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十八話 さあ、絶望タイムだ

 剣崎巽。自分の想いを自覚する羽目になった彼は、クリスマスを機に男として目覚め、思い人の乾をついにデートへと誘った。しかしその日、彼女は襲われてエルンストを喪う。そして現れる三つの影。最悪のクリスマスが訪れてしまった。


「お父さん。お母さん……」

 乾は路地に座り込んだまま茫然と呟く。続けざまに感情が揺さぶられ過ぎて、最早整理がつかなかった。

「全く。ぼーっとしている場合じゃない。早く来なさい」

 女は身動き一つ出来ずにいる乾に歩み寄ると、脇元に手を差し入れて引っ張り立たせる。何が何やらわからず、乾は逆らうことも出来なかった。よろよろと両親に歩み寄り、皺と白髪の増えた両親をぼんやりと見渡す。

「どうして? 今まで、どこに行っていたの」

「すぐに教えてあげるさ。だから、私達と来てくれ」

 両手を広げた父の胸に、乾は覚束ない足取りで飛び込む。昔と変わらない、温かい父の温もりがそこにあった。そのうちに、乾の目からとめどなく涙が溢れだし、乾は夢中でしがみついた。

「お父さん。お父さん……」

「乾ちゃん!」

 その時、上空から翼を広げた蒼いドラグセイバーが降りてくる。二人の姿を見るなり、巽も思わず目を見開く。

「乾ちゃんの父さんと母さん。どうして」

「奇遇だねえ。こんなところで会えるとは。君が神凪市のヒーローを継いでくれて、私達はとても嬉しいよ」

 口角をくっと持ち上げ、いかにも満足そうな笑みを浮かべて父は頷く。巽は突然の事に訳も分からず立ち尽くすだけだったが、ヴァルーはその隣に腕組みして立つ鳶色の髪の女を見て目を見開く。

(巽、ぼうっとしてんじゃねえ! そこにいるのはオリジナルのイシスだ!)

(何だって)

 聞いた巽は咄嗟に身構える。イシスはそんな巽を鼻で笑うと、三人の姿を遮るようにずいと一歩進みだす。

「聞こえてるわよ。謎の仔竜ちゃん。私の正体を見破るとは中々だけど……白峰乾はこれからの計画に必要なの。絶対に渡さないわ」

 計画。その言葉に巽は顔をしかめる。じりじりとイシスの方へと詰め寄りながら、彼はイシスの不敵な顔を見つめる。

「あのウロボロスも『大いなる計画』と口にしていた。それは一体何なんだ!」

「今話すことじゃないわね。我慢しなさい。遅かれ早かれ知ることになるのだから」

 乾も自らを固く抱き締め続ける父と、それを見守る母の顔を交互に見つめる。母はかつてのように、幸せそうな笑みを浮かべていた。その目にぽっかりと空虚な穴を残して。目を瞬かせ、神妙な顔をした乾はおずおずと琴音に尋ねる。

「お母さん。計画って、何なの? お父さんもお母さんも、イマジナリーに協力してるって、本当なの?」

 絶叫と共に否定したウロボロスの言葉。乾は鼓動が少しずつ早まっていくのを感じていた。琴音は相変わらず死んだ目のまま笑みを浮かべるだけで、首は縦にも横にも振らない。

「後で説明するわ。だから今は、私達と一緒に来なさい」

「ちょっと。お母さん? お父さん!」

 乾は慌てて二人の顔を窺う。しかし父は乾の言葉など全く無視して、虚空から一切が白紙の本を取り出した。

「さあ行こう。任せたよ、イシス」

「承知です」

「させるかよ!」

 イシスは頷くと、背中に巨大な鳶の翼を広げ、金色の羽毛をまき散らす。巽とヴァルーは蒼い鱗を吹き飛ばして銀鱗のドラグセイバーへと変わり、二人で立ち尽くすイシスへ突っ込んだ。しかし霞へと蹴り込んだかのように、二人のキックはイシスをすり抜け、そのまま四人は一瞬にして霧散してしまった。

