怪訝な顔をすると、こそこそガラクタの上に這い登り、じっと男のことを覗き込もうとする。


「んあ?」


 不意に振り向いた男と目が合う。ぼんやりとした沈黙が二人の間に立ち籠める。ずり落ちたガラクタが、カランと小さな音を立てた。



「ったく、女のくせに無理すんなよ」


 ヴァルーはコーヒーをがぶがぶと飲みながらうんざりと溜め息を吐く。消毒液が沁みて泣きそうな顔をしたまま、乾は右腕にぐるぐると包帯を巻かれていた。器用に先を結んだ巽は、いつものように曖昧な笑みを浮かべ、彼女の肩をポンと叩いた。


「ま、この程度なら痕にはならない。ありがとう。乾ちゃんが庇ってくれなければ、あの子達は助からなかった」


 巽は唇を噛む。その脳裏には、怯える老人の顔、気を失った男の姿、乾の傷がぐるぐると立て続けに巡っていた。神凪を危機に陥れた敵を排除しようと、彼は躍起になって剣を振るっていた。事故に巻き込まれて逃げ遅れた人々がいた事に気づけていなかった。少し調子に乗っていたか。彼は自分で自分を責める。


(敵を叩きのめすことだけが、正義のヒーローの形じゃない。本懐を見失っている。あの人から、男の人生の流儀を教わってきたというのに……)

「んだよ、辛気臭い顔しやがって」


 ヴァルーはじっと巽の目を覗き込む。救急箱を畳む彼は眉間に皺が寄り、前髪が深い影を落としていた。


「ヴァルー。もう一度言うが、さっきの戦い、僕達は反省しないといけない。僕も少しばかり君の好戦ぶりに影響されてしまっていたようだ。それではいけない」


 悩ましげな顔のままで彼はヴァルーをじっと見据える。しかし竜はつれなかった。


「なんだ? お前がヒーロー面すんのは勝手だが、生憎俺はそんなのに付き合う気はねーぞ。俺は別に正義の味方じゃねえ。戦いたいから戦って、潰したいから潰してるだけだ」

「……それで君は満足出来るのか?」


 顔をしかめ、巽はヴァルーを睨みつける。訴えかけるようなその視線に、竜は居心地悪そうに翼の端を噛む。


「んだよ。決め付けたような言い方しやがって。俺がそんないい奴じゃねーことくらい、最初からわかってんだろ」

「そうなのか? 僕にはとても、そうは思えない……」

「うるせえな。しつこいぞてめえ」


 食い下がる巽に、苛立ったヴァルーは沸騰したコーヒーを口に含んで吐き掛けた。


「熱っ! 何をするんだヴァルー」

「ああもう喧嘩しないで」


 一触即発の二人。乾は慌ててその間に割って入った。うんざりしたように肩を落とし、彼女は交互に二人の顔を見る。


「そこでガタガタしてどうするのよ。どっちにしたってまだあのロキはこの街のどこかにいるんでしょ? 喧嘩してる場合じゃないじゃん」

「それは……乾ちゃんの言う通りさ。だが、周りの人に気を配らない戦い方は、この街が認めてくれ始めたヒーローの在り方には反している」

「だぁから、ヒーロー面すんのに俺を巻き込むなって言ってんだ」


 火花は収まらない。巽は乾を脇に押しのけると、ヴァルーの面前にぐっと顔を近づける。


「巻き込まれざるを得ないさ。僕がいないと、君はまともに戦えやしないじゃないか」


 ヴァルーは目を剥くと、不意に体当たりして巽を仰け反らせ、宙から傲然と見下ろした。小さくとも彼は最強の竜。プライドを傷つけられて黙ってはいられない。


「調子に乗るなよ。お前の代わりなんか、いくらでもいるんだよ」


 捨て台詞を放つと、ヴァルーは半開きになっていた窓からすいと飛び立ってしまった。


「あ、ちょっと待ちなさいよ!」


 乾が止めても聞きなどしない。ヴァルーはそのまま雲一つない虚空に消えてしまった。目をつり上がらせそれを見送っていた巽は、どさりと椅子に崩れ落ち、憤懣遣る方無い様子でうなだれる。取り付く島もない乾は、彼に声をかけることも出来ず、もどかしそうに身を揺する。


