第8話 春と来客と制限時間
春である。
誰がなんと言おうと春である。
俺はミーティアから頼まれた買い物を済ませた後、少しばかり遠回りして嘗て通った母校の前に佇んでいる。
暖かな風と、咲き乱れる花々。
そして、校門にゾロゾロと吸い込まれる同じ制服を着た生徒達。
まだ入学式が始まる前だが、在校生達は新入生を向かい入れる為に色々と準備があるのである。
懐かしい制服を見ながら俺は自分の在学中を思い出す。
貴族でありながら殆ど仕送りが無く、バイトで食いつないだ日々。
様々な境遇の人間が通うこの学校において、その差別感を無くす為に採用されている制服がどれだけありがたかった事か。
特に、俺のように私服を買う余裕も無かった苦学生には実にありがたい制度であった。
まあ、そんなものは関係無しに馬鹿にされ続けた学校生活ではあったが……。
今の俺はどうだろうか。
俺は自分の身の回りを見て考える。
薄汚れてボロボロになった私服に、やたら上質な買い物袋が異様に浮いている。
肩の所はギザギザに破け、まるで何処ぞのチンピラのようだ。
生憎そこから飛び出した腕にはまだそれ程筋肉はついていないが、筋トレが趣味の同居人と一緒に生活している限り、その内ムキムキになってしまうのではないかと思っている。
しかしながら、学生が沢山歩いているこんな大通りで自分の体を見ながら色々とポーズを決めていた俺に対して、世間の……もとい、現在の在校生達の視線は冷たい。
何やらヒソヒソとこちらを指さしながら注目する連中が現れたあたりで俺はその場を後にした。
全く、これだから身分の高い子供は嫌いなのだ。
屋敷に戻ると待っていたのは、不機嫌を絵に書いたようなミーティアとその隣で静かに佇む無表情のカレンの2人であった。
カレンに関してはいつも通りのなので別に構わない。
ミーティアに関してもこれが俺と朝から仕事を共にしている日ならば別にいつも通りなのだが……。
生憎、今日のミーティアは内仕事。
本来ならば俺は一日の殆どをオフとして過ごせる日の筈であった。
まあ、大抵は今日買い物を頼まれたように何かしらの用事を押し付けられるのが常なので、基本的にミーティアが仕事の日は自室待機しているのだが、それでもいつもならば内仕事の日に何かを頼む時はそれ程不機嫌では無いはずなのだ。
それが、今日に限って不機嫌とは。
きっと何かある。
「お嬢様。頼まれたインクと教鞭を買ってきました」
俺は不機嫌なミーティアの逆鱗に触れないように、そっと買ってきたものをカレンに渡す。
カレンは無言で頭を下げた後、買い物袋をひとまず下げようとした所で、横に居たミーティアに奪い取られた。
俺はともかく、カレンも少し驚いた顔をしている。
普段から傍若無人なミーティアだが、仕事中に理不尽な態度を取る事は実は少ない。
あれでいて、どうも公私を使い分けているようなのだ。
そんなミーティアが、普段決して乱暴を振るわないカレンの手から無理やり荷物を引き抜くと、何も言わずに中身を物色している。
俺とカレンは思わず顔を見合わせる。
仕事中のカレンがこうして俺に対して素直な感情をぶつけてくる事自体初めての事で、それ程珍しい行動をミーティアがとっているという事だ。
すると、ミーティアは袋の中から教鞭をとり出すと、何やらビヨンビヨンと弾力を確かめているようだ。
ちなみに、言われるがままに買ってきた教鞭だが、教師でもなんでもないミーティアが何に使うのか疑問に思いながら買ってきた代物だ。
「レムス」
右手で握った教鞭を一度左手の平でピシリと叩いた後に俺を呼ぶミーティア。
俺は何が何だかわからなかったが、呼ばれたからには近づかなければいけない。
