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三話 目覚めろ、ヒーロー

 剣崎巽。悪戯好きの荒っぽいドラゴン、ヴァルーに好き勝手振る舞われ、辟易する事ばかり。乾への悪戯は許してもらえたが、それでも心にしこりは残る。このまま上手くやっていけるのか、巽は心配でならなかった。



 ある昼下がり、巽はメロンパンの入った袋をぶらさげて歩いていた。神凪市一有名なパン屋『レープクーヘン』で時間限定販売されるチョコビスケット生地の特製メロンパン。家の手伝いで買いに行けない乾が、どうしても食べたいと巽に頼んだのだ。


(暇だなあ、お前)

(別に暇じゃないよ。でも乾ちゃんの頼みは断れない)


 自分で言いながら巽は独り合点して頷く。例の一件を赦してもらいはしたものの、どうにも古書店からは足が遠のいていた。このメロンパンを届けて、自分なりの誠意を示そうという魂胆だった。足取りを速める巽をヴァルーは鼻で笑う。


(男のくせに情けねえなあ。女に御遣いさせられるなんてよ)


 意識の泉の前で丸くなるヴァルーを、巽は冷静に笑い返す。


(今時ジェンダー論は流行らない。誰が使い走りするかにまで男女がどうこうを持ち込むのはクレバーじゃないね)

(ああ? 馬鹿にしやがって……ん、おい、通りの向こう見ろ)


 ヴァルーは巽の視界の隅に何かを捉えた。しきりにバタバタされては無視もできず、巽は適当に応えながら通りの向こうを見つめる。


(おっと、あれは)


 何人かの男が、一人の少女を半ば取り囲むようにして歩いている。強張った愛想笑いを浮かべ、少女はどうにか男達から逃れようとしているが、押しが弱いのか適当に囃し立てられとても逃れられそうにない。巽は肩を竦めると、ちらちらと通りを見渡す。困った人を見て見ぬふりは出来なかった。車の切れ目を確かめると、彼は一直線に通りを横切り、その囲みへと駆け寄る。


「さやかちゃん! どうしたんだいこんな所で」


 巽は表情も声も明るく、いきなり少女の手を取った。見知らぬ人間に声をかけられ、大人しそうな少女の顔は驚きと戸惑いに固まってしまう。しかし巽は軽くウィンクして、その手を掴んだまま揃って流行のファッションをキメた男達を見渡す。


「お楽しみのとこ悪いね。ちょっとこの子と約束があったから、返してもらうよ」


 それだけ言い残すと、巽はそのまま囲いを強引に突っ切って抜けようとする。おい。金髪の男がそんな巽の肩を強引に掴む。構わず彼はその手を逃れて逃げ出そうとしたが、何故かその体は勢いに任せてくるりと身を翻す。


(おい、ヴァルー!)


 鋭いクロスカウンターが肩を掴んだ男の脳天に刺さる。白目を剥いて、くにゃくにゃと昏倒した男を前に、その仲間達は当然のようにいきり立つ。


「てめえ、何してんだ!」

「い、いや、僕はそんなつもりじゃ……聞きやしないか」



 鳩尾に一発、頭に回し蹴り、一本背負いで放り投げる。殴りかかってきた三人を、巽は鮮やかにKOしてしまった。



(何してくれたんだい、ヴァルー)


 気絶した男を担いでひいこらひいこら逃げていく男達を見送りながら、意識の隅で白々しく欠伸をしているヴァルーに巽は詰め寄った。後の三発はともかく、クロスカウンターはヴァルーが勝手に身体を乗っ取りやったのだ。


(寄ってたからねえと女一人相手に出来ねえ奴らを叩きのめして何が悪いんだよ)

(悪いさ、周囲の心象的に)


 不機嫌に呟くと、巽はそっと振り向く。突然の出来事に困惑してしまった少女は、立ち尽くしたまま動く事も出来なかった。


「あ、あの……大丈夫かい?」

「はい! ほ、本当に大丈夫ですから、本当に!」


 はっとした少女は、顔色を変え、脱兎の如く逃げ出してしまった。巽はそら見た事かと溜め息をつく。


(ああ? 何だあいつ。せっかく助けてやったのに)

(知らない人がいい顔して近づいてきて、いきなり人をボコボコにしたら怖いに決まっている)

(よっくわかんねえなあ……)


 ヴァルーは不貞腐れた様に呟く。巽は肩を竦めると、再びパンをぶら下げ歩き出す。


(前にも言っただろう。だから僕は喧嘩をしないようにしている。そうする前に解決する手はいくらでもある)

