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第三章⑤

 まもなく刑事達がやって来て、任意同行を求められた楽市獅子はパトカーに乗って去っていった。


「帰ろう。家まで送ってやる」


 蝋嶋が車を運転しながら後部座席に座る遥に語り掛ける。


「十分程でお前の家に着くだろうから、居眠りなんかするなよ」


「分かってます。それより、わたしがさっき、何かを先輩に尋ねようとした事、覚えてますか」


「……ああ。何の話だ」


「車の中ではちょっと。家に帰ってから、じっくり話し合いましょう」


 それから二人共、一切口を開く事はなかった。遥の無言から、彼女の沸々とした怒りを蝋嶋は感じ取ったのだろう。


 遥の家の前に着くと、楽市の家の時と同様に、家の前の道路に車を停める。


「さあ、どうぞ先輩」


 遥はあえて恭しくドアを開け、彼を家に招き入れる。蝋嶋もポーカーフェイスでそれに応じた。


「さて」


 蝋嶋が家に上がったのを確認すると、遥は素早くドアを閉めて、鍵を掛ける。


「そこまでするのかお前は」


「先輩にはこの質問に、確実に答えてもらわなければなりません」


 そして遥は改めて蝋嶋の方に向き直ると、立てていた上着の襟を元に戻した。

「わたしの首筋に付いている、これは何ですか?」


 遥は紛れもなく見た。鏡に映った、自分の首筋に刻まれた線状痕を。今朝からどうも息がしずらく、首が痛む訳である。


「先輩。実は、わたしは今朝の先輩と筑摩刑事の会話を最後の方だけ立ち聞きしていたんです。「これ以上、アイツに負担を掛けるのは良くないでしょう」って何の話ですか。答えて頂けません?」


 蝋嶋は溜息を吐いた。どうやら隠し切れないと諦めた様子である。


「俺は、お前の為を思って伏せておいたんだが、仕方がないか……」


「……教えて下さい。昨日の晩、病院で何があったのか。わたしに何があったのか」



 蝋嶋季士はあの晩、見回りの看護師達に見つからないように気を配りながら、遥の病室に潜んでいた。


 どうして蝋嶋が遥の病室に潜んでいたのかと言えば、理由は二つある。


 あの時、蝋嶋は他の図書部のメンバーには事件が解決するまで外を出歩くなと、しつこく言っておいた為、彼等を信じて多少は安心をしていたのだが、一人で病院の病室に泊まる後輩の遥の身だけが、どうしても心配だったのだ。小さな家は鍵をしっかりと掛けて、どんな訪問者が来ても絶対にドアを開けなければいいが、大きな病院は夜間の出入りは出来ないとは言え、昼間にその巨大な建物の何処かへ隠れて、夜まで待てば言いだけの話である。事実、蝋嶋はそうした。


 もう一つの理由は、彼自身が、一人で過ごすのが怖かったからだった。


 セキュリティ万全の高級アパートで暮らしてはいたが、彼は一人暮らしだった。六泥が殺された時、仲間達の前では刑事に色々と質問をして事件の情報を聞き出し、推理するというエセ探偵を演じる事で精神の均衡を保っていたものの、今度は敬愛していた錦縁が目の前で殺され、夜になって自宅に戻った時には、いつ発狂してもおかしくない程に恐怖は彼の心を蝕んでいたのだ。


 誰かと一緒にいた方がいい――


 その為、多少の罪悪感はあったものの彼は、異性の後輩の病室に忍び込むという、ある種の奇行に至ったのだ。


 日付が変わり、時刻が午前二時を回った時、物陰で月明かりを頼りに本を読んでいた蝋嶋は、急にトイレに行きたくなった。身を少し乗り出し、後輩の寝顔を伺う。


 少しは席を外していいだろう――


 それは、蝋嶋が遥の病室を出て、用を足してからまた病室に戻るまでの、ほんの数分の内に起こった。


 用を足して病室に戻ろうとした蝋嶋がまず気が付いた異変は、遥の病室の扉だった。遠くから見ても分かる程に、大きく開けていたのである。彼は病室を出る際は、ちゃんと扉は閉めていた。