「……あいつの魔術の方が速かったか」

 ヴァルーは呟く。二人は感覚を高めて周囲を探るが、彼らの存在は辿れない。どこまでも荒涼な反応が返ってくるだけだった。巽は変身を解くと、ふらりと崩れてその場にもたれかかる。

「ダメだ。何から何まで訳が分からない。一体何がどうなってるんだ」

(ぼさっとしてる場合じゃねえ。って言いてえとこだが……まずは色々整理した方がいいかもしれねえな。俺も色々引っかかる)

 ヴァルーは首を傾げる。クリエーションを最大限に高めて探知に回したというのに、一切の探知が不能などということは有りえないはずだった。巽は静かに頷くと、再び変身をして翼を広げる。

(そうだね。お父さんとお母さんが一緒なんだ。身に危険は及ばないと信じたい)

 巽は妖しく星の瞬く空へと飛び上がる。二人が浮かべていた笑みは、今まで巽が見てきた乾の両親の姿とは違っていた。乾の無事を信じつつも、焦燥を感じずにはいられない。

(一体、何が目的なんだ……)


 空を舞う巽とヴァルーを、一人の影が見守っていた。全身を夜へ溶け込む黒装束に包み込んだ彼女の表情は、仮面に隠され窺い知ることが出来ない。その白い瞳から、何らかの力強い意思が発せられているだけだった。

「巽……」

 ぽつりと言葉が零れる。その重みを噛みしめるように。それきり黙って踵を返すと、彼女は不意に闇へと紛れ、消えていった。


 沈黙が漂う白峰家のリビング。巽はソファに座り込み、紅茶を飲んで溜め息をつく。失踪していた両親の帰還は、巽にとってもやはり衝撃的だった。血色優れないまま巽は顔に手を当て、コーヒーカップに顔を突っ込むヴァルーに尋ねる。

「ヴァルー。乾のお父さんとお母さんは、イデア界に現れたと言ったね。そもそもイデア界とは集合的無意識に構成された想像の蓄積体なんだろう? そんな事可能なのか?」

「……クリエーションってのはな、突き詰めりゃ受け入れ難い事象を受け入れることの出来る力であって、あるいは望むことを全て実現する力でもあるわけだ。お前が俺と融合して自分の身体が変異する事象に耐えてるのは前者、それで超人的な力を生み出してるのは後者だ」

 顔を上げたヴァルーは答える。こんがらがる頭をどうにか鎮めると、食卓の方で真剣な顔してファイルを漁っている壮二郎を見遣りつつ、顎に手を当て唸った。

「つまり、乾ちゃんの両親はクリエーションが強かったから、イデア界に行くことが出来たってことかい?」

 ヴァルーはにこりともせず頷く。彼の頭の中では、一つの仮説が組みあがろうとしていた。

「様々な要因はあるだろうけどな。そもそもイデア界の存在が不安定になってることと、そこを突いて、何らかの手段を通してあいつらに接近したイマジナリーは間違いなくいるはずだ。……イデア界に人間を取り込めるほどの存在ってなると、もう限られてるな」

「創造神かい」

 巽はぽつりと呟く。創造力の権化と言えば、それしか思い浮かばない。しかしヴァルーは小さく首を振る。

「創造神はいねえ。それはある神の一端に過ぎないんだ。審判者っていう、人間が創り上げた最強の正義のな」

「最強の正義だって?」

「ああ。それは人を裁く存在として認識された。キリスト教やイスラム教がわかりやすいが……天網恢恢疎にして漏らさずなんて言葉がこっちにもあるみてえに、どんな罪をも見逃さない存在ってのは、具体的抽象的の差はあっても思考されてる。ま、日本で言うなら閻魔がここに該当するか。人間は不完全な存在だっていう意識が、悪を見逃さない完全な存在を求めた。その結晶が、審判者だ」

 ヴァルーは明かりを睨み付け、苦々しげに話す。その存在に思いを巡らすだけで、頭が痛くなり、全身の鱗が逆立つ。ヴァルーは、腹の奥に本能的な怒りを感じていた。虚空に向かって威嚇を始める。紅茶のカップを置き、巽は小さく頷く。

