襲撃
二人が忍びで龍の宮に揃ってやって来たのは、レイティアの腹も大きくせりだした頃であった。
維心と維月は並んでそれを出迎えた。ディークに抱かれたレイティアは、久しぶりの龍の宮に懐かしげに降り立った。
「なんと、ほんの二年ほどのことであるのに。このように懐かしいとは。」
維心が笑った。
「良い。それだけ主が変わったということぞ。それが主の夫か?」
レイティアは頷いた。
「我の国の東の隣国をおさめる王ディークぞ。」
ディークは軽く会釈した。
「龍王殿。お噂は聞いておる。」
維心は軽く返礼した。
「よう来られた。維心と申す。これは我の正妃、陰の月の維月と申す。」
維月は扇で顔を半分隠して目を伏せ、頭を下げた。ディークは頷いた。
「そうか、これが月の君…よく見えぬが。」
維心は苦笑した。
「こちらでは、妃の顔は滅多に見せぬ習慣がある。本来なら、このような場にも連れては来ぬのだが、どうしてもと申すのでな。」
微かに見える維月の目元は笑った。
「レイティアに会いたくて。」
レイティアは笑った。
「維月…ほんに主はこちらの女よの。あれほどに強い軍神でありながら、そのようにただの女に身をやつして。」
維月は心外な!という顔をした。
「まあ、嫌だわレイティアったら。だって維心様が、あまり人前にガンガン出るなと言うのだもの。」
扇が降りてしまっている。維心は呆れたように言った。
「維月…扇が下がっておるわ。」
維月は慌てて扇を上げた。
「もう遅いの。見てしもうたぞ。それにしても、レイティアから聞いておった通り、珍しい気よの。」
ディークが感慨深げに言う。維心は維月を引き寄せた。
「ならぬぞ。我の妃はもう誰にも触らせぬ。」
ディークは笑って首を振った。
「心配ない。我にはレイティアしか居らぬわ。ほんに、これも聞いておった通りぞ。維心殿は妃を溺愛しておるとの。」
維心は不機嫌に踵を返した。
「…良いわ。どうせ我は維月に溺れておるよ。さ、参れ。茶を準備させる。」
維月を手にどんどん歩いて行く維心に、二人は笑いあいながらついて歩いた。
日も暮れて、与えられた部屋で休む準備をしていたレイティアは、ふと戸口に気配を感じた。ディークか?もう、風呂から戻ったか…。
見ると、そこには連れて来た、ディークの城の軍神が立っていた。ユリハという名の軍神で、次席軍神だった。
「ユリハ?ディークは、風呂に参っておるが…。」
相手はいきなり刀を抜いた。レイティアはスッとそれを避けた。こんな格好をしていても、我は軍神ぞ。
レイティアは鋭い目でユリハを見た。ユリハは再び刀を振り上げる。レイティアは必死に避けた。かなり速い…本気で自分を一太刀にしようと思っているのだ。
刀がない…丸腰の相手にも容赦ないか。
レイティアは思った。ユリハにしてみると、女ごとき簡単に斬れると思ったらしい。なかなかにすばしこいレイティアに、焦っているようだった。レイティアは、立ち合うには狭い部屋の中なので、隙を見て窓から外へと飛び出した。
「逃がすものか!」
ユリハは言った。どう見ても、相手は恨みを持った目でこちらを見ている。レイティア王なので、命を狙われる事には慣れていた。だが、こやつに恨まれる理由に検討がつかない。
何か、腰の辺りがピシッと鳴ったような気がした。締め付けるような痛み…レイティアは顔をしかめた。
「覚悟!」
相手がその隙を見て刀を降り下ろす。レイティアは、寸前で刀で受けた。
「…どこから刀を出した…!」
相手は唸った。レイティアは思い出した。亮維が教えてくれた…刀を呼び出す方法を。知っておかねばならぬと言って…。
「主などに教えてやるいわれはないわ!」
レイティアは斬りかかった。しかし、痛みはまだ続いている。腰に安定感がない。いつもの立ち合いが出来ない…!
ユリハは手を止めることなく激しく刀を振り回した。早く決着をつけたいのは確かだ。レイティアは受けるのが精一杯の状態で、必死に戦い続けた。我は…ディークの子を守らねばならぬ!
