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四話 勝手に言ってろ

 剣崎巽。相変わらず好きに暴れるヴァルーだったが、彼の戦いが誰かを助けているのも事実だった。神凪市のアイドルを前にヒーローを名乗った彼は、少しずつだが、神凪市を騒がす一陣の風になろうとしていた。



 その日、巽は通い慣れた喫茶店にいた。隅の席に腰掛けて、センスあるマスターの選んだ小気味いいテンポの曲を聞きながら、じっくりと一人で本を読む。何かと忙しい日々の中、ほっと落ち着ける一時だ。しかし今は一人であっても独りではない。そうそうのんびり出来るわけもない。


(おい見てみろよ。あれ俺達のことか?)


 巽の中でヴァルーが騒ぐ。溜め息をつくと、本を置いて近くの渋くコートを着込んだ往年の男が読んでいる新聞に目を向けた。見れば納得、その一面には、彼らがカルチャーの神々と斬り合いを演じる写真が載せられていた。『謎のヒーロー、また神凪市を救う?』まだ半信半疑だが、街は彼らをヒーローとして認めようとしていた。巽はふと微笑むと、静かにコーヒーカップを口へ運ぶ。


(さすがは注目のアイドル。影響力が違うね)

(あいつがなあ……)


 最初は彼ら自身も怪物として疑いの目を向けられていたものの、エモーショナルジーンのメンバー、八代さやかが盛んに神凪のヒーローとして巽達を宣伝したお陰で、彼らに脅威を感じる人々は少なくなりつつあった。ヴァルーは翼を竦めると、ごろりと丸くなる。


(何か落ち着かねえなあ。俺はただ気に入らねえのをぶちのめしてるだけなんだが)

(いいじゃないか。好きに振る舞って誰かの為になれるなんて、そんないいことはないさ)

(ふうん? そういうもんかね)


 落ち着かないのか、彼は何度も寝相を変えて小さく唸る。跳ねっ返りな彼にとって、自らの横暴が半ば持て囃されるような形になるのは不思議な気分だった。普段よりも大人しいヴァルーに、巽はくすりと笑う。


(よかったじゃないか。君は大義名分を得て戦えるんだから)


 彼がせっついてやると、ヴァルーは鼻をフンと鳴らし、尻尾を丸めて枕にする。口元はひくついて、目はふらふらと泳いでいた。


(どうでもいい。んなこと)

(素直じゃないね、君も)


 一通り新聞を読み終わったのか、壮年は新聞を畳むとすたすた行ってしまった。その背中を見送りつつ、彼は再び本を開く。


(僕は嬉しいと思う。誰かの役に立てることはね)


 昼寝を始めたヴァルーにちょっと呟くと、彼は再び想像の世界へと身を躍らせていった。



 その頃乾はというと、いつものようにエプロンを身に着け、自宅の古本屋で働いていた。古めかしいラジオで昔からあるトーク番組を流しながら、彼女はカウンターで几帳面に在庫本リストにペンを走らせている。そんなところへ、一人の青年がいきなり現れた。ステッキをつき、シルクハットを被ったフロックコート姿の青年は、大量の蔵書をぐるりと見渡しながらつかつかとカウンターへ歩み寄っていく。気づいた乾は、ペンを筆入れに突っ込み慌てて立ち上がった。


「す、すいません。ようこそ白峰古書へ。ご希望の本は御座いますか?」


 帽子に隠れた素顔を見て、思わず乾はどきりとしてしまう。俗に言うイケメンだ。もっと言えば、パーツの配置も形も主張も完璧で、人口一億の日本でも指折りの美青年だった。思わずぽうっとしてしまった乾は、話しかけられていることがしばし分からなかった。