嫌な予感を感じながら近づいてしまった俺だったが、その予感は見事に的中する。
俺が近づいた所でもう一度手のひらを軽く打った後、今度は思い切りスナップをきかせて、俺の左頬を振り抜いた。
「アダァ!」
まるで風船が割れたような甲高い音をすぐ傍で聞きながら、思わず打たれた左頬を押さえながら踞った俺に向けて、ミーティアが冷たい目で見下ろしながら冷たく告げる。
「お客さんですよ」
「えっ!? 今叩かれる要素ありました!?」
俺の非難の声に、ミーティアは教鞭の先端で俺の額をグリグリと抉ると、さも当然のように口にする。
「私がこうして面白くもない仕事をしているその時に、その下僕たる貴方の客を持て成している私に対する態度がそれですか」
「いや、それこそ俺に落ち度ありませんよね?」
「お黙りなさい」
口答えしたのが気に入らなかったのか、再び教鞭を振るうミーティア。
ただ、今回は多少自制がきいたのかあまり痛みは感じなかったが。
「全く。相手が貴族でなかったら問答無用で追い返していた所です。何故私が飼い犬の来客対応の為に貴重な時間を割かなければいけないのか。いいですか」
ミーティアは立ち上がり、窓に目を向けながらブツブツと愚痴をこぼしていたが、クルリとこちらを振り向き教鞭を俺に向ける。
「要件は手短に済ませて早々にお帰り頂くように。くれぐれも自室に連れ込むような事はしてはいけませんよ?」
それだけ口にすると、ミーティアは溜息を吐きながら席に再び腰を下ろしてしまった。
その後は特に何もなく黙々と仕事を始めてしまったので、これで用件は済んだのだろう。
俺は無言のミーティアに頭を下げると、沈黙に支配されたミーティアの私室を後にした。
それにしても客とは一体誰なのか。
等と考えてみたものの、実は何となく誰が来たのかの察しは着いていた。
そもそも俺に訪ねてくる程の貴族の知り合いが極端に少ない事が1つ。
その少ない知り合いの中で、最近会った呪術師が仮に訪ねて来たのならばあのミーティアの態度はおかしい。
もっと狂喜乱舞していていいはずだ。
ならば、その家族だろうか?
一応元本家の人間であるならば俺を尋ねる理由はある。
しかし、はっきり言って今更だし、むしろ、用があるならこちらに来る事無く呼びつけてくるだろう。
よって、この線もなし。
大学時代の友人は?
一応騎士の家柄の友人は一名いることはいるが、彼は今頃研修を兼ねた演習に出発している頃だ。
そもそも、この街に顔を出せるはずがない。
よって、却下だ。
となると、自ずと来客は絞られるのである。
俺は客間のドアの前で軽く頭を抱えるが、直ぐに気を取り直してノックをする。
特に返事は無かったが、断りを入れて入室する。
客間と言えども特に豪華な装飾品が無いのはこの家の家主の意向なのだろう。
質実剛健なその佇まいは、ある意味漢らしく、俺やマッソーのような人間であるならば非常に心落ち着ける空間であるだろう。
そんなある意味では質素な部屋に置かれたソファーに、一人の少女が座っていた。
肩より少し下くらいまで伸ばされたウェーブのかかった金髪に、白いドレスを着たその姿は、パッと見とても清楚な雰囲気を持った淑女に見える。
白い肌に線の細い体付き。
事前にミーティアに貴族の人間だと聞いていなかったとしても、その姿を見ただけでそう思ってしまっただろう。
ふと、その少女がこちらを向いた。
まだ幼さを残した顔立ちをしていたが、美しく整ったその容姿は、俺が嘗て見ていた姿からは大きく異なるものだった。
しかし、その表情が戸惑ったものからやがて満面の笑顔に変わった時に、その雰囲気がよく知る者へと変わっていく。
そこでやはり気が付くのだ。
ああ、やっぱりこいつだったのか。と。
「お兄さま!」
