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十六話 覇銀の絆

 剣崎巽。無茶な一撃からの昏睡状態からはどうにか回復するも束の間、ついにその真価を露わにしたイマジナリー、ユニークの圧倒的な力を前に敗北してしまう。変身も解けて倒れた巽は、乾の必死な呼びかけにも応えることは無かった……


「巽くん、何で。巽くん!」

 抱きかかえて揺すぶっても、巽はボロボロの身体を雪空の下に晒して、乾にもたれかかるだけだ。茫然としている彼女を無感情な眼で見下ろし、ウロボロスはするすると蠢き乾に向かって近づいていく。

「呆気無いものだね。この街のヒーローも」

 乾ははっと目を見開く。その声を彼女は覚えていた。弾かれたように振り返ると、乾はふらふらと立ち上がって黄金の蛇を見つめる。

「あなたは……あの時来た……」

「その通りだ。私の事を認識できるとは、さすがは透と琴音の娘と言ったところか」

 金槌で殴られたような衝撃が乾を襲う。ほとんど息も出来なくなりながら、彼女は拳を握りしめて蛇を睨み付けた。

「知ってるの? 私の父さんと母さんを!」

 舌をするすると出しながら、蛇は真紅の瞳で乾の仮面とベールに隠された顔を覗き込む。

「当然だ。二人は我らイマジナリーの生存戦略『リ・クリエーション』を立案し、実行に移るべくその非凡なクリエーションを提供してくれている人間なのだからな」

「『リ・クリエーション』?」

「その通り。自らの智が及ばぬ恐怖に陥った時、人間は想像する。その恐怖から逃れようと。そして神を求め、縋ろうとするのだ。その想像が、我らの存在を安定へ――」

「ふざけないで!」

 悲鳴にも似た金切り声がウロボロスの口を遮る。足場の鉄骨を取って両手剣に変えると、激しい殺気を視線に込めて、切っ先を蛇の瞳へ向ける。

「お父さんは、想像は希望から生まれるんだって言ったわ! 協力してるなんて嘘よ!」

 蛇は身を縮めると、口蓋を開いて金の雫が滴る牙を覗かせ首を振る。

「すぐにわかるさ。泣いても、喚いても」

「赦さない。巽くんの仇!」

 乾は剣を振り被る。白い光が刀身に集まり、粉雪を舞い上げた。蛇の破滅を求める壮絶な創造力に、ウロボロスは思わず顔をしかめた。剣を握りしめると、乾は叫びをあげて斬りかかる。凍り付いて輝く空気を切り裂き、巻き起こる吹雪を跳ね返す。鋭く伸びた光の刃が、とぐろを巻いたウロボロスの脳天に向かって襲い掛かる。

「……っ!」

 しかし、光は雪と共に舞い散る。ただの鉄パイプを取り落とし、恨みに顔を歪める、ただの人間に戻ってしまった乾がその場にどさりと膝を付く。震える腕を見つめ、乾は意識の中で倒れているエルンストに向かって叫ぶ。

「どうして。どうしてなのよ! 私は巽くんの仇を討ちたいのに!」

(……申し訳ございません。貴方は私が心に決めたお方。私は出来る限り貴方の力になりたい。でも出来ないのです。貴方の想いは、既に私が看過するには、強過ぎる……!)

 純真な乙女への愛を宿命づけられたユニコーンの悲痛な叫び。その声は乾の胸をも締め付ける。彼女は無念と哀しみに押し潰され、その場に蹲って拳を道路に叩きつけた。

「ああああっ!」

 乾の悲痛な叫びに顔を背け、ウロボロスは首を振る。

「やれやれ、苦しいかい。だがその悲しみに浸っている暇は無いんだよ。君には私と来てもらわなければならない。『リ・クリエーション』に、君の存在は不可欠なんだ」

 真っ青な顔の乾にウロボロスはじりじりと迫る。街が凍り付き、白く染まっていった再び吹雪が巻き起こる。彼女の視界は奪い去られ、一面の白の中で赤と緑だけが輝いた。

「さあ、来るんだ。白峰乾」

 一分前までは、爪でも歯でも、何でも目の前の怪物に突き立ててやりたかった。しかし、絶望に支配されてしまった乾にはもう抵抗する気力も無く、ただただ近づいてくる瞳を見つめ、口元を震わせ首を振ることしか出来ない。