「お嬢さん、お嬢さん」

「ふえっ? あ、すいません」

「この店に、マンガは置いていますか?」


 紳士然とした立ち居振る舞いに似合わぬ所望。乾は内心耳を疑ったが、問い直すのも失礼と思い歩き出す。


「え? あ、はい。こちらです」


 古洋館の見た目を売りにしている部分もあって、サブカル的雰囲気の強いマンガなどは表立って並べていない。乾は広間の壁に向かい合った本棚へと青年を導き、そっと手で示す。


「どうぞ。こちらです」

「なるほど……では、ここからここまで、ついでにここからここまで全て下さい」


 青年は小さなルビーとエメラルドがあしらわれたモノクルを掛け、本棚にあるマンガの表紙をつつと手でなぞっていった。冊数にして百巻分は下らない。乾は目を丸くし、今度こそ問い直してしまった。


「す、全てですか?」

「ええ。何か問題でも?」

「い、いえ。マンガは全て一冊百円ということにしているので……ええと、少々お待ちください。準備します。じいちゃん!」

「ああ、ちょっと待ってくれ」


 乾は頭を下げると、二階に引っこんでいる祖父を呼びつけた。そのまま振り返り、乾は青年に向かって頭を下げる。


「すいません。ちょっと準備に手間取ってしまいますが……」

「構いませんよ。それより、私は『格好いい』ですか?」


 真顔で放たれた言葉に、乾はまたしても耳を疑う。


「あ、まあ、格好いいと思います。……格好良すぎると思います……」


 完璧なマスクで見つめられ、乾は思わず顔を赤らめ俯いてしまう。看板娘の初心な反応に微かな笑みを浮かべ、青年は本棚を見上げる。


「それなら良かった。もう一つ質問しましょう。お嬢さん、人の想像力の原点って、一体何なんでしょうね?」

「え? そんなこと……いきなり聞かれても……」


 相手がいくら美青年でも、突飛な質問には答えられなかった。困り顔の彼女を横目に見遣り、青年は淡々と続ける。


「そうですか。そうですよね。……私は、その原点は恐怖心にあると思っています」

「恐怖心?」

「ええ。恐怖心です。人間は不可知を恐怖として恐れます。その不可知を封じる為に、様々な空想上の生物を生み出し、無理矢理にでも恐怖を掻き消そうと試みた。それが、人々の想像力の原点だと私は思っています」

「はあ」


 首を傾げた乾は、青年に合わせてじっと本を見上げた。いつか父と交わした話が、ちらりと蘇る。


「あなたは、父とは正反対のことを仰るんですね」

「ほう?」

「父とも、似たような話をしたことがあるんです。その時、父は言っていました。人々の想像力は希望が原点だと。この世界で生きていきたいという希望が、様々な神を生み出し、生きるための力を与えたと言っていました」

「なるほど。そんな考え方もあるのですねえ……」


 ふと、二人は黙り込んだ。互いにかける言葉も無く、ただじっと本棚を見上げる。ラジオから流れる声が、沈黙に紛れてはっきりと主張を始めた。


『……駅前広場には近づかないようお願いします。繰り返します。未確認異能生命体が駅前広場を襲撃、大きな被害が発生している模様です。くれぐれも駅前広場には近づかないでください』


「おやおや、これは……」


 青年は浮かない顔をしてラジオに目を向ける。乾は神妙な顔をすると、エプロンのボタンをそっと外す。ちょうど良く祖父の壮二郎も一階に降りてきた。乾は頷くと、ポケットから取り出したメモにさらさらと注文票を書き留め、エプロンを脱ぎながら祖父に向かって突き出した。


「ごめんじいちゃん。ちょっと用が出来たから行かなくちゃ」

「行く? 行くってどこへ行くんだ」

「駅前よ。怪物が出たんだって」

「……巽くんが心配なのか?」


 壮二郎は顔をしかめる。本か巽が絡むと、乾は意気込んで動く。そこで何かを言っても彼女は聞こうとしない。


「そう。というわけで、よろしく」

「仕方ない、くれぐれも気を付け……ってこんなに? おい、待ってくれ乾!」


 リストを見て目が飛び出しそうなくらいに驚いた壮二郎だったが、扉の方に目を向けた頃には、既に乾は飛び出した後だった。もうとか何とか文句を言いながら、壮二郎は仕方なしに動き始めた。