(つまらねえ世の中になっちまったな、全く)


 今度こそ大欠伸したヴァルーは、身体を丸めて眠ってしまった。その様は、成体の姿でもどこか子供っぽい。巽は苦笑すると、周囲のビル街を見渡しつつ、久々に想像の世界へと思いを馳せ始めた。



 扉が開き、からからと鈴の音が鳴る。チェックのズボンに真っ白なシャツを着て、柔和に微笑む巽。いつものように店を手伝っていた乾はつられてにっこり笑うと、本を棚に押し込め梯子を降りてくる。


「ありがとう巽くん。買って来てくれたんだね」

「ああ。これくらいは朝飯前さ」


 巽が袋を突き出すと、乾は手を伸ばしてがさがさと中身を漁る。喧嘩中にかなり振り回したが、一応中身は無事だった。彼女は目を輝かせて頷く。


「そうこれ! いやあ食べたかったんだよね本当に。ちょっと待ってて。あと少しで本棚整理終わるから」


 乾は袋を戻すと、張り切って梯子を登る。軽い足取りに合わせて灰色のキュロットスカートがひらりと揺れた。お菓子に心躍らせる彼女が可愛らしくて、巽は彼女の背中をぼんやり見上げる。本やお菓子、好きな物にはとことん熱心な彼女が、巽は見ているのが好きだった。

 そうして自らを疎かにするから、自らの右腕が乗っ取られたことに気づくのが遅れてしまうのだが。


「あ、おい。ちょっと待って――」


 思わず声に出しながら右腕を抑えこもうとする。しかし少々遅かった。目一杯に伸ばされた右手は、振り返ろうとした乾のお尻にピタリと触れていた。


(何だ。こっちは見た目通りか)

(言ってる場合か、バカッ!)


 全身を使って無理やり右手を引き剥がすと、巽は恐る恐る彼女の顔を窺う。憤然とした顔で巽を見下ろした乾は、唇を結んで梯子からさっと飛び降りる。


「今日は逃げないんだね」


 嫌味っぽく呟くと、しゅんとしている巽の右腕をがしりと掴まえた。さらに巽の頭をむんずと掴むと、深呼吸とともに彼からヴァルーをすっぽりと引き抜いてしまった。


「うおっ! な、何で、俺が出てきてる? 何があった?」


 不意の事態に何が何やら飲み込めず、ふてぶてしいヴァルーも戸惑い声を上ずらせる。舌打ちしてヴァルーをこれでもかと睨みつけ、乾は声を荒らげる。


「この前からずっと感じてたのよ。巽くんに何かが取り憑いてるってね」

「ああ? 馬鹿みたいなこと言ってんぞお前」

「存在がバカみたいな奴に言われたかないわ。どーせこの前やらしい事してきたのも、あんたなんでしょ?」


 ぶんぶんとヴァルーを揺すりながら乾は詰め寄る。鋭い剣幕に、そばで見ていた巽は思わず表情を凍らせ震え上がってしまう。しか当のヴァルーは舌をちろりと見せただけ、乾を侮り反省など全くしてなかった。


「うるせえな、お前だってまんざらじゃなかっただろ?」

「黙れこのスケベドラゴン。消してやろうか」


 乾の手の力がいよいよ強まってくる。小憎たらしく舌をぺろぺろさせていたヴァルーも、本気で呻いて苦しみ始めた。翼をバタバタさせてもがき、口も利けないらしい。さすがに見ていられなくなった巽は、慌てて乾の手からヴァルーをもぎ取り引き離した。


「ちょっと待って乾。本当に消えてしまいかねない」

「何で止めるの。どうせこいつもこの前から出てる怪物の仲間なんでしょ?」


 怒りに任せて声を張り上げる乾に縮こまりながら、巽はぐったりしているヴァルーをそろそろと持ち上げる。


「そうだよ、そうだけど。こいつがいなかったら今頃僕はあの時のゾンビに喰われていた」

「そ、そうだぜ。ちったぁ感謝しろ」

「どういう意味よ」

「まんまの意味だ、見てやがれ」


 険しい形相を崩さない乾に啖呵を切ると、ヴァルーは再び巽の中へと入り込み、いきなり竜の鎧を纏わせた。世間を賑わす噂の怪物が、腕組みをして古書店のど真ん中に立ち尽くす。セクハラにグラグラと怒りを沸かせていた乾だったが、突然のことに思わず大声張り上げ巽とヴァルーを指差した。


