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十七話 最悪のクリスマス

 剣崎巽。身も心も全て無限の中へと凍らされ、死の瀬戸際へと閉じ込められる。しかし庇われた怒りに震え、乾の涙に覚悟を決めたヴァルーに諭され、彼と互いを相棒として認め合い立ち上がった。最後の戦いへ向けて……


 暗い地下のホール。壁にもたれて欠伸をしている鳶の女に一瞥を送り、男はいかにも悲しそうに嘆息する。ウロボロスと新たな力を手に入れたドラグセイバーの戦いの顛末を聞かされ、彼は残念無念と肩を落としたのである。

「そうか。……ウロボロスは消えてしまったか。残念だ。最初からの協力者の彼には、彼として計画の達成を見届けさせてやりたかったがね……」

「まあいいんじゃないんですか? どうせあなたの計画が成功すれば、この地から私達の同胞を自由にこの世界へ連れて来られるようになるんですから」

 鳶の女はつまらなそうな口調で呟いた。手持無沙汰にルービックキューブを回しながら、壮年の男女が忙しなく動き回る姿を見つめる。中央に据えられた巨大な結晶体には既に無数のロープが結わえつけられ、彼らは床に何かを刻み付けているところだった。完成してしまったルービックキューブを脇に放り投げ、女は腕組みして肩を竦める。

「同志。私達の出番はまだなんですか。この街の人間は黒いドラグセイバーの一件以降加速度的に不安を高め、この街をクリエーションに満たしつつあります。そろそろ我々もフル稼働できる土壌は整ったはずでは」

「ふむ。まあ、君の言う事ももっともだ」

 床に紋様を刻み込む手を止めて、男はホール脇高台の扉を見つめる。ちょうど鉛製の扉が押し開かれ、少年と大男が戻ってきた。傘を広げてふわふわとホールに降りながら、少年は叫ぶ。

「同志よ。我らの準備は整った。いつでも結界を張れるぞ!」

「そうかついに。せっかくこの街の人々は恐怖しているんだ。さらにさらに恐怖して、創造力を付けてもらわないとねえ」

 眉根を持ち上げると、女はひょこひょこはしゃぎ回っている少年の横顔をちらりと一瞥する。

「あなたたちの結界で、この街は外界と隔絶されるのよね?」

「その通り。金がある人間は仕事も家も捨てて神凪市から避難しようとしているが、審判を実現するにはどんなに些細なクリエーションも惜しいからな。逃がすわけにはいかんよ」

「そうねえ……」

 集まった三人の同志の前へと歩み寄った壮年の男は、にっこりと喜びを顔たっぷりに表して少年と大男に手を伸ばす。

「ありがとう。さすがは『国造り』だね」

「讃えられるほどの事はない。造作も無いことだ」

 大男は表情を一切変えないままに頷く。男はそんな彼の手をさっと取って握りしめると、眠たそうに目を擦っている女の方を見た。

「さて。君に仕事を与えよう」

「やっとですか?」

 肩を竦めると、スーツの埃を払いながら彼女はおもむろに立ち上がる。男は頷くと、一人黙々と作業を続ける琴音の背中を見遣る。

「乾を連れ帰るのを手伝ってくれ」


 十二月二十四日。一年で最もカップルが色めき立つ日に、巽もまた落ち着かない一時を過ごしていた。本が手につかないし、考え事をしようとすれば、ああでもないこうでもないと思案が浮かんでは消え余計に悶々としてしまう。溜め息をついて巽は研究室のテーブルに突っ伏す。いつもふわふわと仙人のように時を過ごしている彼とは全く違う今日の様子に、研究室仲間も思わずニヤニヤしてその肩を叩く。

「どうしたんだヒーロー。元気ないぞ」

「僕はヒーローじゃない。怪物の敵やってる怪物だよ。言ったじゃないか。……って、どうしたんだい? そんな顔して」

「そりゃこっちのセリフだ。珍しいなあ。そんな悩みまくった顔して」

 巽はちらりと流し台前の鏡に目をやる。なるほど、巽は面白いくらいに気の抜けた顔をしていた。開いた口からは魂がふらふら出てきそうだ。ヴァルーもそんな巽をニヤニヤしながら見守っている。眉間に皺を寄せて自分の顔と睨めっこしていると、友人はその肩をばしばし何度も叩く。