「怖がることは無い。ただ、想像を失い腐り落ちたこの世界を救うために、君が必要なんだ」

「いや。止めて……」

 金色の尾が彼女の身体を巻き取ろうと這い寄る。凍える彼女の意識が緩み、彼女は崩れ落ちそうになる。

(乾様、乾様)

 エルンストは彼女のために立ち上がろうとするが、最早彼女の中では赤子ほどの力も出せなかった。自分の一角獣としてのアイデンティティを呪いながら、エルンストはひたすら乾の為に呼びかけ続けることしか出来なかった。

 彼女の身体を蛇の尾が絡め取った瞬間、黒い影が舞い降り、蛇の尾を銀色の拳銃で打ち抜いた。乾いた音が響き、真紅の血が飛び散った。蛇は呻き、血を滴らせながら身を退ける。吹雪が緩み、蛇の全身が露わになる。眉間に皺を寄せた蛇は、乾の前に立ちはだかる黒装束の人影を紅い瞳で見据えた。

「貴様……我にも正体を悟らせぬとは、一体何者だ」

「知る必要はない。影の正体など」

 人影は女の低い声で呟くと、鋭く銃を構えて地面に闇を放つ煙幕弾を撃ち込む。闇を吸った瞬間、乾はふらついてその場に崩れ落ちる。乾は優しく抱かれるような感覚に包まれ、そのまま目を閉じる。

「おかあ……さん?」

 薄れゆく意識の中で脳裏に浮かんだのは、優しく気丈な母の面影だった。


 気が付くと、乾は病室に寝かされていた。はっと飛び起き、乾は側に置かれていた携帯を取って時間を確かめる。十二月十四日、午前十時。一日は寝ていたことになる。乾は息を弾ませたまま、胸に携帯を押し付ける。

 頭の中に、次々と記憶が蘇ってきた。黄金の蛇が現れた。巽が凶弾に倒れた。黒い影が自分を救った。

(巽くん……)

 真っ白になりかけながら、乾はベッドを降りて廊下に彷徨い出る。見回せば、看護師と何事か話し合っている医師がいた。乾は慌ただしく駆け寄ると、医師の肩を掴んで詰め寄る。

「巽くんは? 巽くんはどうなったんですか!」

「落ち着いて。落ち着いてください」

 看護師は乾を医師から引き離そうとして、医師は苦虫を噛み潰したような顔で乾の肩に手を載せる。しかし今まさに心臓が握り潰されるような苦しみを味わっている乾は、隈の濃い蒼白な顔で迫るばかりだ。

「大切な人なんです。落ち着けるわけないじゃないですか!」

(乾様。乾様! ……どうか落ち着いてください)

 内側からエルンストが声を必死に張り上げ、疲労の余りに出来た隙から彼女の意識に忍び込んで彼女の動きを遮る。不意に力が抜け、乾は看護師に情けなく引っ張り倒されてしまう。慌てて彼女の側に跪いた看護師に向かって、乾は虚ろな目を向ける。

「巽くんは……」

 今にも死んでしまいそうな儚い声。医師と看護師は互いに目配せし、気まずそうに俯くしかなかった。


「そうか。巽くんも乾も、逃してしまったんだね」

 だだっ広い地下ホールの中、中央に据えられた結晶体を見つめながら男は呟く。隣では、黒いブラウスとロングスカートに身を包んだ女が結晶体に繋がれたロープに彫刻刀で何かを刻み付けていた。そんな二人の背中を見つめ、シルクハットを目深に被り、青年は溜め息をついた。

