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十四話 僕達が変身する!

 剣崎巽。薄氷の上にあったヒーローの誇りは、殺人鬼の手によって淵の底へと落とされた。人々はドラグセイバーへの憎悪を叫ぶ。ヴァルーは自らの存在を見失って錯乱し、巽は父の名誉を傷つけられて激昂した。今、ドラグセイバーは最大の危機にあった。


『異能生命体C号とBD号は共に逃走、異能生命体AR号もまた行方をくらませた模様です。自衛隊と警察は厳戒態勢を継続しています……』

 装甲車や警備車が走り回り、警察と自衛隊以外には人っ子一人見当たらない。ラジオを切り、大通りの様子を見つめて乾は溜め息をつく。このまま出ていけば保護という名の拘束が待っているだろう。

「キレるなんて、巽くんらしくないよ」

 乾はぽつりと呟く。巽は小さく頷き、それでも悔しさを滲ませてぼろぼろの身体を震わせる。その肩には、分厚い雪が降り重なっていた。

「奴はドラグセイバーの名を汚した。それどころか、僕の父さんを……神凪の本当の英雄を嘲笑った! それだけは……僕は許せなかった……」

「巽くんがお父さんにどれだけの憧れを持ってたかはわかるよ。でも、もしあの火の玉が戦車に当たっていたら、ドラグセイバーは今度こそ本当にヒーローじゃなくなっちゃうでしょ」

 返す言葉も無く、巽はその場に身を縮めて俯く。今もヴァルーは意識の奥底で眠りについている。

 ヴァルーの存在の不可欠さを、巽は今痛烈に思い知っていた。感情の振れ幅は激しいように見えて、ヴァルーはいつでも冷静だった。それに比べて彼は冷静に振舞おうとして、結局は感情的になることが多々だった。そんな彼の手綱を、ヴァルーは望むと望まざるとに関わらず取ってくれていたのだ。

 頭に手を押し当て、巽は呻く。無力感に苛まれていた。せっかく相棒らしい関係になれたはずであったのに、自分の手はヴァルーに届かなかった。

「乾ちゃん。僕は、ダメな奴だ」

「いじけないでよ。失敗は誰だってするんだから。今回は私がフォローできたし、落ち込むことじゃないって」

「それもあるけれど。……僕はヴァルーが苦しんでいるのに、何もしてやれなかった。仲間なのに……」

 乾は唇を噛む。なら、自分はもっと落ち込むべき奴だ。乾は心の奥底で呟く。今まさに苦しんでいる巽にも、ヴァルーにもろくな手を差し伸べられていないではないか。降り積もる雪に、乾の心も冷やされていく。

 ダメだ。自分まで落ち込んだら。しかし乾は、自分に言い聞かせながら巽の側に歩み寄る。そのまま跪いた乾は、そっと巽を抱き寄せた。

「何もしてやれなかったなんて、無いと思うよ。だから落ち込まないで。今ここで落ち込んでたら、それこそあの怪物の思うつぼだと思わない……?」

「乾ちゃん」

「とりあえず。こういう時は多少なりとも食べた方がいいよ。どこかから食べ物調達してくるから。待ってて」

 乾はにっこり微笑んで見せると、戦姫に変身し、ビルの配管やら梯子やらを伝ってビルの屋上へと昇っていってしまった。それを見送る虚ろな目に僅かな光が宿った。彼女の微笑みは、いつでも彼に力をくれるのだった。

「……乾ちゃん。ありがとう」

 その時、近くのガラクタが音を立てて崩れる。まさか。最悪の事態を想像して近くの鉄パイプを手に取った。

しかし、振り返った彼の前に現れたのは、青いステージ衣装を着込んだままの、一人の少女だった。少女は弱々しく微笑むと、そっと彼に向かって身を乗り出す。

「あなたが、ドラグセイバーの正体だったんですね」


「……おのれ、あの男!」

 暗がりの中シルクハットを投げ捨て、打ちっぱなしの壁に青年は拳を叩きつける。怒りが抑えきれず、髪は金色、瞳は赤緑のオッドアイに変貌していた。壁にもたれかかる鷹のような眼の女も、髪の毛を掻き乱して顔をしかめる。

