第一章③
警察が現場を調べている間、遥達は図書室のいつものテーブルで待たされていた。
錦縁は頬杖を突いて、時々溜息を吐いている。
蝋嶋と鈴蘭は腕を組み、眠っているかの様に目を瞑っている。
庵はショックから立ち直れていないらしく、青い顔でまばたきもせず、ただ一点を見つめている。
安倍川、楽市、麻生の三人はただぼんやりと、忙しく動く警官達を目で追う。
そして遥は、そんな彼等を眺めながら、今は亡き六泥信也の顔を思い浮かべていた。
図書部の部長であり、遥が鈴蘭以外で初めて言葉を交わした図書部のメンバーの一人……穏やかで人当たりが良く、昨日も共に読書会をして感想や意見を出し合った彼が何故……?
「お待たせしました。皆さん」
機械的な女性の声が聞こえてきた。見ると、黒いスーツを着た若い小柄な女性が立っていた。
「今回の事件を担当させて頂く事になりました、桂署の筑摩知織と申します。皆さんの聴取に伺いました」
「お待ちしておりました。さあどうぞ、お座り下さい」
錦縁に勧められて、筑摩と名乗ったその若い刑事は空席へと座る。
最初は、錦縁が死体発見から警察への通報までの経緯を話した。
「なるほど、現場に散らばっていた【人形達の記憶】っていう小説の原稿は、蝋嶋くんの書いたものなのね」
「血を流して倒れている六泥くんを見た時、つい動揺して、ばら撒いてしまったんです」
庵が掠れた声で、刑事に頭を下げる。
「別にいいのよ。では次に、皆さんが昨日の午後五時から七時までの間、何処で何をしていたのかを、教えて下さい」
その場に居た図書部のメンバー全員が、刑事の質問の意図に気づく。
自分達は、容疑者として見られているのだ。
「アンタ……オレ達の事を疑ってんのか」
楽市が席から立ち上がる。「楽市、よすんだ」と錦縁が宥めようとしたが、遅かった。
「こっちは仲間をブッ殺されてるんだ!そんな中でそんな事を聞かれるこっちの身にもなってみろよ!」
止まらない楽市に押されてか、今まで黙っていた安倍川と麻生も口を開く。
「そ……そうですよ!この学校にはボク達以外にも多くの人が居るんです!何でボク達だけが疑われなくちゃならないんですか!」
「大体、あたし達があの人を殺す動機なんて何処にあるのよ」
「それは……その……」
溢れ出る怒号の波に飲まれてしまったのか、錦縁と筑摩は明らかに動揺を見せている。収拾はつきそうにない。
遥は諦めて、彼等の怒号を聞きつけて、他の刑事が集まって、この事態を解決してくれるのを待つ事にしたのだが……
「テメェ等少し黙ってろよ!」
時が止まった様に感じられた。
遥は彼女と知り合って六年になるが、こんなに大きく、他者を圧倒する声を聞いた事はなかった。
「鈴蘭……」
夜叉の如く、鈴蘭は二年生の三人を睨み付ける。
「アンタ達、馬鹿じゃない?部長がどうしてあんな形で殺されたのか、知りたくないの?いくら頭に来たとしても、ここは我慢して事件解決の為、刑事さんに少しでも情報を提供して、一緒に事件について考えてみるのが筋ってヤツでしょ?」
後輩に気圧されてか、額に汗を浮かべながら安倍川と麻生は口を閉じ、大人しく楽市は席に座った。
「すみません生徒が……私の指導不足です」
「いえ、それはワタシの方こそ。捜査の手順とは言え、生徒さん達の心情を顧みずに、いきなりこんな事を聞いてしまって」
教師と刑事は互いに頭を下げる。鈴蘭のお陰で、大した騒ぎにならずに済んだ様だが当の鈴蘭本人は、ばつが悪そうにしていた。
「そうだ、誰か、人数分の紅茶を淹れてくれ。少し気を落ち着けた方がいい」