勢いよく立ち上がった後、こちらに駆け寄り抱きついて来た少女を抱きとめながら、俺はしみじみ思うのだ。
6年ぶりに会った我が妹も、すっかり大きくなったものだ、と。
「それにしても驚きました。まさかお兄さまがシルフィール家の従者をしていたなんて」
ある程度の近況を報告し合った後、シルマはしみじみと呟いた。
一つのソファーに二人肩を並べて話しているシルマは、大学で俺の就職先を聞いて今回訪ねてきたらしい。
6年前ならちょっとした事でも大げさに騒いでベタベタくっついて来た妹も、もう随分と落ち着いたようで俺の話をしっかり聞いてくれていた。
最も、6年前は既に弄れていた俺とシルマはそこまで毎日顔を合わせていたわけではないから、偶に会った時に思い切り甘えていたという事もあるのかもしれないが。
「従者といえば聞こえはいいけど、実際には人間扱いされてないよ。それでも、食べ物と寝る場所を与えてくれるだけ感謝しなければいけないのかもしれないけど」
俺は少しだけ長い息を吐いてシルマに答える。
実際、助かってはいるのだ。
ここに来てもうすぐ一ヶ月経ち、色々と不平不満を述べたりはしたが、少なくとも同じ境遇の同僚はいるし、変な癇癪さえなければミーティアも悪いようにはしてこない。
一日丸々休みの日は残念ながらまだないが、半日以上休日になる日も多く、肉体的な負担は皆無と言ってもいいだろう。
「……お辛いですか?」
だから、心配そうに身を寄せながら訪ねてくる妹の言葉にも、俺は首を振って答える。
「いや、家族に見捨てられて一人で生きていかなければならなかった俺には過剰すぎる厚遇さ。なんだかんだ居心地はいいんだろうさ。きっとね」
そんな俺の言葉に、シルマはニッコリと微笑む。
とても柔らかな笑顔だ。
あの事件以降全く見る事が無くなってしまった嘗ての母親の笑顔を思い出す。
……いつの間にか、こんな顔も出来るようになったんだな……。
「なら、私お兄さまが住んでいる部屋でゆっくりお話してみたいです。何だかここにいると落ち着かなくて……」
しかし、そんな微笑ましい気分も、笑顔の妹からの提案で霧散する。
俺の部屋。
あの犬小屋にか?
いやいや、待て待て。そもそも今回妹に会う条件として何か重要な事を言われなかったか?
そうだ、たしか『自室に連れ込むような事はしてはいけませんよ?』だ。
用件を済ませてさっさと帰せとも言っていた。
それを踏まえた上で今の妹の発言を考えてみよう。
『私お兄さまが住んでいる部屋でゆっくりお話してみたいです』
はいアウト。それも二つ該当。
よく考えたら懐かしさのあまり少し話し込んでしまったし、既にアウトの可能性もある。
マズイな……。
もしも、この事がバレたらミーティアに手酷いお仕置きをされてしまうかもしれない。
ならば、ここは少し可愛そうだが、妹には帰ってもらった方がいいだろう。
何、お互い死ぬわけじゃないわけだし、これからは妹も大学の学生寮で暮らす訳だから会おうと思えばいつでも会える。
そう思い、別れを告げる為に妹の側に寄った時、シルマは近づいてきた俺の右手を両手で包むと、上目遣いで俺を見た。
「お願い。お兄さま」
……。
すばらしい破壊力だ。
危うく意識を持っていかれる所だったぜ。
俺は別にシスコンでも何でもないが、つい最近シルマと同年代の少女に呪いを掛けられて傷心中である。
そこへ来ての純粋なお願いに果たして断る事が出来るだろうか? いや、出来ない。
「ま、まあ。少しだけなら……」
「よかった! それでは、すぐに向かいましょう!」
そう言って俺の右腕にしがみついてくる妹に若干の心地よさを感じながら。
後日受けるであろうお仕置きの事を考えていた。