「申し訳ありません。いきなり何者かが現れ、二人ともを連れ去ってしまったのです。カモフラージュまで施されたらしく、足跡を辿ることも出来ず……」

「無限の化身ともあろう者が手抜かりとは。詰めが甘いのだよ詰めが。私ならそんなへまはしなかったというのに」

 傘をくるくると弄びながら、少年は大男の肩の上に座って青年を見下ろす。顔をしかめた青年は、そんな少年のへらへらした顔を一瞥した。

「今は私が動く時だ。貴方は然るべき時に然るべき力を発揮なされば良い」

「ふん。生意気言いよって」

「まあまあ。今乾をこの場に連れて来られなかったとしても、まだ機会はいくらでも残されている。だろう? 琴音」

 男が尋ねると、ロープに紋様を刻み込む手を止め、彼女――琴音は俯きがちに振り向く。前髪が顔にかかり、深い影が差していた。

「ええ。審判の神が目覚めるまでにさえ、来てくれれば……」

「そういう事だよ。さあわが同志よ。この街を恐怖に陥れたまえ。救いを求めさせるのだ。乾も、きっと現れるだろう」

「承知しました。必ずや成し遂げましょう」

 青年は軽く頭を下げると、踵を返して足早に歩き去る。男が相変わらずにこにことして結晶体を見上げていると、隣で作業を進めていた彼の妻が、小さく嘆息する。

「巽くんが傷ついたとなれば。きっと乾はひどく悲しんだでしょうね。あの時翔一を亡くした、美雪のように……」

「乗り越えてくれるさ。乾は、新世界のイブになる存在だ。巽くんもね。その程度でくたばるようでは、アダムにはなれないからねえ……」

 口端に笑みを浮かべ、男は一人呟きながら結晶体の中に浮かぶ一つの影をじっと見つめていた。


 乾はガラス越しに横たわる巽の姿を、手をガラスに貼り付けてじっと見つめる。隣に立つ医師は、憔悴しきった彼女をちらちらと慎重に窺いながら、呟くように話し始める。

「結論から申し上げますと、彼は既に亡くなっているという他にありません。全てのバイタルサインも見られず、瞳孔散大も確認できます。ですが……」

「ですが? ですが何なんですか!」

 はっと振り返ると、乾は医師に縋り付いた。激しい剣幕に気圧され、医師はしどろもどろになりつつどうにか説明を続ける。

「えっと、ですね。死後硬直が見られないんです。それどころか、確認のために細胞のサンプルを取らせていただいたのですが、全ての活動が停止してしまっているのです。分裂などの反応が見られるわけでも無ければ、死滅するわけでも無く。まるで、時が止まってしまったかのようなんです」

 聞いた乾は再びガラスに張り付く。彼は何かの機材に繋がれることも無く、ただ死者のようにベッドへ横たえられていた。エルンストも目を伏せて鼻を鳴らす。

(時が止まったかのよう……か)

 医師は何事かを乾に話しかけていなくなる。ただ呆けた頭で巽の事をじっと見つめていた彼女は、全く聞いていなかった。エルンストは溜め息をつき、乾に耳打ちする。

(乾様、お気を確かに。おそらく剣崎巽は死んだわけではないでしょう。なれば蘇生の見込みもあるはずです)

「蘇生って。何が起きたのかもわかってないのに……!」

 とにかく目の前のことが受け入れられない彼女は、力なく呻いて首を振る。どんな言葉も、彼女の絶望を深めるばかり、その目に浮かぶ涙を拭うことはできない。彼女のすすり泣く声を聞き、哀しみをエルンストは一身に受ける。彼はうなだれ、小さく嘆息ばかりだった。

「おい、てめーら。なに御通夜みてーなテンションになってんだ。もうちょっとしゃきしゃきしやがれ」

 ガラス越しにくぐもった声が響く。乾ははっと顔を上げると、壁に擦り寄り窓際に張り付く一匹の小さなドラゴンを見た。

「ヴァルー! どうして」

「あの野郎が俺を庇ったんだ。喰らう直前に変身を解いて俺を外に追い出しやがった」

 憎々しげに呟くヴァルーの脳裏には、最後の言葉と共に、ひどく晴れやかな顔でヴァルーを追い出す巽の姿が今もはっきりと焼き付いていた。舌打ちすると、めそめそと涙を拭う乾に向かい、角でガラスを突いた。思わずのけぞる彼女に、ヴァルーは歯を剥き出して迫る。

「おいこら。しゃきっとしろって言ってんだよ。今から巽の意識に潜り込むってのに、安心してバックアップを任せられねえだろうが」

「意識に潜り込む?」

「ああ。今、あいつはあの蛇野郎に打ち込まれた無限の力で全てを凍結されちまったんだ。あいつは死んだってより、止まっちまってる状態なんだ。……だから、俺があいつの意識を融かしてやりゃ、また目を覚まして動けるようになるはずだ」