「なるほど……そのイマジナリーが、乾ちゃんの両親に接触した可能性があるというんだね?」

「そうとしか考えられねえんだよ。問題は、それで何しようとしてんのかってことだけどな。イデアの野郎どもは自分達が忘れられないようになって言ってたが、それだけが目的じゃねえ。それだけが目的なら、こんなにがつがつこの街の奴らを恐怖で煽りまくる必要がねえ」

「……目的が何であれ関係は無い。乾ちゃんをこのまま彼らの手元に置いておけないってことだけはわかった」

 巽は立ち上がる。そうとなればじっとしてもいられない。今すぐ探しに行こうとコートを羽織る。ヴァルーは顔をしかめると、飛び上がって巽の額に頭突きをかます。

「いたっ」

「待てよ。闇雲に探したって仕方ねえ。当たりぐらい付けた方がいい」

 額を押さえながら、巽はヴァルーを睨む。気持ちが逸り、巽は語気を荒くする。

「そんなことを言われても。じっとしてなんかいられない。このままじゃ乾ちゃんが何かされてしまうかもしれないと思ったら……」

「わかってる。俺だって腰が落ち着かねえさ。でもな、ここでぐっと踏ん張っとかねえと、何もかも上手くいかないぜ。だから、耐えろ」

 目の前で羽ばたき、ヴァルーは低く抑えて言い含める。巽はそれでも何か言いたげに顔をしかめていたが、溜め息をついてソファに崩れる。ずっと一緒に暮らしてきて、巽はいつの間にやらヴァルーの言う事には逆らう気を無くしてしまうようになっていた。

「そうだね。君の言う通りだ」

 力なく微笑む巽と、溜め息をつくヴァルー。眼鏡を掛け直してそんな二人の様子を見つめ、壮二郎は小さく微笑んだ。

「君達を見ていると、昔の翔一くんと透を思い出すな。突っ走ろうとする翔一くんを透が宥めたり、まごまごする透を翔一くんが引っ張ったりしていたものだ」

「……僕の父さんと乾の父さんは、二人で探偵として活動していたんですよね」

「そうだ。小さい頃からずっと一緒でな。お互い、最高の相棒だといつも言っていた。しかしまあ不思議な気分だ。翔一くんみたいな口調で、人を宥めるセリフが聞ける日が来るとは思わなかったよ」

 昔を懐かしむように壮二郎が呟くと、ヴァルーは舌打ち交じりにそっぽを向く。

「親父はさんざん無茶して、息子の顔も見ねえままにおっ死んだんだ。その息子に同じ轍は踏ませねえよ」

「何だよ。まるでヴァルーが僕の父さんみたいな言い方して」

 腕組みしながら巽はくすりと笑う。からかったつもりだったが、ヴァルーは神妙な顔をして、噛みつきもせず黙り込む。その仕草に、思わず巽まで狐につままれたような顔をする。

「ヴァルー?」

「わからねえ。でもな……俺見たんだよ。子どもが生まれたら、巽って名前にするんだって、ダチに得意げに話してる夢をさ」

悩ましげに呟くヴァルー。巽は以前に口ごもったヴァルーの姿を思いだし、そして彼までも顔を曇らせ頭を掻く。ヴァルーの言いたいことが、薄々見えた。

「あの時か……それってつまり、僕の父さんの夢を……」

「ああ。でも馬鹿げた考えだってのはわかってるんだ。死んだ人間がイマジナリーとして蘇るなんてことは有り得ない。でも、間違いなく俺の中には剣崎翔一としての記憶が存在する……何かの因果はあるんだよ。少なくとも」

「君の正体は、その辺りに関わっているのかもしれないね」

 ヴァルーはこくりと頷き、目の前のコーヒーカップを見つめる。特に何の疑問も持たず、当たり前のようにヴァルーはブラックコーヒーを飲み続けてきた。しかし今となっては、その嗜好さえも自分が剣崎翔一であることの証明であるような気がしてしまう。