もう寝台に入って維月に口づけていた維心は、ふと止まった。維月が目を開けると、維心は何かを見るように何もない場所を凝視している。維月は言った。
「維心様?いかがなさいましたか?」
維心は維月を見た。
「レイティアが襲われておる。」と、慌てて起き上がった。「客間の横の庭ぞ!」
「ええ?!」
維月も起き上がって、慌てて襦袢を引っ掛けると維心の襦袢を着せかけ、袿を肩に掛けた。維心はすぐに窓へ駆け寄った。
「主はここに居れ!」
維心はディークに念を飛ばすと、現場へと向かった。
レイティアは、時に遠ざかるものの、また襲って来る痛みに耐えながらユリハに応戦していた。素早さと技術が頼りのレイティアは、力で押して来るユリハのような相手に、この状態では絶対的に不利だった。しかも、腹がせり出しているので、動きが制限されている。このところ、あまり動くのは良くないと言われて立ち合いもしていなかった。
手元が、どうしても定まらない。相手に太刀を浴びせられない今、いったい自分はどれぐらい持ち堪えられるのだろう…。
不意に、ユリハが後ろにつんのめって転がった。レイティアは驚いてユリハを見た。すると、上空から声が降って来た。
「何事ぞ!我の結界内で許可もなく立ち回るとは!」
維心が、間に合わせで引っ掛けて来たであろう袿姿でそこに居た。ユリハは唸って立ち上がろうとするが、全く動くことが出来ない。維心が気で押さえつけていることは確かだった。
「レイティア!」
ディークが、それこそ襦袢だけしか着ていない状態で飛んで来て叫んだ。レイティアは、それを見てホッとして力が抜けて行くのを感じた。
「ディーク…。」
ディークは、レイティアが無事であるのを見てホッと胸を撫で下ろすと、駆け寄って来て抱き締めた。
「おお、まさかここでこのような事があるなど思いもせず、主を一人にして風呂などに…維心殿が気取ってくれなければ、どうなっておったことか。」
維心は憮然として落りて来て、ユリハを見降ろした。
「ほんに迷惑この上ないわ。結界内は全て見えておるというに。こやつは主の軍神ではないのか。なぜにレイティアを殺そうとする。」
ディークは、ユリハを見た。
「ユリハ。この罪軽くはないぞ。」
ユリハは、ディークを見た。
「では、王はいかがか!」ユリハは維心に押さえつけられたまま言った。「我の娘、ユーアを帰してそのような女に通われて!ユーアは、たった一度王に召されたのみに捨て置かれ、それでも王を想うておったというのに。あれは少しも悪くはないのに、臣下達には石女扱いされ、その女の懐妊で沸き立ち、ユーアを捨てるように里へ帰すなど…娘は…王を想うて自害して果ててしもうたわ!たかが軍神の娘は、このような扱いを受けても耐えねばならぬと申すか!あれほどに気立ても良く優しい娘は、居らなんだのに…。」
ユリハは、涙を流して訴えた。維心は、小さくため息を付くと、ディークを見る。ディークは、険しい顔つきでユリハを見ていたが、維心の視線に気付いて言った。
「…臣下達が、勝手に決めて参ったのだ。」
維心は頷いた。
「そうよの。王とはそんなものよ。だから我は、そのような輩を傍に置くことは前世でもせなんだ。無理に言うて来た時は、見せしめに臣下もろとも斬った。そこまでして、やっと独り身でおれたからの。ゆえ、我は今愛する維月だけを傍に置いて問題なくやっておるのだ。主も、一度娶ったのなら、相手の気持ちも聞いたうえで帰すのが良かったの。我だって、おそらく同じような事をしたやもしれぬが、我が妃が教えてくれた。女の想いというものは、そのように簡単なものではないとな。」
ディークは、下を向いた。
「…我にはわからぬ。」
「我には分かる。」レイティアが横から言って、ディークは驚いたようにレイティアを見た。「ディーク、女であろうと男であろうと、想いと申すものは深く、そして激しいものぞ。それを持っていて報われない苦しさは、並大抵のものではない。我は、それを知っておるのだ。ゆえ、今主と共にこうして居る今が、何よりも幸福でかけがえのないものだと思えるのだ。ユーアと申す妃は、大変に苦しんだのだと思う…そして、それに耐えられなかったから、自害したのであろう。我は耐えた。その術を、主が与えてくれたのだがの。」
ディークは、レイティアをじっと見た。最初から、捌けたような物言いで、世を知っているような感じだった。なのに、男は知らぬようだった。レイティアも、報われない想いに悩んだ時があったのか。
「…そうか。」ディークは、レイティアの頬に触れた。「我が悪かったか…ユリハは、苦しんだの。」
ユリハは、ただ泣いていた。可愛がって育てた娘が、そのような目に合ってそのような最後を迎えたのだと思うと、不憫で仕方がなかったのだろう。しかし神の世ではよくあること…分かっては居ても、気持ちの持って行きようがなかったのだ。
「処断は、主がせよ。」維心は、飛び上がった。「我は去ぬ。維月を待たせておるのでな。」
ディークが頷くと、レイティアが眉を寄せて腰を押さえた。まただ…この痛み。腰から下へ絞り出すような…。
「レイティア?どうした、どこか傷付けたか?」
レイティアは首を振った。
「違うのだ。さっきから収まっては痛みを繰り返しておって…」レイティアは顔をしかめた。「腰から下へまるで絞り出すような。」
浮いたまま聞いていた維心が、驚いたような顔をした。
「なんと!子が生まれようとしておるのではないのか。我は、それに覚えがある。維月もそのように言うておったぞ!」
ディークが慌てふためいた顔をした。
「子?!おお、どうしたら良い!ここは龍の宮ぞ、戻るしかないのか。」
「落ち着け。」維心は言った。「すぐには生まれぬが、長距離を飛んで帰るのは無理ぞ。我の龍達に命じる。主らは部屋へ戻れ。」
ディークはおろおろとしている。レイティアは、案外に腰の据わった顔をしていた。女は、土壇場に強いよの。
維心はそう思いながら、素早く命じて行った。




