二十三話 神さえ蹴飛ばして
――その瞬間、絶望に四人は崩れる。それを喚んだ怪物は不意に伸ばされた何かに貫かれて呆気無く殺された。翔一、透、琴音と達家は茫然と目の前の存在を見上げる。見ただけで全身の熱を奪い去るような、見ただけで今まで押し込めてきたトラウマを全て明るみにされるような、見ただけで自分と言う存在が何であったかさえ理解できなくなるような怪物。
四人は喉が引きちぎれそうなほど叫んだ。現れては消える無数の目を開いて彼らの姿を認めた怪物は、のろのろと蠢いて彼らににじり寄っていく。逃げなければ。理性ではわかっているはずなのに諦めてしまった本能がその意思を吹き飛ばし、その場に縮こまり怪物の供物となることを強要する。その間に理性も恐怖に溶かされ、それでも良いかもしれないと思うようになってくる。肩を弾ませる呼吸も次第に弱まり、全ての感情が抜け落ちた蝋人形のような顔で、無数の牙を生やしながら近づく怪物を見つめていた。ただ一人を除いては。
「おい、お前ら。何ぼやぼやしてんだよ」
震える声で、うわ言のように呟く。冷や汗を垂らして、翔一は誰よりも目の前の怪物に怯えながら、それでも立ち上がった。震えが止まらない全身。自分の胸に拳を叩き込んで抑え込み、翔一は誰よりも強く叫んだ。
「さっさと逃げろよ。……こいつは、俺がやる」
「何言ってるんだよ。敵うわけないじゃないか。こんな怪物」
俯く透がぽつりと呟く。翔一は舌打ちすると、拳を固めて狂気をそのまま具現化したような怪物を睨み付ける。全身の目を見開いたそれは、僅かに身動ぎして何かをひたひたと波打たせる。翔一は拳を固めて叫ぶ。
「やってみなきゃ、わかんねえだろ。お前らは美雪と一緒に他の奴ら助けて下がれ!」
「……剣崎」
顔をしかめながら立ち上がり、達家は恐怖に緩む顔を必死に強張らせて翔一の背中を見つめる。苛々と手首をスナップさせて、翔一は生涯のライバルを睨み付けた。
「んだよ! 行けっつってんだろうが!」
瞬間、怪物が何かを翔一に向かって振り回す。右に左に躱しきり、そのまま跳び上がった翔一は身を捻って頭部と思しき出っ張りに向かって右足を振り抜いた――
永遠不変の正義を掲げる顔無き神は、処刑人の剣を抜き、金色の外套を翻して二人と向かい合う。二人も刀に纏わりつく闇の残滓を振り払うと、正眼に構え、全身の鱗を逆立てて神を睨み付ける。
――悪だ。我に立ち塞がるは、人類の救済を否定する悪――
周辺のスピーカーが震え、鐘の音が声となって響き渡る。目の前に立つのは、審判を下す神にとっては、自らが十全な正義と信じて疑わない神にとっては、自らに逆らうドラグセイバーは自分の無謬性を穢す消し去るべき人類の悪そのものに過ぎない。目の前の存在がいかに希望に満ち満ちていようと、悪だった。
「うるせえなあ、バカ」
二人は一言で切り捨てると、身動ぎもせず立つ神を睨む。
「手前勝手な理由で人の生き死に選んでんじゃねえよ。そういういけ好かない野郎は絶対にぶちのめす。歯ぁ、食いしばれ!」
腹の奥底から声を張り上げ、二人は一気に踏み出し目にも留まらぬ速さで神に斬りかかる。剣を構えたまま、棒立ちで神は二人を迎え入れる。神の発する正義を前に、二人の一撃など意味を成さない。紙一重のところで切っ先は神を切り裂くことを拒む。二人が渾身の力を込めても、そこから一ミリも振り下ろすことが出来ない。
「事象を拒否されている……?」
戸惑う二人に、神はじりじりと首の歯車を回してそののっぺらぼうを見せつける。虹色の光沢を滑らせ、二人の鎧を震わせ鉄の擦れ合う耳障りな音で囁く。
――当然だ。悪に私を傷つけることは出来ない――
神は剣を握りしめると、鋭く脇腹へ切り払う。しかし、その刃も二人に触れることは無い。ほぼ垂直に首を傾げる神に向かって、二人は不敵に笑って剣を籠手で弾き返す。
「お前こそ、俺達を簡単に倒せると思うなよ」
――正義を騙り、真似をする。悪の、解りやすい手法だ――