 再び揺れ掛ける思い。しかし、今は確固たるアイデンティティをその魂に刻んでいた。

(いや。俺は巽の相棒のヴァルーだ。正体が何だったとしても)

 一人心に呟いた時、ファイルの一ページを開いた壮二郎が、あっと声を上げて二人に手招きする。

「二人とも、ちょっと来てくれないか。乾達がいるとしたら……ここかもしれん」

 二人は顔を上げると、慌ただしく駆け寄る。覗き込むと、それは透がまとめた調査資料だった。ヴァルーと巽は顔を見合わせ、じっと目を通していく。


――この街の地下にこんな施設が造られているとは思いもよらなかった。失踪したこの街の住人は全てこの施設の中にいた。やせ細ってはいたが、大抵の人は意識を奪われたまま生かされていた。残念ながら、脳を取り出され変わり果てた姿となった人も数名いたが……恐るべきは、この街に奇病を蔓延させ、何人もの人々を失踪に追いやった存在は人間ではないどころか、この世界に存在する生物ではなかった。鉤爪の付いた足を持ち、蝙蝠の翼をもった生物。彼らは俗に言うところの魔法陣を地下空間に刻み込み、人間から取り出した脳を生贄として何かを喚んだ。これより先の説明は憚られる。僕が語れることと言えば、神凪市には何らかの力を持った空間が存在するという事、翔一はこの街のヒーローになったという事だ――


「……なるほどな。この記述に嘘偽りがねえなら……まあねえだろうが、ここで何かしてる可能性は高いな」

 ヴァルーは唸った。肚の奥で沸々と新たな怒りが湧き上がってきた。それと共に、おぼろげに、断片的な記憶が再び呼び覚まされる。彼の脳裏に、白峰透が語るを拒んだ顛末がわずかながらに浮かぶ。

「そうとなったら、もっと資料を漁って場所を確定しよう」

 意気込む巽を、ヴァルーは片翼を広げてそっと制する。

「いや、その必要はねえ。もうわかった」

「わかっただって? まさか」

 はっとする巽に、ヴァルーは小さく頷く。

「ああ。記憶に閃いたんだよ。行くぞ。場所が分かれば、こんなところで油を売ってる場合じゃねえ」

「巽、ヴァルー。二人にはきっと、何か事情があるはずだ。……だから、頼んだよ」

 壮二郎の声が、最後は絞り出すように細る。かつてはヒーローとも讃えられた息子夫婦が、今やイマジナリーの首魁と手を結んでいるかもしれない。恐れるあまり、彼の顔は尚の事老けて見えた。

「大丈夫。三人ともきっと救ってみせます」

「ああ。ジジイはそこでどんと構えてな」

二人は壮二郎を力づけるように頷く。壮二郎が力なく微笑みながら頷くと、巽達は身を翻して勢いよくリビングを発った。


『現在、原因不明の斥力に妨害され、神凪市外へと移動することが出来ないという事態が発生しています。原因は解明中ですが、おそらくイマジナリーの手によるものと推測されています。不要の外出は控え、イマジナリーの出現に注意してください。可能な場合は、最寄りの避難所への避難をお願いします』

 その頃、市街地は静かに混迷を深めていた。行き場を失った車が郊外に放置され、駅には電車に乗れない会社員達が溜まっている。慌ただしく警察車両や自衛隊の車両が市街を駆け回り、厳戒態勢を取っていた。文字通り陸の孤島と化した神凪市。疲れは不安となり、不安は恐れとなり、神凪市の全体に蔓延し始めていた。

 警察の曇った顔をシティタワーの屋上から見つめ、雪のちらつく夜空に傘を掲げた少年はにやりと笑う。

「いい眺めだ。我々の張った結界がよほど効いているらしい」

「そうだな。……クリエーションの妨害も効いているか。ドラグセイバーが姿を見せん」

 屋上の縁に腰掛け、冷たい夜風に当たる大男は風に髪を流し、片足立ちでくるくると回る少年をちらりと見遣って頷いた。少年はふと顔を曇らせると、ぺたりとその場に腰を下ろす。つまらなそうに足をブラブラさせて、少年は小さな声で呟く。

