第1話 気が付けば無職
就職難。嫌な響きだ。
俺は王立大学のキャリアセンター施設から退出すると、深く大きなため息をつく。
時は卒業の一週間前。
本気で就職を考えていて、この時期に未だに職が決まっていない生徒は俺を含めて稀だろう。
特に、俺のように期限付きで家名を名乗る事を許され、卒業後の生活基盤さえ確立していない人間なら尚更だ。
俺は6年もの間世話になり、沢山の出会いと経験を積ませてくれた母校の姿を忌々しげに見上げる。
何故こんな事になったのか。
今から思えば、俺は生まれた時から間違いだらけの人生を約束させられていたのかもしれない。
俺が生まれたのは22年前の暑い日だった。
正確に言えば生まれた瞬間の事などわからないが、真夏の一番暑い時間帯に生まれた迷惑な男の子だったらしい。
家は辺境の末端とは言え、一応は 貴族の家柄。
そこへ次男とは言え男の子だったものだから、家は大層な祝福ムードだったらしい。
いずれ長男を支える人物になって欲しいとの願いを込め、神話の英雄の弟の名である『レムス』の名を授けられる事になる。
その後、2年後に弟、4年後に妹が生まれ、絵に書いたような幸せな家庭が築かれた。
そんな円満な家族に歪みが入ったのが俺が10歳の時だった。
その頃の俺は同年代の友人達に比べると体が大きい割には大人しく、存在感の希薄な存在だった。
何時何処に行っても一人で行動する事が多く、本当に友人と呼べる人間も殆ど居らず、誰かと遊ぶというと、もっぱら弟か妹だった。
兄は体が弱く、外で遊ぶ事は殆ど無い変わりに、多くの本を読み、とても頭のいい人間だったが、一緒に遊んだ記憶は無い。
俺にとっての兄は『次期当主様』であり、決して並び立つことは許されない存在だったから。
そんな兄に代わり、首都にある本家に同行することになったのは、兄と違い身体だけは頑丈にできていた為だと思われる。
何しろ、遠い道のりだ。
虚弱体質の兄では道中で確実に体調を崩すのは目に見えてわかっていたが、跡取りを連れずに招集に参じるのも都合が悪い。
なら、せめて次男を。
というのがこの時の経緯だったのだろうが、この選択が後の悲劇の引き金となる。
10歳の俺にとって、首都、そして、本家に来たのは初めての経験だったが、その大きさと人の多さ。そして、その煌びやかさに大変興奮したのを覚えている。
本家の屋敷も非常に立派で、村では一番立派だった俺の家とは比べ物にならない程大きく、豪華で。
美しい庭園と沢山の使用人に、目を奪われる程であった。
本家についた時にまずやった事は、現当主。つまりは俺のお祖父様に挨拶をする事だった。
広い部屋に通され、その部屋で見たのは、俺達の他の沢山の親族達。
後から聞いた話では、俺の父親の兄弟や従兄弟達だったそうだが、今では顔も覚えていない。
今でも覚えているのは、厳つい顔の恐ろしいお祖父様の顔と、本家の次期当主である父親の兄。つまりは俺の叔父さんの2人の息子の顔くらいだ。
末っ子の。しかも跡取りではなく次男という事もあり、お祖父様の俺に対する態度は冷たかった。
俺が無愛想な子供であった事も理由としてはあったのかもしれないが、当時の俺はとても悲しかったのを覚えている。
そんな俺を慰めてくれたのが、次期当主様の息子の弟の方。
その子も次男という事もあり、俺の心境がわかると言ってくれた。
俺達は談笑にふける大人達の間をすり抜け外に出ると、中庭の庭園の探索をした。