二者が一斉に飛び退くと、神はその左手から次々に精霊を繰り出し二人を襲わせる。二人は擲弾筒を取り出し、地面に向かって撃ち込んだ。爆炎が巻き上がって精霊を消し去り、翼を広げた二人は黒い煙を切り裂き、身の丈よりも巨大な、竜の首を模した砲身を直接神に叩きつける。白熱を始めた砲身を気にも留めず、神は鋭い槍を手に取って再び周辺のスピーカーを震わせる。
――いかに策を弄しようと、無駄だ。正義は執行される―――
「やってみなきゃ、わかんねえだろ!」
叫びながら引き金を引いた瞬間、雷鳴のような咆哮と共に竜が地獄の業火を吐き出した。炎の束が、器械仕掛けの神の胴体を吹き飛ばす。反動で後ろに吹き飛びながら、二人は立ち尽くす神を見据える。
「ちっ……ふざけた神もいたもんだぜ」
神の身体には紛れも無く大穴が開いていた。しかし、その穴は急速に埋まり、再び元の姿へと戻っていく。舌打ちする二人に、神は淡々と呟く。
――どんな事象も、正義である私を傷つけない――
神は手にした槍を鋭く投げつける。横っ飛びで躱した二人の目の前に神は不意に現れ、剣を振り下ろした。地面に転がり込みながらその剣を『拒絶』した二人だが、神は構わず何度も剣を振り下ろす。
――下らない真似は止すがいい。苦しみたくはないだろう――
――お前達を赦し、魂を解き放つ用意はある――
――人に望まれた裁きの神である私は、無謬にして不可侵――
剣を刀や籠手で必死に受け流し、僅かな隙を捉えて跳ね起き一気に間合いを取り直す。
「うるせえんだよ、いちいちお前は――」
振り返った二人は黙り込んで剣を刀で受け止める。光の速さで押し寄せたその一撃は刀を叩き折り、無理矢理二人の『拒絶』を引き出す。神に並び立とうとする負担が身体に重くのしかかるのを感じながら、二人は街を震わせ高説を続ける神を睨む。
――創造力は衰退した。隣人に与える愛どころか、同胞に捧ぐ愛さえも、今の世の人間には創造できない――
「勝手に決めつけるなよ」
身を捻って剣を弾き、二人は竜の頭を模した巨大な槌を振り回して神の『拒絶』を強引に突き破ろうとする。神はどこ吹く風で、肩にかかった雪を払うように二人を突き飛ばし黒いスクリーンに叩きつける。
――だから人類は一度造り直されなければならない。神の脅威に怯え、故に愛を創造できた人類に修理されなければ――
「傲慢だ。そのためにどれだけ今に生きている人々を犠牲にするつもりなんだ」
二人は起き上がりながら叫ぶ。次々に襲い掛かる光の鎖を片手剣で斬り落とし、風にマントを翻して立ち尽くす神を見つめる。
――犠牲ではない。新たな世界に溶け込み、善なる人々を生かし増やす礎となるだけだ。これにより、全ての人類を赦すことが出来る。たとえ全くの罪人だとしても――
「ふざけんなよ! そんな事許されると思ってんのか!」
激昂も神に届くことは無い。何があろうと心揺るがさないために、その神は器械であり、人間の持ちうる五感を全て断っているのだ。再び神は二人の前に立ち、剣を振り上げる。
――誰が許すのか。私は神だ。私が許す――
「このガラクタが!」
二人は目を剥くと、拳を固めて神に殴りかかった。振り下ろされた剣に肩の鱗を剥がされつつ、その拳は確実に神を捉えた。ふわりと浮かび、神は地面に投げ出される。拳を握りしめ、二人は低く哄笑する。
「はあん。そうか。さすがに俺達そのもの(・・・・)は拒絶できねえか」
「いいことを知った。ここからは全力で行かせてもらう」
――悪が、調子に乗らないことだ――
神は仮面に付いた傷を拭い落とすと、剣を投げ棄て一気に飛び掛かった。
何とか市街地までやってきた乾は、物陰に身を潜めて神と殴り合いを繰り広げる巽とヴァルーを見つめる。互いに目に留めるのがやっとという速さで身を削り合っていた。乾は、そうすれば彼女の力が彼らに伝わるとでも言わんばかりに、二人の姿に目を凝らす。
(巽くん、ヴァルー……!)