「でも時間稼ぎにしかならんのだろうな。悔しいが、奴の強さは認めなければならん。ウロボロスを、歯牙にもかけず自決へ追いやってしまうのだから」

「不安か。消えてしまうことが」

「不安ではない! ここで捨石となったところで、大いなる計画が成功すれば、我々はいくらでも蘇ることが出来るのだ。正しく世界を畏れるようになった人類の想起でな」

 ふん、と鼻息荒くまくしたてる少年に、思わず大男は失笑しながらその肩を手で優しく叩く。

「やはり恐れているではないか。敗北を予期するとは、お前らしくもない」

 少年は口を尖らすと、一気に表情を萎れさせ、がくりとうなだれる。

「……怖いに決まっておろうが。ここで消えたところで、私は蘇るさ。でもそれはもう、私ではないのだからな……」

 大男は少年をじっと見つめる。神性として想起された存在とはいえ、内奥はやはり幼い少年なのだ。父親のように、そっと少年を側に引き寄せ、力強くその肩を抱いた。ひたひたと迫る別れを惜しんで。

「心配をするな。我々の絆が、奴らに劣ると思うのか」

「いや。そんなことは思わん。思わんぞ。日ノ本の国を造り上げた我々の絆が、あんなぽっと出の存在に負けるとは露程も思わん!」

「なら、堂々と戦おうではないか。……来たぞ」

 強がりに強がる少年に向かって頷くと、駅前の広場に目を向ける。ヴァルーを肩に載せた巽が、放送を聞いて懸命に駆けつけたところだった。二人は頷きあうと、一斉に屋上を飛び降り、駅前に立ち尽くし周囲を見渡す巽の目の前に舞い降りる。

「やあやあ。お初にお目にかかるな。この街の英雄殿」

 閉じた傘をくるくると振り回し、少年は声を張り上げて巽を見つめる。ヴァルーは少年を見た途端、彼から溢れる力に顔をしかめる。

「気を付けろ。こいつらが俺達の探知を封じてやがる」

「言葉に気を付け給え。これでも我らは神ぞ」

 眉間に皺を寄せ、少年は飛び上がったヴァルーを睨み付ける。負けじと巽も少年を睨み、怒りをにじませ低く唸る。

「うるさいぞ。面倒なことしてくれたものだね。こんなんじゃ乾ちゃんを探せない」

「我らには我らの使命がある。貴様らに不平を言われる謂れはない。そんなにも我々の存在が目障りと言うなら、いつものように倒してゆけばよいのだ。違うか」

 大男は淡々と言い放つと、飛び上がった少年を肩に載せた。構えを取る巽の横で羽ばたきながら、ヴァルーは不敵に笑う。

「……ふん。そういう言い方は嫌いじゃねえな。ならてめーの言う通りにさせてもらう」

「いいだろう。負けて吠え面かくでないぞ!」

 少年が叫んだ瞬間、傘の先から眩い光が放たれ、二人は武者鎧に身を包んだ巨人とその肩に乗る山伏姿の小人へと変わった。

「我は少彦名命(すくなひこなのみこと)

「我は大巳貴命(おほなむぢのみこと)

サーチライトが一斉に光り、二人を照らした。スクナビコナの美しい髪が夜風に吹かれて流れ、オホナムヂの鎧に編み込まれた金糸が天の川のようにちらちらとした輝きを放つ。国造りの威容に怯え脱力した人々は導かれるように外へと現れ、次の瞬間にはその神々しさに心を奪われふらふらと崩れ落ちる。次々に倒れていく人々を見渡し、巽とヴァルーは鬼気迫る顔で二体を見上げた。