 呆然としたまま、乾はヴァルーの目を見つめる。解れに解れた思考回路が、再び彼女の中で縒られていく。僅かに生気を取り戻した彼女は、神妙な顔でガラスに張り付き、歯軋りするヴァルーを見つめる。

「……出来るの」

「ここまで来たら出来っか出来ねえかじゃねえ。やるっきゃねえんだよ。俺なんかを庇うなんつーバカみてえなことしやがって好きな女泣かせた、この大馬鹿野郎をぶっ叩かねーと俺の気が済まねえよ」

 ベッドに横たわる巽に振り返って小さく吼えると、再び乾を見つめ、片方の翼を乾の手に重ねる。

「だからな、頼んだぜ。乾」

「わかってるよ。やってやる。絶対、巽くんが戻ってくるまで、堪えてみせるから」

(乾様。……ウロボロスが出現したようです。暴力的なクリエーションがこちらまで押し寄せてきています)

「……ヴァルー。だから、お願い。絶対巽くんを連れ戻して」

「ああ。任せろ」

 ヴァルーは頷くと、羽ばたいて高く浮き上がり、一直線に巽の中へと飛び込んでいった。それを見送った乾は、涙を拭いてすくと立ち上がる。

(お願いエルンスト。……話したいことは色々あるけど、今は手伝って)

(承知しました。不肖このエルンスト、貴方様についていくと決めたからにはどこまでもお付き申し上げます)

 乾は踵を返すと、戻ってきた医師を脇に避け、迷いも無く駆け出した。


「あの野郎も、なかなかキツイことしやがる」

 完全に凍り付いた意識空間を見つめ、ヴァルーは顔をしかめる。普段根城にしているクリエーションの根源、意識の泉も完全に凍り付いてしまい足を踏み込むことも叶わない。巽のクリエーションを借りることで成体の姿を取れるはずだったが、今のヴァルーは相変わらず幼体のままだった。氷に触れないよう羽ばたきながら、ヴァルーは泉から放たれる光を受けて星のように輝く氷の世界を見渡す。

「あいつめ、このどこかに閉じ込められてるんだろうが……まあいい。考えることはねえ。急いで探さねえと」

 ヴァルーは意気込むと、闇の中へ向かって滑るように飛んでいった。


「この街から逃げる気か? 許さんぞ」

 街の外へと続く一筋の道路に金色の蛇が立ち塞がる。神凪市から避難しようと走っていた車は慌てて止まり、中の人々は凍り付く視界を見つめて震えあがる。ウロボロスは尾を白く輝かせると、一気に振るって渋滞した車を凍り付かせる。人々の身体も氷に包まれ、動かない。その中で取り残された彼ら意識だけが、自らの捉えて離さない恐怖に悲鳴を上げ続ける。

「怖いだろう。怪物を目の前にして身体は凍り付き、絶望をひたすらに認識させられるのは。そこで凍って恐怖を噛みしめ、今何を求むるべきか考えたまえ」

「待ちなさいよ」

 蛇が去りかけた時、凛とした声が音さえも凍らす霧氷の中で微かに響く。動きを止めた蛇は、刺すような紅の眼光を乾へ向ける。

「本当に来たのか。大人しく引っこんでいればいいものを」

「あなたこそ。今度こそ巽くんの仇、取らせてもらうわ」

(行きましょう。……乾様。貴方の愛、堪えてみせます)

 唇を真一文字に結んだまま、乾は純白の戦姫となりレイピアを手に取る。そのまま低く切っ先を構える彼女に、蛇は牙を剥き出すと、尻尾を激しく地面に叩きつけて喉を鳴らす。

「果たして。そのポンコツイデアを引き連れて何とかなるとでもお思いですか? 今度こそ私と共に来てもらいますよ!」

 とぐろを解いて空に舞い上がった蛇は、猛然と乾に向かって襲い掛かった。


 その頃、ヴァルーは巽の中の一つの記憶に辿り着いていた。彼方に一本の白い鉄塔が聳え立つ、潮風香る見慣れない街並みの中、一棟のビルが警察車両に取り囲まれ、野次馬達が警察官によって半ば強引に押し下げられている。見慣れない制服を着た一人の少年と共に、巽は今にも飛び込みそうな勢いでビルに向かって何事かを叫んでいた。ジャケットを着た男が、そんな二人を必死に押さえ込んでいる。

