第13話 2つの傷と2つの約束
食事会は想像していたよりもずっと穏やかであった。
俺としては先の手紙のことや食事の前のやり取りがあったから、かなり殺伐とした食事会になるかと思っていたのだが、終始スピカは穏やかで、最初こそ疑わしげな視線を向けていたミーティアも、途中からよく笑うようになっていた。
それはスピカも同じで、年相応の笑顔を向けては時折こちらにも話を振ってきたくらいだ。
「──それで何をしているかと思って覗いてみると、何と、上半身裸の男が二人で仲良く腹筋をしているではありませんか。その異様な光景に、思わず私はその場から離れてしまったのです」
「ははは。相変わらずレムスは馬鹿だなぁ」
最も、その内容は殆どが俺の名誉を貶めるものばかりではあったが。
それにしても、先程からスピカは俺の事をよく知っているかのような話をする。
確か手紙では一度会った事があるとの事だったが、どう記憶を遡って思い出してみても、この屋敷でこのような少女と会った事がないというのが俺の正直な気持ちである。
確かに幼い頃の記憶など不確かであってしかるべきなのかもしれないが、それでも、あの時の事件は俺にとってはあまりにも印象が強すぎた。
だからこそ確信を持って言えるのだ。
あの時俺はこの少女とは会っていない。
「ところでミーティア。実は今日は1つお願いがあって晩餐会に呼んだんだ。聞いてくれるかな?」
「何ですの?」
口元をナプキンで拭いながら話を切り出したスピアに、ミーティアも笑顔で答える。
先程までの穏やかな空気も相まって、実に気分が良さそうだった。
「食事の後に、しばらくレムスを貸してほしいんだ。二人だけで話したい事があるから」
「……え?」
しかしながら、そんなミーティアの笑顔を、目の前のスピカがぶち壊した。
ミーティアの方も初めは何を言っているのか理解できなかったのか、しばらくスピカの顔を見た後俺へと視線を移し、すぐにスピカに向き直った。
「何故二人だけで? 私も一緒ではいけないのですか?」
「この家に関わる事なんだ。お願いミーティア」
スピカのお願いにミーティアは俯いて考え始めるが、実に苦悶の表情を浮かべていた。
それもそうだろう。
何しろ相手は自分の初恋の相手なのである。
その相手から『男と二人きりになりたいからどっか行って』と言われればそれは辛いだろう。
それにしても要所要所で相手の急所を的確につくお願いだな。
「……わかりました。少しの間ならば……」
しばらく考えた後、ミーティアが搾り出すように声を出す。
なんというか、実に不本意そうだった。
親と恋人のどちらか一方しか助けられないと知った後に苦渋の決断をした物語の主人公のようだ。
「ミーティア、ありがとう!」
しかしながら、空気の読めない目の前の貴族の娘は、実に嬉しそうに胸の前で両手を会わせて満面の笑顔だ。
これで裏が無ければ非常に可愛らしいと感じたのだろうが……。
案の定、その仕草を見たミーティアは俺に向かって殺人者もさながらの殺気の篭った視線を向ける。
何と理不尽な物語だろうか。
「それじゃあ、レムス。これから僕と一緒に庭園に行こう!」
「……え? 今から……ですか?」
俺は目の前の食事と隣のミーティアの姿を見て、困惑しながら答える。
食事が終わったらという話だった筈だが、俺の目の前の食事はまだ少し残っていて、隣のミーティアは完全に俺に喧嘩を売っている。
今すぐこの場を離れるとか後の事が怖くて堪らないんだけど。
「……行きたいなら行けばいいでしょう……」
しかし、そんな俺の葛藤を知ってか知らずか、殺人者の顔付きのままミーティアがボソッと呟いた。
ちなみに、すぐ隣にいたから聞こえただけの非常に小さな声音だ。
流石に、このようなドスの効いた声をスピカには聞かれたくはあるまい。
まあ、既にとんでもない顔付きで取り返しのつかない事になっているのだが、本人が気が付くのは何時の事だろう。
「えーと……そう、ですね。では、スピカ様。僭越ながらご一緒させて頂きます」
「うん」
俺の言葉にスピカは満足そうに頷くと立ち上がる。
それに合わせて俺も立ち上がると、隣に座るミーティアの事を視線だけで確認する。
立ち上がってしまったから表情までを確認することは出来なかったが、ブツブツと呟く内容が少し聞こえた。
「…………屋敷に戻ったら…………足を……して……へし……」
取り敢えず俺は聞かなかった事にして、逃げるようにスピカの元に移動した。
どうやら、今日は帰ってからが本番のようだった。
夜の庭園は人気も無く静かだ。
本来ならば薔薇を初めとした様々な花が探索する客人の目を楽しませるのだが、立ち込める暗闇がその姿を消してしまい、時折屋敷から漏れる光でその姿の一部を晒すに留まっている。
