第2話 犬と筋肉と私
馬車は首都の主要街道をどんどん進み、やがて貴族達の住まうエリアに入った所で少しずつスピードを落としていき、やがて止まったのは立派な屋敷の前だった。
俺が生まれ育った屋敷よりも遥かに大きく立派で、かつて一度だけ見たアスタロト本家の屋敷が大きさ的には近かっただろう。
最も、こちらは優雅さというよりは無骨というか荘厳というか、剣で今の立場を手に入れたのだというような、そんな愚直さを感じさせる屋敷だった。
まあ、一言で言えば、悪趣味なアスタロト本家に対して、純粋愚直なシルフィール家という所だろうか。
いや、実際の当主がどうとかは知らないが。
「ご苦労様、マッソー。馬車を戻した後は、もう休んで結構です」
「御意」
馬車を降りたミーティアの労いの言葉に、マッソーと呼ばれたマッチョマンは胸に手を当てかしこまった後、馬の轡を引きながら奥へと引っ込んでいった。
それにしても、あのマッチョマン馬車での移動中ずっと腕組んで無言だったな。
先程の会話からしても確実にミーティアよりも下の地位の筈だが、何であんなに偉そうなんだ。
男の消えた方向をぼんやりと見つめていた俺だったが、ミーティアからかけられた声に現実に戻される。
「何をしているのですか? さっさと付いて来ないと雇う話は無しとしますよ?」
「あ、いえ、失礼しました」
玄関に向かって歩きながら、全く待つ素振りを見せないミーティアの後を追いかける。
それにしても、在学中全くと言って会話した事のない相手だが、数時間前までクラスメイトだった女の子に下手に出るのはまだまだ慣れない。
時間が経てば違和感なく接する事が出来るのだろうか?
何となく自信がないままに、俺は促されるままに屋敷の中に入っていった。
大理石の廊下に敷かれたレッドカーペッドに鎧騎士の像。
贔屓目に見ても煌びやかとは程遠いが、確実に高価だろうとわかる見事な細工を施された柱や壁。
とにかくギラギラと目も眩むように煌びやかだったアスタロト本家とはえらい違いだ。
まあ、中に入ると実に庶民的な装いをしていた家に生まれ育った俺が言うべきことではないのだが。
そんな荘厳な廊下をミーティアとその付き人である女性が歩き、その後ろを俺が付いていくというスタイルだ。
たまに使用人とおもしき人とすれ違うが、目線を軽くこちらに向けるだけで、特に大きな反応は示さなかった。
多分、ミーティアが連れている事でちゃんと関係者だと認識しているようで安心する。
非常に訓練されているのだろう。
やがて、他よりは多少豪華な作りとわかるドアの前まで来ると、ミーティアは立ち止まり、ノックをするとしばし待つ。
やがて、「入れ」という声と共にドアが内側から開けられた。
開けたのは当主の執事だろうか。
黒い燕尾服に身を包んだ壮年の男性だ。
白髪まじりの頭髪をオールバックで纏め、やはり白身がかった口ひげが顔のしわに映えてとてもよく似合っている。
物腰は柔らかく、部屋に足を踏み入れたミーティアにも恭しい態度をとり、先のマッソーとは大違いだ。
俺と付き人? の女性も後を付いて入室する。
俺達が全員入室し、先程の執事が部屋のドアを閉めた所で、この部屋の、いや、この屋敷の主人たる男が顔を上げた。
鋭い眼力を誇るマッチョな男だ。
何だこの屋敷は。見る男見る男がじいさん以外は全員マッチョじゃないか。
何か筋肉にこだわりがあるのだろうか? だとしたら、小さな頃より体格に優れ、ある意味ではマッチョとも取れなくもない俺に目をつけたのも頷ける。
いや、俺に声をかけたのは娘の方ではあるが。
「何用か」
空気が震えるように声を上げる筋肉当主。
その威圧感は凄まじく、まるで何処ぞの4天王か何かのようだ。
アスタロト本家の当主たるお祖父様も魔王顔だったが、この国の貴族は皆魔族の血でも引いているのか。
「はい。この度は王立大学の卒業の報告と、新しい付き人の紹介に」
「ほう」
シルフィール家の当主様は一言呟いた後、俺の方に視線を向ける。
ギラギラとした瞳だ。マケリと正面からぶつかったらどっちが勝つだろう。
そんなありえない勝負の行方すらわからないような鋭い目つきだ。
組んだ腕は筋肉が持ち上がりスーツの腕がパツパツだ。
こんなゴツイ親父にどうしてこんな華奢な娘が産まれるのか、とても気になる。