「どうした? 今日はイブだぜ。あ、そうか。白峰さんとお泊りデートの計画でも立ててるのか?」

「そんなわけはない! 僕と乾ちゃんは、全然、そんな関係にまでは至っていない。なにバカなことを言ってるんだ」

 巽は必死に噛みつくが、むしろ火に油を注ぐだけだった。

「いやあ、絶食系に見せかけて、やることやってんだもんなあ。ずりーよ。爆発しろお前」

「ちょっと。聞いているのかい? そもそも、僕と乾ちゃんはまだ彼氏と彼女という関係にすら――」

 改めて反論しようと身を乗り出した瞬間、テーブルに投げ出された巽の携帯が震えだす。その画面には白峰乾と表示されていて、巽ははっと息呑み携帯を慌てて手に取る。

「は、はい。どうしたの乾ちゃん」

『もしもし? ……ど、どしたの?』

 巽の声が上ずる。ちらりと友人の方を見れば、画面の名前を見逃さなかったらしく、嬉々として巽の会話に耳を澄ませている。頬を赤らめ、巽は携帯を耳へ押し当てる。

「い、いや僕は何でもないよ。それより、乾ちゃんが電話してきたんだろう? 君こそ、一体、どうしたんだ」

『……変なの。まあいいや。巽くん。手が空いてるならうちに来て。警察の人が、巽くんに頼みたいことがあるんだって』

「頼みたいこと? ……わ、わかった。行こう。行くよ。今、すぐに行く」

 巽は携帯を切ると、慌ただしく鞄に本やら筆入れやらを突っ込み肩に掛ける。そのままからかいの隙も与えず研究室の外へと飛び出そうとした巽だったが、その前にドアが開いて大学院の先輩が入ってくる。勢いよくドアが肩に当たり、巽は思わず音を上げる。

「イタッ!」

「ごめん! 大丈夫だった?」

「ええ。まあ。すいません、それでは失礼します」

 いつにもまして機敏な彼の所作に、戸惑う先輩は首を傾げる。

「う、うん……? さよなら」

「頑張れよ。泣かすなよ」

「い、いい加減にしてくれ!」

 巽は顔を真っ赤にして叫ぶと、先輩の脇をすり抜け廊下を駆け出した。ヴァルーはへらへら笑いつつ、焦る彼を窺う。

(いやあ、下手だなお前。取り繕うの)

「君には言われたくないよ。ヴァルー」


 自転車を漕ぎながら、巽は再び溜め息をつく。ちょっとぼーっとすると、すぐに乾の事が頭にちらついてしまう。

 昔からずっとクリスマスイブは白峰家の御相伴に与ってきた。その後は二人で乾の部屋に籠って、夜遅くまでゲームに興じたりもしていた。ずっと乾と過ごしてきたくせに、男女でクリスマスの夜を過ごしている自覚など全く無かった。だからクリスマスにリアルが充実していようがいまいがそわそわしている他人を見ても、たかがクリスマスとしてのほほんとしていた巽だったが、今年限りはそうもいかなかった。

(警察の人は一体自分に何を頼もうというのだろう。創作物では、変身した状態の肉体について調査するという依頼が多い。現実でもあるのだろうか――)

 巽は警察の依頼についての想像に集中する。そうでもしないと、いかがわしいところにまで自分の夢想が及んでしまいそうで怖かった。それなのに、デートに誘ったら、プレゼントを買ってあげたら、と枚挙に暇がない乾を絡めた妄想が湧いてきて、巽の必死な努力を嘲笑う。寒空の下に汗びっしょりになって、巽は一人茫然とする。

(あれ。僕は、乾ちゃんが、こんなにも好きだったろうか……)

(乾の気持ちがはっきり見えたからじゃねえのか? お前、ずっとあいつの気持ちを確認しようともしないで尻込みしてただけだろ。だから今更バタバタしてるんだ)

(ヴァルー、僕は一体どうすればいいんだ)

(んなもん自分で考えろよ。今まで通りに過ごしてえなら今まで通りに過ごせ。一線超えたいなら超えればいいだろ)

 言われた瞬間びくりと跳ねて、思わず巽は横倒しに倒れそうになる。どうにか立て直しながら、巽はヴァルーに毒づく。

(もう、君はそういう言い方しか出来ないのか)

(うっせえな。今日ぐずぐずしたら、さすがの乾も愛想つかして別な男に靡くかもな。あいつだって可愛くねえわけじゃねえ。ナンパしてくる男くらいいんだろ)

 巽は目を見開いた。脳裏に、消える間際のジャックフロストが蘇る。

――今年のクリスマス、絶対最悪な日になるからな!