「あーっ! あの時の怪物!」

「わかったか、これが俺達だ。わかったら感謝しろ。そして今までのをチャラにしろ」

「怪物だと? 乾に手を出す奴はわしが許さんぞ」


 鉢金を巻いて、強盗撃退用の刺股を担いだ乾の祖父がどたどたと階段を降りてくる。しかしさすがに一般人だ。じろりとヴァルーが祖父を睨むと、途端に弱気となってそろそろと乾のそばに寄っていく。


「お、お前は最近ニュースになってる怪物じゃないか。な、何の用だね?」


 肩を竦めると、ヴァルーは指をパチリと鳴らす。すると竜鱗の鎧は剥がれ落ち、元の巽の姿が露わになる。するといよいよ祖父は腰を抜かしてすっ転んでしまった。


「た、巽くんは! 怪物だったのか!」

「僕は怪物じゃありませんよ。お爺さん」


 疲れた顔して肩を落とすと、巽は腕先からヴァルーを取り出し、ここ二三週間のかくかくしかじかを話し始めた。



 三十分後。曇り空の下、白峰古書の店前には『準備中』のプレートがかけられていた。


「ほう。怪物に襲われた時にこのちっちゃいのに取り憑かれて、そのまま怪物になれるようになってしまったと」


二階のリビングに集まった三人と一匹は、テーブルとメロンパンを囲んで話を続けていた。さすがに壮二郎も落ち着き、コーヒーカップに顔を突っ込むヴァルーを興味深そうに見つめている。巽は小さく頷くと、バツが悪そうに乾を見やる。


「平たく言うとそうです。それ以外にも色々好き勝手されてるんですけどね。今日も強引にナンパされてた女の子を助けてあげようと思ったら、勝手に喧嘩をふっかけだして……」

「それだけじゃないでしょ巽くん。聞いてよおじいちゃん。ヴァルーだっけ? こいつ巽くんの身体を使って私にセクハラしたのよ」

「ほう、聞き捨てならんな」


 乾が眉間にしわ寄せ口を尖らせると、壮二郎もむっと顔をしかめる。可愛い孫娘が辱められるのは我慢ならないようだ。二人の鋭い視線に怯んだ巽は、肩を縮ませ彼らをちらちら気まずそうに見つめる。しかしヴァルーは気にも留めない。


「うるさいな。減るもんじゃねえだろ」

「減るとかいう問題じゃない。女子としての沽券に関わるの」

「おいおい、そんなに怖い顔すると、皺がくせになるぞ」

「こいつ……」


 軽口で誤魔化され、乾は頬をひくつかせて拳を握りしめる。しかし、ここでまた怒るのもヴァルーの挑発に乗ってしまうだけだ。彼女は深々と溜め息をつき、カップを取って紅茶を啜る。乱暴にカップを置いた彼女に、巽は心配そうにおずおずと話しかける。


「ごめん。後で僕からも説教しておく」

「巽くんは気にしないで。悪いのはこいつなんだし」

「ひどい言い草だな、全く。ちょっとクリエーションがあるからって調子に乗りやがって」


 顔をくいと上げると、ヴァルーは小さな牙を剥き出しにして文句をたれる。乾はそんな竜を鼻で笑うと、その顔に細い指でデコピンを食らわす。


「調子に乗ってんのはどっちよ。小さいくせに」

「くそっ……」


 何も言えずにヴァルーは黙り込む。本当の自分はこんなもんじゃないと突っ張りたいところだったが、無い袖は振れない。面白く無いとばかりに溜息をつき、ヴァルーはカップの縁から飛び降りて皿の上に丸くなろうとする。ぐっと目を閉じ、翼を皿にぴったりと押し付けて。しかし、突然耳鳴りに襲われ、頭ががんがん痛む。遠くで放たれたクリエーションの強い波動が、彼の耳を震わせた。とても寝てなどいられない。ヴァルーは舌打ちすると、跳ね起きて巽の中へ飛び込んだ。


(ったく、煩くてこんなところでのんびりしてられねえ。さっさと行くぞ巽)

「ああ……わかったよ」


 うんざりと呟くと、巽は言われるがままに姿を竜人へ変える。説明を聞いていても驚きなものは驚きで、乾はぎょっとして弾かれたように立ち上がり、壮二郎はうっかり椅子ごとひっくり返ってしまった。壁に張り付いて呆然としている彼女をバカにしたような目で睨みつけ、ヴァルーは小馬鹿にして肩を竦める。