神の回し蹴りが二人の肩に叩きつけられる。よろめきながらも、飛び込むように神に刻まれた十字架を殴りつける。神はその腕を掴むと捻り上げて地面に叩きつけ、二人の胸を踏み付ける。横に転げて逃げた二人は、懐に潜り込んだまま頭突きを見舞う。さすがの神も仰け反り、一旦飛び退いて間合いを取り直す。
――何時の世も悪はしぶとい。何が貴様を駆り立てる――
籠手を嵌め直すと、神は一気に詰め寄りその襟首に手を伸ばす。手刀で叩き落とし、二人は神の外套を掴んで逆に引き寄せる。
「そんなもん決まってる。俺達はこの街を守りたいからだ」
――この街を。我が裁きを逃れようとする愚かな罪人の悪を、お前は求めているからか――
顔をしかめた二人は、神を突き飛ばして二段蹴りを叩き込む。平衡を崩して道路に倒れ込んだ神を見下ろし、二人は叫ぶ。
「すぐそうなるお前には分らないだろうね。絶対に!」
その頃、カミナギアリーナでは人々の上へ鉛のように重く恐怖がのしかかっていた。警察は人々へ冷静になるよう叫び、銃を構えた自衛隊員は防衛のためアリーナを慌ただしく駆け回っている。
『神凪駅周辺の建造物を破壊した巨大イマジナリーはドラグセイバーによって排除されました。しかし、今なお自らを裁きの神と名乗るイマジナリーとの交戦が継続しています。今後の指示に注意し、今一度落ち着いてここに待機してください。現在避難行動の継続中です』
指示を伝える警察の声も僅かに震えている。元から不安に身を縮めていた人々はもちろん、自分には関係ないとさしたる危機感を持っていなかった人々も本能に直接訴えかける脅迫感を前ににわかに冷や汗を浮かべる。幼い子の泣き声、隊員の足音が聞こえるだけ、あまりにもアリーナは静かだ。今にも張り裂けそうな緊張感の中で、人々は恐怖に凍えていた。
「本当に神様なのかねえ……」
聖書を握りしめた一人の老婆が、天上を見上げて呟く。本当に、唯一なる神が最後の時を告げに来たのだろうか。そんな予感がどこからともなく湧き上がり、恐怖を越えて漠然とした感情に身を浸す人々が現れ出す。終わりへ向かう諦念が、徐々に露わになり始める。
そんな一方で、そんなアリーナの中にも、心に迫る恐怖に抗い続けている人間が居た。神木さやかは隣で構えていた御垣に一瞥を送ると、立ち上がってアリーナの中心に向かい一気に走り出した。御垣も溜め息をつくと、ギターを担いでその後を追いかける。人々はぼんやりとそんな二人の人影を追いかける。周囲を固める警察も、何事かと振り返った。神木は誰もが彼女を見上げる中、アリーナ全体を満たす声で叫んだ。
「恐れないでください! ここで恐れたら、ダメです!」
二人は神の跳び蹴りをもろに受けて吹き飛ぶ。地面に投げ出され、何度も転がる。鎧はあちこちの鱗が剥げて、プレートも凹んでいる。対する神は、対峙した瞬間と何ら変わりない荘厳な美しさを保ち続けていた。どれだけ神の隙を突いて殴る蹴るを二人が繰り返しても、たちどころに神へつけられた傷は消え去ってしまう。
――無駄だ。私は何があろうと傷つかない。正義だからだ――