その子は俺よりも年下だったが、俺なんかよりもずっとしっかりしており、大きくなったらお兄様の事を支えて家を守るんだと誇らしげに語っていた。
当時は俺も同じように思っていたから、同意しながら歩いていたのを覚えている。
庭園を探索しながら、色々な話をした。
俺の故郷である田舎の事。
その子の生まれ育った首都の事。
とは言え、基本的に一人で行動する事が多い俺と違い、彼の交友関係は非常に多岐に渡り、その経験も話題も豊富だった。
容姿も俺と血が近いと思えないくらい華奢で綺麗で、にも関わらず、決して人を見下すような態度もない、実に人に好かれやすい立ち振る舞いをする少年だった。
正直に言うと、彼と言葉を交わすたび、自分に自信がなくなるのを実感した。
縮こまってオドオドしていた俺に声を掛けてくれた優しい少年。
年下なのに俺を優雅にエスコートして、尽きない話題で場を和ませる。
サラサラの栗色の髪に、整った目鼻立ち。
スラっとした体躯。
全てが俺が持っていないものだった。
そこに嫉妬の気持ちがないかと言ったら嘘になる。
しかし、ここでも一人になってしまった俺を救ってくれた彼に対して、嫌な気分になる事だけはしたくなかった。
それでも、悶々とした気持ちの中、庭園を一周した俺達は、屋敷の中に戻ろうとする。
その時、一匹の蜂が、彼の髪に張り付いた。
ただそれだけだ。
特に彼を刺そうとしていた訳ではないかもしれない。
でも、俺はそいつを追っ払ってやろうと思った。
軽く叩いたつもりだった。
しかし、俺に叩かれたその子は、吃驚するくらい遠くまで転がっていくと、大声をあげて泣き出した。
唇が切れ、額からも血が流れているのが見えた。
俺はどうしていいかわからずただオロオロしているだけだったが、すぐに使用人の人達がその子を家の中に連れて行き、俺たち家族は追い出されるようにその日の内に屋敷を出た。
帰りの道中、両親は一言も発さなかった。
俺は馬車に揺られながら、只々、怪我をした子の心配をした。
家に帰るまで誰1人話さず無言のままだったが、帰宅して直ぐに従兄弟の少年の容態を聞いた俺に待っていたのは、父親からの拳の制裁だった。
何の事かわからなかった。
父親に殴られたのは初めてだったから。
母親も止めなかった。
それどころか、膝を折るとシクシクと泣き始めた。
その頃の俺は只々痛みで悲しくて、部屋に駆け込み一人で泣いた。
その時に本家からの援助が打ち切られ、その後の一切の関わりを絶たれた事を知ったのは、俺が16歳の時。
家を追い出され、大学卒業と合わせて勘当する旨を両親から言い渡された時であった。
その後、6年の在籍を経て今に至るが、結局、今までと何ら変わる事の無い人生を歩んでここにいる。
思えば、あの事件の後の家族の空気は決して良いものではなかった。
俺にとっては急に厳しくなった父親と、急に笑顔を見せてくれなくなった母親。
以前にも増して俺と関わりを持たなくなった兄。
俺の変わりに兄を支えるべく期待を一身に受け、俺との関係を持たされなくなった弟。
唯一変化がなかったのは妹くらいだが、俺の方がそんな空気に耐えられなくて家に居着かなかった事から、妹との関係も希薄になった。
家は一応地方領主であった事から生活には困らなかったようだが、二度と首都に戻る事が出来なくなった事が、両親や兄にとっては何よりにも代え難い苦痛であったようだ。
今回の俺の追放は、現況である俺を家系から抹消する事で、本家に戻る事を願ったようだが、それも俺が学校を卒業して家名を捨てるまでは無理。