「あの男の中にあるイデア……既にほとんど原型を失っているぞ。奴の狂気に取り込まれてしまったか」

「まさかドラゴンまでも奴に取り込まれるとは……このままでは、奴め最悪の形で暴走を始めるぞ」

 傘で床を突き、少年は深刻な表情で呟く。大男は爪が食い込むほどに拳を握りしめ、機材にもたれかかって腕組みしている壮年の男女に目を向ける。

「自我の崩壊した有様を見るに、最早一刻の猶予もあるまい。同志よ、我らで処理いたしますか」

 女と何事か話し合っていた男は、静かに首を振る。その眼は相変わらず自信に満ち溢れ、曇ることは無かった。

「必要はない。『彼ら』がやってくれるだろう」

「だが、彼らは今打ちのめされて立ち上がることもままならない有様だ。彼らに期待している場合ではないのでは」

 大男は語気を強めて男女に詰め寄るが、男はそんな彼の肩に両手を載せ、人の良さそうな作りのいい顔に屈託のない穏やかな笑みを浮かべ、宥めるように言い含める。

「いつも言っているだろう。彼らはやってくれると。ヒーローなのだから、これぐらいの危機は乗り越えて当然だとね」

「どうして、あなたはあんなに頼りない彼らを信じられる?」

 青年は青白い顔に捨て鉢な笑みを浮かべ、吐き捨てるように尋ねる。事あるごとに躓き倒れる彼ら二人に期待しようという気持ちは、青年には最早無くなりつつあった。男はそんな彼にも歩み寄ると、温かくその肩を叩いた。

「私達が、何も考えずに彼を『リ・クリエーション』のキーに据えたと思うかい」

「いえ……そのような事は」

「だろう? ならば信じて待ちたまえ。彼らは、必ずやあの怪物に引導を渡してくれるだろう」

 そこまで言うと、男はふと笑みを隠し、奥に潜めていたあらん限りの憎悪を瞳へ露わにする。思わず青年がたじろぐほどの闇があった。くるりと背を向けた男は、部屋の中心に輝く一本の水晶柱を見上げて呟く。

「翔一を否定した罪は重いぞ。思い知るがいい」

 口を真一文字に結ぶ男を見つめる女は、眉一つも動かさずに無表情を貫き、言葉も無く水晶の側に佇み続けていた。


「君は、神木さやか……」

 隣にちょこんと座り込んだ神凪市のアイドルを、巽は死んだ魚のような眼で見つめる。彼女ははにかんでただでさえ赤くなった頬をさらに赤らめると、膝を抱えるようにして小さくなる。

「まさかあの時にも一度助けられてるなんて。思いもしませんでした」

「困ってる人を見たら助けるのは、当然の事さ」

 巽は俯いたまま、掠れた声で答える。神木は小さく首を振ると、前髪に隠れた彼の横顔を見遣る。

「当然なんかじゃないですよ。私だって、実際に困ってる人を見ても、よし助けよう、なんて思えませんもん。とってもすごいことだと思います」

 励ますような口ぶりにそっと面を上げると、口端へ僅かに笑みを浮かべる。燃え尽きていた心が、少しだけ温まっていた。

「そうか……でも君だって凄いじゃないか。君の歌は、人を元気にする力がある。結構ファンだよ。僕」

「ありがとうございます。ヒーローがファンのアイドルなんて、私くらいですかね」

「保証するよ。……そうだ。そんな恰好では寒いだろう。このコートを貸してあげるよ」

 神木は恥ずかしそうに俯きながら、コートを肩から掛けてもらう。もぞもぞ動いて袖を通した彼女だったが、コートがあちこち焼け焦げだらけになっていることに気付いて、思わず笑ってしまう。

「嬉しいんですけど……ちょっとぼろぼろですね」

「すまない。格好つけたつもりだけど、やはりそれだとしまらないよね」

 二人は肩を竦め、はにかむようにひとしきり微笑みあう。細いくすくす笑いがどちらからともなく零れた。だが、それも長くは続かない。ふと笑みを翳らせると、彼女は俯き呟く。

「……でも、もうみんなのアイドルはこれで終わりです。嫌われちゃいましたから」

「え?」

 戸惑う巽の横で、彼女はみるみる笑みを曇らせていく。

「黒いドラグセイバー。私も最初に見たときはまさかって、思っちゃいました。でも、やっぱり信じようって思ったんです。自分を助けてくれた、誰にでも手を差し伸べるドラグセイバーは、信じようって。でも……そうは考えてくれない人って、思った以上に多くて……」