「やめろ! そんなこと、そんなことがあって――」

 思わず叫びながら走り抜けようとしたが、洋館は生憎目の前だった。自転車を停め、茫然と巽は白峰古書店を見つめる。

「着いちゃった……」

(あーあ。いいから覚悟決めとけ。男だろ)

(くっ……君に言われずとも、もとよりそのつもりだ)

 自転車から降りた巽は、荒れた息を整え平静を繕うと、ハンカチで汗を拭って歩き出した。この街を守ろうと力を振るってきた人間らしく、背筋を伸ばし、胸を張って『OPEN』の看板が掛けられたドアを開く。

「ああ、巽くん。来たかね」

 巽はむっとした顔で周囲を見渡すが、いるのはカウンターで休む壮二郎だけだった。がくりとずっこけ、早速馬脚を現した巽は慌てて駆け寄る。

「上ですか?」

「ああ。こんなところで待たせるわけにいかんだろう」

「そ、そうですね! そりゃそうです。はい」

 巽は何度も頷くと、慌ただしく走り出す。ヴァルーはもう笑う事も忘れ、首を振りながらただぼそりと呟く。

(……だっせえな、お前)

(どうとでも言いたまえ、もう)

 階段をどたばた言わせて登ると、慌てて巽は靴を脱ぎ捨て居間に足を踏み入れる。

「やっと来たんだ。遅いよ」

 振り返った乾は口を尖らせ、からかうように言う。巽はわかっていたが、そのどこか子どもじみた表情が彼にとってはあんまりにも可愛らしくて、思わずどぎまぎしてしまう。

「ご、ごめん。ちょっと準備に手間取って……すみません。遅くなりました」

 乾と向かい合うように座っている人物に向かい、巽は慌てて頭を下げた。そろそろと顔を上げると、そこに座っていたのは、新しく神凪市の署長になった細面の男だった。彼はにこやかに微笑み、そっと巽に向かって会釈する。

「いやいや。ヒーローは遅れてくるものじゃないの。さあこっちに来てくれ。君を見込んで頼みたいことがあるんだ」

「はい。何でしょうか?」

 テレビと違ってテンション高めだな。こそりと思いながら、巽は首を傾げる。隣に座っている少女の肩を叩くと、署長はにっこりと笑って人差し指でびしりと巽を指差した。

「この子と一緒に、今行っている警察の広報活動に協力してほしいんだよ。もちろん、謝礼はたっぷり払わせてもらうよ」

「この子? ……あっ! さやかちゃん!」

 巽は目を丸くする。隣に座っていたのは、茶色のコートに帽子と地味な格好をしているが、紛れもなく神凪市の耳目を掻き集めたアイドルだった。

「こんにちは。お久しぶりですね」

「久しぶり。今はインディーズとして歌手活動だっけ」

「はい。色々あったんで、いっそのこと心機一転しようと思ったんです。それに個人活動なら、思う存分ドラグセイバーの応援団長が出来ますからね」

 神木は小さくガッツポーズを作る。意気込む彼女に、巽は肩を竦めて首を振った。

「お、応援団長なんて。……僕らはそんな大した存在じゃないよ」

 巽が照れつつ頭を掻くと、署長は身を乗り出してその肩を力強く叩く。

「謙遜しないの。我々が頑張ってこの街で安心して暮らせる環境を維持しないと、神凪市は終わっちゃうからね。確実に襲撃の規模は広まっているんだ。ヒーローここにありってのをさ、ビシッと示しておくれよ」

