006
「ええいっ! 〈オーブ・オブ・ラーヴァ〉ッ!」
鋭い呪文の詠唱と共に、姫椿の杖から溶岩の弾が打ち出される。
正に弾丸にも似た速度の弾は、杖で照準を定められた〈灰色熊〉を貫くが、それだけでは終わらない。大きく〈灰色熊〉の体を穿った弾丸は、そのまま森の奥へ消えることはなく、まるでホーミング弾の様にすぐ近くにいたもう一体の〈灰色熊〉の体を貫いた。
溶岩の熱に数体の〈灰色熊〉は燃え上がるが、それでもまだ油断はできない。
今、ミツキ達の周りには、正に無数の〈灰色熊〉が群れていた。
溶岩に穿たれた仲間を見て、それらの〈灰色熊〉の注目は術者である姫椿へと向く。
「イチカ! 下がって、アタシの後ろに隠れて!」
姫椿は背後のイチカを隠す様に、杖を横に広げる。イチカは体を縮こまらせつつ、その背中へと隠れた。
「ッ! こっちだ! 〈猿叫〉!」
ミツキが刀を正面に突出し、大きく叫ぶ。猿の叫び声にも似たそれは、姫椿へと向いていた敵愾心を一転、前衛のミツキへと向けた。
だが、それでも〈灰色熊〉の全てがミツキへ向いたわけではない。〈猿叫〉は範囲の広い挑発特技ではあるが、その分効果は少ないのだ。
ミツキは未だ姫椿へと敵意を向ける〈灰色熊〉を見据え、袈
裟斬りに刀を振るう。
「〈飯綱斬り〉!」
高速で振るわれた刀が、金切り声にも似た音を立てて空を切る。モーションの大きなその剣閃は、それは周囲の〈灰色熊〉に当たらない。だが――
「グガアァッ」
姫椿へと敵愾心を向けていた〈灰色熊〉は、大きな呻き声を上げて絶命する。刀より吐き出された深紅の衝撃波が、その体を両断していたのだ。数瞬を置いて、〈灰色熊〉は光の粒となって消えた。
見れば、先程姫椿が打ち抜いた〈灰色熊〉も同じように、光になって消えていた。代わりに残されるのは、いくつかのドロップアイテムと思われるものだけだ。
(そういうところだけ、ゲームみたいなんだからッ)
ミツキはその光景と事実に、心の中で言い捨てるつつ、〈灰色熊〉の振り下ろされた爪を体をよじって回避する。
「――食らえ、〈風車〉!」
〈飯綱斬り〉によって地面へと下げられたままの刀を、ミツキはそのまま大きく引き上げる。そして、そのままの勢いで、頭の上をぐるりと回転させると、再び横薙ぎに大きく振るった。
その強烈な斬撃に、正面の〈灰色熊〉は体を大きく両断される。そして、同じように数瞬の間を置いて光の粒と消えた。
(――この世界は歪だ)
と、そんな気持ちを噛み締め、ミツキは脳裏のメニューから、次の戦闘特技のアイコンを選ぶ。全てのアイコンは灰色に塗られていた。〈風車〉による、再使用時間だ。〈武士〉のこれは他の前衛職に比べても比較的長い。ミツキは残り時間を頭の中で数え、刀を正面に構えた。
今、目の前で繰り広げられているのは、紛れもない戦闘行為だ。
ミツキ達を取り囲むのは、無数の巨大な熊だ。
決して短くない期間〈エルダー・テイル〉をプレイしていたミツキはもちろん、姫椿やイチカも知識としてそれらを知っている。
〈灰色熊〉。レベル三十後半の、こう云った自然系のダンジョンに現れる雑魚敵。初心者を抜けたプレイヤーがまずお世話になるモンスターである。その為、もちろん、レベルを90とするミツキ達の敵ではない。
だが、それはあくまでもゲームの時の話である。
「――っ、うわっあっと!?」
突如、真横から〈灰色熊〉の巨大とも云える爪が眼前へと迫る。ミツキは咄嗟に体を逸らそうとするが、それもままらならない。直撃こそは避けたものの、ミツキは肩を爪によって僅かに裂かれてしまう。肩に鋭い痛みが走る。決して泣き叫ぶほどに痛いわけではない。
「くぅ……!」
それも当たり前だ。単純な話である。血を流し、刀を振るうこの今は、最早ゲームではない。紛れもなく、現実なのだ。
――そして、だからこそ痛みを伴い、恐怖を覚える。