「何なのよ全く……」

「そうやきもきするな乾。男にはな、こうして分かり合えずに衝突する時があるんだ。そっとしておきなさい」


 訳知り顏でやってきた壮二郎は、乾の肩にぽんと手を載せ微笑みかける。


「そんなこと言ったって。……ああもうわかんない」


 男ってバカねとばかり、乾はただただ溜め息を吐いた。もう一度だけその肩を叩いた壮二郎は、額に手を当てじっと項垂れている彼を見つめる。


「何だか懐かしい気分にさせてくれるなぁ。ああいうやりとりは……」


 風がぴたりと止んだ窓辺に、夕暮れの光がちらちらと差し込み、リビングは橙色へと静かに染まっていた。



「カルチャーのロキが、何やら企み始めたようです」


 白い光に包まれた空間に、若い男の高めの声が響く。歳を重ねたと思しき男の低い声が応じると、そのまま流れるように話し始めた。


「腐っても彼はロキということだ。だが捨ておけばいいだろう。まだ我々が動く時ではない。まだ彼らのクリエーションは、十分に醸成されていないからね」

「ですがよろしいのですか? 下手に力をつけて暴れれば、大きな被害が出てしまう」

「その点について心配するようなことは一切無い。何故ならあの街には新しいヒーローが誕生したからね」

「ヒーロー? あんなのがですか?」

「君にはそう見えるかもしれないが。それでも彼はヒーローだ。カミナギの街がいつでも必要としてきた、ヒーローだ」

「私には理解しかねます」

「理解しろとは言わない。君には理解することは不可能だろう。ただ一つ言えるのは……」


 言葉を溜め込んだ男は、ふっと吐き出すように呟いた。


「面白くなってきたということさ」


 どちらからともなく言葉が消える。その瞬間、世界に溢れていた光はふっと弱まり、暗闇に去来されて掻き消えていった。



「ったく、あの頑固野郎は何なんだ」


 翌日、パタパタ翼を言わせて街を飛びながら、ヴァルーは巽に悪態をつき続けていた。普段のらくらと振舞う巽は、時折ひどく頑固になる。他者をも巻き込むその頑なさが、彼には目の上の瘤と感じられて仕方ない。


「何であんな奴選んじまったかな。もっと素直で使いやすい奴を選んどくんだったぜ」


 文句たらたら、ヴァルーはビルの看板に降り立ち、じっと街の下を見つめる。向こう側のビルには巨大なスクリーンが張られ、ニュースと思しき映像が流されていた。


『それでは次のニュースをお伝えします。昨日、未確認異能生命体が神凪駅前に出現、通行中の車が襲われ十二名が重軽傷を負いました。異能生命体C号も出現してこれと交戦、現在双方ともに行方が分からなくなっています……』


 画面は移り変わり、視聴者提供の録画が映される。剣を構えたヴァルー達が、逃げ惑う人々を襲おうとしたロキ達に斬りかかる姿がぼかし交じりに映されていた。かの状況でカメラを回していた人間がいたことが意外で、ヴァルーは呆れたように溜め息をつく。


「物好きな奴もいるもんだな。どいつもこいつも人間って分からねえなあ」

「あれ、アレだ!」


 看板の真下で、いきなり素っ頓狂な声が響く。見れば、スクリーンを指差して、幼い少年が自分達の姿に釘付けとなっている。


「ねえ、アレってなんて名前なの?」


 隣にいた母と思しき女性は、困ったように首を傾げる。異能生命体C号などと言ったところで、小さな子供がそれを名前だとは中々認識しない。


「さあ、なんて言う名前なのかな。お母さんもちょっとわからないなあ」

「アレってジーンセイバーの仲間?」


 母親が口を濁して答えてくれないと見るや、少年はさらに新しい質問を繰り出す。背中のカバンにプリントされた、全身をゴテゴテしたプロテクターに包んだヒーローが、ビルの狭間から陽射しを貰って銀色に光った。上から覗き込んでいたヴァルーは、そのヒーローのプリントをじっと見つめる。


「何だ? あれがジーンセイバーか?」

「がんばれー!」


 何か母親に聞いていた少年は、いきなりスクリーンに手を振り叫び出す。母親は恥ずかしそうに慌てて少年の口を押さえ、喧騒の中へと消えていった。ヴァルーは顔をしかめ、その背中をじっと見送る。