「引き受ければいいじゃん。減るもんじゃなし」

 乾も頷く。自分はヒーローではなく怪物。そう自覚した巽にとってはこそばゆいばかりだった。しかし署長たっての希望なら断るわけにもいかない。巽は俯きがちに頷いた。

「ええ。わかりました……ただ、夜七時までには絶対上がらせてください」

「え? ああもちろん。君の希望は最大限受け入れるよ。まあねえ、今日はクリスマスイブだもんね。何? その隣の子とデートでもするのかい?」

 にやける署長に、巽はびくりと跳ね、乾は啜っていた紅茶を思わず戻しそうになる。何度も咳き込みながら、乾は恨めしそうに署長を見つめる。

「何言ってるんですか。確かにクリスマスパーティは毎年しますけど、そんな、デートなんて――」

「そうなんですよ署長。ここの白峰乾さんと会食するので、あまり夜まで僕を動員するのは、ご勘弁頂きたいんです」

 ジャックフロストにぶつけられた言葉、ヴァルーに投げつけられた言葉が巽の中でぐるぐると渦巻いていた。乾とはずっと、なるようになればいいと巽は思っていた。しかし、少しずつ、巽は見えてきていた。

(でもそれは……乾ちゃんが最後には僕のところに来てくれるだなんて、甘ったれたことを考えていたからか。そうだろう、ヴァルー?)

(……俺に聞くなよ。つーか、本人にちゃんと聞け)

 ようやく覚悟を決めたものの、相変わらずの空回りっぷりにヴァルーは閉口しかけた。しかし、彼は老婆心を出して一応のアドバイスを送る。

(まあ、俺がけしかけたしな)

「ああ、そうか。乾ちゃん、七時からデートしよう。たまには、いいところでご飯食べようじゃないか。いいよね?」

「……うん」

 乾はぽうっとしたまま、自分を見つめる巽に引き出されるまま頷いた。彼はぱっと顔を輝かせると、再び勢い良く立ち上がると、署長に向かって手を差し出す。

「さあ、話はまとまりました。行きましょう! 行きましょう。はい。さっさと行きましょう」

 はっとした乾は、真っ赤になって顔を背けてしまう。巽も恥ずかしいやらなにやら、そわそわして落ち着かない。署長は力強くサムズアップすると、巽の手を掴んでゆっくりと立ち上がった。

「いいねえ若いって。さあ、行こうか二人とも!」


『イマジナリー出現の情報が放送されましたら、その放送の指示に従って、迅速な避難をお願いします。迅速な避難が、以降の制圧作戦の円滑化を促進します』

 そんなこともあって、ドラグセイバーへと変身した巽は、サンタのコスプレをしている神木に並んで駅前に立ち、真っ赤な帽子を被って道行く人々に手を振っていた。周りではパトカーや警備車が展示されて装備マニアを惹きつけ、完全装備の機動隊が子ども達に隊列訓練の様子を見せていた。

「ドラグセイバー!」

 しかし、花形はドラグセイバーとその応援団長、神木さやかだった。彼の姿を見るなり、小さな子ども達が次々に寄って来る。無垢な子どもを騙す黒い悪魔はもういない。正真正銘本物だ。腰当てや籠手にべたべたと触れる子ども達に、慣れないヴァルーは肩を竦める。

(まじで客寄せパンダかよ。俺ら)

(まあいいじゃないか。好いてくれるならありがたいさ)

 巽はちらりと離れたところを見る。怯えた顔の親が、近寄りたがる子どもを引き離したり、または巽達に近寄る子どもを不安そうに見つめていた。ヴァルーは溜め息をつくと、いきなり巽から身体をもぎ取った。

「がおーっ」

 瞳を紅く輝かせ、ヴァルーは両手を広げて軽く吼える。いくらサンタの帽子を被って、『神凪の切り札』と書かれたタスキを掛けていても、怪物のやることは迫力が違う。親は慌ただしく駆け寄り、子どもは驚いて固まった。白黒した目を見渡し、ヴァルーはさらりと笑ってしゃがみこむ。

「んだあ? こんなんでビビってんじゃ、本気で戦ってる俺達見たら、寝れなくておねしょすっかもしんねえぞ? 強くなれお前ら。まだまだ化け物は来るんだからよ」

 ヴァルーはそう言うと、目の前の子どもの頭をくりくりとつつき、腕を広げて周りの子どもを抱き寄せる。少し乱暴でも、その優しさははっきりと伝わった。ますます目を輝かせ、ヴァルーにまとわりついて押し倒してしまう。