「私が淹れてきます」
今度も錦縁の言葉に応じ、席を立ったのは庵だった。しかし、相変わらず顔色は優れず、テーブルを支えにしてやっと立っていられる様な有様だ。
麻生の言葉を思い出す。
――世話好きなのよあの人は。病的なまでにね。
遥はそんな彼女に、敬意と寒気を覚えた。
「待って下さい」
ふらつく足取りで歩き出した庵を鈴蘭が引き止める。その表情は、さっきと打って変わって穏やかだった。
「アタシが代わりに淹れて持ってきますから、副部長は休んでいて下さい」
「でも」
「アタシは一年ですし、それ位の事は出来ますから」
先程の大声とは違った意味で、やはり相手に反論をさせない威圧を含んでいた。こうして人を従わせる事が親友の十八番であるのを、遥は始めて知った。庵は「ごめんなさい」と呟くと、席に着いた。
「鈴蘭。わたしも手伝う」
入れ替わるように席を立つ鈴蘭を、今度は遥が引き止める。鈴蘭は九人分の紅茶を淹れて運んで来なくてはならない。遥も同じ一年生として、彼女の親友として手伝おうと思ったのだ。しかし……
「アンタはここにいて刑事さんに意見を出しなさい。ホラ、アンタはアタシと違って頭が良いんだから」
そう言われると、引くしかなかった。
鈴蘭が紅茶を淹れに行ったと同時に、聴取は再開された。
「俺達が昨日の午後五時から七時の間……つまり六泥が殺されたと思われる時間帯に何処で何をしていたのかって質問でしたよね?」
蝋嶋が筑摩に聞く。どうやらこの事件に興味を抱いたらしい。
「聞いた所で余り意味はないと思いますよ」
「どういう意味?」
蝋嶋は自身の白髪を左手人差し指で巻きつけながら答える。
「午後五時と言えば、図書部が解散する時刻です。昨日も例外ではありませんでした。俺達は皆、解散した後は個別に各自の家へ帰るので、午後五時以降は誰が何をしているのか、互いに知らないんですよ」
「それはつまり……」
「そう、つまり、ここに居る図書部のメンバー全員に犯行は可能だったんだ」
誰もが互いの顔を見渡す。
この中に六泥を殺した犯人がいる?
何か、得体の知れない物が彼等を包み込みはじめる。
「最も、安倍川がさっき言った様に、外部犯の可能性も十分ありえるんだがな」
蝋嶋なりにフォローを入れたつもりなのだろうが、彼自身が放ったこの空気は一向に晴れず、濃さを増すばかりである。
「刑事さん。俺からも一つ質問をさせてもらってもいいですか」
「……答えられる範囲でなら」
「俺もアイツの死体を見たから知っているんですが、アイツの頭は、何か鈍器の様な物で殴打されて割られていました。アイツの命を奪った凶器は見つかりましたか」
「まだ。こっちも全力で探しているわ」
「そうですか……」
「お待たせしました」
盆に湯気の立ったカップを載せた鈴蘭がやって来た。
「冷めない内にどうぞ」
鈴蘭の手により、筑摩を含めた九人全員にカップが配られる。
「さあ、飲むとしよう」
余程喉が渇いていたのか、ジャムもミルクも入れずに、錦縁が真っ先に口を付ける。
軽く頭を下げて、遥は薄い茶色の液体を見つめる。
こんな時に暖かい飲み物を提供されたのは喜ばしい事だったが、何となく嫌な予感がした。嫌な予感が……
陶器が割れる音がしたかと思うと、テーブルの隅から赤い液体がテーブルを侵食し始める。
「先生!」
図書部顧問、錦縁創が口から血を吐き出していた。その量は半端ではない。
「……がぁっ」
もう一度、大量の血を吐くと、彼は白目を剥いて、血だらけのテーブルに突っ伏す。
