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3人魔王  作者: 友野久遠
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(2)

 会場へは、9時には到着した。 師匠の戸隠(とがくし)先生とふたりだ。

 両親が海外にいるので、昔からこの師匠が親代わりなのだ。


 コンクールと言えども、客席に座る者のチケットは有料だ。

 ただし出場者は、手続きをした時にもらったコサージュを付ければ、無料で入場でき、客席にも入れる。

 安っぽい造花のコサージュを見た戸隠先生は、さっそく毒舌家の本領を発揮した。

 「主催側の意識の低さを物語っとるのう。

  こんな針の付いた物を、ピアニストに扱わせると言うんじゃからの」

 ぶつぶつ言いながら、僕の胸にコサージュをつけてくれた。

 

 戸隠先生は、僕の15年来のピアノの師匠だ。

 はっきり言ってやぼったい爺さんで、無精ひげを剃って正装しても、どこかの用務員のおじさんにしか見えない。

 これでピアノを弾かせたら、想像を絶する表現力を見せるのだから、人間は外見からはわからない。


 「まあ、今回は卓の入賞は考えられんのう。

  声楽を本気でやりだしてから、練習量も減っておる。

  そこへ持ってって、今回強豪が多くてな。 ほれ、この、優勝候補の今川ワオンちゃん」

 「カズネでしょう。和音(かずね)

 「どっちでもええわい。 とにかく1位候補のこの子が、お前のすぐあとの出じゃ。

  おまけに2位候補の男と、曲目がかぶっとるしな」

 「曲を選んだのは先生ですよ」

 「お前に弾かせられる曲なんぞ、限られとるわ。

  まあ、今回は椅子に爆弾でもしかけて1位を抹殺したとして、やっとせいぜい5位‥‥」

 「やる気がなくなるからそのへんでいいです」

 僕はうんざりして遮った。

 ただでさえ、今日はショパンなぞ弾きたい気分じゃない。

 昨日の“父親発言”のショックから、まだ立ち直れていないのだ。


 

 ホールに入ると、ロビーですでにキンギョちゃんたちが待っていた。

 ひらひらと手を振って立ち上がるピンクのワンピース姿にひそかに目を見張る。 小柄な彼女に似合っていて可愛らしい。

 ふたりきりなら口に出して誉めまくるのだが、今日はギャラリーの質が悪いので我慢した。

 花束ではなく、なにやらカップに詰め込んだミニチュアの花かごを貰った。


 「わああッ、魔王が魔王が!

  あーや、紹介して! あ、でも恥ずかしいからしないでいい!」

 室井という女の子は、電話以上の騒がしさでロビーの出場者をピリピリさせていた。

 

 他にも同行者があとふたりいた。

 ひとりはいやにオドオドした色の白い男だった。

 キンギョちゃんとは話をしてなかったので、室井の連れなのかなと勝手に思った。


 ここまではよかったが、あとひとりの連れというのが強敵だった。

 「キンギョちゃん、いたいた。 席にいないから探したよ」

 赤い扉から息を切らして、羽賀が現れた。

 「駐車場がメチャ混んでて、建物を2巻きも並んでたんだ」

 「すいません、当分客席で待ったんですけど」

 羽賀のやつ、またキンギョちゃんを送って来やがったな。


 羽賀とキンギョちゃんは同じ大学に通っている。

 羽賀は僕と同期だから、彼女の2年先輩になる。

 クラブも合唱部で一緒。 最近急接近したように見えてイヤな感じなのだ。


 「おう、緑川。 がんばれよ!」

 羽賀は僕に近寄って、肩をパパンとどやした。

 「さっきな、優勝候補の今川和音って女に偶然会ったぜ」

 「どんな女だった?」

 「ガリガリで神経質そうなヤンババだ」

 「ヤンババ?」

 「若いのに、オバサンに見える女のことさ。

  なんかさ、スーパーで店員にクレームばっかつけてそうなタイプ」

 

 「へえ」

 「きっと言われるぜ。

  “椅子の座板を下げたら、戻しておいてよ!”とかさ」

 「あれは自分で一回ずつ自分に合わせるのがルールなんだよ」

 「いや、そんなイヤミな感じだったってこと。

  ま、負けずに頑張れや」


 多少軽薄に見えるきらいはあるが、羽賀はいいヤツだ。

 照れ隠しにスケベぶるわりに、案外純情だし、だるそうな顔でアピールしといて、陰で努力家に変身するし。

 友達としても、誰かの恋人としても、合格点をやらざるを得ない。

 キンギョちゃんがヤツといるときにずいぶんリラックスしているように見えるのは、僕のひがみだろうか。

 まさか僕に父親役を押し付けて、こいつが魔王に変身なんて。

 考えるだに恐ろしい。


 「戸隠先生、さっき聞いたんですけど。

  卓さんって声楽とピアノ、両方で受験して、どっちも受かったんですって?」

 キンギョちゃんがにこにこと先生に話しかけた。

 戸隠先生は以前から彼女がお気に入りだ。 嬉しそうに鼻の下を伸ばして答えた。


 「推薦試験が例外的に併願でも受け付けてくれたんで、そうしてみたんじゃ。

  で、結局は声楽の方が合っとるじゃろうと、わしが言うたんじゃ」

 「ピアノの先生なのに、声楽を薦めたんですか?