「がん、ばれ……」


 もごもごと、少年の言葉を反芻した。見れば、ヴァルー達の姿に注視していた人々がぽつぽつといた。あれらも、自分達の事をヒーローと見なしているのだろうか。ヴァルーは無言のまま首を傾げた。身体が欲するままに暴れている時とは違う、もどかしいざわめきを感じる。居心地が悪く、ヴァルーは唸って鱗を噛む。


「くそったれ、絶対あの野郎のせいだ……」


 ヴァルーはとにかく暴れたいだけだった。不安定なイデア界から解き放たれた彼は、自分の中にある燃えるような鬱憤を晴らすため、自分の見定めた気に入らない相手をただ叩きのめしたいだけだった。上手く実体化することも出来ず、子どものような姿で現実世界に出てきてしまったのはまだ良かった。いくらクリエーションがあるからといって巽を自分の力を行使するための依代としたのは間違いなく失敗だった。ヴァルーは、そう決めつけた。胸に渦巻く煩悶とした思いは、巽の手を取ってしまったせいで生まれたのだと考えていた。


 歯を剥き出し、ヴァルーはバタバタと看板の上で暴れた。思いの外ガタガタと大きな音がして、何事かと数人が看板の方を振り返る。慌てて身を隠したヴァルーは、再びビルのスクリーンに目を向ける。しばしエモーショナルジーンのアルバムの宣伝をしていたスクリーンだったが、いきなり映像は途切れる。代わりに、慌てた女性キャスターの顔がアップでスクリーンに映し出される。


『臨時ニュースをお伝えします。未確認異能生命体が神凪出版本社ビルを襲撃しました。生命体は出版社の会社員をビル内のロビーへと集めているようで――』


 いきなりキャスターの背後から道化の服を纏った右手が伸びる。キャスターをあっさりと突き飛ばしたその道化は、マイクを片手にカメラをぐいと覗き込んだ。ガイフォークスの仮面の奥から黒い瞳を覗かせ、余裕たっぷりの勿体つけた口調で話し始める。


『えー、ドラゴンの鎧を纏ったクソ野郎に告ぐ。さっさとオレ様に殺されに来やがれ。三十分くらいは待っといてやる。じゃねーと、このビル燃やして、中にいる奴を代わりに殺すからな。こんな風に!』


 右手に火の玉を浮かべ、いきなり道化はカメラに向かって投げつけた。劈くような悲鳴を残し、破裂音とともにスクリーンはブラックアウトする。瞬間、恐怖は街全体へと伝播する。街の喧騒の色が変わる。パニックとまでは至らないが、人々はその場にピタリと立ち尽くし、自らが起こすべき行動を見失ってしまったようだった。恐怖のどよめきからささめきまで聞きながら、ヴァルーは舌打ちする。


「調子乗りやがってあの野郎……一発入れてやろうか」


 しかしその体は相変わらずチビのまま、そのまま突っ込んだところで彼らの餌食になるだけだ。ひとまず誰かに取り憑いて変身してやろうとヴァルーは思ったが、彼の持つ力に見合う人間は見当たらなかった。


「どんだけ貧弱なんだよ、お前らの創造力は……」


 ヴァルーはうんざりと首を振って下を睨みつける。その時、ふと巽の姿が脳裏を過ってしまった。すんなりと自分の存在を受け入れ、戦うことの出来た器。とにかく自分を曲げない、気に入らない人間。


(……ムカつく野郎だ)

――それで君は、満足できるのか?


 疑っているようで、まるで疑っていない淡々としたその口調。その強い眼差しに宿っていた確信。ヴァルーは思い出しただけで腹が立った。あのニュースを巽が知っていたとしたら、彼はどう動くか。ヴァルーにとっては考えるまでもなかった。わかってしまうことが余計に苛立たせる。勢い良く飛び上がると、全身で風を受けてヴァルーは一直線に飛び出す。このイライラを晴らす手段も、彼は薄々わかっていた。



「ちょっと待ってよ巽くん!」


 慌ただしく自転車を漕いで、乾は先を突っ走る巽を追いかける。携帯でビル襲撃の一件を聞くなり、巽は自転車を駆って大学を飛び出してしまったのだ。こうなると止められない。再三乾が叫んでも、巽は聞きやしなかった。