「うおっ。ちょっと待て。わかった。降参。降参だっつの」

 ひょうきんなヒーローの姿に、ようやく親も愁眉を開いた。微笑みながらそんなドラグセイバーの姿を見守っていた神木は、ふと人差し指を立てて子ども達を見回す。

「みんな、ドラグセイバーの歌は覚えてる?」

「うん!」

 彼女が言うと、誰からともなく子どもが歌い始める。神木が独り創り上げた歌、『Calm of the City』。ドラグセイバーを応援する歌として口コミで広まり、ちょっとした有名ソングとなっていた。神木は嬉しそうに頷くと、その透き通るような声で子ども達に続き歌い始める。ちょっとした合唱会の様相を呈し始めたそこを、人々は振り返って見つめる。クリスマスの装飾が輝く中、ささやかで幸せで平穏な一時が流れていた。

「……ふざけんなよ。楽しそうに暮らしやがって……」

 しかしその時、広場の向こう側から鈍い叫び声が響いた。見れば、まさにサンタと言うべき真っ赤な服装に身を包んだ男がふわふわと浮いて、袋の中身を漁っていた。子どもはぱっと目を輝かせると、サンタの方へと走っていこうとする。

「サンタさんだあ!」

「おい待て、あぶねえッ!」

 一瞬にしてその鎧が蒼色へと変わる。素早く飛び出すと、サンタが取り出した黒い塊を蹴り上げた。宙に舞い上がった塊は、空で乾いた音を立てて弾ける。瞬間、子ども達は固まり、道行く大人は悲鳴を上げた。メガホンで呼びかけていた婦警は、慌てて叫ぶ。

『未確認イマジナリー出現! 警察や放送の指示に従って、迅速に避難してください!』

 蜘蛛の子を散らすように人々が逃げ出す中、袋の中から再び爆弾を取り出そうとするサンタクロースを巽は慌てて取り押さえにかかる。

「これが本当の『リア充爆発しろ』って言うつもりかい? 冗談じゃないぞ。そんなことは僕達がさせない!」

「うるさい黙れ! お前みたいなリア充に僕の痛みはわからないんだよ!」

 大振りに振り回された袋が、サンタを押さえ込もうとしていた巽に直撃する。ハンマーでぶん殴られたように、巽は思わず吹っ飛び転んでしまう。サンタの青々しい叫びに。肩を竦めながら笑い、巽は拳を固める。

「いててっ。……ははっ。冗談じゃない。僕だってねえ。そんなに友達いないよ。どっちかって言えば君に近いんだ。それでも、ねえ! 邪魔されてたまるか!」

「お前、おかしいぞ今日」

「す、好きに言うがいいさ!」

 ヴァルーの突っ込みにとうとう開き直ると、巽はサンタに素早い回し蹴りを見舞った。


「……デートかあ。巽くんと」

 どこか浮ついた気分のまま、街角の喫茶店の中で乾は傾いていく陽をぼんやり見つめて呟く。彼女自身の見立てではまだまだかかると見込んでいたから、巽の申し出は素直に嬉しかった。嬉し過ぎて、今日の事以外は全く頭から吹っ飛んでなくなるくらいには。

(デートかあ。やっぱりシティタワーのどっかで食事かな……そんな気合入れなかったけど、がっかりされないかな。お酒も飲むよねきっと。そのまま、いいムードになって、そのまま……)

(も、もうおやめください……身体が締め付けられるようでございます……)

 乾がぼんやり妄想を続けていると、大人しくしていたエルンストが不意に呻いて苦しみ始めた。乾は口を尖らせると、のろのろとうなだれ額を手で押さえる。

(なによ。私こんなの初めてなのよ? ファーストキスのシミュレーションくらいさせてよ。ヘマしたくないもん。つーか、あんた私の中に我が物顔で居座ってんのが悪いんでしょうが)

 舌打ちしながらくどくど詰め寄ると、エルンストは身を縮め、上目遣いで乾の心を窺う。

(流れでそろそろ許されていると――)

(許した覚えはないけど)

(は、はは……やはり、そうですよね。はは……乾様。少しだけ、よろしいですか?)

 やたら暗くて脱力したようすのエルンスト。乾もさすがに邪険には扱えず、紅茶のカップを手に取りながら尋ねる。

(何よ?)