「頼りなさそうな男だな」
「仰る通り。しかし、この者は自らの命を顧みずに私を守る気概のある男でございます。どうか、この者がこの屋敷に立ち入る事を許して頂きたくこうしてお願いに参りました」
「ふむ。まあ、お前が雇うのなら好きにするがよい」
頭を下げた娘の願いに、シルフィール卿はどうでもいいとでも言うように許可すると、一言「下がれ」と言うとすぐに視線を机の上に戻してしまった。
そんな父親に一礼すると、部屋を退出するミーティア。
俺達もそれに倣って退出し、ドアが締められた所でようやくお互いの顔を見るに至る。
ミーティアは相変わらずの澄まし顔だったが、侍女とおもしき女性はうっすらと汗をかきつつ青白い顔をしている。
まあ、魔族との対面だったのだから仕方あるまい。
かくいう俺も、生まれて初めて「頼りなさそう」と言われてビックリしたくらいだ。
同年代では体格には恵まれた方で、王立大学でも俺以上の体躯を誇っていたのはマケリを含めて数人だったというのに。
「さて、お父様の許可も得られた事ですし、まずは私の部屋へ向かいましょう。そこで簡単に仕事についての説明を致します」
「よろしくお願いします」
俺の言葉にミーティアは頷くと、先程の道を戻るように歩き出した。
それにしても、さっきミーティアは俺の事を命に変えて自分を守る存在とか言っていなかったか?
多分、自分の父親を説得する為の方便だったのだろうが、そんな根も葉もない事を言ってしまって後々変な事にならないだろうか?
そんな事を考えている内に彼女の部屋に到着したらしく、侍女がドアを開け、ミーティアが当然のように入室する。
しばらくどうしようか迷っていた俺だったが、早く入って欲しそうに俺の顔をじっと見る侍女の眼力に負けて結局は2番目に入室した。
すぐにドアが閉まり、辺りに静寂が包まれる。
俺はちょっとした違和感を感じて首だけで後ろを確認した所、部屋の中に侍女の姿は無かった。
なるほど。自分は部屋の外で待つつもりだったから、俺にさっさと入れと促していたのか。
口で言えばいいのに、何とも面倒くさい人々がいっぱいいる家だ。
「さて」
そんな俺の考えを打ち切るように、椅子に腰を下ろしたミーティアが声を出す。
「これで貴方は目出度く私の付き人になる事が出来ました。まずはおめでとうと言っておきます」
「はあ、ありがとうございます」
自分で雇って自分でおめでとうとか言っちゃうのか。
それとも、簡単そうに見えてシルフィール卿の許可を貰うのは以外と難しいのか。
心なしかホッとしたように見えるミーティアの様子を見るに、その可能性もあったのかもしれない。
それにしても。
さすがは貴族の娘だけあって広い部屋だ。
中央に天幕の着いた大きなベッドに、クローゼットにタンス、壁際には高級そうな化粧台。
広さだけで言うなら嘗ての生家のリビングくらいの大きさだろうか。
もしも、妹がこの場にいたらふかふかのベッドで飛び跳ねていたかもしれない。
一言で貴族と言っても、やはり家柄で境遇は全く変わるものだと実感する。
兄と妹という構成は同じだが、妹とミーティアは明らかに違うのがわかるから。
それにしても付き人か。
ミーティアの下で働くのだろうという事は何となく感じていたものの、まさか付き人をやらされるとは思わなかった。
彼女にはちゃんと女性の付き人もいるようだし、マッソーという護衛のような人間もいる。
その中で俺がやれる事といったら何があるのだろうか。
そう言えば、ミーティアは父親には「身を守る」とか言っていたし、マッソーと仕事は被るが、護衛かなにかなのかもしれない。
「それでは仕事の説明を。貴方の主な仕事は私の護衛兼雑用係です。基本的に私が外出する時は常に側に控えてもらうことになるでしょう」
予想通りのミーティアの言葉に、俺は生徒のごとく手をあげて質問する。
「護衛というと本日お嬢様の側に控えていた筋肉がいたと思うのですが」
「あの筋肉はお父様に雇われている代理です。正確には私専属の付き人ではありません」
俺の質問にミーティアは丁寧に返す。
そうか、公園でも馬車の中でもやけに偉そうにしていると思っていたが、彼にとっての本当の主人はシルフィール卿であり、ミーティアではなかったというわけだ。