「これが……神の力」

オホナムヂは頷き、顔をしかめて自らを見上げる二人をじっと見下ろす。

「その通り。氷河期も、プレートテクトニクスもわからない人間が定めた、大地を動かし海を平らげた脅威の権現。それが我ら国造り」

スクナビコナは放心状態でへたり込む人々に見下した視線を送った。自らを捨て去ろうとしたそれらへの怒りも込めて。

「しかし彼らはその脅威を忘れ、自然の中に自らが存在することを忘れた愚かな存在と成り果てた」

彼の言葉に応ずるように、オホナムヂは右手を静かに天へ掲げる。瞬間に地面が痙攣を始めた。ビルが身震いしてガラスが溶けるように崩れ落ち、鉄骨が戦慄き世末の絶叫を上げる。満ち月を見上げ、その目を爛々と輝かし、彼は厳然と、粛々と告げた。

「だから我らはもう一度世を造る。二度と、人間が愚かな道を歩まぬために」

神は宣い終えて、銘々の刀を抜き放つ。惚けていた人々は糸で吊られたように立ち上がり、そのまま宙に現れた岩に括られる。ずるずると地から這い出るように、絶望が彼らの心を舐める。目を剥いた人々は、末期の叫びで合唱を始めた。

「さあ、思い出せ。始原の恐怖を!」

「させるか! いちいち無茶苦茶なんだよやり方が! 行くぞ巽!」

ヴァルーは一声啖呵を切ると、勢い良く飛び上がって巽に向かって突っ込む。巽は胸元に手をあてがうと、じっと構えた二人の神をきっと見据えた。

「ああ。最初から全力で行こう!」

ヴァルーが巽の中に飛び込んだ瞬間、その身体は燃え上がって竜鱗の鎧は蒼く染まる。そのまま二人が気合を込めると、鱗の表面が吹き飛び白銀の鎧が露わになった。針のように細い刀を肩に担ぐと、小人は巨人の腕を一気に滑り降りて二人に向かい飛び出す。

「さあ、行くぞ!」

 二人は虚空から片手剣を取り出すと、突っ込んできた小人に向かって斬りかかる。下駄の歯で剣を受け止めると、そのままふわりと二人の頭上を越え、首筋に向かって刀を振り抜く。慌てて屈みすかした二人は、翻りざまに斬り上げる。小人はふわりと跳び上がると剣を蹴って叩き落とし、二人の顔面に拳を一撃叩き込んだ。負けじと二人も腕で小人を払い飛ばす。そこに一筋の光が煌めき、巨人の鋭い一閃が叩き込まれた。

 横っ飛びに躱すと、二人は巨人の腕に乗り上げ、さらに弾みをつけて飛び上がり巨人の首筋めがけて突っ込む。大剣の刃が月の光を受け、虹色に輝く。

 死角から飛び込んできた小人が、二人を突き飛ばして地面に投げ出す。逆手に刀を持ち替えた巨人が、倒れた二人に向かって刃を突き立てようとする。息を呑んだ二人は、跳ね起き駆け出す。刃は道路深くに突き立てられ、街は明かりを奪われ常闇に包まれる。なおも満月のような輝きを放つ三体に照らされ、空中に散りばめられた人々の磔が星屑のような光を僅かに放った。星空が目の前まで下りてきたかのようだ。しかし神と英雄はその恐ろしくも美しい景色にはちらとも目を向けることなく、ただ互いを睨み付け、力を交わし続ける。

「今お前達は世を造り直すと言ったね。それはどのようにして行われるんだ。審判者はその計画に関わっているのか?」

「お前達が知る必要はない。お前達はただ、我らを正義の元に打ち倒し続ければ良いのだ。それがヒーローと言うものではないのか?」

 巨人の刀を手から蹴落とした二人に掴みかかりながら、小人は見開いた眼で睨む。二人は肩を竦めると、小人の身体を掴み返してぐいと引き寄せる。

「物語に出てくる勧善懲悪のヒーローならね。だが僕らは守りたいものを守っているだけの怪物だ。だから、自分の敵がどんな奴かくらい、知っておきたいんだよ!」

 しかし小人は舌を出しただけで応えようとしない。二人が顔をしかめた瞬間、巨人の鋭い横蹴りが背中に叩きつけられ、二人は地面をもんどりうって転がる。飛び上がった小人は倒れた二人を踏み付けにし、巨人はそんな二人を見下ろして呟く。