「はは……殲滅だ!」


 駅前の市街地で悲鳴が響き渡った。隻眼のローブを纏う老人が、長槍をトラックに向けて投げつける。動力部を貫かれたトラックはコントロールを失い車の列へ突っ込んだ。車はビリヤードのように跳ねて次々に他の車へとぶつかり、通りはパニックと化す。逃げようとする人々。しかしその前に、ナイフを手にぶら下げた道化が、ずるずると舌なめずりしながら立ち塞がった。


「さあ、ラグナロクを始めるぜ!」


 道化は目の前で子どもを庇った母親を見下ろすと、ナイフをくるくる回し、そのまま突き立てようとする。だが、鎧に包まれた腕がぬっと伸び、すんでのところで腕は掴み押さえられる。


「カルチャーごときが終末を語るんじゃねえ!」

「ぐえっ」


 鳩尾に鋭い膝蹴りを貰い、道化は無様に吹き飛ぶ。巷を騒がすヒーロー怪人が、肩を怒らせ傲然と立ち尽くしていた。おたおたと跳び上がると、道化は崩れた化粧を整えながら巽達を睨む。


「あん? このロキ様に逆らおうってのか?」

「本物に似てんのは生意気なとこだけか。力の差もわかんねえんだな!」


 一足飛びでロキに迫ると、正拳突きを胸板に見舞う。燃える一撃を入れられたロキは、再びボロ人形のように吹っ飛び、ぼろぼろの車に叩きつけられる。最早化粧など気にする余裕もない。ナイフを構え、目にも止まらぬ速さで駆け寄る。あまりの身のこなしに、ヴァルーは身動ぎ一つ出来ない。勝ちを確信したロキは、ニヤリと歪んだ笑みを浮かべる。


「生意気なのはどっちだ? 死んじまえっ!」


 甲高く叫ぶと、お返しとばかりにナイフを鎧に突き立てた。しかしナイフはその鎧を穿てないどころか、鱗の隙に挟まったまま抜けなくなってしまう。あまりの硬さに呆然となるロキを、ヴァルーは頭突きで道路に突き倒される。


「おいおい、どうしたどうした?」

「く、くそったれ! おいジジイ! こっち来やがれ!」


 舌打ちをすると、ロキは慌てて飛び退き、通りで車相手に槍をひたすら振り回している老人を呼んだ。じろりと目を向けたそれは、槍を握り締めたままのそのそとやってくる。


「どうした。ロキよ」

「オーディン手伝え。こいつ強えぞ」

「いつもわしの寝首を掻こうとしてばかりのくせに、こういう時だけ調子がいいな。まあ、お前に負けられても困るから協力はしてやろう」

「カルチャーがどんだけ束になろうが変わりゃしねえっつの」


 それぞれ武器を構える北欧の神々を、ヴァルーは蔑みの目で見つめる。雑魚が群れて強くなった気になる有様が、彼は何より嫌いだった。イライラと手をスナップさせる彼の中で、巽は首を傾げる。


(しかし奇妙だ。オーディンとロキが手を取り合うことがあるなんて……最終的にオーディンは、ロキの生み出した怪物に弑されるのに)

「それがカルチャーたる所以だろ。ソーシャルゲームとか言う奴の為に粗製乱造されたあいつらみたいのは、カルチャーの中で溢れかえってやがるんだよ」


 まるで何もわかってない、とばかりに首を振るヴァルーに、オーディンは青筋を浮かべた。槍を握る手にも力が籠もる。


「今、我らを粗製乱造と言ったか!」

「おっと聞こえてたか。だが何も間違っちゃいないだろ?」


 侮辱に震える大神の姿を面白がって、調子に乗ったヴァルーはオーディンを指差しさらに挑発する。カルチャーとは言え最高神、最早オーディンは我慢ならず、血眼で吼え、自らの槍を投げ放った。大したことは無い。ヴァルーは横っ飛びにかわすと、拳を握り締めて構えようとする。