それこそ、父や兄は一週間後の俺の卒業式を今か今かと待ち望んでいる事だろう。
「はあ……」
教室までの道を歩く。
この学校にも6年いたが、友人と呼べる存在もあまり出来なかった。
成績も平凡で、武芸で秀でていたわけでもない。
当然、コネなんか作れなかった。
せめて最後の親心と両親が入れてくれたであろう大学も、俺にとっては何の身にもならなかったと言える。
しかも、名門校の出身であるにも関わらず、卒業後の進路も真っ白なのだ。
住む場所も卒業後は寮を追われれば行く所もない。
当然、家にも帰れない。
もう終わりだ。
ゲームオーバーだ。
暗鬱とした気分の中、気がついたら我が教室の前までたどり着いていた。
流石、いつも歩いていた道筋だけあって、考え事をしながらでも正確に戻れるのは素直に感心する。
しかし、それも後一週間で終わりというのだから、とても自慢できるものでもない。
ドアを開ける。
もう、自由登校になっている期間だから、殆どの生徒はこの教室にはいない。
いるとすれば、未だに就職先の決まっていない俺のような出来損ないか、
「おう! わが友よ! 待っていたぞ!」
よっぽどもの好きの生徒くらいだろう。
教室に残っていたのは3人。
男女比で言えば男2、女1。
内、俺の知り合いと言えるのは男2の方であり、先程声を掛けたのは2人の男の内、がっしりとした体格をした、黒髪の男だった。
決して女性ウケするという容姿ではないが、鬼のように強く、剣術や格闘術の実技では毎回無双状態の超・武闘派。
名はマケリ・ライネック。
家柄は下級騎士の息子だが、自力で入隊試験を合格し、今春から晴れて騎士の一員として活躍される事が約束されている、自称未来の英雄候補だ。
一応、俺の数少ない友人の一人である。
「随分と遅かったけれど、何かあったのかい?」
次に声をかけてきたのはピシッと制服を着こなした穏やかな男。
赤髪で、眠そうな瞳から受けるイメージは実に緩く、マケリとは違い弱々しい。
それもその筈で、彼は非常に体が弱く、学校の武術の授業は殆ど参加する事が出来ずに見学ばかりだった。
しかし、成績は非常に優秀で座学のみに限るのならば、卒業生でもっとも成績優秀なのは彼だった。
家は首都でも有名な商家の出身で、この学校での経験を活かし、将来立派な商人になる事だろう。
名はウォルフ・カスツール。
彼も、俺の数少ない友人の一人だ。
「いや、またダメだったから……さ」
自嘲気味に呟きながら、自分の席に腰を落とす。
本当はこんな情けない話を彼らにしたくは無かったのだが、言わなかったら言わなかったで余計な心配をかけてしまう。
この先、卒業後は自然と切れてしまう間柄だとしても、友人でいる今現在において、あまり心配をかけたくなかった。
「……そっか。どうする? レムスさえよければ、僕の父に仕事を探して貰う事も出来るけど……」
「いや、それは出来ない。自分の事は自分で何とかするよ」
ウォルフの誘いを俺は首を振りながら断る。
友人とはあくまで対等でいたかった俺の我侭だ。
今断った事でこの先後悔する事があったとしても、まだ友人でいられているこの時間に、負い目を感じたくは無かったから。
ウォルフは「そっか」と口にしたが、それ以上は何も言っては来なかった。
あくまで善意の行動だったからだろう。
俺は心の中で謝罪をしながらも、無理矢理にでも笑ってみせた。
「まあ、今は結構きついけど、何とかなるよ。いざとなったら日雇いの仕事だろうと何でもあるし」
「そうだな!」
俺の言葉に、肩を叩きながら大きな声を上げるマケリ。