 マズい。


 急いで病室へと駆けて戻った彼は見た。巨大な黒い影が、印藤遥の身体に覆いかぶさっている姿を。


 黒色のコートを着用し、顔が見えない様にする為か、オペラ座の怪人の様な真っ白の仮面を被っている。月明かりに照らされ、遥の首をロープで絞めるその姿はまさに、死神だった。


 間違いない。コイツこそが、図書部のメンバー達を手に掛けた犯人だ。


「おいキサマ何をしている!」


 蝋嶋は声を張り上げたが、犯人はそれを気にも留めない様子で、遥の首を絞め続けている。


 彼はベッドに駆け寄り、背後から犯人の頭部を殴り飛ばす。その衝撃でガクンと奴の頭は下がり、その後、ゆっくりと蝋嶋の方を振り返った。


 真正面からその白い仮面を目の当たりにした時、蝋嶋は自分の置かれた状況を理解した。


 ここには今、玉の汗を額に浮かべてうなされている後輩を除けば、自分と、仲間達を殺したと人物の二人しかいない。交通事故で事故死した母、六年前の連続殺人で殺された父や兄弟達の顔が、季士の頭を掠める。


 後輩を置いて逃げる事は、彼の男としてのプライドが許さなかった。しかし、一か八か突っ込むにしても、身長が180センチもあろうかという巨体の人物に、格闘をして勝てる自身はなかった。


 どうしたものか。


 後輩を守るつもりでも、自分自身を守るつもりでも、こうして病院に潜んでいたのだが、完全に裏目に出た。


 犯人の身体が動く。


 来るか。


 蝋嶋は咄嗟に身構えたが、その必要はなかった。犯人はベッドから飛び降りると窓の方へ突っ走り、鍵を開けて飛び出していった。病室が一階にあったからこそ出来た芸当であろう。蝋嶋は犯人の後を追おうかと思ったが、またいつ戻ってくるかどうか分からない。彼は追跡を諦め、携帯で筑摩に電話を掛け、事の次第を説明して病院に来てもらう事にしたのだった。



 やっぱり……


「わたし……犯人に殺されかけてたんですね」


 指先で首筋の痣をさする。覚悟をしていたとは言え、やはりショックだった。寒気と吐き気が同時に押し寄せてくる。だが、それと同時に曲がりなりにも自分を守ろうとしてくれた蝋嶋に対する感謝も湧き上がってきた。


「無断で病室に忍び込んで悪かった。許してくれ」


 蝋嶋が頭を下げたので、遥は彼を宥める。


「別にいいですよ。むしろ、守ってくれて感謝しています」


「……そうか」


 蝋嶋は軽く微笑をしたが突然、はっとした表情となり、軽く頭を下げて押し黙り、指で自分の髪をいじり始めた。


 この数日で何度も見ている彼の仕草……また、何かを考えているのか。しかし、思考の邪魔をしてはならないと思い、遥も声を掛けずに彼から目を逸らす。


 どれ位の時が流れただろう。


 ふいに蝋嶋は遥の脇を通って、玄関のドアノブに手を掛ける。先程の彼の思考について、遥はあえて追求しなかった。


「帰るんですか」


「ああ、もう用件は済んだだろう」


 何だか寂しい気分がした。数日前までは、寡黙で余り、一緒に居たくはない気味の悪い先輩だったのに……


 ドアを開けた時、蝋嶋は振り返って遥に言った。


「印藤、明日の早朝七時に、図書館の前に来てくれないか。一緒に全てを終わらせよう」


 その顔は無表情だったが、清々しい感じがした。遥の思考が、一瞬停止する。


「先輩、まさかあなたは……」


「ああ、お前が俺に昨晩の出来事を振り返らせてくれたお陰で、大体犯人の目星は付いた」


 遥は土足のまま外に出ると、蝋嶋に問い詰める。


「一体……誰が犯人なんですか。教えて下さい」


「親友を殺した犯人が誰か、一秒でも早く知りたいだろうが、筑摩さんに先に教えて協力を要請する必要がある。心配するな、明日には必ず犯人をこの手で捕らえてみせるさ」


 蝋嶋はそう言うと、停めてある自身の車へ駆けて行き、エンジンを唸らせて走り去っていった。


 ふと庭の花壇を見ると、しゃんと立った花々が、美しく咲き乱れていた。

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