倒せば消えるモンスター。選択して発動する特技。攻撃を食らえば減少するHP。
(僕達の知っている〈エルダー・テイル〉と同じだから、勘違いするんだ。ここはもう、違うってことを理解しないといけない)
だけど、それはあくまでも結果だ。そこに起きている現象の説明としては、もう不十分なのだ。
ミツキは刀を腰の高さで水平に構えると、大きく横薙ぎに振るう。
「〈一文字〉ッ!」
虚空に大きな剣閃が描かれる。それを境に、ミツキの眼前に立ちはだかっていた数体の〈灰色熊〉が分断された。
「……ッ! ミツキ君! キリがないわよ!」
それでも、〈灰色熊〉の絶対数は減っていなかった。一つ倒せば、一つがいつの間にか現れる。姫椿は杖から再び灼熱の溶岩を発射すると、その無限にも似た繰り返しを実証する。
「このままじゃジリ貧よ!」
そう叫ぶ姫椿の顔は、やや余裕を失っているようだった。
Lv90のミツキ達は、この〈灰色熊〉からダメージを受けることはほとんどない。先程ミツキが受けた傷も、HPに換算すれば1%も減っていない。更に、特技を放てばほぼ確実に一撃で倒すことが出来る。
とは言え、HPにもMPにも限界はある。加えて、戦い続けるという行為は、ステータス以外である、精神的にも疲れを及ぼしてくる。
「……くっ!」
振るわれた〈灰色熊〉の爪を刀で受けながら、ミツキは下唇を噛む。
「ミツキ君! ああもうっ、何よこいつらっ! 倒しても倒してもキリがないって、無限沸き!?」
その姫椿の言葉を、耳に入れつつ、ミツキは〈灰色熊〉の爪を弾く。甲高い音が周囲へと木霊し、耳に響いた。
爪を弾かれ、大きくバランスを崩した〈灰色熊〉を見据え、ミツキは小さく息を吐くと、その双眸を細める。すぐには攻撃へ移らない。言い様のない違和感が、ミツキの思考を占めていた。
(まずは、考えよう。何かがおかしい……。無限沸き? そんなこと、あるはずがない)
ミツキはこれまでのことを思い返す。
NPCだった〈大地人〉――交易都市トスにて出会った、宿屋の主人との会話。彼は、既に決められた会話をこなすだけの存在ではなかった。自分で意志を持ち、時にはミツキ以上の勇気を持っていた。だからこそ、イチカを助け出すことが出来た。
(それだけじゃない、トスに着くまでの間も、僕は色んなものを見てきた。ある村では、〈大地人〉の女性が子供を産んだ、とお祭り騒ぎをしていた。それ以外にも似たようなことはいっぱいあった。それは、動物の住む巣穴だったり、〈緑小鬼〉のアジトだったり。みんな、生きているんだ。決まったことだけをするわけじゃない。ちゃんとした生態系を持って、生活をしている)
ならこれはどうなのか、とミツキは刀を向ける先に立つ、〈灰色熊〉を見据える。
(だから、有り得ないんだ。ゲームの時ならまだしも、今のこの状況で、無限沸きなんて発生するはずがない)
光と消えては再び現れる〈灰色熊〉の群れにミツキはそう結論を付ける。
過去、ゲームだった時にこのような無限にモンスターがポップするポイントなどは少なからずあった。だがそれは、無限にデータを作成できるゲームだからこそ出来たことであって、現実に再現できることではない。
(考えろ、考えるんだ。結果があるのなら、必ず原因はどこかに存在する。それを突き止めない限りは、これを止めることなんてできない)
ミツキは刀をやや乱暴に振るうと、威嚇よろしく〈灰色熊〉と距離を取る。
「ミツキ君、どうするのっ」
「――――」
ミツキは刀を構えたまま、思考を深く沈める。まるで、深い海にいるかのような静寂が耳を覆う。
(そもそも、ここは基本的にモンスターの沸かない休憩ポイントのはずなんだ。だから、僕達も安心して食事を取れた……。どうしてだ。まずはそこから考えろ。現れない場所に、現れる…………イベント? いや、むしろクエストか!)