 自転車を道の脇に投げ出すと、巽はビルの脇に隠れて神凪出版に面した通りを覗き込む。武装した警察が通りを塞いで、姿の変わったロキに向かって説得しようと試みているが、人質を取られている状況では強硬策を取ることなど出来ないようだった。ロキの甲高い笑い声が、わんわんとビルに反響している。どうにか追いついた乾は、巽の襟をひっ掴んで通りに引きずり戻した。


「何してるの危ないでしょ!」

「だからといって何もしないなんて、僕には出来ない」


 乾の手を払いのけ、真っ直ぐに巽は乾を見つめる。唇を噛むと、乾はぴしりと彼の鼻先に向かって指を突きつける。


「だからって、今来たってどうしようもないじゃない。ヴァルーだっていないのに!」

「乾ちゃん。こんなことをいうのはなんだけど、僕は君よりヴァルーの性質については理解しているつもりだ」


 力強い口調で巽が言い返した瞬間、甲高い風切り音が路地に響く。風に乗って飛び込んできたヴァルーが、巽の鼻先でピタリと止まった。相変わらずむくれた顔をして、ヴァルーは歯噛みする。


「悪口言ったか? 俺の?」

「いや違う。どうせ君は、僕のところに来てくれるだろうと言ったのさ」


 会心の笑みを浮かべ、巽はそっとヴァルーの頭を指で叩く。小さな声で吼えると、ヴァルーは巽の肩に乗りじっと睨みつけた。


「ったく、そうやって何だって知ってるみてえな態度がムカつくんだよ! ……まあいい。ここまで来ちまったんだ。ひと暴れすっから身体貸せよ」

「ああ、いいとも」


 言うやいなや、ヴァルーの身体は巽に融け込み、竜人へとその姿を変える。赤く光る瞳で通りのロキを睨みつけると、拳を鳴らしながら静かに歩き出した。


「さあ、ぶん殴ってやるか」

「……あんな喧嘩してたのに」


 男ってわからない。置いてけぼりにされてしまった乾は首を傾げ、ただただ二人を見送ることしか出来なかった。



「さあて、そろそろ時間ですなあ」


 時計を見上げつつ、ロキはニンマリと笑う仮面を人質に見せつけながら呟いた。恐怖し震え上がる彼らの姿を見つめていると、ロキは引きつったような笑い声を抑えきれない。


(自分を認めないバカな会社は認めない……か。いっそ清々しい身勝手さ。やはり俺の好みだ)


 右手に左手に火の玉を作りながら、腹の中に渦巻く男の意識を覗き見る。小説家になるという夢を抱えた男は、特に抵抗するでもなくロキを受け入れた。それどころか、自分の作品を認めなかった神凪出版に復讐しろと、交換条件までその男は突きつけてきたのだ。そこでロキはぴんとひらめいたのだ。この人々を餌にしてやろうというアイディアを。身を寄せ合う人々をじっくり観察していたロキだったが、不意に笑い声をひそめて歯軋りする。


「さっさとぶっ殺してやる、ってとこだが、来やがったか」


 舌打ちすると、ロキは火の玉を天に向かって放り投げた。空の彼方から舞い降りてきた竜人に、ロキの火球は炸裂する。鎧は炎を受けて紅く輝き、地を見下ろす瞳が鋭く光る。


「この野郎!」


 宙で身を躍らせたヴァルーは、ロキに鋭い拳の一撃を叩き込んだ。落下速の乗った重い一撃は、受け止めたロキを何メートルも後退りさせる。じろりと睨んだロキに、道路へ降り立ったヴァルーはぴんと伸ばした人差し指を向けた。


「卑怯な事しやがったなぁ、この道化野郎が!」

「卑怯で結構。俺は北欧一のトリックスターだ」


 その表情は仮面の陰に隠れてわからない。しかし、声は愉し気げに弾んでいる。やけに自信あるその態度に、ヴァルーは首を傾げる。


「何だ? やけに自信張りやがって。調子乗んなよ雑魚が!」


 ヴァルーは近くのバス停に手を掛けると、大剣へと変異させてロキに殴りかかる。しかしロキはあっさりと大剣を逸らし、ヴァルーを蹴り返した。想像を勝る威力に宙を舞い、面食らったヴァルーは大剣を地面に突き刺しどうにか態勢を整える。顔をしかめて彼は蹴られた胸を押さえる。鎧の鱗がわずかに剥がれていた。舌打ちすると、紅い瞳でぎろりとロキを睨み付ける。


「ふざけやがって……人間を取り込みやがったな!」

(何だって?)