「そうやってすぐ挑発に乗るんじゃねえ――って痛えっ!」


 背後に鈍い衝撃。鎧から火花を散らしながらヴァルー達は地面に投げ出される。反射的に身を起こすと、今度は真っ正面から光を纏った槍が突っ込んでくるところだった。ヴァルーは舌打ちすると、再び横っ飛びに交わす。


「おいおい、マジかよ」

(グングニルか。決して的を射損なわず、貫けば持ち主の手に帰る、オーディンの持つ武器だ)


 巽が呟く。ヴァルーは頭上をくるくる旋回する槍を見上げて眉間に皺を寄せる。


「んなもんわざわざ言われねえでもわかってる。くそっ。こういう強いとこだけ適当に引っ張ってくるから性質が――」


 ヴァルーは真っ直ぐに飛んできた槍を腕で弾く。


「悪いんだよ。どうすっかな」

「よそ見、してんじゃねえぞぉっ!」


 ナイフを振り上げ、小躍りしながらロキがヴァルー達の背後に迫る。ヴァルーは鼻で笑うと、素早く身を翻して突き出された刃を籠手で受け止める。そのまま間合いを詰めたかと思えば、空いた手でロキの襟元を引っ掴んだ。


「ちょうどいいとこに来てくれたな」


 グングニルがヴァルーを仕留めようと迫る。ヴァルーは思い切りロキを引っ張ると、鋭い穂先にロキを晒した。鋭く飛んだ槍は、勢い余ってその腹に真っ直ぐ突き刺さる。


「痛いっ! おいジジイ! 刺さったぞ、刺さった!」


 ヴァルーに投げ捨てられたロキは、海老のようにぴょんぴょん後ろに退きながら血の滴る腹をオーディンに見せつける。竜人に鋭く追い縋られるロキだが、老神は澄ました顔でそれを眺めるばかりだ。


「急に槍の向きを変えることなど出来んよ。無理に突っ込むのはやめることだな」

「くっそ……老いぼれのボケジジイが!」


 槍を腹から抜き取ると、ヴァルーに向かって適当に放り投げる。地面に跳ね返った槍は、それでも真っ直ぐヴァルー達に突っ込んでくる。不意を突かれた彼は、思わず身構え直撃を貰う。


「イテッ!」


 もんどり打って道路に這いつくばったヴァルーは、低く呻きながらよろよろと立ち上がる。しかし再び槍が飛んできて、息をつく暇など無い。


「まどろっこしい戦い方しやがって。おい、巽。ちょっと俺と代わってくれ。避けんのはお前の方が得意だろ?」

(……そうだね、任せてくれ)


 言われるがまま、巽はヴァルーと入れ替わる。肩を竦めると、するりと槍の一撃をかわし、赤光の消えた瞳で真っ直ぐに神二人を睨む。目の前で街を荒らされ、怒りがふつふつと湧いている。脇腹を襲う槍を軽く身を反らして避け、巽は拳を握り締めた。


「覚悟するといい。僕は君達を許さない」

「ふむ? 雰囲気が変わったか?」

「何だろうと同じだ! そのまま刺されて死んじまえ!」

「僕はそんなに間抜けじゃないさ」


 囃し立てるロキに向かって低く吐き捨てると、背後から飛んできた槍を素早く掴み取った。槍は一瞬で炎に包まれ、竜爪の片手剣へと姿を変えてしまう。武器を失ったオーディンは、思わず目を見開いた。