 目に耳に、彼女へ有らん限りの悪意をぶつける人々の姿が蘇る。純粋で真っ直ぐな少女が負うにはあまりにも重すぎる痛みだった。神木は身も心も凍えて震え、涙を溢れさせる。巽は唇を噛むと、肩を叩き、そっと彼女の手を取ってその顔を真っ直ぐに見つめた。肚の奥で、再び熱が蘇る。

「君が信じてくれたなら、それだけで十分だ。僕なんかを信じてくれて、ありがとう」

「ドラグセイバーさん」

 目を瞬かせ、神木は励ますような巽の笑顔をじっと見つめる。巽は力強く頷く。

 巽はようやく気が付いた。裏切られたからショックを受けることも、名を穢されたから怒ることも無かった。自分は最初から、得体の知れない存在に魂を売り渡した怪物だった。怪物は怪物らしく、自らの身命に従って戦えばいいのだ。自分を信じてくれる人がいるこの街を守る為に、ヒーローになりたいと願って。巽は頷くと、小さく彼女に頭を下げた。

「ありがとう。君に会えて良かった」

「おい、忘れんじゃねえよ。自分一人でヒーロー面するな」

 その時、巽の頭からふわりとヴァルーが這い出してきた。べたりと伸びるその姿に、思わず神木は驚き仰け反ってしまう。

「うわっ……小ちゃい、ドラゴン?」

 彼女はヴァルーの顔を覗き込む。巽はヴァルーを手に載せると、そっと彼女に差し出した。

「ヴァルーさ。僕と一緒に、ドラグセイバーに変身して戦ってくれる相棒だ。……そうだ。僕も名前を言ってなかったね。剣崎巽だ」

「ヴァルーさんに、剣崎巽さん?」

 ヴァルーを指差し、巽を指差し、神木は二人の名前を諳んじる。ヴァルーは気怠そうに頷くと、にやりと歯を剥きだして彼女を見上げた。

「しばらくぶりだな。……謙遜するんじゃねえぞ。お前だって、立派に仲間庇おうとしてたじゃねえか。お前が何も出来ねえなんてこたあねえ。自信持てよ」

「ヴァルー、さん……」

 ヒーローに褒めてもらえた感動に、神木は胸を熱くした。目を輝かせながら小さく彼女が頷いた時、空高くから変身した乾が帰ってきた。変身を解いた彼女は、コンビニのおにぎりを巽に向かって放り投げる。

「ただいま。ほら、これでも食え」

「ありがとう」

 巽は乾の顔を見てにっこりと微笑むと、おにぎりの包みを破いて早速食べ始める。急に生き生きし始めた巽をじっと見つめ、目を細くした神木はぽつりと尋ねた。

「彼女さんですか? 剣崎さんの」

 最初の一欠片を呑み込み損ねた巽は、むせ返って口元を押さえる。何度も首を振った巽は、訝しげに彼の表情を窺い続けている神木の顔を見つめる。

「いや。別に彼女と僕は……」

「隠さなくてもわかりますよ。ずっと目が暗かったのに、急に明るくなりましたから」

 もうごまかしようがない。肩に乗ったヴァルーにニヤつかれながら、巽はただ頬を赤らめるしかなかった。

「そ、そんなに変わっているかな……」

 神木はにっと笑うと、肩を落としあからさまにがっかりする。

「とっても。残念ですよ、少し格好いいなって思ってたんで」

「あ、いや。……えーと、乾ちゃんはただの幼馴染さ。ね?」

 あーあ、と呟く神木を前に、巽はおろおろして乾を見つめる。彼女は頬を真っ赤にしたままおにぎりにかぶりつき、巽に振り向こうともしなかった。いい加減にしとけ。ヴァルーが真剣な顔でせっついてくる。取り付く島も無く、巽はきまり悪そうに俯くしかない。もう一息だ。恐怖も今一度忘れ、ヴァルーは巽の背中を押そうとする。

「おやおや。こんなところで隠れんぼとは。ドラグセイバーも地に堕ちましたねぇ」

 しかしささやかな一時も一瞬にして凍り付く。猫撫で声に四人は振り返り、見上げた神木は真っ青になって叫んだ。

「偽者のドラグセイバー!」

 非常階段の上に、黒いドラグセイバーが立ち、嘲りの眼差しを巽とヴァルーに送っていた。巽は一気に顔を引き締まらせると、力強く立ち上がって真っ直ぐに殺人鬼を見上げる。自身に潜み続けていた欺瞞の象徴を。