 ヴァルーが彼らに合わせてビルを見上げていると、激しい地響き、爆炎と共にガラスが吹き飛ぶ。濛々と黒煙が立ち上り、巽は今までヴァルーが見たことも無かった顔で絶叫した。そのまま崩れ落ちて、彼ははらはらと涙をこぼしている。顔をしかめたヴァルーがじっと見つめていると、横から微かな声がする。

「君が、ここまで来てくれるとはね」

 氷の十字架に縛りつけられ、巽がやつれた顔でそこにいた。ヴァルーは息を呑むと、慌てて側に飛び寄り、薄ら笑いを浮かべている巽に向かって吼えた。

「おい。巽。さっきはよくもあんな真似しやがったな!」

「……ああでもしなければ、君を守ることは出来なかった」

「ふざけんなよ! それでてめーがこんな事になっちまったら意味ねーだろ!」

 腹に湧く怒りのままにヴァルーは巽へ詰め寄る。しかし巽は首を振り、うらぶれた顔で竜を見つめた。

「僕はもう、誰の事も失いたくないんだ。もう僕は、こんな思いはしたくない」

 蚊の鳴くような声で、凍る涙を浮かべながら巽は目の前に広がる記憶を見つめる。焼けたビルから出てきた消防士に縋り付く少年と巽だったが、その消防士から発せられた言葉は二人を更なる絶望に突き落とすだけだった。全身の鱗を逆立てたまま、ヴァルーは巽を横目に睨む。

「お前、親父以外にも誰か亡くしたのか」

「柳葉達家(たついえ)。僕の父さんのライバルで、死んだ父さんに代わって、彼が遺した人生の流儀を教えてくれた人だ」

 場面は葬式に代わり、花を持った巽が棺へと向かう。そこに遺体は無く、彼を模した木像が代わりに収められているだけだった。無念に凍った身体を震わせ、巽は呟く。

「父さんを知らない僕にとっては、彼が父親代わりだった。彼に教えられた人生の流儀に従って、僕も、誰かの役に直接立てる仕事をしたいと思った。探偵になりたかったんだ。僕も」

 さらに時は過ぎ行き、狭い寝室に籠りうなだれる巽に向かって、精悍な顔の少年がその襟元を掴んで引っ張り立たせようとしている。しかし打ちのめされた巽は立ち上がろうとしない。終いにはその頬をぶん殴られても、彼はその場を動くことが出来なかった。

「でも、僕は……僕には何も出来なかった。事件が起きた時、彼の役に立とうと張り切ってヘマをして……そんな僕を庇って、彼は自爆を仕掛けてきた爆弾魔に捕まって、死んでしまったんだ。僕が、僕が殺したようなものなんだ」

 何度もしゃくりあげ、巽は首をがくりと垂らして泣く。ヴァルーはただ一人語り続ける彼に焦れて、尻尾を振り乱し再び迫る。

「お前が辛い目に遭ったのはわかったよ。だから何だってんだ。それがあったからお前は俺を庇ったってのか?」

「ああ。そうだよ!」

 急に巽は声を荒らげた。瞬間、記憶の中の巽も床を叩いて起き上がり、叫びながら部屋を飛び出す。潤んだ目を爛々と輝かせ、巽はヴァルーを睨み付ける。

「僕はもう誰も失いたくないんだ。失っちゃならないんだ。だから。僕はこの街を、大切な人を守るヒーローになりたいんだよ! 柳葉さんのように。父さんのように!」

「ふざけんな! だったら俺と一緒に戦わねえでどうするんだよ。どうして、俺の事ほっぽらかして、自分一人であんなもん受けるような真似した!」

 目を血走らせ、鬼気迫る表情で詰め寄る。唇を噛みながら、威嚇するようにヴァルーを睨んでいた巽だったが、ふとその力は抜け、目を閉じて顔を背けてしまう。

「……だって、僕にとって、君もやっぱり大切な存在だからさ」

 力なく笑うと、巽は震える口元でどうにか笑みを繕おうとする。

「最初は、何だこいつと思っていた。傍若無人、暴力主義、君を罵倒するための言葉なら挙げるに困らないと思っていた。でも、君は僕の為に戦う必要など無いのに、何だかんだ付き合ってくれた。躓く僕に叱咤を送ってくれた。……気づけば、君は僕にとっての相棒になっていた」