いつでもポジティブな彼にとって、深刻な問題など何もないのかもしれない。
「しかし、何か困った事があったならいつでも頼りにしてもらって構わんからな! なにせ我らは3豪傑! 生まれも違えば、死ぬ時も違う! しかし、友であるのに変わりない!」
3豪傑か。
在学中にそんな事を言う連中もいたが、そんな生活ももう終わりなんだなとしみじみ思う。
「止めてよ。その変なあだ名僕大嫌いなんだ。それに、生も死も違うってそれ真っ赤な他人じゃないか」
顔を顰めたウォルフが俺の突っ込みたかった事を全て指摘してくれる。
流石、長い付き合いだけある。
「はははっ! 生まれが違うのは当たり前! それに、我が死に場所は戦場以外にありえんからな! そのような場所、二人には似合わんだろう!」
笑いながら俺とウォルフの肩を抱き、立ち上がらせるマケリ。
彼はもうすぐ騎士になる。
そうなれば、要請があれば剣を握って何処へでも飛び出していくのだろう。
普段の彼を見ているだけに、マケリが負ける事を想像する事は出来ない。
しかし、戦場以外で彼が死ぬ事も想像する事は出来なかった。
「そして、3豪傑! この呼び名が嫌いとか! これほど豪快な二つ名もそうそうないというのに!」
「その内訳が、モテない、動けない、目立たないの『3どんケツ』の言い換えじゃなければ僕だって受け入れたよ」
大きなため息を吐きながら諦めたように口にしたウォルフに対しても、マケリは全く堪えない。
ある意味、コイツに勝てる奴はいないんじゃないかと思い始めた。
モテないマケリ。
動けないウォルス。
目立たないレムス。
毎年行われる各種イベント毎に置いてそれぞれに付けられた不名誉な称号。
やがて3人一括りで呼ばれるようにならなければ、俺達がこうしてつるむ事はなかっただろう。
それがいい事なのか悪い事なのかはわからないが、少なくとも、こうして一緒にいるという現実は、きっと悪い事ではなかったのだろう。
「さて……と。僕はそろそろ帰るけど、二人はどうする?」
肩に回されたマケリの手を振り払い聞いてきたウォルフに対して、俺は苦笑しながら首を振る。
「俺はもう少しだけ残るよ。ちょっとやる事が残っているから」
「そっか」
「なるほど。ならば、今日は我ら二人で帰宅するとしようか!」
断る俺に対して、少しがっかりしたような表情を見せたウォルフと、深くは追求しないマケリ。
対照的な二人だが、仲良く二人で教室を出て行くあたり、性格はあっているのだろう。
俺はどうだろう?
二人は確かに友達だ。
しかし、全てを許しているとも言い難い。
あの時、ちょっとした行為で全てが壊れてしまったように、誰かに心を許す事で、また関係が壊れる事を恐れているのかもしれない。
後一週間。
それで関係が終わると思っている俺だからこそ。
「仕事。まだ見つかってないのですか?」
そんな事を考えている時だった。
突然かけられた声が俺に対してのものと思えなかったのは、その声が女性のものだったからだ。
学校に通っている以上、異性と話す事は確かにあるが、プライベートの時間で話しかけられる事など皆無に等しい。
それも、卒業間際に就職が決まっていない生徒に対する第一声としては尚更。
振り返ると、視線の先にいた女性と目があった。
腰まで伸びた銀色の髪に青い瞳。
視線は冷たく、先程声を掛けてきた人物と同一とは思えない。
その見下すような視線は、本家に行った時に見たお祖父様の視線を思い起こさせた。