まるで水の中から顔を出す様に、ミツキはハッと息を大きく吸って、周囲を見渡す。音が戻ってくる。視界を埋めるのは無数の〈灰色熊〉達。普段であれば有り得ない光景。だからこそ、それは解答への欠片と成り得る。
「姫椿さん!」
ミツキは視線を〈灰色熊〉の群れへと向けたまま、姫椿を呼ぶ。
思索は既に終わっている。解答までの道のりは掴んだ。
(――なら、後はその線に沿って動けばいい!)
「範囲魔法でどれくらい纏めて攻撃できますか!? それと、その場合の威力は!?」
「な、いきなりどうしたのよ! あるにはあるけど、巻き込めて半分がいいところ。それに、そんなもん使ったら再使用時間で死ぬわよ!?」
姫椿は必死に叫ぶ。ともすれば命に関わりかねない選択であるから仕方の無い事である。
〈妖術師〉は多くの魔法を取得している。それは、威力の弱いものから、絶大な威力を誇るものまで多彩だ。だが、それらの使用に際しての条件――例えば、使用に必要なMPや特殊条件、詠唱に掛ける時間、そして使用後の再使用時間など、それらは威力に比例して長く、重く、難しくなるのだ。
故に、威力の高い魔法を無闇に使うことはできない。そして、下手に使ってしまうことは、戦闘の敗北を意味することにもなりかねない。ましてや、この戦場に置いて敵を殲滅することは最早無駄でしかない。その中で『広範囲』の魔法を使うことは、数多くの敵意を集めることとなり、致命傷となるのは想像に容易い。
「なら、その中で出来るだけ威力の高い魔法を! 削れるだけ、削って下さい」
「……マジで言ってんの?」
姫椿の低い声が響く。
「大丈夫です」
だが、ミツキは鋭く、静かに答えた。威圧感をも含ませるその言葉に、姫椿は知れず息を呑む。
「……信じていいの?」
「それで終わらせます」
「……分かったわ。十五秒……いや、二十秒頂戴」
「分かりました」
答えて、ミツキは意識を姫椿から僅かに外す。
「それと、イチカちゃん」
「――っ」
イチカが静かに息を呑む。
「僕の合図に合わせて、回復をお願い」
「……あ、え、え」
「大丈夫。それだけでいいから」
「…………う、うん」
イチカの返事に、ミツキは小さく頷く。そして、一歩前に踏み出して、深く息を吸うと、
「〈猿叫〉!」
場を劈く叫びと共に、吐き出した。特技の宣言に伴い、周囲の〈灰色熊〉の敵愾心が全てミツキへと向く。それに合わせミツキは肘を引き、刀を斜に構えて防御の姿勢を取る。
同時に、ミツキは冷静に、まるで意識を俯瞰するかのように視線を群れの端から端まで走らせる。そして、目的の物を見つけた。
だが、それに先駆けて〈灰色熊〉は既にミツキの眼前に迫っている。いくつもの巨大な腕がミツキへと向けられ、その爪を体へと滑らせる。全ての攻撃を防ぎきることはできない。ミツキのHPが僅かな速度ではあったが、減少を始める。正に数の暴力である。低レベルのモンスターと云えど、その数を重ねればその破壊力は目を見張るものがある。
だが、ミツキの心は水を張ったように静かだった。その鋭い双眸は、手前の〈灰色熊〉など見ていない。
――射抜くは唯一の解答。
「イチカちゃんッ!」
「――ッ! は、〈ハートビート・ヒーリング〉!」
宣言と共に淡い光がミツキの体を包み込んだ。ミツキのHPの減少は、その速度を落とすと、ほとんど釣り合うかのように停止へと近づいていく。
HPの残量はおおよそ七割。それを確認して、ミツキは姫椿へと叫ぶ。
「姫椿さんッ!」
「分かってるわよ! 少し前からもう詠唱してるわ!」