「よく僕の前にその姿で出てこられたものだ。覚悟したまえ。この街に恐怖を与えたこと、僕は許さない」

「全く。まだ自分の自己満足に気付かないのか。正義面して自慰を他人に押し付ける人間には、さっさと破滅してもらわないとねえ」

「待ちたまえ。最後の一口が残っている」

 間抜けた言葉に、思わず殺人鬼は耳を疑って巽をまじまじと見つめる。その隙に巽は残ったおにぎりを口に放り込んで呑み込むと、ヴァルーを自分の意識へ取り込んだ。

「さあ行こう、ヴァルー!」

 しかし、ヴァルーは震えてしまう。自らのアイデンティティを否定された彼は、縮こまってただひたすらに震える。必死に闘志を見せようと意気込んでも、心の奥底から冷えて動けない。

「ああ……ダメだ。震えが止まらねえ!」

「大丈夫だヴァルー。僕が一緒だ。乾ちゃん、彼女を頼む」

「わかった!」

 乾は変身し、神木を抱いて姿を眩ます。虚ろな目でそれを見逃した殺人鬼は、禍々しい怪物の姿へと変わる。

「なら来ればいいじゃないか。今度こそぶっ殺してあげるよ。あの時のヒーローみたいにね」

(くそっ。くそっ!)

 ヴァルーは絶叫して立ち上がった。それを確かめた巽は、右の拳を突き出し、鋭く叫ぶ。

「変身!」

 纏った傷だらけの鎧はそのまま青く燃え上がる炎に蒼く染め上げられる。体液で滑る短剣を抜いた怪物は、目にも留まらぬ速さで飛び出す。巽は鉄板を取ると盾に変えて短剣を受け止める。そのまま短剣を払い落とし、二体の怪人は路地の外に向かって駆け出した。


『異能生命体C号と未確認異能生命体が中央公園にて交戦中の模様! 現在自衛隊と警察が現場へと急行しているようです! 現場の木崎さん、どうなってますか!』

「ドラグセイバーだ!」

 マンションの中、ソファーに座ってテレビを見つめる幼い男の子がいきなり叫ぶ。荷物を大きな旅行鞄にまとめていた母親は、慌ててテレビに駆け寄る。そこには、中央公園のど真ん中で戦う見るも恐ろしい二体の怪物が、上空から映されていた。

「がんばれー!」

 蒼いドラグセイバーに向かって声援を送る息子に血相を変え、母親はその肩を掴んだ。

「だめ! 言ったでしょ。あれはみんなを騙す悪い奴なの!」

「お母さんのうそつき! ドラグセイバーはわるいやつなんかじゃない! お母さんのほうがわるいやつにだまされてるんだ! 目をさませ!」

「何言ってんのよ、バカ!」

 男の子はぐずって母親の頭を小さな拳でぽかぽかと叩く。きっと目を開いた母親は、男の子の頭を思い切り叩いてしまった。やっぱりだ、と男の子はわんわんと声を上げて泣き喚く。

「何なのよもう……」

 苛立ち涙ぐむしかない母親は、ただただ戦い続けるドラグセイバーに憎しみを抱き続けるのだった。


 怪物に蹴り飛ばされた巽は、木の幹に叩きつけられ倒れ込む。罅の入ったクラッシャーの隙から喀血が漏れ、右肩のアーマーは割れて黒く脈打つ筋肉が剥き出しになっている。それでも闘志を失わずに立ち続ける巽に、哄笑しながら怪物は短剣を振り回し迫る。

「ほらほら。どうしたんですか? 僕を許さないんじゃなかったのか?」

 巽は全身を鉄壁へと変える。怪物はそんな彼の首根っこを掴んで捻り上げ、ブラブラと弄んでから放り投げた。何とか受け身を取りながら、巽は反撃の機会を窺い睨み付ける。しかしヴァルーは恐慌し、二人の調和は全く取れていなかった。

「くっ……ヴァルー、気を確かに持ってくれ! このままで奴とは渡り合えない!」

「其奴に何を期待している。其奴はただのバグ、イレギュラー、フラグメントに過ぎない。イデア界の崩壊進行に際して現れた、私の紛い物に過ぎない!」

 頭に浮かぶ目の一つが紅く光り、牙に覆われた口が後頭部に浮かび上がって叫ぶ。聞いた途端にドラグセイバーから隻眼の輝きが失われ、蒼い鎧が熱を失い紅へと戻っていく。巽がヴァルーの名を叫んでも、意識の泉に崩れた竜は弱々しく吐き捨てる。

(……そうだぞお前。俺に何を期待してんだ。俺は何者でもない存在なんだ。何者でもない奴が、何か出来るわけねえだろ……!)