(はい。少し、路地辺りまで行きませんか。こんなところではお話しできません……)

 今度はこの世の終わりを見たような顔で彼女を誘う。しばらく力を借りてきておいて、ここで突っぱねるというのも酷に思えた。溜め息をついた乾は、静かに立ち上がる。

(わかった。行くよ)


 路地に出た瞬間、小さい姿のままエルンストはふわりと降り立ち、真っ直ぐに彼女を見上げる。巽が一つ決断を下したなら、エルンストもまた、一つ決断を下したのだった。

「乾様。……これにて、我らの関係は終わりましょう」

「え?」

 不意の申し出に、乾は戸惑わずにいられなかった。エルンストは一度深々と頭を下げ、再び、決意を込めた眼差しで乾をきっと見据える。

「あの青年と、乾様はお似合いでございます。きっと、このまますんなりとあなたはあの青年と結ばれるのでしょう。私が最も望まないような触れ合いも、いつかなさるのです」

「こ、この期に及んでセクハラかい。……ま、まあ、そういう事なんだろうけど。けど、まだ私達キスもしてないよ。小さい頃抜きにしたら、ろくに手だって繋いでないし」

 どこまでも変わらないエルンストに、乾はやれやれと首を振る。陽の届かない路地は冷え切り、さらに闇を深めていく。

「それでも……それを本能的に認めることが出来ない私の存在は、あなたたちの関係において障壁としかなり得ません。だから、退かせてほしいのです」

 エルンストは一旦言葉を切ったかと思うと、慌てて乾の足元にすがる。

「で、でも勘違いしないでください。私は、あなたが生娘でなくなりそうだから見限るというのではありません。私は変わらずあなたの事は愛していますから」

 乾は思わず苦笑する。性質の悪いストーカーだと見做して邪険に扱ってきたが、ここまで突き通されてしまうと乾にも思うところが出来る。くすりと笑うと、屈み込んでエルンストにそっと手を差し伸べて頭を撫でる。

「まーね。それがあんたの為かと思うよ。世の中私なんかより性格良くて大人しい、ついでに可愛い、あんた好みの子なんかいっぱいいるから。ちゃんとあんたを受け入れてくれる子を探して、楽しくやんなさいよ」

「乾様……?」

 影が差す彼女の顔はよく窺えないが、それでも確かに微笑んでいた。いつの日か、当てもなく彷徨っていたエルンストが見惚れてしまった表情だった。何度も何度も頷くと、エルンストは彼女の手に擦り寄る。

「ああ。……ついに、ついに乾様が私に優しい言葉を掛けてくださった」

 バツが悪そうに肩を竦めると、乾は顔を僅かに背けながら呟く。彼女の心を占めていた彼への嫌悪感もいつしか薄れ、本能に従うしかない彼に、憐みのような思いを向けるようになっていた。

「最近ずっと、あんたが無理矢理私に合わせようとして来てるのが、痛々しくてこっちもつらかったし。潮時なんじゃないかな。あんたが私にこだわるのも、私があんたを利用するのも」

「いえ。そんなことは御座いません。私は必ずやあなたに報いてみせます。新たな娘御を見つけ、彼女と共にあなたをお守りするため戦います」

 意気込む彼に、思わず乾は苦笑する。

「それはその子許してくれないと思うけど……まあ、達者で暮らしなさいよ。あと、ストーカーは犯罪だからね。巽くんにお仕置きされないよう気を付けて」

「ええ。もちろんです。彼の恐ろしさは、身に染みてわかっておりますゆえ……」

『神凪駅南口にイマジナリー出現。交戦中です。屋外に出ている方は、念の為の屋内退避をお願いします』

「あ……ほら、早く行って」

 放送を耳にした乾は、手で追い払うような仕草をする。エルンストは僅かに後退りすると、名残惜しそうに彼女を見上げ、背を向け歩き出そうとした。しかし、後ろ髪ならぬ後ろたてがみを引かれて、エルンストは何度も彼女に振り返る。乾は困ったように笑い、小さく手を振ってやった。

 しかしエルンストの視線は、その背後のマンホールに注がれていた。じりじりと蓋が浮かび上がり、中から毒々しい金色の瞳が輝く。立ち上がろうとした彼女に注がれる視線。エルンストはその身を元の姿へ戻すと、彼女を押しのけマンホールへと突っ込んだ。