「黙れ、くたばれ」
二人はどうにか声を絞り出すと、神に組み付き突き飛ばし、起き上がったところへその顔面を踏み付けにかかる。神は蹴りでその足を受け止めると、跳ね上げ宙に舞い上がった二人の喉元を押さえて地面に叩きつける。
――何故立ち上がる。何故正義に逆らい続ける――
「たとえお前が、人類を救う救世主なんだとしても、僕達はお前を認めない。この街を脅かそうとする限りは……!」
覚束ない足で立ち上がると、振り返って神に殴りかかる。十字架を砕き、歯車を割る。たとえ瞬きすればその身体がもとに戻っているとしても。
――愚かだ。正義に目覚め得るだろうに、何故目を背ける――
僅かに神の宣告が揺らぐ。決して手を緩めず、二人は神に向かって拳を振るい続けた。
「父さんが守った街なんだ。その街で……僕は誰にも傷ついてもらいたくはない。お前の言う正義はこの街の人を傷つけ苦しめる。だから僕は戦う!」
「俺はお前がとにかく気に入らねえ。後、俺を認めてくれた相棒がそう言ってっからなあ。俺はただ手を貸すだけだ!」
全身の歯車を唸らせた神が、鋭い後ろ回し蹴りを見舞おうとする。二人は左の籠手を潰しながら蹴りを受け止め、仮面に向かって真正面に拳を叩き込んだ。
脅威を前に沈黙していたカミナギアリーナにざわめきが広がっていた。アリーナの中心に立つ少女の言い放った言葉に、誰もが揺れた。
「ドラグセイバーを応援しましょう! 今、彼は私達の為に必死に戦ってくれてるんです!」
中々動くわけも無い。子どもの何人かはもう乗り気だが、大人はみんな半信半疑か、馬鹿にしたような顔で神木を見上げている。しかし、自分はドラグセイバーの応援団長だと、覚悟を固めた彼女は折れない。
「お願いです。彼は、私達と同じ人間なんです。でも、ずっとみんなの為に戦い続けてきたんですよ。見返りなんて何も求めないで。だから、応援くらいしてあげてください!」
「応援して何になるんだよ。それで何か変わるのか」
青年が彼女に向かって野次を飛ばす。きっと振り返って言い返そうとした彼女を遮り、既にギターを用意した御垣がずいと進み出る。
「ええ。変わります。彼らはヒーロー、我々の、この街で平和に暮らしたいという意思の代弁者なんです。我々の意思など、空が曇っただけで不安になるくらい小さなものかもしれない。でも、それが束になれば、神なんか取るに足らないほどの力になる。……我々はもう、ヒーローが何たるかを知っている筈だ」
滔々と言い放ち、御垣は深々と溜め息をつく。その時、観客席の一番奥から、パラパラと一人の拍手が響いた。全員の視線がぐるりとそこへ向けられる。茶髪の溌剌な笑みを浮かべた若い女が、後ろに大きな旅行鞄を下げた人懐っこそうな顔の青年を連れて降りてくるところだった。
「その通り!」
「みんなの為に戦ってくれてるんだから、応援して当然だよね! さ、というわけで行くよ。大希」
「……いいの? 完全に私用で使う事になるけど」
青年は鞄を開けながら、少しだけ不安そうな顔をして女を見遣る。力強く頷いた彼女は、中から取り出した機械のベルトを青年の腹に押し付ける。