「冗談じゃない! 何弱気になってるんだ!」

 振り絞るように巽は叫ぶが、疲弊しきった彼は殺人鬼がわざとのろのろと繰り出してくる蹴りにすら対応しきれず、よろよろと地面に倒れる。気力だけで立ち上がって剣を振るう巽に、

「お前こそ。何で俺と一緒に戦える……?」

「君が何者かなんて関係ない。大事なのは僕のこの街を守りたいという我が儘に君が付き合ってくれているということ、ただそれだけだからだ!」

 大振りの一撃を余裕めかした殺人鬼にぶち当て、巽は言い放った。大したダメージも無く、せせら笑いながら殺人鬼は挑発するように目の前で巽を煽り続けている。

「巽、お前……」

 ヴァルーはぽつりと呟く。今なお衰えない確かな闘志で、巽は剣を振るい続けていた。最早何もかも不確かで、頼りない存在。彼は、そんな存在に背中を預け、戦い続けようとしているのだ。圧倒的な力で全てを否定しにかかる怪物と。

「全く不愉快な男だよお前は。お前なんか痛めつけたところで萎えるだけだねえ。さっさと貴様を殺して、あの女の血で淫らに僕を染めに行こう」

 舌打ちした怪物は、短剣を構え、光の尾を曳き一気に踏み込む。今度こそ、一刃の下に目障りな存在を真っ二つに切り裂かんと、怪物は轟くように哮りを上げた。

 刹那、ドラグセイバーの鎧は再び蒼く燃え上がった。

火花が飛び散る。籠手で短剣を跳ね返したヴァルーは、足を止めてしまった怪物を渾身の力で斬り返す。鎧を砕いて肩口まで刃は食い込み、黒く輝く鮮血が舞った。怪物は全身の目を見開き、呆然とその場に崩れる。顔を上げると、燃える気迫に両眼を蒼く輝かせたドラグセイバーが刃を突きつけていた。

「な、何故だ……お前は僕に、ついてこれなかったはず」

「黙れよ。お前は俺達を侮ったな? 悪に負けかけた時、限界を超えて力を振り絞れる俺達を!」

 鋭い蹴りが飛んだ。受け止めきれなかった怪物は呻きながら地面を転がる。剣を構え、ヴァルーは微かに笑う。ヴァルーは、いじけていた自分が余りにも下らなかった。自分が何者か悩む必要など無かった。ヴァルーには、自分であるための確固たる拠り所がとっくに存在しているのだから。

「そうか、そうだよな。巽。俺が、いや俺たちが、何者かなんて決まってたか」

「ああ。僕達は、この街を守る怪物、ドラグセイバーだ」

拳が床に叩きつけられる。肩をわなわなと震わせ、虎上が絶叫した。

「ふざけるな! 貴様など、暴力を振るう相手を選んでいるだけの欺瞞に塗れた卑怯者に過ぎない!」

「確かに僕には欺瞞があった。他人からヒーローとして認められて、それに喜び戦う糧にしていた。僕は、ヒーローに憧れるだけで、ヒーローに相応しい人間じゃないかもしれない……けれど、僕はこの街を守りたい。ヒーローにはなれなくても。剣崎巽として、ドラグセイバーとして!」

 巽は剣を握りしめ、よろめきながら立ち上がる殺人鬼を睨みつけた。

「もう一度言う。この街に恐怖を与えた罪は、きっちり償ってもらうぞ」

 その時、一台の戦車と、ロケットランチャーを抱えた自衛隊員が公園に向かって駆けてくる。しかしサイレンを鳴らした警備車やパトロールカーがあっという間に追い抜き、その行く手を阻んでしまった。

『何をしている! すぐに車両を退けろ!』

 司令車の中に怒号が響く。しかし神凪署の署長は怯まなかった。無線を取ると、押し殺した、それでも確かに響く声で叫ぶ。

「退けません! 我々は、最も間近でドラグセイバーを見てきた。そして、彼の勇敢さを最もよく知っている。……我らはこの街のために、彼へ報いる!」

『行けドラグセイバー。我らにはこれくらいしか出来ないが……我らは、君が神凪にとって正義の戦士だと信じている!』

 署長の声が公園に響き渡った瞬間、機動隊員は一斉に銃弾を怪物に向かって撃ち込んだ。対異能生命体用に設計された銃弾は、彼の肉体に突き刺さり、確実にダメージを与える。さしものヴァルーも称賛の言葉しか思いつかなかった。