「相棒……」

 その言葉は、ヴァルーの琴線に触れた。様々な感情が、怒涛のように押し寄せ、処理しきれなくなる。翼が震え、浮かべず巽の肩に舞い降りた彼を慈しむような眼差しで見つめ、巽は今度こそ口端に笑みを浮かべる。

「それに……ドラグセイバーに欠かせないのは僕じゃなくて君だ。君が僕の代わりを見つけて戦えば、まあ、そんな義務は君にはないが……この街は守られると思った。君ならば、やれると思ったんだ。それなのに、こんな風にして戻ってくるなんて……」

「ふざけんな。ふざけんな!」

 掠れた声が響く。声を詰まらせた巽に向かい、ヴァルーは弾かれたように飛び上がると、そのまま捻るように宙返りして長い尾を巽の頬に有らん限りの力で叩きつけた。乾いた音が響き渡り、記憶の風景もともに砕け散って二人は闇の中に落ちる。息を荒げるヴァルーを茫然と見つめている巽に、ヴァルーは激しく迫った。

「聞いていれば何だ、てめえは! 誰も失いたくないなんてなあ、誰だって同じなんだよ! さっきの乾の顔、見せてやりてえよ! あのまま倒れて死んじまいそうだったぞ、あいつ。惚れた女なんだろ? 泣かせてんじゃねえよ!」

「彼女ほど優しさと勇気に溢れた人を僕は知らない。僕なんかよりも彼女に相応しい人はいくらでもいる」

 首を一振りすると、翼を怒らせさらに詰め寄る。

「そういう問題じゃねえよ! あいつだってお前に惚れてんだよ! いい加減気づいてんだろうが。それに応えねえで勝手に男ぶってんじゃねえ!」

「そんな事を言うために、わざわざ僕の中に入ってきたというのかい? 君がここにいるということは、戦っているのは乾ちゃんだけのはずだ。君こそこんなところで油を売らないでくれ。彼女の為に力を貸してやってくれ!」

「馬鹿野郎!」

 瞬間、ヴァルーはドラグセイバーの姿となって思い切り拳を振り抜いた。炎に巻かれた拳は彼を縛りつける氷を打ち砕き、巽をその場に転がす。切れた頬を押さえて見上げる巽を見下ろし、ヴァルーは一歩にじり寄って掴み上げる。

「……お前と俺が一緒になって戦うからドラグセイバーなんだろうが。お前とじゃなきゃ、俺はドラグセイバーにはなれねえんだよ。この前俺に言ったこと、もう忘れたのか。大事なのは俺とお前が一緒に戦っていること、なんだろ?」

「それは……」

 巽は言葉を失い顔を背けようとする。しかしヴァルーは顎を掴んでこちらを向かせ、ギラギラと輝く瞳で彼の燻った瞳を見据えた。

「俺は何でもねえ存在なんだ。今の俺にとっちゃ、お前と一緒に戦ってることが全てなんだよ! ……だから、そんな下らねえ拘り捨てろ。俺は死なねえ。お前も死なねえ。目の前で誰も殺させねえ。それでこそドラグセイバーなんだろうが。相棒!」

 巽ははっと息を呑んだ。そのまま観念したように脱力し、ヴァルーの身体に身を預ける。

「君は今、僕を相棒と呼んだね? こんな頼りない僕の事を」

「お前が俺を相棒と認めてくれたんだ。俺だってそう呼ぶしかねえだろうが」

 巽を固く抱き締め、ヴァルーは応える。その時、ついに巽の瞳に光が戻った。氷が次々に砕け散り、融け去っていく。巽はヴァルーを抱きしめ、頷いた。

「……わかったよ。行こう。君の命は僕が預かる。だから、君も僕の命を預かってくれ。相棒として!」

 その時、二人を包む闇は、白い輝きに塗り潰されていった。


「くっ……」

 道に膝を付き、乾は変身の解けた自分の姿を見て呻いた。必死に善戦した彼女も、こうなればただの乙女だ。全身に生傷を付けられたウロボロスはやれやれと首を振り、乾を静かに取り囲む。

「少しおいたが過ぎるよ。殺すつもりはないけれど、少しくらいは怖い思いをしてもらおうか」

 乾は浅い息を繰り返し、蒼白な顔でウロボロスを見上げる。

(申し訳ありません。やはり、あなたの抱く愛の重みは、私の貧弱な意思には背負いきれない!)