「いいのいいの。緊急時でしょうが。ほら、早く!」
「わかったよ」
青年はさらに無線のような形のパーツを取り出すと、口に押し当て言葉を吹き込む。
「装着」
『Awaking the Tetra-Sierra』
瞬間、鞄から白い装甲が飛び出し、青年の身体を覆い隠す。唖然としどよめく会場の中、青年は腕に付けられたスロットに小さなプロジェクターを差し込み、空中に向かって差し出した。次の瞬間にはアリーナの中に、戦い続けるドラグセイバーと裁きの神の姿が映し出された。一切傷つかない神を相手に、ボロボロになりながらも彼は喰らいつき続けている。その姿を目の当たりにした人々は息を呑み、そんな彼の姿に魅せられる。
「あれは……」
神木が振り返ると、突然現れた謎の戦士は、彼女に向かってピースサインを送る。神木は俄然勢いづくと、再び周囲を見渡して叫んだ。
「さあ、どうか皆さん!」
「さやかちゃん! 私達もやるよ!」
「みんな!」
二人の仲間が飛び出してくる。エモーショナルジーンが復活し、ギターの音色に合わせて歌い出す。一気に張りつめていた緊張が崩れ、アリーナは騒ぎに包まれた。慌てふためくのは警察官達だが、やがてその空気に巻き込まれ、一人がおもむろに無線を手に取る。
「連絡お願いします。『ドラグセイバーを、応援せよ』と」
「ぐあっ」
二人は神に投げつけられ、雪の薄く降り積もる道路に投げ出される。力をほとんど出し尽くした彼らは、神に食らいつくのが精一杯、容赦なく蹴られ、殴られ、何度も倒される。
――わからぬ。何故それ程までに正義に立ち向かえるか――
「お前には解らねえだろうよ。目も耳も塞いじまってるんだからなあ!」
二人は神に向かって啖呵を切ると、深く息を吸い込んで耳を澄ませる。あまりにも微かで、風にさえ吹き消されそうだ。しかし、二人には確かに届いていた。
「聞こえるか、巽」
「当たり前じゃないか。みんなが、僕達を応援してくれている」
「ああ。……泣かせやがるぜ。こんなの!」
二人が叫ぶと、深く構えを取る。全身が輝き、鎧の傷が見る間に癒えていく。僅かに身動ぎした神を見据え、二人は足に曇天を吹き飛ばす眩い光を集めて叫んだ。
「さあ今こそ、勝利を創造する!」
神は首を傾げると、自らも拳を固めて半身に構える。
――善を惑わす悪は、滅び去るのみ――
「もしお前が言う通り、僕らが世界にとっての悪なら、それでも構わない。この街を脅かすお前を、この街の皆に代わって打ち砕けるなら悪でいい!」
「俺達は正義の味方じゃねえ。この神凪市を守る怪物だ!」
二人の叫びに、神の思考回路は困惑する。歯車が噛み合わず挙動不審に震え、再びその拳を固め直し、二人の怒りを訳も分からぬまま感じ取る。
――理解不能な感情だ。撲滅する――
「行くぞ。俺達の全部、あいつにぶつける!」
ドラグセイバーと審判の神は同時に駆け出す。空高くに飛び上がると、お互いに向かって光を纏いながら一直線に突っ込んだ。見上げて息を呑んだ乾は、両手を組んで必死に祈る。
(お願い、二人とも!)