「そんなに知りたければ己の目で確かめることだ。我らを打ち倒さば、真実などはたちどころに現れる」

「んだよ……倒してくれみてえな言い方しやがって。うしろ俺達をお前らが隠してるものに近づけたいみたいじゃねえか!」

 ヴァルーが叫ぶと、刀を振り上げた小人はその凛々しい顔を苦悶に歪ませる。その隙に二人は彼を突き飛ばし、翼を広げて巨人に猛然と襲い掛かる。一拍遅れ、小人も舌打ち交じりにふわりと飛び上がって猛追する。挟み撃ちにしようと、巨人は二人を迎え撃たんと脇差を抜く。

「余計なこと考えないで、貴様は戦えば――」

 叫びながら飛ぶ小人の胸を、不意に一発の弾丸が貫いた。天に向かって一筋の光が伸びていく。驚愕に目を見開いた小人は、霞む視界の中で光の筋を辿り、ビルの陰から自らを狙っていた黒装束の女に気付く。口から血を溢れさせ、小人は力なく崩れる。

 不意に崩れる小人の姿に巨人は目を見開く。ただ茫然として構えが弛む。背後の見えない二人も突然の変化を訝しみ、眉間へ皺を寄せた。しかし目の前の巨人に掛ける情けも無い。大剣を取り出し、切っ先を真っ直ぐに構えて気合と共に巨人の心臓を貫いた。

 鎧が砕け、金糸が彗星のように解れ地面へ流れていく。磔を解かれた人々がふわりと柔らかく地面に倒れ込んでいく中、巨人はぐらりと傾ぎ、力なく仰向けに倒れる。溢れる真紅の血を押さえ、側に降り立ちこちらを睨むドラグセイバーを巨人は見つめる。ただ一人蒼月の光を浴びて銀に輝くその姿は、神であるオホナムヂにさえ神々しささえ感じさせた。砕けた頬当ての奥で僅かに笑みを浮かべ、巨人は震える声で呟く。

「そうか……私にもようやく理解が出来た。英雄はただの想定外因子ではなく、新たな世界を担うに、欠かせぬ因子であるという事が……同志は、お前に目を掛けるわけだ……」

「俺達が、新たな世界の因子だと?」

「そうだ。この世界の人間は創造どころか想像も放棄しつつある。想像の放棄が……正義を、崩壊させた。だから世界はやり直しが必要なのだ。誰もが確固たる正義を胸に秘めた、新たな世界にする必要がある」

「何だよ、それ……」

 ヴァルーは拳を握りしめる。しかし、消滅を前にしてなお希望を目に宿らせ続ける巨人の言葉は遮ることが出来なかった。血に濡れた手を伸ばしてその拳を取り、巨人は真っ直ぐに二人を見据える。

「もうすぐ我らが仕掛けた呪縛は解けるだろう。頼む……英雄として、手を貸してくれ。世を救い、我らを救い、人間を救うために……このままでは、世界が二度と蘇られぬほどに、滅ぶ」

「それはどういう意味だ。答えてくれ」

「私に聞くまでも無い……同志に会えば、全てわかる」

 絞り出すように答え、巨人は脱力する。小人はうつ伏せのまま、自嘲気味に笑い呟く。

「ダメだろう。そいつにとって、我々は悪に違いない……」

 瞬間、二人の神は事切れる。身体が光に包まれ、静かに消え去った。その途端、人々を絡め取っていた力は解け、ぼんやりと目を開いて立ち上がり、訳も分からないまま、道の真ん中に立ち尽くす銀鱗のヒーローを見つめる。

「あいつは……」

 当の二人は、ビルの物陰に目を向ける。黒い拳銃から紫煙を燻らせたまま、影が真っ直ぐに彼らを見つめていた。瞬間、二人の脳裏に一つの光景が閃く。一寸先も見通せない闇の中、ぼんやりと光る二つの白い瞳。目の前に立つ影もまた、仮面の奥に白い双眸を輝かせていた。


 その時、巽は気付こうとしていた。神凪市を脅かし続けたイマジナリー達の、本当の願いを。



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