第3話 身代わりと無関心と筋トレと
「さて、何から、聞きたい?」
規則正しいリズムで軽快に腹筋を始めたマッソーの傍らに腰を落として、その様子を意味のわからないものでも捉えるように眺める俺。
荷物の整理はすぐに終わった。
何しろ、荷物自体手提げ鞄1つしかなかったわけで、俺用にと宛てがわれた2段ベッドの上に放り投げて終わった。
結構カツカツの生活だったため、私服は2着しかなかったが、学校に行くのは指定の制服だったから特に問題なかったのだ。
「話を聞く前に1ついいですか?」
「ふっ、何、ふっ、だっ」
「何故腹筋を」
「悪いな。ふっ、日課、ふっ、なんだ」
まじうぜぇ。
なんだこの筋肉。常識がないのか。右も左も分からない新人が教えを請おうとこうして正座までして控えているというのに、自分は日課だからと腹筋とか。
今まで様々な人間と接してきたが、ここまで自分の欲望に忠実な人間は初めて見た。
「まあ、いいです。まず聞きたいのは入浴の時間についてですかね」
「? ふっ、何故、ふっ、最初の、ふっ、質問が、ふっ、それ?」
「それはこの部屋が汗く……いえ、我々は使用人である以上、ご主人達の入浴時間とかぶってはいけないだろうと」
「ふっ、なるほどっ、そいつは、ふっ、いい心がけだが、ふっ、その心配はない」
今度は腹筋に捻りを加え出すマッソーの行為に顔を顰める。
捻りが豪快すぎてここまで汗が飛んできそうだ。
頼むからすぐに風呂に入れ。今入れ。
「何故心配ないのですか?」
「我々と、貴族どもの、ふっ、風呂場は、ふっ、別だからだ」
なるほど。
しかし、今この筋肉男は何といった?
『貴族ども』聞き間違いじゃなければ、確かにそう言ったように聞こえたが。
「貴族ども……ですか?」
「この世界に、ふっ、本当に、雇い主を、ふっ、敬っている、奴隷が、ふっ、居るとでも?」
「……奴隷」
「この生活が、ふっ、奴隷でなくて、ふっ、何と言う?」
まったくスピードを変えずに腹筋を続ける異常者の言葉に、俺は些かショックを受ける。
うん。何となくこの部屋に案内された時から薄々感じてはいたけれど、この扱いってやっぱり奴隷だよなぁ……。
「だからこそっ、俺はっ、こうして、ふっ、体を、鍛えているのだ。ふっ、いつか、ふっ、自由を、ふっ、手にするために!」
いい言葉のはずなのに一ミリたりとも感動出来ねぇ。
というか、腹筋しながらモノ教えようとしている人間に当の貴族達もあれこれ言われたくなかろう。
少なくとも、俺は言われたくない。
しかしながら、この男にこれからの生活のことを聞かない事にはどうにもならないので、仕方なくあれこれ質問する。
その過程で分かったのは、これだけの筋肉を維持する為には、人との会話よりも筋トレが重要な人間がいるという事だった。
「とまあ、ここまでがここで生活する上で必要な事だな」
ある程度キリがいい所まで終わったのか、ようやく筋トレを止めたマッソーが首にタオルをかけた状態で言葉を締める。
腕を組みあぐらをかいている状態だが、肩口からはモワッと汗から生まれた蒸気が漂う。
とりあえず、とんでもない部屋に配属されたのだけはわかった。
「質問があります」
「何だ」
ピッと右手を上げて質問した俺に、マッソーは顎で俺を差しながら話を促す。
「俺のメイン業務がお嬢様の護衛というのは分かりましたが、実際に襲撃者があらわれた場合、どうすれば?」
「敵の攻撃をその身に受けて、倒す。以上」
マッソーの簡潔極まりない答えに、俺は両目をトロンとさせて聞き返す。
「……受けちゃうんですか?」
「躱してどうする。お前の後ろには誰がいる?」
確かにそうだ。
もしも襲撃者が刃物か何かでミーティアに襲いかかってきたとしたら、俺が避けたらその刃はミーティアの体に食い込むだろう。
それはでは護衛の意味がない。
「だったら、相手が攻撃してくる前に倒せば……」
「相手がお前よりも身分の高い人間だったら? そうだな、例えば騎士とか。そういう人間が相手だった場合、こちらが先に手を出したら下手すりゃ極刑だ」
相手より先に手を出してはいけない。
相手に手を出すには先に攻撃を受けなければいけない。
攻撃を躱したら護衛対象が死ぬ。
「え? これって襲われたら攻撃を受けるしかない?」
「お前この仕事をなんだと思ってたんだ?」
今更の様に驚いた俺に対して、マッソーは呆れたような声をあげる。
「護衛なんてのは名ばかりで、この仕事の本質は‘身代わり’だよ。やつらの命を守るための使い捨ての犬。人権なんざある訳無いだろ。奴隷なんだから」
ショックで黙った俺に対して、マッソーは追い打ちを掛けるように続ける。
「お前さんとお嬢様の関係は知らんが、恐らく殆ど接点なんてなかったんじゃないか? 普通こういうのは死んでも困らない、どうでもいい相手を選ぶからな」
マッソーの言葉に俺は理解する。
確かに言われてみれば納得できる部分が沢山ある。
俺とミーティアが会話をしたのは卒業間近の教室が初めてで、俺が就職浪人しそうだと話していた時だった。
そして、俺は同年代の男に比べればそれなりに体格がいいため、多少の攻撃ならばその身に受けることも可能だろう。
少なくとも、ミーティアが逃げる時間を稼ぐくらいはできるはずだ。
次に会話したのは卒業の日の公園。
あの時の俺は結局就職が決まらず、死んでしまおうかと考えていた。
そうか、つまりミーティアは、『同じ死ぬなら最後位は人の役に立ちなさい』という意味合いを込めて、俺を雇ったという訳だ。
父親に俺を紹介した時に言った事。
『命を顧みずに自分を守る』と言ったのはそういう意味だったのだ。
この男は既に生きる事を諦めている……と。
「あ……あはははは……」
「……マジで理解してなかったのかよ」
乾いた笑いを溢し始めた俺に対して、マッソーは初めて同情するような視線を向けると、俺の肩を軽く叩いた。
「死にたくなけりゃ鍛えるしかねぇ。鍛えて、鍛えて、襲撃者の攻撃くらい物ともしない筋肉を身に付けろ。いいか、この世は筋肉だ。筋肉さえありゃーなんとかなる」
恐らく俺を元気づける為に言っている事なのだろうが、何でそれが筋肉信仰に繋がるのか。
俺は晴れない気分ながらもマッソーの言葉に反論する。
「……筋肉とか無くたって、鎧とか着れば大丈夫なんじゃ……?」
「金あんの? お前」
……経費で落ちないのかよ!!
命に関わる事が自己負担とか。ここの雇い主に労災の概念はないんですかね。
「金がない以上筋肉しかないだろ。筋肉の鎧を纏い、筋肉の兜を被り、筋肉の拳で敵を倒す。いいか、全て筋肉だ。筋肉最高」
「……筋肉の兜は無理です」
「兜は無理か?」
「無理です」
「そうだな」
「無理です」
そうかー無理かーとブツブツ言い始めたマッソーを目の前に据えながら、俺は何とも言えない虚しさを味わった。
ちなみに、奉公初日にして俺の日課に筋トレが加わったのは言うまでもない。