「今までは学生という事もあり正式な収入はありませんでしたが、これからは私も公務をこなしていく事になるでしょう。そのさい、ちゃんとした自分専用の付き人でないと安心して背中を見せられませんからね」
随分と殺伐とした話だ。
父親の雇った人間の前では何時危険な目に合うかわからない。
暗に彼女はそう口にしたのだ。
「不思議そうな顔をしていますが、あなたも元は貴族の出であったのならばわかるでしょう。この世界に住む人間にとっては、最も心を許すことの出来ない人間は、兄弟親戚の類です」
「はあ。私は本家とは遠く離れた末端領主の、更に落ちぶれて勘当されるような息子でしたからね。そういった世界は何とも」
「ふふ。そうでしたね」
俺の言葉にミーティアは笑う。
それが年相応の笑顔に見えて、俺は初めて彼女が俺よりも年下の少女なのを思い出した。
「しかし、これからはそんな世界を見ていく事になるのです。今後は私の犬として、身を粉にして働きなさい」
「はい。…………はい?」
だからだろうか。
ミーティアの言葉の中に不穏な単語が聞こえた気がしたのだが、危うくそれを聞き流してしまう所だった。
「何か?」
「いえ。何も」
俺の怪訝な表情に首をかしげて聞き返すミーティアに、俺は努めて冷静に返答する。
しかし、俺の聞き間違いじゃなければ、今彼女俺の事『犬』って言わなかったか?
言葉の綾か?
「詳しい話は同室の人間に聞きなさい。私のスケジュールに関しては追って連絡するので、遅刻することの無いように」
「はい」
「宿舎までの案内は外にいるカレンに頼みなさい。その後はあなたにも荷物の整理もあるでしょう。今日はそのままオフとします」
ミーティアの言葉に俺は頭を下げて退出すると、澱んだ瞳を外に立っていた女性に向ける。
彼女は俺の視線を真正面から受け止めると、
「それではこちらへ。宿舎まで案内します」
恐らくドアの外から聞いていたのだろう。
俺の前に立って迷いなく歩き出した。
プロだなぁ……。
宿舎は屋敷の外にあった。
正確に言うと屋敷の裏手の離れだが。
石を積み上げた簡素な作りではあったが、決して粗末という事もなく、それなりに広いであろう事が外から見てもよくわかる。
ミーティアは仕事の事は同質の人間に聞けと言っていたから、二人以上での生活になるのだろう。
そこはまあ、これから右も左も分からぬ新天地での生活となるわけだから、俺にとっては都合がよかった訳だが。
部屋自体は全部で5つ。
建物自体は全て一棟で繋がっていたが、ドアはそれぞれに付いている。
その内の一つの前でバシリッサは足を止めると、目を瞑って佇んでいる。
どうやら目的地についたらしい。
「ありがとうございます」
「いえ。これも仕事ですから」
俺のお礼の言葉にカレンは軽く頭を下げて答えると、そのまま屋敷に向かって歩いて行った。
恐らく、ミーティアの所に戻ったのだろう。
彼女は同じ女性だし、身の回りの世話なんかをしているに違いない。
俺はせっかく彼女が案内してくれたドアに向き直ると、恐る恐るノックをする。
しばらくすると中から「入れ」と声が響き、俺がドアノブに手をかけるよりも早くドアが開く。
軽くデジャヴュ。
ここで白髪の執事と魔王四天王がいたら先程の再現だ。
しかし残念ながら、白髪の執事はいなかった。
白髪の執事はいなかったのだが……。
魔王四天王の一角はいた。
「おう! さっきお嬢様に雇われた兄ちゃんじゃねえか! そうか。お前が新しい同居人か!」
鍛え抜かれた筋肉に、刈り込まれた黒髪。
まだ肌寒いのに何故かノースリーブではち切れんばかりの筋肉に嫌でも目が行く。
鋭い眼光だが、先程ミーティアに見せていたような威圧感はなりを潜め、変わりに人の良さそうな笑顔を見せている。
ミーティアもそうだが、この二人のこのギャップは何なのか。
そんな俺の疑問をよそに、マッソーと呼ばれていた筋肉男は俺のバッグを手に取ると、中に入るように促してくる。
そもそもこの男は当主様から雇われている身分ではなかったのか?
そんな俺の疑問をよそに、当の本人は悩みの感じない声色で俺と言う新たなルームメイトを歓迎する。
「ようこそ。我らが犬小屋へ!」
どうやら、この屋敷での俺の地位は、思っていたよりもずっと低いらしい。