お祖父様を思い出した事でふと、あの時の少年の顔も思い出したが、どういう訳か、名前は思い出せなかった。
顔は鮮明に覚えているのに、人間の記憶力はいい加減だと思う。
「……質問を無言で返すとは。実に失礼な人ですね」
単純に驚いていただけなのだが、黙ってしまった俺に対しても思った事を遠慮なく言ってくる女性。
俺は慌てて頭を下げる。
「ごめん。まさか俺に話しかけてるとは思わなくて……。えっと、ミーティア・シルフィールさん。でしたよね?」
「6年も顔を合わせていて、まさか疑問形で聞かれるとは思いもしませんでした。レムス・アスタロト」
俺の自信なさげな返答に、あからさまに不機嫌な顔を隠しもせずに言い返すミーティア。
それにしても、三豪傑たる‘目立たたないレムス’のフルネームを知っているとは本気で驚いた。
もっとも、後一週間足らずの家名ではあるが。
「それは、度々ごめん。でも、ちょっと言いにくい事をズバッと聞かれたからさ……」
「無職は恥ずかしい……と?」
「うん。はっきり言われるとやっぱり恥ずかしいな」
本当に歯に布を着せずに喋るお嬢さんだ。
それまで就職出来なかったら生活どうしようと思った事はあっても、無職は恥ずかしいと思った事は無かった。
無自覚だった感情を引き出すとは、この娘かなりのやり手と見た。もっとも、余計なお世話なのだが。
「まあ、君の言うとおりなんだけどさ。俺が無職でも君には関係ないでしょ?」
「ええ。全く」
俺の投げやりな物言いに、「聴いただけです」と彼女。
彼女にとっては聴いただけでも、俺にとっては精神をえぐる言葉だったわけで、なんとも嫌な印象が残ってしまう。
思えば、ミーティアと話すのはこれが初めての事だし、これからも話す事はないだろう。
ひょっとしたら、彼女なりに最後に話した事のない相手と話してみたかっただけなのかもしれない。
「では、私はこれで。貴方はまだ用があるようですし、見送りはいりませんわ」
お互い妙な雰囲気になった所でミーティアは立ち上がる。
そもそも、彼女がどんな用件があり自主登校状態の学校に来ていたのかはわからないが、こちらとしても初めから見送るつもりなど更々ない。
俺に向かって歩いてくる彼女の道を開けながらも、彼女の横顔を眺めみる。
しかし、その後は結局一言も言葉を発する事もなく、彼女はドアの向こうに姿を消した。
これが俺とミーティア・シルフィールとの在学中における最初で最後の会話であり、この後、卒業式が終わるまで言葉を交わす事は無かった。
それから一週間後。
俺はレムス・アスタロトから、晴れて唯のレムスとなった。
結局就職先も見つからず、目出度く今朝学生寮も追い出された。
家族の出席していない卒業式も終わり、友人二人との熱い別れを済ませた後、その後の食事会を断って今に至る。
仕事が決まっていないのにハメは外せないとの理由だったが、単純に金が無かったからに過ぎない。
大学の費用は出してくれた両親だったが、それ以上の仕送りなど殆どゼロで、交友費などはバイトで捻出していた。
そのバイトも学生で無くなった時点で解雇され、今の俺は正真正銘すかんぴんだ。
6年住んだ寮にも荷物なんか殆ど無くて、今俺が手にしている手提げ鞄一つが全財産。
「……本当に、全て無くなってしまったなぁ……」
何となく歩いてきた公園のベンチに座り込み、俺は背もたれに背中を預け、抜けるような青空を見上げる。
思えば、10歳の頃からいい事なんか無かった。
なら、この辺りで全てを終わらせてしまっていいんじゃないか?