「くそっ。泣かせることしてくれるぜ……」

「ふざけるな! 俺は認めない。僕を壊したヒーローを、私を殺人鬼にしたヒーローを! お前らみたいな自己犠牲をひけらかす奴は、気持ち悪いんだよ!」

 金切り声で叫んだ怪物に、それは突然訪れた。息を詰まらせ、喉を抑えてもがき苦しむ。全身から闇を噴き出し、その姿はどろどろに溶けていった。そのまま身体は巨大な虎へと変わり、様々な斑模様が浮かび上がる。さらには獅子のたてがみが生え、頭は蛸の身体に変わり、蜘蛛の目が浮かび上がる。尻尾はトンボの腹へと変わり、竜の翼が背中を突き破って生えてくる。見るも禍々しいキマイラは、紅く輝く四つの眼で目の前に立つヒーローを見つめた。

「壊ス。全部壊シテヤル!」

 口から発せられる名状しがたい鈍い響きが地面を割り、街がぐらぐらと揺れる。ようやく公園に辿り着いた乾は、その姿を見た瞬間に本能的な恐怖に駆られ、その場に崩れ膝を付いてしまう。彼女も中のエルンストも、不安の眼差しを怪物に正対する彼へ向けるしかなかった。

(巽、ヴァルー……)

しかし、当の彼らには既に迷いなどなかった。剣を放り捨てたヴァルーは、低く唸りながら全身を輝きに包む。

「巽。一発勝負だ。一発であいつを黙らせる。耐えてくれよ」

「問題無い。……ヴァルーこそ、決めてくれたまえ」

「たりめーだ!」

 ドラグセイバーは時さえ抜き去る神速を持ちながら、鉄塊をも粉砕する剛力を持つ。人智を超える二つの力を併呑した瞬間、巽の意識は凄烈な痛みとともに弾け飛びそうになる。死を選びたくなるほどの苦しみに絶叫し、木々が震える。それでも、巽は堪え続けた。

「行け!」

 巽が叫んだ瞬間、ヴァルーは走り出した。轟音とともに突き出される無数の触手をすり抜け、爪から発せられた地を走る雷撃を飛び越え、翼が巻き起こす剛風を切り裂き、飛び上がろうとした怪物の頭上を取る。

「アアアアアッ!」

 無数の牙が生えた口蓋を開き、怪物は悲鳴を上げる。衝撃波に蒼い鎧に罅が入り、銀色の光が洩れた。

「喰らいやがれぇっ!」

 右足に光を纏わせたヴァルーは、全身を捻り、偃月の軌跡を描きながら、右足をぶん回し有らん限りの力を込めて叩きつけた。

「ギアァッ!」

 全身が蒼炎に包まれた怪物は呆気無く吹き飛ぶ。そのまま地面でもがく怪物の身体を灼き尽くし、そのまま爆ぜて巨大な火柱と化した。

 消えた後には、虚ろな顔で転がる血みどろのタキシードを纏う男の姿があった。しかし間もなく、その体は血に塗れどろどろに溶けていく。

「……そうか。僕は、やっと逝けるのか……」

 先端から無くなっていく腕を見つめた男は微かに口端へ笑みを浮かべると、黙って目を閉じ、何事も言わず静かに消えていった。

「終わった、のか」

 巽もまた限界だった。安堵の溜め息も込めて呟くと、ふらりとその場に崩れ落ちる。変身は解け去り、襤褸切れのようになった巽が一人、雪の降り積もる公園に倒れ伏した。

『人間……だと?』

 無線に茫然とした呟きが流れる。銃口を上げた機動隊員もしばし縛りつけられたかのように動けないでいたが、やがて誰からともなく声が上がり、倒れた若者に向かって駆け寄っていく。ヘリコプターのプロペラ音だけが響き渡る呆けた空間の中、物陰から見つめていた乾は半ば涙を浮かべて胸を撫で下ろす。そして、無線を投げ戻した署長もまた、一人微笑んで帽子を被りなおすのだった。


 その時、誰もがやはり気づいていなかった。一つの終わりは新たな終わりの始まりに過ぎないということを。


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