第11話: 生きる
人は、何故生まれてきて、何故苦しみを抱えて生きるのだろう。
ずっとそう思って生きてきたような気がする。
その答えは、今も完全に出たとは言えない。
だけど、漠然とだけど、苦しみの中を生きてきたから言えることは、その苦しみすら、自分の一部となって溶けていく、ということだ。
その苦しみの最中は、とてもそんなこと言えない。
苦しくて、命すら維持するのも怪しくて、それでもなんとか一筋の細い糸のようなものに捉まり生きる。 その、一筋の細い細い糸は、本当は、胎児の時にしっかりと母の子宮と繋がっていたへその緒のように太いものなのかもしれない。へその緒は、見た目には一本の管のように見えるが、実は幾重にも束なるものから出来ている。
その細く見える糸を決して離してはいけない。
必死に、滑稽に見えてもいいから、なんとか離さずに生きてみたほうがいい。
そのうち、その細い糸は、実は、そのへんの太く逞しい綱よりも心強いものだということを身をもって知るときが来るだろう。
私は、親との関わりが、とても大きくその後の人生に影響を及ばしてしまったのは否めないが、もう私も子供ではない。
そのことから、一歩も二歩も歩き出さなくてはいけないのだ。
そして・・・両親がいなければ、私はこの世に生を受けなかった。 喜びも哀しみも、そして苦しみを味わうことすらできなかったのだ。
だから、私は今、親にこれ以上にないぐらい感謝をしている。
『産んでくれて、ありがとう』って。
生まれてきて様々な経験をしなければ、人の痛みを知ることもなかったろうし、共感することも極力少なかっただろう。 だから、感謝だ。それしかない。
そして・・・
こう思えるようになったのも、寛哉の存在はかなり大きかった。 私の体の中の奥の奥の奥底から、感謝の言葉も言い表せないぐらい感謝をしている。
本当にありがとう。
この先・・・
私は、正直なことを言ったら、生きることをちゃんと教えてくれた寛哉とずっとずっとこのまま一緒にいたい。
だけど、今も結婚をする気持ちにはなれないし、恋愛もしていない自分を知っている。明らかに彼との温度差があるように感じていた。
これから、どうすればいいんだろう。
いつも、そんなことを考えていた。
寛哉はこの先どうしたいんだろう。
2年と数ヶ月が過ぎた頃、寛哉がふと私に言った。
「結婚するか?」
言葉が出なかった。
その代わりに、楓を失ってからしばらくは泣き続けたけど、逆に一時から感情を抑えるかのように人前であまり泣かなかった私が溢れるような涙を流していた。
喜び? 哀しみ? 何の涙なのか、自分でもわからなかった。
ただ・・・
わけもわからず、涙が出ていた。
そして、私は、寛哉のその言葉に、とうとうその日、答えを発することはなかったんだ。