第一章②
図書室の隣にある倉庫には、図書室に入りきれなかった蔵書や、図書部の活動で使うコピー機や用紙が大量に保管されている。
その薄暗い倉庫に、六泥信也はある人物に呼び出されていた。
「僕に話って、一体何かな」
いつもの様に口調は丁寧だったが、何処かに冷ややかさを含んでいる。
その人物は、もうこれ以上、過去の事で自分から金を毟るのは止めてくれ。これ以上金を毟られたら、自分は破滅せざるを得ないと言った。六泥の目が変わり、笑顔が消える。
「キミがそれでいいなら僕はそれでいいよ。どうせ元から皆に知れていた事だし」
どういう意味だ。と、その人物は問うた。
普段ならばけして人には見せる事のない邪悪な笑みを浮かべながら、六泥は答える。
「キミも頭が悪いね。秘密なんて、どんなに頑張って隠した所で、春風の様に自然と人々に知れ渡るのさ。だけど安心しなよ、キミの過去を知っているのは僕とほんの少数の……おい、キサマ何のつもりだ……よせ、止めろ!」
六泥の静止も空しく、その人物の持つ冷たい凶器が彼の脳天に振り下ろされた――
いつもの様に遥は図書室の中に入った。今日の図書室は今朝から降っている雨のせいで、いつもの様な温かみを感じる事は出来なかった。
今日は昨日遅れて来た蝋嶋季士が最初から居たが……
「遥」
遥の姿を認めた鈴蘭が、珍しく神妙な面持ちで彼女に声を掛けてきた。
「アンタ、六泥部長が何処へ行ったか知らない?」
「何の事」
あまりに唐突な問いだった。聞けば、六泥は昨日から自宅に帰っていないらしく、彼の家族から警察へ、捜索願が出されているらしい。
「六泥くん……今までこんな事なかったのに……」
「昨日の読書会の時だって、いつもと何ら変わらない様子だった。どうして行方不明なんかになったんだろう……」
庵が親指の爪を噛み始め、安倍川は頭を抱える。
「……馬鹿だなぁお前等」
皆の様子を見かねてか、楽市が声を上げる。
「大丈夫だって、あの人ならどんな事があっても無事でいてくれるはずだ。そうだろ?先生」
「ああ。警察に捜索願が出されてるんだ。きっとすぐに見つかってくれるさ」
皆が敬愛する錦縁がそう言ったので、他のメンバーはそれで何となく安堵する事が出来た。そうだ、六泥は無事に帰ってくる。別に事件に巻き込まれた訳ではない……と。
「そうだ」
蝋嶋が鞄から大きな茶封筒を取り出した。
「二年の時から書いていた小説が遂に完成したんだ。皆で批評してくれないか」
「うわ……」
遥は声を漏らした。茶封筒からだされたその原稿用紙は分厚く、一目見ただけで軽く百ページを超えているのが分かったからだ。
一人が読み終えるまで相当の時間を有する事は確実だった。
錦縁もそう思ったらしく、その原稿を手に持って、軽く挙げてみせた。
「おい、誰か隣の倉庫に行ってコイツを後、二部ほどコピーしてくれ」
「私がやってきます」
副部長の庵が真っ先に立ち上がり、錦縁から蝋嶋の原稿を受け取ると、小走りで図書室から出て行った。
「あの、わたし、前々から思ってたんですけど、どうして庵先輩はいつも率先して物事を引き受けるんでしょうか?一年のわたしや鈴蘭にさせればいいはずなのに」
「世話好きなのよあの人は。病的なまでにね」
何処が気に食わないのか、麻生は舌打ちをした。それによって、遥は嫌な気分になる。
「そうだ皆さん、何か飲み物でも持ってきましょうか」
鈴蘭が少し離れた所に置いてある電気ポットを指して言った。湯を沸かす事で、インスタントではあるがコーヒー等を作る事が出来た。六泥が自費で図書室に寄贈したものらしい。
「それじゃあ、おれはコーヒーでも」
突然、図書室の扉が勢い良く開き、コピーを取りに行ったはずの庵が飛び込んで来た。その場に居た七人全員の目が、彼女に向く。庵の顔は血の気が失せて青色に染まり、目には恐怖と驚きが滲んでいる。
ただ事ではないと、一同は急いで彼女の元へ駆け寄った。
「どうした、何があった」
錦縁が尋ねても、庵は相変わらず震えたままで、一切口を開こうとしない。
「……皆、庵を頼む」
錦縁はそう言って図書室から飛び出す。蝋嶋と遥もそれに続いた。
とてつもない胸騒ぎがする。
錦縁と蝋嶋は図書室のすぐ隣に位置する倉庫の前で立っていた。扉は開け放たれており、二人はその中にある何かを見つめている様子だった。
「先生、先輩。一体何が」
二人の脇から倉庫の中を覗いた遥は、言葉を失った。
撒き散らされた大量の血と原稿用紙の海に図書部部長、六泥信也が沈んでいたからだった。