唯一の心残りは、大学に進学した後も定期的に手紙を寄越してくれた妹だが、あいつなら放っておいても幸せになるだろう。
「幸せってなんだろうなぁ」
せめて人並みの幸せを享受してから死ねば、もっと心残りはなかったかもしれない。
いや、10年だけでも貴族の生活ができただけ、俺は幸せだったのか。
「仕事。まだ見つかってないのですか?」
声が聞こえた。
何処かで聞いた声。
つい最近、初めて会話した声にソックリだった。
「質問を無言で返すとは、やはり無礼な人ですね」
あの時と同じ、歯に布きせぬ言い方。
たしか、彼女は上級貴族の息女だったはず。
なら、自分の言葉の意味を指摘してくれる人間もいなかった事だろう。
「無職の人間に対して不躾な質問をする方が、よほど失礼な気がしますがね? ミーティア・シルフィール様」
「それは失礼。私職の無い人の気持ちが分かる程の経験は積んでいないもので。レムス・アスタロト。いえ、唯のレムスでしたね。今は」
ミーティアの言葉に俺は体を起こして声のした方に目を向ける。
彼女は公園の入口に立っていた。
白いドレスを身に纏い、側に控えていた使用人と思われる女性に日傘を差させている。
逆隣には筋骨隆々な戦士風の男。腕を組み、ふてぶてしそうなその雰囲気は、とても使用人のようには見えない。
3人の後方には馬車が控え、卒業記念のパーティーか何かの帰りか、もしくは途中なのかもしれない。
「……どうしてそれを知っているの?」
しかし、俺にとっては彼女の全てはどうでもいい事で、興味があるのは俺が親に縁を切られた事実を彼女が知っている理由のみ。
「曲がりなりにも貴方は貴族でしたから。こちらも調べようと思えばいくらでも情報は集まるものです」
「調べたとか。最低だね」
「仮にも学友となる相手を調べる事がいけないとでも? 何時、誰に襲われるかわからないのですよ?」
平然と言ってのけるミーティアに、俺は自身の眉根がよっていくのを感じる。
しかし、残念な事に、彼女の言っている事は本当だ。
嘘などこれっぽちも含まれていない。
「元貴族で無職の宿無し。死ぬ事すら考えてる底辺にこれ以上何を言うというのか」
「手を差し伸べに。私の用はただそれだけです」
手を差し伸べる。
確かに彼女はそういった。
しかし、こちらに向けられる視線は相変わらず冷たく、とても人助けをする人間には見えなかった。
「生活していく為の賃金も、風雨を凌ぐ屋根も提供する準備があります。貴方がただ一言「お願いします」と口にするだけで、今の状況から脱する事が出来るのです。当然、労働はしていただきますが」
彼女は俺を雇うという。
だが、これは友人であるウォルフが行った行動とは全く別種のものだ。
ウォルフは友人である事から善意での行動だった。
しかし、彼女の行動の真意は何だ?
全くわからない。
強いて言うなら、落ちぶれた人間の観察だろうか。
「死にたいのなら断っても結構。これまで生きてきて、後悔していないと言えるなら……ですが?」
相変わらずの上から目線。
その態度に、俺はなんだが沸々と怒りが沸いてきた。
何が目的かはわからない。
わからないが、助けてくれるというなら助けてもらおうじゃないか。
俺は椅子から立ち上がる。
丁度ミーティアと正面に立つ格好になり、お互いの姿がよく見える。
距離は5m程。
その距離は、今まで俺達が接してきた距離よりはだいぶ近いと感じた。
1歩、2歩とミーティアへと近づき、手を伸ばせば届く距離に来て、足を止める。
ミーティアは相変わらず冷たく俺を見下している。
傘を手にした使用人は勿論の事、戦士風の男もその場をピクリとも動かなかった。
俺は地面を見る。
頭を下げた。とも言う。
あの時ウォルフの誘いを断ったのは、彼との関係を変えたくなかったからだ。
彼とは、この先続いていくとしても、対等の立場でいたかったからだ。
しかし、この女は違う。
別にどう思われようと構わない。
俺がもがく様を楽しみたいのだとしても、俺に生きていく為の手段を与えてくれるなら、喜んで道化を演じようではないか。
「……お願いです。私に仕事を与えてください。ミーティアお嬢様」
「良いでしょう。これからは今までの自分の立場は忘れ、存分に働きなさい」
そう言った後、俺に頭を上げるよう促すミーティア。
頭を上げた時、既にミーティアは背を向けて、馬車に乗り込む所だった。
「どうしました? これから貴方の職場に案内するのですから、遠慮せずに乗りなさい」
立ち止まり、首を後ろに向けて発したミーティアの言葉に頷いた後、俺は荷物を持って後に続いた。
王立大学を卒業し、家名を失ったその日の昼に。
俺の就職が唐突に決まった。