「へっ、こんんくらいのことでビビリやがって、世話ねえな!」


 鼻先を鋭く指差すと、彼はばんと窓を開け、勢い良く外界へと跳び出していった。乾はしばし呆然と外を見つめていたが、やがてむっと顔をしかめる。


「何なのよ、本当に……」


ヴァルーにバカにされたっきりでは我慢ならない。それに巽のことも心配だった。乾はカーディガンを手に取ると、きゅっと唇を結んだまま、慌ただしく二人の後を追いかけていった。



 イベント用の会場、カミナギアリーナから人々が青い顔して逃げ出してくる。後ろを振り返って見る余裕もない。受付のテントも放置され、剥がれかけたポスターが虚しくばたばた揺れている。『エモーショナルジーン一周年記念ライブ!』

ポスターの中では、三人のアイドルが可愛らしくポーズを決めていた。


「ふふ……いい顔だ」


 警備員を事も無げに突き飛ばし、黒い翼を広げた堕天使がステージ上に固まり震える少女三人を見上げる。青白く彫りの深い美顔に歪んだ笑みを浮かべ、ゆらゆらとアイドル達へと近づいていく。そばには血を流した警備員やスタッフが倒れ、彼女を照らしていたスポットライトも割れてガラスが散らばっている。紫炎燃える剣の切っ先をピタリと向けられ、彼女達はひたすら抱き合って震えるしかなかった。


「いい顔だ。その美しい顔を見ていると傷つけたくなる……絶望の獄へと落としたくなる!」


 ふわりと飛び上がると、堕天使は剣を構えて真っ直ぐに斬りかかった。天に煌く照明に、剣が鈍く光る。青い衣装に身を包んだ少女は、恐怖に目を閉じながらも、必死に二人を庇おうとした。

 そこへ飛び込んでくる一つの影。横から堕天使を蹴り飛ばすと、堕天使を機材の中へと叩き込む。左手をひらりとスナップさせると、スピーカーをどかそうともがく堕天使を指差した。


「趣味が悪いなクソ天使が。……隅で大人しくしてろ。うっかりぶっ飛ばされたくなかったらな」

(またそうやって乱暴な言葉ばかり……)


 ヴァルーはアイドル達に振り返る。怯えたような顔で三人は頷くしかない。二人を庇う青い衣装の少女は、震えながらヴァルー達を見上げていた。その三人の中でも一際整った顔にはどこか見覚えがあって、ヴァルーはちらりと首を傾げる。


「あ、お前どっかで見たような……イテッ」

「余所見をするな。侮辱と見做すぞ!」


 堕天使に斬りつけられ、ヴァルーは思わずつんのめる。振り返ると、目をかっと見開いた堕天使が身を翻して横薙ぎを放ってくるところだった。


「んだよ、話してる途中だろうが!」


 剣を籠手で強引に受け止めると、弾き飛ばしてミドルキックを放つ。防ぐ間もなく堕天使は胸に直撃を貰い、ふわりと宙を舞う。そばの鉄板を拾うと、ヴァルーは高く跳んで堕天使の頭に叩きつけた。鈍い音とともに堕天使はだらだらと血を流し、ふらふらと地面に落ちる。剣を床に突いて起き上がった堕天使は、鉄板をぶら下げた竜人をこれでもかと睨む。白髪が青白い顔がどす黒い血に染まり、さながら落日の騎士だ。


「ひでえ顔だな。笑えてくるぜ」

(……やれやれ。どっちが悪役なのかわからないよ。それじゃ)

「うるせえ」


 軽口を言いながらも、巽は大人しくヴァルーに身を預けていた。好き勝手に暴れた堕天使を前に、今回はヴァルーに喧嘩させておきたい気分だった。


「貴様……この堕天せしルシファーを愚弄するか!」

「チッ」


 剣を振り乱して喚くルシファーに、威厳など微塵もない。面倒そうにヴァルーは首を振り、彼はじろりと堕天使を睨む。


「黙っとけよ。カルチャーごときが俺に敵うか」

「なら試してみるか!」


 再び飛び上がると、天井を思い切り蹴って弾丸のようにルシファーは突っ込んでくる。風が切れ、轟々と音が立つ。だがヴァルーにとってはしょせん虚仮威しでしか無い。そばのパイプをおもむろに拾うと、飛び立つ竜の穂先を持つと朱槍へと変え、勢いをつけて風車のようにぶん回した。空気と激しくこすれ合った穂先は、不意にごうと燃え上がる。


「くたばれぇっ!」

「お前がな」


 気合とともに振り下ろされた剣と、突き出された槍が交錯する。ルシファーがどれだけ勢いをつけようと、神に抗うかのように無意味だった。一撃に耐え切れなかった剣は砕け、槍は堕天使の心臓を突き破る。血の滴る槍を見つめ、哀れ堕天使は呆然と口をぱくぱくさせる。


「バカな……この私が、負けるなど。そんなことは……」


 口から血を滴らせ、ルシファーはがくりと崩れる。ふんと鼻を鳴らすと、ヴァルーは槍を振ってルシファーを振り落とすと、亡骸は闇に溶け消えてしまった。


「一昨日来やがれ馬鹿野郎が」

(ねえ、いつも気になっているんだけど、彼らは消えたらどうなるんだい?)