「何をしている!」

 瞬間、飛び出した怪物がエルンストを撥ね飛ばした。呻くエルンストをよそに、蛇鱗の鎧を纏う怪物は金色の瞳を後退りする乾へ向ける。急に乾の身体は脱力してその場に崩れる。どれだけ逃げようとしても、彼女の身体は操り人形のように崩れて動かない。怪物はそんな彼女を見下ろすと、だらしなく笑い声を洩らす。

「へへ……やっと見つけた。ずっと会いたかったよ。白峰さん」

 彼女の目の前に立つ怪物は、いつか見たストーカーと姿が重なる。息を呑み、乾は声を震わせる。

「ま、まさか……あなたはあの殺人鬼の手にかかって、死んだって、巽くんは……」

「死んだ? まあねえ。確かに死んだと思ったよ。でも運が良かった。このバジリスクのイデアが、僕の強い未練を見込んで取り憑いてきたんだよ」

「未練……?」

「そうさ。ひどい話じゃないか。あんなにいい笑顔を見せといて、何の気も無いなんて嘘だろう?」

 じりじりと迫った怪物は、倒れて身動き一つとれない彼女を壁に押し付け、胸元をまさぐる。恐怖と嫌悪感に、乾はただ涙を浮かべることしか出来ない。

「この瞬間をどれだけ想像したか。あのエプロンとカーディガンの下に隠れている、君の肢体をまさぐる瞬間を……」

 絶望に喉が締め付けられ、声すら出せない。ただ荒く息をする彼女に、怪物は愉悦の声を上げコートの胸元に手を掛ける。瞬間、嘶いたエルンストは鋭い角を向け怪物に突進する。

「貴様! 乾様を穢すな!」

 不意を突かれた怪物は、エルンストの突進を真正面から喰らって吹っ飛ぶ。怒りに息を荒らげ、エルンストは緑の瞳で怪物を見据える。

「エルンスト……?」

「乾様には心に決めた方がおられるのだ。その思いに逆らうものは、私が殺す!」

「何を言ってるんだ。ユニコーン如きがこのバジリスクに敵うとでも?」

 首を傾げると、怪物はぎらりと金色の瞳を輝かせる。しかしエルンストの身体は萎えず、再び角を振るってバジリスクを撥ね飛ばそうとする。

「私は魔獣だ。貴様の魔眼など通用しない!」

「へえ。そうかい。なら直接ぶん殴ればいいだけだな」

 角を受け止めた怪物は、エルンストを捻り倒して蹴り飛ばす。道路に転げたエルンストを、怪物は激しく踏み付け続ける。骨が砕け、銀色の血が滲む。

「ほらほら。どうしたんだ。起き上がって抵抗してみればいいじゃないか? 出来ないのか?」

「止めて。止めて!」

 口から血を吐き、エルンストは呻く。ぐちゃぐちゃになっていくその身体が視界の端に映り、乾は悲鳴交じりに叫ぶ。銀の血を浴びながら、怪物はじろりと乾の方に振り返る。

「君は黙ってそこで見ているんだ。君には、僕を怒らせたらどうなるか、知っておいてもらいたいからねえ」

 血塗れのエルンストに、怪物は容赦なく足を振り下ろす。最早息も絶え絶えで、抵抗することも敵わない。傷口を踏み躙りながら、怪物は呟く。

「はあん。命を屈服させるってのは、気持ちがいいなあ。奴の気持ちがよくわかる!」

「止めて!」

 乾が泣き叫んだ瞬間、彼女の呪縛が弾け飛び、片足を高く振り上げた怪物は思わずよろめく。

「いぬい、さま」

 ふらつきながら立ち上がると、乾は虫の息となったエルンストに駆け寄り、彼の身体をそっと意識の中へと取り込んだ。その途端に、エルンストの無念と怒りが彼女の全身に流れ込む。

「どうして呪縛が解けた」

怪物は訳も分からず首を傾げる。黙したまま起き上がると、拳を固く握りしめて怪物の目を睨み付けた。

「あんたが、私を怒らせたらどうなるかを知らないからよ」

 乾の身体が白毛に包まれた鎧に覆われる。一角獣を模した兜を被り、腰当てから伸びる長い尾を靡かせて、隙から覗く灰色の瞳で怪物を真っ直ぐに睨み付けた。怒りに肩を震わせている彼女を見つめ、怪物は鼻で笑う。