刹那、気合の叫びと共に二人の渾身の跳び蹴りが神に炸裂する。全身の歯車がバラバラに砕け散り、神は周囲を断末魔に震わせながら、道路へ矢のように叩きつけられた。瞬間に轟音と共に神の身体は弾け飛び、光が神凪市に溢れ出す。
迸る光を切り裂いて現れた二人は、道路に焦げ跡を残しながら滑り、身体を捻って反転する。二人が立ち上がると静かに光は消え、後にはその姿を保つのが精一杯の神が立ち尽くしていた。
――私が敗れる……世界が、滅ぶ――
「滅びない。少なくともまだこの街の人は、恐怖に立ち向かい、前に進もうとする意思を持っている。その力はお前が思っているよりずっと強い」
二人が首を振ると、今なおしぶとく残ろうとする神を今こそ滅さんと、拳を固めて静かに迫る。神はろくに動きもしない身体をよじらせ、なおも二人に立ち向かおうとする。
――おのれ……ただの、悪の、者であるくせに――
――理解できたかい。これが神凪のヒーローの力さ――
スピーカーから不意に響く、白峰透の穏やかな声。乾は目を見開き、二人は茫然と神を見つめ、神は愕然として固まった。
――何故、お前が居る。お前は、私が赦したはず――
――君が死に晒されるほどのクリエーションを浴びた時、封じていた本当の僕が蘇るように仕組んでいた。いいものだろう。人間に一杯喰わされる気分は。仮にも君達は人間に生み出された存在なんだ。人間を救いたいと思うなら、それを理解しておくといい――
――謀っていたのか、最初から、全てこの時のために――
恨めしげに叫ぶ神をよそに、透は処刑人の剣を逆手に持ち、高々と天へ掲げた。
――敵を騙すなら味方から、神を騙すなら自分から、さ。……さあ、これで終わりだ!
透は、力強く自分の胸へ向かって剣を振り下ろした。
神の消え去った跡に、白峰透は倒れていた。その手も足も、静かに光となって消えていく。変身を解いた巽とヴァルー、乾が真っ直ぐに駆け寄り、晴れ間の差した空を見上げる透の側に跪く。
「……乾ちゃんの、お父さん」
「計画通り、立派にやってくれたなあ。やっぱり翔一の息子だ」
力なく微笑み、透は巽の手を取る。ヴァルーは頬を引くつかせ、気の抜けたように尋ねる。
「計画通りって……まさかここまで仕組んだのか」
「二十一年前に、あれは僕の絶望を突いて取り憑いた。ヒーローじゃない僕には、あれが神凪市を滅ぼすような強硬策を取らないように制御することくらいしか出来なかった。君が、翔一のように、ヒーローとなってくれることを信じて……」
乾はぼんやり天を見上げる透に、小さな声で尋ねる。
「まさか、何もかもが演技だったの? 昔から、ずっと」
「ああ。本当の僕は封じて、絶望して審判を求める男を造っていた……乾、でも、僕は君を愛してきた。それだけは、嘘じゃないよ。信じてくれ」
「うん。よかった……お父さんは、やっぱり優しい人だ……」
消える間際に見せた微笑みは、乾の記憶に焼き付けられてきたものとぴったり同じの、優しい微笑みだった。透はふっと息を吐き出すと、風の止んだ青空をもう一度見つめて目を閉じる。
「ありがとう。乾。……巽くん、乾をよろしく……」
全身が光に包まれ、何もかもを信じて孤独に戦い続けた白峰透は、静かに虚空へと消えていった。
神妙な顔でそれを見送った乾と巽を見渡し、ヴァルーは溜め息をついて翼の先を見つめる。最早留めようがないほどに、その身体は世界に溶け込み消えようとしていた。ぐいと首を伸ばすと、ヴァルーは消えかけた翼をいっぱいに広げる。
「さて……俺もそろそろ消えるとするか」
心ここにあらずな口調。巽はふっと柔和に微笑むと、その頭を撫でる。
「ヴァルー。また会えるよね」
「ん? ああ。大丈夫だろ。お前らが俺を忘れなかったらな」
にやりと笑うと、ヴァルーは巽の額を優しく小突く。そんな二人を見つめ、乾も小さく微笑んだ。
「忘れるわけないじゃん。あんたの事なんか」
「お? そうか。じゃあ大丈夫だ。身体造り直して、そのうち帰ってくらあ。……じゃあな」
「ああ。じゃあね」
ヴァルーは飛び上がる。ぐんぐんと高度を増していった彼は、消えたのか、遠くへ去ったのか、やがて空に呑み込まれて見えなくなった。
その時、巽はまだ気づいていなかった。ヴァルーとの再会は、とんでもない衝撃と共にやってくることを。




