第9話: この命の意味
―幼少時代―
私は、所謂『良い子』だった。 ご近所の方に会えば、きちんと時間に応じて挨拶をし、回覧板を次のお宅へ廻しに行ったり、お使いを言われれば、どこまでも行く。
横断するときには、右左右を見て、自動車が来ないのを確認してから渡り、そのときには必ず右手をピンと伸ばす。
学校での成績も、トップではないにしても、トップのほうにいつも位置し、学級委員をしたり、夏休みの自由研究なども欠かさない、そんな子だった。
私の育った環境は、決して裕福な家ではなく、逆に貧しい方だった。 家は借家で、大正に建てられたらしいことを、子供ながらに聞いた憶えがある。 がたがたの、隙間だらけの家だ。ところどころ、塗炭で囲われるようなところもあったりして、夏は暑く、冬は、とてつもなく寒い。 『お前たちの部屋だ』と宛がわれたのは、3畳の細長い部屋。それを、姉と二つにわけて、1畳半ずつ机を置いて勉強をするような環境だった。
夏の扇風機は、父専用。 冬のストーブも、父専用。 汗だくで、寒さ、がたがた震えることが、私には当たり前だった。
寝る部屋は、一畳半で寝るわけにもいかないので、仏壇がある部屋で、二段ベッドで寝ていた。それが、私にとっては『ごく普通』のことだった。
私が母のお腹に宿ったとき、父は、どうしても男の子が欲しかったらしい。 それを待ち望んで待ち望んで、産まれたのは、女。 私だった。
母は、一人で入院し、一人で陣痛に耐え、一人で私を産んだ。 そして、産まれたのが、女の子とわかると、父は一度も病院には来なかったらしい。
その後も、結局私が大きくなるまで私を一度も抱かなかったという話を、母からも、親族からも聞かされて育った。 『いらなかったんだよね』って。
加えて、姉は産まれてすぐから可愛いと言われて育ったが、(確かにお人形さんのように可愛かった)私は、といえば、全くかわいらしさもなく、『お前はぶさいくだなー。この先どうすんだ?』と、口々に言われて育ったのだ。
いらない上に、かわいらしさもない。 どうやって生きていけばいいのか?
幼心に、私はひょうきんに生きることを選ばざるを得なかった。 しかも、家族や親族の間だけで。 この場所でだけ受け入れてもらえればいい、と思ったのだろう。
親の躾は、きっと周りから見たら、想像を絶するようなものだった。
人様から、お小遣いをもらうようなことがあったら、父に喩えようもないような目で睨まれ、結局、『いいです・・・』と、お断りする始末。 もう、私に、何か与えようとしないで下さいと、願うことは日常茶飯事だった。
それでも、大人のすること、無理やり私にお小遣いや物をくれようとする。 父は、申し訳なさそうに、そして、私を睨んだまま「すみません」と言って、目配せで「もらえ」と言う。
いつも、心臓がバクバクいっていた。
ご馳走を前にしても、父が『いただけ』というまでは、手をつけてはならない。 手をつける時が来ても、加減をみながらしか食べてはならない。
正座をし、肘などつけたものならば、人前でも親の箸で刺される。
まるで・・・躾最中の犬と一緒だった。
私は、動物か? と、今ならば思う。
でも、その頃は、必死だった。 これ以上、父から叱られたくないし、なるべく穏やかに過ごしたかったからだ。
小学生に入学する前ぐらいから、私と姉は、家事もこなすようになっていた。
掃除、洗濯、茶碗洗い、両親の布団の上げ下ろし。 それを二人でローテーションを組んでこなすのだ。
大人になるまで続いた。 当たり前だと思っていた。
小学生中学年になると、自分が着る洋服でさえ、お年玉などの小遣いで買うことが当たり前になっていた。
でも・・・それも、当たり前だと思っていた。
これが『普通』なのだと。
それが、『普通』ではないと知ったのは、大分後になってからだった。
そっか・・・私は、普通に育ったんじゃなかったんだ。 私が、行き辛いのは、そのせいだったのかな? 疑問が生まれていた。
だから、早く、独りになりたかった。
親から離れて、独立して、温かい家庭が欲しかった。 自分を生きたかった。
今でも残っている。
小学3年生の頃に残した私の言葉。
「生きている意味がわからない。 死んでしまいたい。生きていたくない。」
異常だ。 今考えれば、こんなことを小学3年生が発するなんて、異常以外の何物でもない。
それぐらい、私は、行き辛かったのだろう。
今それを見ると、健気すぎて、愛おしい。 大丈夫だよ、私がいるよ、って、言いたくなる。
そんな私も、中学生に入学したころから、徐々に変わっていった。 思春期が訪れた故か。
荒れた。 ソツなく荒れた。 親に隠れて、悪いことをかなりした。
不良グループに入り、本当に悪いことをした。 真面目に学校に来ていた子たちには恐れられていた。
もう、どうでもいいと、思っていたのかもしれない。
それなのに、勉強はそこそこ良かった。
親は、だから気づかなかったらしい。 そして、高校も、不良だったくせに、なんとかランクのいいところに入学できた。
だけど、高校は全く魅力がなく、それもそのはず。その高校も、お金が一番掛からないところを親の意見で決めたからだ。
私は・・・変わりたかった。
どうせ、2ランクぐらい上の高校に入れるのならば、その専門のところへ行きたいと言った。でも、親は、許さなかった。
『お前は、あんなに離れたところに行ったら、悪くなる。それに、金がどれだけかかると思ってるんだ!』
そんな反対に、経済力のない子は従うしかない。
もう、高校にも、何の魅力もなかった。
中途半端じゃん。 行く意味ないよ。 って。
単なる我侭だったのかもしれない。 もっと、他に生きようはあったのかも。
だけど、そのときの私は、無気力だった。
そして、不良にも拍車がかかったんだ。