そんな返事と共に流れる、朗々とした詠唱が辺りの木々に反響して木霊する。それに共鳴するかのように、姫椿の紋様が淡い光を発する。
「でも、ミツキ君! そこの場所じゃ、魔法の射程で巻き込むわよ!」
「気にしないで、そのままッ!」
「っ! そんな事だろうと思って、一応ギリギリ倒せる程度を選んだけど、〈法儀族〉の魔力、甘く見るんじゃないわよ! 死んでも、責任は取らないからね! 〈エクスプロージョン〉!」
姫椿の宣言で、ミツキのやや前方に火種が発生する。そして、刹那、激しい炸裂音と共に爆発した。
ミツキは爆風に体が大きく打たれるのを感じる。だが、耐えれない程ではない。減少したHPもどうにか四割は残っている。それは、先だってイチカによって展開されている〈ハートビート・ヒーリング〉の影響が大きい。
視界内の〈灰色熊〉は爆風によって四散していた。ミツキの正面に居た、多くの〈灰色熊〉は、今はもう姿を消している。
それを確認して、ミツキは駆けた。
「――――!!」
勿論、全ての〈灰色熊〉を駆逐したわけではない。〈エクスプロージョン〉に巻き込まれなかったおよそ半数の個体は生きており、姫椿へと強い敵愾心を向けている。更に、倒した数とほぼ同数の〈灰色熊〉が森の暗闇から既に現れかけている。
それでも、もう遅い。チェックメイトは済んでいる。
〈冒険者〉の常人離れした脚力は、ミツキと目標への距離を一気に詰めていた。
狙うは、決して攻撃に参加しようとしない、最も離れていた個体。気付いてしまえば明確な違和感を抱かせるそれは、十二分にこの異変の解に足り得る。
しかし、多くの〈灰色熊〉に囲まれては、目標まで辿り着くことも叶わなかった。そして、徐々に削っていては目標を見失う可能性もある。だからこそ、視界を切り開く必要があった。
それが、この作戦の狙い。
ミツキは駆けながら刀を振り上げる。
「うおおおおおッ!」
振り下ろされた刀が、〈灰色熊〉の体をするりと切り裂く。そして、〈灰色熊〉はそのまま大きな音を立てて倒れた。
まるで時間が静止したかのように、周囲の全てが沈黙する。そして、次の瞬間、初めからそこには何もなかったかのように、無数の〈灰色熊〉の姿が消え去った。
「……やっ、た」
「ふぁ……」
二つの小さな声が漏れる。その声色は安堵に満ちている。
「――――」
だが、ミツキの緊張はまだ解けはしない。
先程までの、肌を刺すような戦闘の緊張感は既に抜けている。今、ミツキの体を駆け巡るのは、次なる展開への高揚感にも似た緊張だ。
そう。ミツキはこのクエストを知っていた。過去、ゲームであった時にクリア済みだったのだ。それなのに気が付かなかったのは、単に唐突に乱戦が始まってしまったからである。
ミツキは静かに、目の前に倒れる残された〈灰色熊〉を見る。それに気付いたのか、姫椿とイチカも同じように視線を向けた。
「アイタタタタ」
そんな時、甲高い、声変わりする前の少年の様な声が周囲へと響いた。
そして、〈灰色熊〉はぽろぽろと光の粒となって――
「もーっ! イットウリョウダンされるかと思ったじゃないか! アイタタ、ちょっとケガしちゃったよ」
宙へ浮かび上がると、小さな人型を形作った。
「……え」
姫椿がその光景に、息を漏らす。
「……よう、せい?」
そして、続いたイチカのそんな呟きに、
「あひゃひゃ。そうだよ、ボクはこの森の妖精さ」
小さな羽を広げる、その妖精は、いかにも可笑しそうに答えたのだった。
次回更新はしばらく時間を置かせていただきたいと思います。
誠に申し訳ございません。