「ば、バカな!」

「君達ごときに遅れを取りはしない!」


 剣を構えると、一直線に駆け抜け、二人の神を素早く切りつけた。オーディンは袈裟に斬られてよろめき、切り上げられたロキは足の筋を断たれてひっくり返る。


「ぐえっ。容赦ねえなあこの野郎――うぼぉっ」


 ロキの腹を踏み付けにして、巽はどうにか態勢を整えようとしたオーディンの胸をさらに横薙ぎする。切り裂かれた鎖帷子から激しく火花を散らしつつ、オーディンは吹っ飛びもんどり打って通りに投げ出される。間髪置かずに間合いを詰め、苦しげに倒れるオーディンに止めを刺そうとした巽だったが、いきなり窓の割れた車のドアが開き、頭を押さえた老人がよろよろと姿を見せた。


「まずいっ!」

「ひっ」


 振り下ろされた剣はすんでで止められる。老人は突然の事態にその場で凍り付いてしまった。血の気が引いて真っ白になった顔が、巽の目に鮮やかに焼き付く。


「……すいません!」


 どうにもならず、巽はやむなく彼を車に押し戻すと、起き上がったオーディンの襟元をぐいと掴む。


「さあ、この一瞬で覚悟は出来たかい?」

「何と傲慢な……私は神だぞ」

「僕達に作られた、ね!」


 歯を食いしばるオーディンを突き飛ばすと、渾身の力で斬り伏せた。鮮血が吹き出し、存在を保てなくなった老神はそのまま爆発する。橙の炎を背に受け、黒く陰差した鬼のような形相を巽は傾いで立つロキへと向ける。


「さあ、次はお前だ」

「お、おい待ってくれよ。そんな物騒なことはやめようぜ。取引しよう。な? お前に協力するから、その剣を向けるのを止めてくれ――!」


 びくりと震えたロキは、必死に手を差し出しながら巽を言いくるめようとする。しかし巽は聞こうともせず一気に斬りかかった。片足の傷ついたロキには、地面に這いつくばって避けるのが精いっぱいだ。


「ふざけるな。誰が君なんかと取引するんだ?」

「おいおい、冗談じゃねえぞてめえ……マジで言ってんのか」

「当たり前だ。僕達はこの街を傷つけるものは許さない」

(おいおい、そろそろ代われ。いいとこばっか持ってくな)

「わかった。勝手にしてくれ」


 再び瞳に紅い光が宿る。ヴァルーは地面に落ちていたトラックのドアを拾うと、大剣へと変えて風を切りつつ背中に担いだ。低く笑ったヴァルーは、生まれたての小鹿のようになりながら立ち上がるロキをじっと睨み付けた。


「痛えぞ……準備はいいか?」

「しゃらくせえ! てめえなんかにやられてたまるか!」


 ヴァルーの圧力を受けて自棄になったロキが、ナイフをヴァルーに向かって適当に投げつける。造作もなくそれを弾き飛ばしたヴァルーは、逃がすかとばかりロキの後を追う。足を引きずり、ロキは車のフロントを乗り越えられずに苦戦している。それを見逃す手は無い。ヴァルーは炎の大剣を振り上げ、ロキをすっぱり叩き斬ろうとした。


「喰らえ――」

「ダメだ!」


 不意に左手の意識を奪われ、一撃は逸れて道路を叩き割った。ロキはその光景に一瞥もやる事もなく、這う這うの体で逃げていく。ヴァルーは中でほっと溜め息をついている巽に吼えた。


「何やってんだよてめえ!」

(何をしているだって? 車の中を見るんだ!)