 ヴァルーの言葉に巽は戸惑い、ロキを見つめる。彼は肩を震わせくつくつ笑うと、踊りながらヴァルーを見据える。


「お前もやってる手だろうが。人のこと言えねえだろ。それに取り込んだなんて人聞き、いや神聞きが悪いなあ。彼と俺は協力関係にあるってのに」

「あん?」


 突飛もない言葉に、ヴァルーも巽も耳を疑った。ヴァルーから身体を引き取り、巽はロキを睨む。


「ふざけるな。そんなことがあるわけない!」

「そんなことがあるんだよ、怪物」


 仮面の奥に金色の瞳が輝き、いきなりロキは踊りを止めてじっと巽達を睨む。


「俺はずっとそこの奴らに舐められてきた。俺の書いた傑作を、一笑に付して投げ棄ててきた馬鹿野郎どもだ! だから俺はこいつと手を組んだ。互いに憎むべき相手に復讐するためにな!」

「馬鹿な。そんなふざけた理由でお前はこの街を傷つける悪に力を貸したのか」


 呆然と首を振る。あまりに下らない理由を耳にして、思わず声さえ掠れてしまう。仮面の奥で目を見開くと、激しい怒りを燃やして両手に再び火球を握り締める。


「ふざけた理由? お前も俺を馬鹿にするのか! 死ね!」


 真っ直ぐに飛んでくる猛火。かわすのは簡単だが、それでは背後のビルに直撃してしまう。


「くっ……」


 大剣の腹で巽は炎を受け止める。しかし爆風は防ぎきれず、巽達は吹き飛ばされてビルの柱に叩きつけられた。続けざまに小さな火球が次々に飛んでくる。その矛先は、ビルの人々に向けられていた。


「ほれほれ! さっさと盾にならないと奴らが死ぬぞ、神凪のヒーローさん?」


 見過ごすわけもない。態勢を無理矢理整えた巽は、火球を全身使って受け止めた。炎に巻かれたまま、巽はビルの前に転がされる。


「ぐう……このままじゃどうにもならない」

(バカ! せっかく出てきておいてそれかよ! 代われ!)

(あ、ああ。すまない)

「ったく。……馬鹿にしてんのはそっちの方だ!」


 見かねたヴァルーは乗り替わり、大剣を盾へと変えて猛然と駆け出した。飛んできた火球が目の前で弾ける。爆風が襲い、身体が炎に巻かれる。しかし唸りを上げるヴァルーの前にはそんなものそよ風とちょっとした火花に過ぎなかった。怯みもせず突っ込んでくる竜人を前に、ロキは慌てる。


「畜生! 何でだ? こっちも人間と融合してんのに!」


 焦ったロキがどれだけ火の玉を投げ込んでも、竜の身体は燃え尽きなどしない。炎を纏って赤熱した身体を、ヴァルーは全力で叩きつけた。


「喰らいやがれ!」

「うげぇっ」


 子供のように軽々と吹き飛んだロキは、向かいのビルに叩きつけられ、そのまま道路の真ん中に倒れる。


(やるねえ、ヴァルー)

「お前ももうちょっと根性入れろ。これくらいどうってことねえんだよ」


 盾を再び大剣へと変えたヴァルーは、ふらふらと立ち上がるロキに向かって高々と構える。


「吹っ飛びやがれ!」

「ちょ、ちょっと待っ――うげえええ!」


 バットのような横薙ぎでヴァルーはロキの腹を大剣の峰で打ち据える。再びかっ飛ばされたロキの身体から酔っぱらった男が飛び出し、地面にべたりと伸びる。一方火花を散らせながら上空高くへと打ち上げられたロキは、そのまま爆発し飛び散ってしまった。手を翳しながらその爆発を見届けたヴァルーは、切っ先を地面に突き立て舌打ちする。


「汚ねえ花火だ。もっと派手に吹っ飛びゃいいのによ」

(君らしい感想だ。……あの男も助かったのか)


 道路に目を向ければ、酔って前後不覚の男が一度ふらふらと起き上がり、銃を向けられている現状を理解できず、再びばたんと倒れてしまったところだった。ヴァルーは肩を竦めると、大剣を担いでちらりと余所見する。