「なんてことはねえ。俺達は忘れ去られない限り本当に消えることは無い。イデア界のどっかで大人しくしてんだろ」

(へえ……)


 ヴァルーと巽が話していると、背後で小さく足音がした。青い衣装の少女が、不安げな顔で、じっと竜人の怪物を伺っていた。その赤い瞳にビクつきながら、少女はポツリと尋ねる。


「あ、あの、助けて、くれたんですか?」

「あ? あー……」


 腕組みしながら、ヴァルーは言葉に詰まる。寝込みを邪魔されたのが腹立たしくて、犯人をぶっとばしただけで、彼に少女達を助けようなどという考えは微塵もなかった。巽は溜め息をつくと、困惑しているヴァルーからそっと身体を取り返した。


(お、おい、何してんだ)

(いいから)

「その通り。さやかちゃん。怪我はないかい?」

「え……どうして私の名前を」

「神凪市出身で今赤丸急上昇のアイドル、エモーショナルジーンは僕もチェック済みさ。だけどこんなことになってしまって……残念だ」


 壊れてしまったステージ、空っぽの席を巽は見つめる。あちこちで人は倒れているが、怪我自体は浅そうだ。すでに何人かは気がつき始めている。少女はようやく自分達が救われたという事実を飲み込めたらしく、二人に深々頭を下げる。


「ありがとうございました。本当に、もう助からないのかなって、思って……」


 声が途切れる。安堵からか、少女はぽろぽろと涙を零していた。そっと顔を上げさせた巽は、顔を傷つけないよう、慎重に頬を伝った涙を拭う。


「泣かないでくれ。せっかく助けたんだからね」

「はい……ごめんなさい」


 少女は涙をこらえ、鼻をすすりながら目の前の戦士を見つめる。相変わらず刺々しく恐ろしい姿だったが、温かく頼もしい雰囲気に満ちていた。

 鉄靴の音が響き、武装した警察がアリーナへと入ってくる。巽は肩を竦めると、くるりとアイドルに背を向ける。


「そろそろ行くよ。後は彼らに任せなければ」

「あ、ちょっと待って下さい!」

「ん、何だい」


 ちらりと一瞥した巽に、少女はおずおずと尋ねる。


「あの、あなたは、一体……?」

「そうだなあ。ただの通りすがりのヒーローさ。この街のね。それじゃあ、また怪物に襲われたら、いつでも助けを呼んでくれたまえ」


 そっと彼女に指差して、巽は勢い良く駆け出す。警察は盾を構えて彼を止めようとするが、あっさりとその頭上を飛び越え、一目散に姿を消してしまった。風のように去った彼をしばし呆然と見つめていた少女だったが、やがてくすりと微笑み、撫でられた頬に手を当てる。


「ありがとうございます。ヒーローさん」



 外には何台ものパトカーやら救急車やらが停まり、サイレンが激しく鳴り響いていた。警察に制されながら、今度は野次馬と化した観客達ががやがやと騒がしくアリーナを窺っている。そのうちに、真紅の鎧を纏った怪人が姿を現す。つい十分前、慌てふためく人々を歯牙にもかけずアリーナへ乗り込んでいったそれは、再び彼らがどよめく様子を完全にスルーして、小気味良く人混みを飛び越え何処へも知らず走り去る。


「や、やっと……着いた……」


 その頃乾は、ぜいぜい言いながら自転車を漕いでいた。体型維持のためのランニングくらいでは、竜と一体化した人間に追いすがれるはずもない。アリーナを前にして力が抜け、へろへろになった彼女は止まってうなだれ肩で息をする。ちょうどその時、巽達が横を風のように駆け抜けた。煽られバランスを崩し、彼女は横ざまに倒れてしまう。どうにか起き上がると、


「ちょっと何すんのよ。待ちなさいってばぁ……はぁ」


 すでに彼らは遥か彼方。疲れ果てた乾は、その場でぐったりと伸びてしまった。



 その時、まだ巽は気づいていなかった。彼らが本物のヒーローとして、戦い始めることに。



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