「毒だ……早く救急車を!」
筑摩が飛び上がり、他の刑事達の元へ走る。
「お前等何をしている!」
蝋嶋が咆える。
「毒を吐かせるから手伝え!それと全員、絶対に紅茶に口を付けるな!」
図書部のメンバー達が、自分に出来る事を探しに行くかの如く散る。
めまぐるしく、人々が動いていくその中で、遥はただ椅子に座っているだけだった。
救急車が到着し錦縁が運ばれた後、聴取は後日行うとの事で、図書部のメンバー達はようやく解放された。
あの様子では、錦縁は助からないだろう。蝋嶋に就いて錦縁の介抱をしていた安倍川曰く、すでに脈はなかったらしい。
部長の六泥信也。顧問の錦縁創。僅か二日間の内に、二人の人間が死んだ。しかし、遥は不思議と恐怖等を感じなかった。
今夜の夕食は何にしようと考えながら帰路を歩いていると、背後から鈴蘭に呼び止められた。
「遥か……一緒に帰っていい?」
その顔に表情はなかった。ただ、亡霊の様に突っ立っている。先輩達の前では気丈に振舞っていたのだろう。
遥は無言で頷くと、彼女と共に歩き始めた。
こうして遥と鈴蘭が一緒に下校するのは小学校以来だった。中学に入学してから鈴蘭は部活を始めて遥と帰る時間がずれてしまったし、高校に入学して同じ部活に入っても、遥が誘う前に鈴蘭はさっさと帰ってしまうのだった。
「ねぇ遥……部長と先生をあんな目に遭わせたのは、一体どんな奴なんだろうね」
六泥の死体と錦縁の最期を見たが、あれは明らかに誰がどう考えても、何者かの悪意によるものだった。あの二人を殺した人間が、すぐ近くに居るのだ。
「どうして……こんな事に……」
鈴蘭が身を寄せてくる。震えと冷たさが伝わってくる。そんな親友の様子を見て、遥の胸にも恐怖の花がゆっくりと咲き始めた。
「大丈夫だから……」
「アタシは……蝋嶋先輩かな。犯人は」
そのままの状態で鈴蘭は呟く。
「いつもは居るか居ないか分からない位に寡黙なくせに、今日の聴取ではベラベラと喋って、それに何よ「ここに居る図書部のメンバー全員に犯行は可能だったんだ」って。皆が疑心暗鬼に陥る様な事言うんじゃないっての」
いつの間にか、鈴蘭はいつもの気の強い鈴蘭へ戻っていた。確かに、後半はあの男が中心になって話が進んでいた。その上、錦縁が救急車で運ばれた後、周囲の刑事達にしつこく何かを聞いて回っていた。怪しいと言えば怪しいが……
「でも、安倍川先輩が言った様に、外部犯の可能性だってありえると思うけど」
「仮にそうだとしても、全くの外部犯って訳でもないでしょ。ウチの学校は無駄にセキュリティが厳しいから、何処の誰かも分からない人が出入りするなんて不可能よ」
少なくとも、学校の関係者の中に二人を殺した犯人が居る……どちらにせよ、殺人鬼が近くに居るというのは気持ちのいい話ではない。
気が付けば二人は、それぞれの家へ帰る分かれ道に立っていた。
「それじゃあ遥、また明日」
「もう……こんな事件が起きたせいで明日は休校だって言われたじゃない。忘れないでよ」
「ハハッ、そうだったそうだった。それじゃあ、またね」
「ええ……」
感情の入れ替わりの激しい親友に半ば呆れながらも、遥は彼女に背を向けて自分の帰路を歩き出そうとしたが、また呼び止められる。
「遥!……もしも仮にアタシが、どんなに酷い姿形になったとしても、アンタだけはずっと、アタシの友達でいてくれるわよね?」
「もちろん」
間髪を入れずに答えて振り返り、親友の笑顔を確認すると、遥はまた歩き出した。本当の悪夢が、これからやって来るとも知らず。