「纏めて叩っ斬ることだって出来たさ」

(つまり君はそれを選択しなかった。なるほど、君だって結局ヒーローらしく振舞っているじゃないか)

「そうでもしねえとお前がうるさくなるだろうが。感謝しろ」


 片意地張るヴァルーに、巽はくっくと笑う。


(ああ。僕の考えに理解を示したということにして、ここはありがとうと言わせてもらうよ)

「うるせえ。御託ばっか並べんな」


 威嚇するように唸るヴァルー。結局胸奥のむずがゆさは収まらなかった。しかし、何やらどうだっていい気分にもなってきていた。ヴァルーは肩を落とすと、周囲の警察を見渡す。銃を中途半端に下げて互いに顔を見合わせ、ロキを打ち倒した二人に、彼らはどう振舞っていいか決めかねているようだった。


(後は警察の人に任せよう。僕達に出来ることは無い)

「……ま、そうだな」


 大剣を投げ捨てバス停へと戻すと、ヴァルーは身を翻して物陰へと消えようとする。



「見つけたぞ、裏切り者」



 響き渡る絶叫。はっと振り返ると、肩や腹、太ももやらを羽根に貫かれて人々が壁に縫い付けられていた。その金色に輝く羽根を見たヴァルーは、咄嗟に近くの鉄パイプを太刀へと変えて空を見渡す。


「ちっ。……面倒な野郎が出てきたもんだな……」


 耳鳴りするほどの激しい風切り音。翼を大きく広げたグリフォンが、一気に飛び込み爪を振り上げ、太刀を構えたヴァルーに斬りかかる。ヴァルーは怯まず切り上げを放ち、爪と交錯する。グリフォンはそこへ立て続け嘴で啄もうとする。とっさに右腕を突き出して受け止めるが、その鋭い嘴は容赦なく籠手に喰い込む。


「くそっ。オリジナルは気を抜ける相手じゃねえか」

「無駄口を叩くな。イマジナリーの裏切り者!」


 ヴァルー達を蹴って飛び上がると、グリフォンは甲高く叫ぶ。鼓膜を貫かんばかりの声量に二人が思わず怯んだところを、グリフォンは突風を起こし、刃のように鋭い金色の羽根を襲わせる。鎧のあちこちが傷つき、ヴァルーは吹き飛び車に叩きつけられる。


「何が裏切り者だ! まるでテメーらに大義があるような言い草しやがって。人間に忘れられそうだからって、駄々こねて暴れてるだけのくせによ!」

「貴様も同じイマジナリーだろう。このまま忘れられればどうなるか、知らないとは言わせん」

「ビビってんじゃねーよ! カルチャーみてえなこと言いやがって。俺達がそう簡単に消えるかっつーの!」


 折れたワイパーをもぎ取って手槍へ変え、上空に滞留を続けるグリフォンに向かって投げつける。しかしグリフォンはひょいとかわすと、そのまま急降下でヴァルーに突っ込む。


「消える消えないの問題では……ないっ!」


 太刀を正眼に構えるヴァルーだったが、グリフォンの嘴は真っ正面から太刀の刃をかち割り、一気に衝突する。すんでで身を翻して直撃だけは避けたが、肩当てのプレートが呆気なく割れ、弾け飛ぶ。道路に投げ出されたヴァルーは、歪む視界に呻く。


「ふざけんなよ。じゃあ……何だって……言うんだ!」

「一度消えればわかることだ」


 グリフォンは冷酷に言い放ち、再び旋風を巻き起こす。巽は神妙な顔をすると、ヴァルーから突如身体の主導権を取り戻す。


(おい、何するつもりだ!)

「このままじゃ共倒れじゃないか……だから」


 巽はよろよろと立ち上がると、左腕を右手で掴もうとする。しかし、そんな彼の目の前に突然一つの影が飛び込み、そのまま旋風を物ともせずグリフォンに殴りかかって吹き飛ばしてしまった。


「な、何だ?」


 旋風の残滓を受けて棚引く黒いたてがみ。鋭い爪の伸びる籠手。百獣の王に相応しい屈強な肉体。沈黙を貫く漆黒の戦士が、グリフォンの前に立ちはだかっていた。



 その時、まだ巽は気づいていなかった。この戦士が抱えていた秘密と闇に。


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