第10話: パーソナリティーが出来るまで
高校3年の秋、他の生徒が進路を決めているのを横目に、私は進学するか、就職するかも決めかねていた。
普通科ではなく、専門分野を選んで入学した学校で、唯一真面目に学んだのは、その専門科目だったので、本当はその専門学校に進みたかった。 その後の進む方向まで、自分の中では決まっていたのだが、親からは、また高校を選ぶときと同じ理由で反対され、進学するならば地元の国立大学のみで、その後の進路まで決められたレールを敷かれたのだ。
もう、親の思うようにはなりたくない。
早く、独立して家を出よう。 そう決めたのに、学校での態度が悪かったことを理由に、就職の斡旋もしてもらえない始末。 私と、少数の生徒だけ、宙に浮いた状態だった。
結局は、自分の責任なのだ。
母親が見るに見かねて、専門分野を活かせる就職先を知人から紹介してもらい、なんとか就職できることになったのは、もう、街路樹も、寒々しい姿になった頃だった。
どうしようもない人間だった。
春―
就職した職場では、がむしゃらに働いた。 高卒なので、そう初任給が良かったわけではないが、それなりの給料をもらい、何より仕事が楽しかった。 勉強よりも、ずっといい! そう思い、どんどん仕事を覚えていき、一人で任されるところまで行った。
本当に、楽しかった。
その反面、就職したというのに、親の私に対する態度は一向に変わらず、門限もいまどきの高校生以下、相変わらずだった。
どうしても、この環境から脱したい。
そして、結婚して家を出ることを夢みるようになっていた。
結局、結婚に対しての感覚を間違って捉えていたのは私なのだ。
どうしても、家から離れたかった。
どうせ、私は、一度もちゃんと親から愛されていなかったのだし。 目の上のタンコブだったんだし。
卑屈にもなっていた。
寛哉といるようになって、穏やかな日々をそれなりに送れるようになっていたけど、私はその間も、自分自身のことを冷静に分析するようになっていた。
どうして私はこんな風になったのか? 生き辛いのはなぜなのか?
そして、産まれ出でたときから遡って、幼少時代、学生時代、大人になってから・・・を辿っていくと、それはとても苦しい作業だったけれど、自分がこのように出来上がった理由がわかったような気がした。
私には、『絶対的な愛』が足らなかったんだ。 その『絶対的な愛』とは、両親からの愛だ。そこがE−ゲージだったら、その後の愛も受け入れることが難しくなってしまうのだろう。絶対的な愛とともに、絶対的な信頼関係も築けなかったのだろう。
過剰なまでに人の顔色を伺い、気を使い、疲れ果てる。
そんな私のパーソナリティーも、そこから来ていたのだと思う。
寛哉に出会ってから、何度も何度もそれらを注意され、指摘され、徐々に、ゼロからスタートを切れるようになっていたような気がする。
過剰な気遣いは必要ないんだ、と気づき、私が「したい」と思ったときに、心遣いできるようにしたいと思い、人に嫌われたっていいから、自分を生きようと思えるようになったり、とにかく、寛哉は私を変えてくれた。
根本から。
優しさと弱さ、強さと傲慢さ、それらも寛哉が教えてくれたことだ。
よく、寛哉に、
『お前は、優しいけどさ、それは本当の優しさじゃねーぞ。相手は、その優しさを食い尽くして、もっともっと、と望んじまう。最後の最後にお前がそれを突き放したら、そいつはどうなんだ? 優しさは、冷たいようだけど、初っ端から突き放さなくちゃいけないときもあんだぞ』
と、言われていた。
最初は、否定した。
『そんなことないと思う! 優しさは、どこまでもその人のためにできることをしてあげることだと思う』
そんな感じで。
でも、今は思う。 そうね、寛哉の言うとおりだね、って。
私は、寛哉といることで、強さと優しさを持てるようになったのだと思う。
それほど、寛哉ほどの強力なやつじゃないけど。 ちょっとだけど。
私みたいなやつ、よく、嫌にならずに一緒にいたな・・・こいつ。
ふと、思った。