 最早エルンストを責めることは出来なかった。身を縮め、震えながら彼女は指を組んで彼の帰還を祈る。そんな彼女の想いを察した蛇は、目を細くして舌を伸ばす。

「全く。誰も彼も恐れるばかりで何にもならんと思えば、君は時ここに至っても奴の助けを信じているのか。……透と琴音の娘だ。悪く言いたくはないが……少しは現実を見たまえ」

「私は、私は信じる! 巽くんは、絶対に帰ってくるから!」


「ありがとう。乾ちゃん」


 その時、通りの彼方から低い声が響いた。ウロボロスは眉間に皺を寄せると、ちらりと振り向く。拳を握りしめ、ただ純粋な怒りを研ぎ澄ませた巽は、ヴァルーを肩に載せてウロボロスへ歩き迫っていた。

「もう戻ってくるとは。その根性だけは認めてあげよう」

「光栄だ。……なら僕は、お礼にこの街の人を傷つけた君をぶっ飛ばす!」

 両手を広げると、飛び上がったヴァルーをその身に受け止め変身する。真紅の鎧は蒼炎に包まれ、彼を蒼の戦士へと変えていった。乾への囲みを僅かに狭めつつ、ウロボロスは金を牙から滴らせながら首を振る。

「やれやれ。何度立ち向かおうと同じ事だ」

「巽くん。ヴァルー。お願い……!」

 乾は藁にもすがる思いで念じる。二人は頷きあうと、地面に手を突き立てて大剣を取り出し、静かに構えて目を閉じる。

「いいか。想像しろ巽」

「ああ。今から僕達は、一つになる」

「そうだ。俺達は、一つになるんだ!」

 巽とヴァルーは静かに念じ始めた。蒼い鎧の隙から、銀の光が零れ出す。太陽の光を浴びて、鎧の鱗は激しく震え、炎が爆ぜるような音を立てる。息さえ殺し、彼らはひたすら黙して動かない。それを見逃してやるほど、蛇は馬鹿ではない。唸ると、口蓋を限界まで打ち開いた。

「どのような策を弄しようと関係は無い。我は貴様を無限の牢獄へと突き落すのみ!」

 時を凍らす魔弾が飛ぶ。二人は目を見開くと、大剣を盾に氷弾を受け止めた。激しく吹き飛び、彼らはどこまでも押されていく。だが、彼らは道路に焦げ跡を刻み付けながら、倒れることなく踏ん張っていた。ウロボロスは驚愕に目を見開く。何故だと問う間も無い。震えていた鱗は罅割れ、見る見るうちに剥がれ始めた。はらはらと、牡丹雪が舞い落ちるように。

「僕達はドラグセイバーだ。この街に恐怖をもたらしたお前達を絶対に赦さない、この神凪市を守る怪物だ」

「俺達の目の前で人間どもに手出した以上は、覚悟しろよ」

 現れた白銀の鎧。眩い光が重い雲さえ切り裂き、眩しい陽光が槍のように街へ差し込む。金剛石のように輝く銀色の鎧を身に纏った二人は、改めて大剣を構え、目の前のウロボロスを睨み付けた。

「今から、お前の敗北を創造する!」

「それで格好を付けたつもりか。その言葉は、そっくりそのまま君に返す!」

 ウロボロスは舌を震わせ、周囲の空気を凍らせ始める。二人の身体も凍り付いていくが、二人は動じなかった。剣を担ぐと、不意に光跡を残してウロボロスへと突っ込む。身動ぎする間もなく、二人は彼の懐へと突っ込み、ウロボロスのとぐろの中で身を固まらせている乾を救い出した。

