第三章⑦
「…………あれ?」
遥は早々拍子抜けした。図書室にはカウンターに座っている司書の男性以外、人っ子一人いないのである。麻生や楽市といった、容疑者らしい人物の姿はない。
「先輩、これは一体……」
「少し歩こう」
蝋嶋は図書室の中をゆっくりと歩き出した。仕方なく遥もそれに従う。
思えば、遥がここへ来るのは事件初日の、六泥の死体が発見され、目の前で錦縁が殺された時以来だ。
「筑摩さんにはもう伝えてあるが……俺がその人物を、この事件の犯人だと目星を付けた理由を教えてやろう」
蝋嶋は語り出す。
「俺も当初は、犯人の手掛かりが一切掴めず、次は自分じゃないかと怯えて過ごしていた。しかし転機……と言えば悪いが、それが訪れたのは、犯人がお前を殺しに来た時だ」
「あの時に、何か思い当たる事でもあったんですか」
蝋嶋は、いつも図書部の活動で使っていたテーブルの前に立つと目を閉じて、片手で軽く、その表面を触れる。故人達との思い出を噛み締めているかの様に。
「奴がお前の首を絞めていた時、俺は背後から奴を制止させようと大声で叫んだ。だが奴は振り返ろうともしなかった。これは翌日の安倍川殺害時にも見受けられる」
「麻生先輩が、先輩と同様に、安倍川先輩を刺そうとしていた犯人を止めようと大声で叫んだって話でしたよね。一升瓶を投げつけられるまで、自分の存在に気が付かなかったみたいだったと」
「いくら殺人に夢中になっていたとは言え、背後で叫ばれても気が付かないのはいくらなんでも不自然だ。だが、こう考えてみると説明がつく」
蝋嶋は目を開けて、触れいた片手をテーブルからどけた。
「この事件の犯人には、耳に……聴力に何らかの障害がある」
犯人は耳に障害が……だが、遥には解せなかった。
「そんな人、図書部には居ませんよ。殺された皆さんを含めても普通に会話は出来ていましたけど」
「別に、図書部のメンバーに限って考えなくてもいい。その人物が犯人である事を踏まえて考えると、安倍川のダイイング・メッセージが本当は誰の事を指したかったのかが分かるんだ」
「「シシ」でしたよね。ですが、楽市獅子先輩以外に「シシ」の付く名前の人なんて……」
「今に分かる……これでいいか」
蝋嶋は近くにあった本棚から、松本清張の【高校殺人事件】を手に取り、カウンターへ持っていく。
カウンターには、司書の男性が座って本を読んでいた。図書部に入部してから、遥もこの司書を通して何冊か本を借りたが、一切の会話を交わした事がない。名前は確か、オオバといった様な気がする。
痩せ型で冴えなさそうな中年の司書だ。
「貸し出しの手続きをお願いします!」
蝋嶋は身を乗り出して、オオバ司書に叫ぶ。司書は上目遣いでチラリと彼を見ると、読んでいた本を置き、蝋嶋の差し出す本へ手を伸ばした。
鋭い金属音が図書室に響いた。
数秒前まで蝋嶋の言わんとしていた事が理解出来なかった遥も、その時、全てを理解した。
図書部に限って考えなくてもいい――シシ――シショ――司書。
「大庭弘。お前を、五件の殺人の容疑で逮捕する」
自身の両手に掛けられた手錠を図書館司書、大庭弘は目を剥いて見つめていたが、暫くするとその目から、幾多もの大粒の涙がこぼれ出す。
「……終わった……」
司書の喉から発される呻きの中、蝋嶋は軽く、宙を見上げた。
最初の【登場人物】の並びについて。
彼等の頭文字を上から順に並べてみると……?
蝋嶋(L)
印藤(I)
舞姫(B)
六泥(R)
麻生(A)
楽市(R)
庵(I)
安倍川(A)
錦縁(N)