「何だか、やっと願いの一つが叶った気がする」
そんな暗い庭園を並んで歩いていた俺達だったが、ふと、隣のスピカがそんな事を呟いた。
スピカとは身長が頭二つ分は違うので、かなり上から見下ろす形となったが。
「願い……ですか?」
「うん。ずっと、ずっと昔にした約束。でも、ソイツは簡単に約束を破って、僕を裏切ったんだ」
「……裏切った。実に物騒な物言いですなぁ……」
「物騒じゃないよ。本当のことだし。ここで遊んでお茶をしようって約束して、でもソイツは違う奴と遊んだの」
一瞬その願いやら約束やらが俺の事かとも思ったのだが、どうも話を聞いている限り違うような気がしてきた。
確かに俺はこの娘の兄とこの庭園を散歩した事はあるが、女の子と会った記憶は無い。
それに、俺がこの屋敷に来たのは少年の頃は一回だけだ。それは絶対に間違いない。
複数回この屋敷に来た事があるのなら俺の記憶違いという事も考えられるが、あの時は外で散歩して屋敷に戻る前にやらかして強制送還されている。
どう考えてもほかの誰かと遊ぶ約束をするはずがないのである。
「悲しかったなぁ……。でも、本当に悲しかったのはその後の出来事の方だった」
俺達は話しながら庭園を回っていたが、丁度一周して屋敷の玄関が見える場所まで来た所でスピカが足を止めた。
「どんな事があったか……聞きたい?」
正直に言えば聞きたくはなかった。
しかし、暗闇に光るスピカの目の光が、そんな本音を言わせようとはしなかった。
「……そうですね。是非」
「はは。そっか。聞きたいか」
俺の返事にスピカは可笑しそうに笑ってみせる。
しかし、その笑い声が何やら先程までとは異質なモノに思えて俺は思わず硬直する。
「その日僕は親戚の男の子と遊ぶ約束をして、着替えるために一旦部屋に戻ったんだよ。そして戻った時にはその子はもうそこにはいなくて、別の奴とこの庭園で遊んでたの。そしたらさ、その親戚の子が突然そいつを付き飛ばしたんだ」
俺はギョッとしてスピカの顔を見た。
スピカは笑っている。
笑いながらさも可笑しそうに話を続けた。
「吃驚したよ。でも、驚いたのは僕よりもそいつだったみたいで、大声でワンワン泣き出してさ。いつもは偉そうにしているくせに、子供みたいにワンワンワンワン。ああ、その頃はそいつも子供だったし、偉そうにもしてなかったかな? まあ、どっちでもいいや。とにかく、その泣き声で屋敷中大騒ぎになって集まりはお開き。お父様もお祖父様もお怒りでその子の家は断絶される事になった」
俺は一歩後ずさる。
しかし、スピカはすかさず俺の腕を掴むと、先程よりも近い距離に顔を近づけてきた。
その顔を見て俺は嫌な予感がした。
可愛らしい少女の顔だったが、もっと髪が短くて幼かったらどうだろう?
あの時、大広間にいた親類達。
その中でも次期当主の家族達の中に子供は何人いただろうか?
俺に話しかけてくれた子は具体的にはどんな顔をしていた?
その時近くにいた子供は何人?
あの時最初に話しかけてくれた子は何と言って俺に共感してくれた?
『僕も一番下の子だから』
あの時は、いや、あの手紙を読むまでは俺はずっと疑問に思わなかった。
本当はスピカからの手紙を読んだ時点で気がつかなければいけなかったのではないか?
彼女の手紙には書いてあったではないか。
俺のトラウマの原因は“双子の兄”のせいだと。
双子の“兄”だ。
断じて“一番下の子”ではない。
「でも、その子が暴力をふるったのは、そいつが僕じゃない事に気がついて怒ってくれたんじゃないかって思ったの。そしたら何だか嬉しくなって……。人間って嬉しいと笑うでしょ? 僕は嬉しかったから笑っただけだったんだ。そしたら、怪我したそいつが泣きながら僕に向かって『何で笑ってるんだ!』て怒り出してさ」
スピカは俺の腕を握った右手に力を込めると、今度は残った左手で自分の前髪をかき上げた。
眉が隠れる位の長さだった前髪が手で除かれると、当然見れるのは白い額だ。
しかし、その額を見た俺は思わず小さなうめき声を上げた。
「何を思ったのかそいつ……手当ての人が持ってたピンセットを奪って、僕の顔を引っ掻いたんだよ。双子なんだから同じ傷がついてなきゃ不公平なんだって! もう、吃驚だよね! 僕、そんな決まりがあるなんてその時まで知らなかった!!」
スピカの額には無残な傷跡が残っていた。
彼女は引っ掻いたなんて言っていたが、これはそんな傷跡じゃない。
どう見ても刺し抉った跡だ。
ミーティアはスピカが汚らわしい男に乱暴されたと言っていたが、この事だろう。
内容を誰から聞いたかでその犯人が俺か双子の兄かどちらになっていてもおかしくはないが。