 不承不承目を向ければ、中には気を失った男が運転席にもたれかかっていた。


「命拾いしたなお前……」


 ぴくりとも動かない男に向かって顔をしかめながら捨て台詞を残すと、ヴァルーは車を飛び越えロキの後を追おうとする。しかしどんな技を使ったのか、その姿は跡形もなく消えてしまっていた。


「くそっ。どこ行った!」

(あの怪我では遠くまで逃げられないはずだ)

「お前がそれを言うか? この野郎……」


 ヴァルーは苛立ち紛れに車を軽く殴りつけ、車の下やら、通りの奥やら、走り回って探す。しかしどんな技を使ったのか、ロキの姿はどこにも見当たらなかった。


(逃げ足だけは早いか……)


 狭い路地裏を前に、巽は溜め息をつく。拳を握り締めると、ヴァルーは怒りを絞り出すように呟く。


「あいつが暴れようとすりゃわかる。しばらくは大人しくしてんだろ。……お前が余計な事しなかったらここで仕留められてたけどな!」


 ヴァルーの振り切った蹴りが一斗缶に直撃し、耳障りな音を立てて転がっていく。不機嫌さを隠そうともしないヴァルーに、巽は目を剥き叫んだ。


(何を言ってるんだ! 君はこの街の人を戦いに巻き込む気か!)

「巻き込まれたくなかったら隅っこで小さくなってりゃ良いんだよ。目の前にいる奴まで面倒見切れるか! そいつはそれまでだったってことだ!」

(ふざけるな……)


 声を潜め、巽はヴァルーから身体を取り戻して変身を解く。そのままヴァルーを自分の身体から引きずり出すと、いきなりそれを壁に叩きつけた。


「そんな戦い方は認められない! そんな戦い方では……僕達だってあいつら怪物と同じじゃないか!」

「うるせえな。最初からそうだろうが」


 ヴァルーは巽を見据えて淡々と答えた。


「ヴァルー、君は……」


 何かを言いかけた巽だったが、結局呑み込みヴァルーを自らの身体へと押し込む。


(ヴァルー、僕達はヒーローとして認められ始めたんだ。僕はそれに応えたい。それだけは言っておくぞ)

(勝手に言ってろ)



 険悪なムードを漂わせたまま、巽は路地裏から出て事故車処理の始まった駅前広場を見渡し歩く。血塗れになった人々が救急車へと運ばれていく様はひどいものだった。死者がいない事だけが不幸中の幸いか。巽はしかめっ面のまま、彼らの姿を見送っていた。


「巽くん」


 右腕をハンカチで押さえた乾がすたすたとやってくる。彼女の青ざめた顔に、巽は思わず顔色を変えた。白いハンカチは、彼女の血で蘇芳色に染まっている。思わずその腕を取ると、ぱっくりと裂けた大きな傷から、今も血がじわじわと滲んでいた。


「乾ちゃん、一体どうしたんだ!」

「掠り傷だから、大丈夫。それより、巽くんの方こそ怪我はない?」


 乾は力なく微笑む。その痛々しさに耐え切れず、巽は髪を掻き上げ思わず目を逸らした。


「僕なんか大したことはない。それよりも、早く手当てしなければ……」

「お姉ちゃん、大丈夫?」


 甲高い声が腰あたりで響き、二人は振り返る。ワンピースを着た幼い少女が、じっと乾のことを見上げていた。追いかけてきた父と思しき男が、乾に向かって静かに頭を下げる。


「ありがとうございます。あなたがいなかったら、のぞみは今頃どうなっていたか」

「大したことないですよ。気にしないでください」

「でも、そんな怪我をなさって……」

「大丈夫ですって、ちょっと血が出ただけですから」


 二人の遣り取りを聞きながら、巽は思わずはっとなる。適当に弾いたナイフが少女に飛び、乾が飛び込み刃から庇う。そんな光景が脳裏を過ぎった。顔をしかめ、巽は呻く。


「ごめん乾ちゃん。僕達は、何ということを……」

(弱虫かよ、てめえ)


 落ち込む巽をヴァルーは鼻で笑う。甘ったれた男の戯言としか、彼には思えなかった。



 その時、ヴァルーはまだ気づいていなかった。自分達の戦いが持ち始めた、新たな意味を。




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