  ピアノだって上手なのに、どうしてですか?」

 「もともと、単純な男じゃからの。

  ピアノの曖昧な表現に合わんところも出て来るんじゃ」

 「曖昧な表現?」

 「例えば、意地悪な感じで歌う、というのは想像つくじゃろ?」

 「はい」

 「じゃが、いじわるな音色で弾けと言われたら、困る」

 「あ、はい‥‥。 演技力じゃ表現できないってことですね」

 「そうじゃそうじゃ。 キンギョちゃんはおつむのいい子じゃのう」

 「じゃあ、何で表現するんでしょう? 情熱とか‥‥ですか?」

 「うーーん、さあてのう。

  そこらへんは、そういう言葉で言える物を、全部取っ払ったあとに残る物で、出来とるわけよ」

 「言葉で、言えない‥‥」

 「そうじゃ」

 キンギョちゃんは何度も首をかしげ、

 「スゴい」

 と言って笑った。


 

 「あれ、これは?」

 羽賀がふとかがんで、足下から何か拾った。

 「おい、取れてるぞ。おまえんだろ」

 それは僕の胸に付いていたはずの、造花のコサージュだった。

 さっき戸隠先生が、文句を言いながら付けてくれたものだ。

 「先生、不器用ですねえ」

 からかいながら自分で付けようとしたら、

 「馬鹿もん、演奏前に針なんか触るな!」と叱られた。

 

 「オレがつけてやるよ、ふふふふ」

 羽賀がにやにやしながら立ち上がったので、

 「やめろ、なんだか知らんけどこわい」

 と断った。


 「あたしがつけます」

 キンギョちゃんが僕から花を取り上げ、

 「届かないから座ってください」

 と命令した。

 座って接近すると、なんかいかがわしい図になりそうなので

 「いいよ、自分でする」とあわてて言った。 何を言われるかわかったもんじゃない。

 ところがこの時、彼女から花を奪い返そうとして、しくじった。


 ピンの先が掌をかすめ、一瞬鋭い痛みが走ったのだ。

 「ツッ!」

 薬指をヤった。

 しかも、昨日プールで作った傷口の上をひっかいたらしい。

 

 僕の仕草を見たキンギョちゃんが、手首をつかんで無理やり点検した。

 傷から、赤い血が玉になって盛り上がって来る。

 「この馬鹿!」と、戸隠先生。

 

 「室井ちゃん、あたしのバッグ取って」

 キンギョちゃんが叫んだ。

 血の玉がころりと転がり、あふれて流れる。

 

 その時、キンギョちゃんが信じられない事をした。

 僕の指を、血のしずくごとパクリと咥えたのだ。

 

 「あ‥‥」

 「うッ‥‥」

 「お‥‥」

 全員、声にならない声を、咽喉の奥に畳み込んだ。

 

 服や床を汚すまいと、彼女はとっさにしたのだろう。

 でも、その場にいた者の目には、ものすごくエロチックな行為に見えた。

 特に男どもは、やたらと恥ずかしくなって黙り込んでしまった。


 「バッグこれ? ティッシュ出すよ」

 室井がテキパキと助手をつとめる。

 キンギョちゃんは僕の指を口から出し、ティッシュできれいに拭いて、傷の深さを確かめた。

 そのあとどこからかカットバンが登場した。

 傷口は、丁寧に封印された。


 「結構深く切ってますけど、演奏まで2時間あるから、血は止まると思います」

 キンギョちゃんが僕に言った。

 「問題は、痛みがあるかどうかよねー」

 「カットバンしたまま演奏って難しいから、直前で外すかな」

 「途中で傷が開いちゃわない?」

 女の子ふたりは、全くもって冷静に傷のことを話し合っている。


 あっけにとられていた戸隠先生が、にやにや笑い出した。

 「まあいいわい。 どうせ今日は負け戦じゃもの、出来る範囲でやれ。

  それに案外パワーアップになるかもしれんぞ。

  今、相当ドーピングしとるからの、ほほほほ」


 「なんでドーピングですよ? こんなんでコーフンしたら変態でしょう!」

 僕が抗議すると、

 「おお?間違えたのう。

  ドーピングじゃなくてテーピングじゃったか、はははは」

 わざと人をからかって遊ぶのが、この人の趣味なのだ。


 男どもが、ようやくこそこそと笑い始めた。

 キンギョちゃんのすることは、時々心臓に悪い。


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