「自分の立場が分からないのかい? 黙って僕に抱かれていればよかったのに。……困るなあ。勢い余って殺しちゃうかもしれないじゃないか!」

 蛇の牙を模した爪を伸ばし、怪物は乾に襲い掛かった。しかしその拳は彼女に触れられない。見えない壁に阻まれているかのように、爪は紙一重のところで止められていた。唖然として乾を見ると、彼女は無言のまま拳を固めて顔面を殴り飛ばす。よろめいた怪物は、声を荒げて蹴りを入れようとする。その蹴りも彼女には触れられず、再び振り抜かれた拳に頬を穿たれる。情けなくゴミ箱に叩きつけられた男は、茫然と乾達を見上げる。

「……な、何で。どうなってるんだ」

「邪な思いに侵された者は……この乙女には指一本触れられない。私が、触れさせない」

「何でだよ。人を好きになることが悪いことなのかよ! あ、ああ! そんな。止めて。殺さないで!」

 乾は鉄パイプを幅広の剣へと変え、じりじりと怪物へと迫る。恐怖に震え続けた怪物は、不意に舌打ちをし、赤い瞳を輝かせて立ち上がる。

「……使えん男だ。死の間際まで下卑た思いを巡らすそのふてぶてしさは利用に値すると思っていたが……」

 バジリスクは男の身体を乗っ取ると、自らも拾い上げた鉄パイプを偃月刀へと変えて斬りかかる。剣を構えた乾は微動だにせず、その一撃を肩口から受けた。

「馬鹿な!」

 だが、彼女の鎧には傷一つ付けられない。戸惑うバジリスクの首を押さえ、乾は刃を怪物に押し当てる。刃の輝きが怪物へと脈々と流れ込み、バジリスクは針の筵で巻かれるような痛みに絶叫する。

「何故だ! 私とも、私ともあろう者が! 存在を保てない、だと……!」

 路地の外に向かって突き飛ばされた瞬間、バジリスクは激しく火花をまき散らしながら消滅し、後には汚水まみれの服を着た男だけが取り残される。剣を握りしめて立ち尽くす彼女に、男は蒼白な顔で悲鳴を上げ、慌てて逃げ去った。肩を怒らせたまま立ち尽くしていた乾だったが、不意に力が抜けてその場に崩れ落ちる。

(……ありがとう。エルンスト)

(とんでもありません。私は……貴方を愛する者として、当然の事をしたまでですよ)

 意識の泉に沈んだまま、エルンストは呻く。ようやく愛する乙女の奥底にまで繋がれた一角獣は、最早歓喜に震える力さえも残っていなかった。乾は目を閉じ、うなだれる。

(わかった。もう、逝っちゃうのね)

(ええ。最後に、あなたを守り抜くことが出来て良かった。これで心おきなく、私は新たに生まれ変わることが出来る)

(また乙女漁り? ストーカーはほんと、やめときなさいよ)

 力なく笑うと、乾は首を振り、涙を浮かべながら強がり軽口を叩く。小さく尻尾を振り、エルンストは応える。

(ええ。生まれ変わっても覚えておきます。貴方への、思いも含めて……)

 瞬間、エルンストの身体は光に包まれ、いずこともなく消えていく。鎧が融けて消え、元の姿に戻った乾は、暮れていく空を見上げ、一滴の涙を零す。ようやく彼女は実感した。エルンストは、どうあれ立派な騎士であったのだと。彼の新たな門出が幸福なものであることを、彼女は祈るしかなかった。


「お取込み中のところ悪いけれど、泣いてる場合じゃないわ」


 路地に差し込む三つの影。乾がはっとして振り返ると、壁にもたれるスーツの女がまず目に飛び込む。その隣に立つ一組の男女を見た途端、彼女は言葉を失った。

「長い間、寂しい思いをさせてすまなかったね。乾」

「行きましょう。私達のところにおいで」

 黒いコートに身を包んだ乾の父と母が微笑み、乾に向かってその手を静かに差し伸べていた。


 その時、乾はまだ気づいていなかった。二人が六年前に失踪してしまったことの意味を。


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