「生意気な……」

 真紅の瞳を見開いて声を荒げるウロボロス。頬を染め、乾はきょとんと二人の銀色に輝く凛とした瞳を見つめる。

「ごめんね乾ちゃん。君には大変な思いをさせてしまったらしい」

「巽くん……」

 巽が倒れた時よりも真っ白な頭で、乾はその場に立ち尽くしたままぼんやりと二人を見つめていた。二人は頭を掻くと、肩を掴んで無理矢理回れ右させる。

「おい、ぼーっとしてんじゃねえ。戦えねえなら、さっさとここ離れとけ。こいつは俺達だけで十分だ」

「う、うん」

「生意気な。貴様が一体何者であるかは知らん。だが、この世の無限を司る神獣、ウロボロスに敵うとでも思うのか!」

 金の蛇は叫ぶ。二人は首を傾げ、大剣の背を掴むと中から一本の虹色の光沢を放つ刀を引き抜く。

「お前こそ、俺達の事を知らねえで、良く勝った気になれるな」

「もう一度だけ教えてあげよう。僕達はドラグセイバーだ!」

 刀を構えた二人は、ウロボロスに向かって一直線に突っ込み塞がりかかっている傷口に向かって一閃を見舞った。金の蛇の固い身体はすっぱりと裂け、真紅の血が溢れる。神速と剛腕が絡み合う一撃に、今度こそウロボロスは驚愕に目を見開いた。

「馬鹿な! その力は、最早人間を超えて……!」

 再び刀を構え、二人は蛇を得意げに見据える。

「僕達は今、真にドラグセイバーという個になっているのさ。今の僕達ならば、どれほど人の矩を超えようと、耐えられる」

 刀を振り抜き、光の刃を鋭く飛ばす。ウロボロスは喉を震わせて氷の壁を作ると、刃を打消し二人を睨み付けた。

「……危険だ。大いなる計画のために欠かせないファクターだとしても、貴様の存在は最早、イマジナリーとして看過できん!」

「その言葉、そっくりそのまま返してやるぜ!」

 二人は翼を広げると、先に飛び上がったウロボロスを追って空に舞い上がる。ウロボロスの舌打ちと共に空は歪み、二人の身体は時の弛みに縫い付けられる。

「我は無限を司る者! 貴様の自由を奪うなど造作も無い!」

「アホか。それで勝ったつもりかよ」

 二人は刀を銀色のライフルへと変え、鈍る身体を動かしどうにか引き金を引く。炎に巻かれた弾丸が飛び出し、空を縫うように飛び回ってウロボロスへと飛んでいく。その一撃は飛び出したウロボロスに正面から襲い掛かり、彼の深緑の眼を炎へ包む。絶叫と共に空をのたうち回り、残った真紅の眼で二人を見据える。

「貴様、なぜ」

「てめえがこっちへ突っ込んでくる道を確保してんのくらい、わかってんだよ」

「おのれ……」

 眼が潰れ、時の弛みは元へと戻る。二人は再びライフルを刀へと変え、切っ先を震える蛇へと向ける。

「さあ、終わりだ」

「ふざけるな。無限の象徴が敗北することなど、あってなるものか! 貴様の手にかかるくらいならば、私は死を選ぶ!」

 二人が飛び出した瞬間、口蓋を大きく打ち開いた蛇は自らの身体を尾の方からくわえ、一気に呑み込んでしまった。ウロボロスは赤と緑が絡み合う小さな石となり、そのまま砕け散る。破片を拾った二人だったが、その手の中で石は砂となって消えていった。溜め息をつくと、首を振って呟く。

「はあ。野郎、敵ながら潔いっつうか……」

「奴はさっき、『大いなる計画』と言っていた。まだまだ、戦いはこれからかもしれない……」

「それでも戦うだけだろ? この街に襲い掛かる限り」

「ああ。そうさ」

 二人は頷くと、静かに地上へと下りていった。


 冷気が弛み、氷が融けだしていく。ようやく動けるようになった人々は、翼を広げて舞い降りてきたドラグセイバーを茫然と見つめる。駆け寄った乾は、涙を浮かべて彼に飛びついた。肩を震わせ、堅い鎧を小さな拳で叩きながら泣きじゃくる。変身を静かに解いた巽は、彼女に何も言えないまま、そっと抱き返すしかなかった。


 その時、巽はもう予感していた。この戦いは、まだ終わりの先触れに過ぎないということを。



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