「……僕は一番下の女の子だからね。将来どうなるかなんてわかってたよ。でも、この顔じゃあ誰も相手になんかしてくれない。嫌だと思っていた未来さえも叶えられなくなった僕の存在価値って何なの?」
スピカは濁った瞳で俺の目を覗き込んでくる。
俺に対して訪ねているように見えて、これの問答はそんなものではない。
なにより、病的になったスピカの表情がそれを物語っている。
「それでも、僕と同じように不幸になった人もいるから我慢しようって思ってたの。あいつの正体に気がついて、僕の変わりにお仕置きしてくれたヒーローが。この家の人間に会うのは心底嫌だったけど、断絶されたとは言え貴族なんだからいずれは……て。でも、久しぶりに会ったその人は、何だか貴族じゃなくなってて、それどころかミーティアの飼い犬になってたの。人ですら無くなってたの。僕のヒーローが」
俺達は中庭の一角で見つめ合う。
しかし、泣きそうな俺とは対照的に、スピカはとても嬉しそうだった。
嬉しかったからだろうか……狂気に満ちた笑顔を俺に向けていた。
握り締めた手の強さは留まる所を知らぬかのように絞められ、彼女の爪が俺の腕へと食い込んだ。
「そんなのって無いよねぇ……。だって、僕はもうこの家にとっては利用価値のないゴミなんだよ。そんなゴミを引き取ってくれるのなんて同じ苦しみを知っている人しかいないじゃない。それなのに、こんな顔にされた責任も取って貰えず、一人だけこの苦しみから逃げようとしている人なんてこの世に必要ないんじゃないかなぁ……」
「ヒィ!」
もう限界だった。
俺はスピカの腕を振り払うと、その場に土下座をすると地面に額を擦りつける。
完全に思い出したわけじゃない。
しかし、確かに思い出した事はあった。
全員の顔を覚えているわけでは無かったが、確かにあの時あの部屋あの場所に、固まるように子供が“3人”いた……!
「すみません! 謝って済む話では無い事はわかっていますが、どうかこの場で殺すのだけは勘弁してください!」
俺は謝った。
全力で謝った。
ひょっとしたら、今まで生きてきた中で一番真剣に謝ったのかもしれない。
「妹がいるんです! 死ぬ事には何の後悔もありませんが、せめて妹に最後の別れを告げる時間を下さい! それが済んだら好きにしてくれて構いませんから!!」
そう、妹だ。
あの後シルマとは会っていない。
手紙は処分され、訪ねてきてもマッソーに追い返される日々を送っているようで、時折その姿を窓から目にする事はあったが、実際に会って話をする事は無かったのだ。
でも、これで終わりだというのなら、ミーティアの付き人をやめて最後に妹に会いにいくつもりだった。
「殺す……?」
しかし、当のスピカは俺の言葉を不思議に思ったらしく、オウム返しのように呟いた。
そこで俺は恐る恐る顔を上げ、スピカを下から見上げると、丁度スピカが俺の目の前で膝を折って座っており、首をカクンとかしげた所だった。
「何で?」
「いや、何でって……」
本当に不思議そうに尋ねるスピカに、俺は焦ったように聞き返す。
そんな俺に対してスピカはクスクスと笑うと、俺の頭をそっと撫でた。
「殺すわけないじゃない。貴方は将来僕の傍で暮らすんだよ。そして二人で仲良く不幸になるの。僕達のようなゴミは幸せになんかなっちゃダメなんだよ。だから、貴方には僕に1つ約束して欲しいんだ」
「や、約束?」
俺の問いかけにスピカはこくんと頷いた。
「そう、約束。今度は絶対に破る事の許されない約束。今度破ったらどうなるか……わかるよね?」
感情のこもらない瞳で俺を見下ろすスピカの異様さに飲まれながら、俺は生唾を飲み込みながら首を振る。
「ど、どうなるって言うんだ?」
「さっき面白い事言ってたよね。確か妹が──」
「やめてくれ!」
俺は咄嗟に起き上がるとスピカの両肩を両手で掴む。
思わず力の加減もせずに掴んでしまったが、彼女は表情一つ変えなかった。
「妹に手を出すってのか!? 君をこんな目に合わせたのは俺だろ!? 約束だったら何だって聞いてやるから、あいつに手を出すのだけはやめてくれ!!」
「良かった。何でもきいてくれるんだ」
俺の言葉にニッコリと微笑むスピカに俺は自分の失言を自覚したがもう遅い。
スピカは笑顔のままに俺の頬に右手を這わせると、俺に本日最後の“お願い”をした。
俺はそのお願いを呑んで、彼女ともう一度約束をした。
それは普段の俺ならば決して呑むような代物では無かったが、妹を人質に取られた俺に逆らう事など出来るはずもなく……。
こうしてこの日から俺はミーティアの付き人をしながらスピカの為に奔走する毎日を送る事になってしまった。




