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らぶらぶのちから

作者: 沢山書世

共感していただけるとうれしいです。

「美沙ちゃん大好きだよ、いってきまーす」

「隼人さん大好きよ、いってらっしゃーい」

 結婚休暇が終わり、夫の隼人は今日が新居からの初出社である。隼人は朝の挨拶をすますと、元気に新居を出て行った。妻の美沙は玄関先で夫を笑顔で見送った。美沙はもとは彼と同じ会社に勤めていたのだが、退社し、専業主婦になる道を選んだ。結婚を前にふたりで相談し、夫隼人は外で働き、妻美沙は家を守る、と決めたのである。

「さー頑張るわよ」

 夫を仕事に送り出した美沙は、さっそく家事に取り掛かるかと思いきや、朝刊に入っていたチラシを手にすると、台所にあるテーブルについた。

「家を預かった以上は、倹約第一よね。」

 と言いながら、スーパーのチラシをじっくり読みはじめた。


「ただいまー」

 帰宅した隼人は、玄関から台所を通り、居間兼寝室に入り、スーツから部屋着へと着替え始めた。

 台所と八畳一間のアパートは、端から端まであっという間に移動できる広さであった。台所には食卓用のテーブルが置かれている。食事をそこでとり、食後はテレビのある居間でくつろぎ、同じ部屋に布団を引いて就寝。都内で暮らす若い新婚夫婦の家としては一般的であろう。

 隼人がスーツを脱ぎながら、ふと傍らに目をやると、押し入れにあるはずの布団が畳の上に置かれているのが目に入った。

「あれ?美沙ちゃん、今日はもう布団を出したんだね」

 と隼人が話しかけると、台所で食事の用意をしながら美沙が答えた。

「そうじゃないのよ」

「えっ、違うの?」

「実は今日、スーパーでティッシュペーパーが安かったから買ってきたのよね」

「うん」

「それを押し入れにしまったら、お布団が入らなくなっちゃって」

「ふーん、そうかー」

「ほら、ティッシュペーパーって腐る物じゃないじゃない」

「そうだね」

「高値のときに買うのはもったいないし」

「まあね」

「で、せっかくだからたくさん買っちゃった」

 返事を聞きながら隼人が押し入れのふすまを開けてみると、そこにはティッシュペーパーがぎっしりと詰められていた。お店に置かれているほどの大量のティッシュペーパーを目の前にして、驚いた隼人であったが、平静を装い、

「さすが美沙ちゃん、家計を考えてくれているんだねー」

 と美沙に感謝の言葉をかけた。

「えへん、家のことは安心してまかせてね」

 得意げに答える美沙であった。

 その日はそれで話は終わったのだが、次の日の夕食時、また隼人は驚かされることになる。

「さあ、飯だ飯だ」

 と隼人が食卓の椅子に座ると、ひざにゴツンと何かが当たった。なんだろうとテーブルの下を覗くと、そこには大量の洗剤が三段重ねで置かれていた。あまりの多さにぎょっとした表情の隼人に対して美沙が声をかけた。

「今日は洗剤が安かったのよー」

「ふーん」

「明日からは定価に戻すってお店の人が言ってたわ」

「そうなんだー」

「あー今日のうちに買えてよかった。」


 値段の安い時に日用品を買うことは、美沙が家計を思ってやっていることなので、隼人は反対はしない。むしろそれが主婦業の腕の見せ所だと思っている。が、帰宅するたびに物が増えていき、日に日に空間が減ってしまうこの家に圧迫感を感じはじめていた。やがて部屋の壁は美沙が購入して積み上げられた物のむこうに隠れて、見えなくなってしまった。床も荷物に占拠されて足の踏み場がなくなり、置いてある荷物をどかしながら家の中を移動するという生活になってしまった。居間からトイレに移動するまでに五分の時間がかかるような状態になったころ、隼人が美沙に相談した。

「ちょっと、ここは手狭になってきたね」

「そうねー」

「このままじゃ窮屈だから、もう少し広いところに引っ越そうか。」

「そうね、賛成」

 荷物を置く場所探しで苦労し始めていた美沙である、隼人の提案に反対するはずはなかった。次の休日、二人は不動産屋に出向き、今度は三部屋ある物件を契約した。


「一部屋を倉庫にして、そこに荷物を入れようよ」

「そうね、一か所に物を集めれば探しやすくて助かるわ。名案、名案」

 といった作戦を立てて引っ越してはみたものの、買いためた荷物は引っ越した時点ですでに一部屋には収まりきらないほどの量があり、はみだしてしまった。計画した作戦通りにはいかなかった。そしてすぐにほかの部屋も物であふれかえってしまうのは時間の問題だった。


 一週間後、二人はまた、不動産屋へ相談に行った。

「また来たのかい、部屋で何か問題があったの?」

 と不動産屋が聞く。

「部屋に問題はないんですが、ちょっと手狭になっちゃって。隣の部屋が空いているようなので、借り足しをしたいんですが。」 

 狭くなったのは本当だが、理由は言えなかった。

「そりゃかまわないけど、そんなに部屋数が必要かい?家賃が大変だよー」

 不動産屋があきれ顔で言う。

「ご迷惑はかけませんので、よろしくお願いします」


 部屋の借り足しをした数日後、二人は四回目の相談に行った。

「驚いたねー、まだ部屋数が足りないのかい?」

「面目ありません」

 あきれ顔の不動産屋に提案された。

「このさい一軒家を借りた方がいいんじゃないの?」

「一軒家ですか」

「うん、その方が家賃が割安だと思うよ」

「すみません。それでは、安くて部屋数の多い家をお願いします。」


 一軒家に引っ越してから数日後、隼人が家に帰りつくと、なんだか様子がおかしい。玄関から二階にかけて梯子がかけられていた。上を見上げると美沙が二階の窓から手を振っている。

「ただいまー、どうかしたのー」

 隼人は二階にいる美沙に声をかけた。

「隼人さーん、二階の床が底ぬけちゃって、一階がつぶれちゃったのよ。」

 困った顔をして答える美沙。持ち込まれた大量の荷物の重量に、建物が耐えられなかったようである。隼人は梯子で二階まで上がり、美沙を抱きしめた。

「危ないところだったんだねー。無事で何よりだよ」


 次の日、またまた不動産屋へ二人は出向いた。

「せっかくお世話になったのですが、ちょっと自分たちには不向きな家だったようです。すみません」

 頭を掻きながら、隼人が不動産屋にあやまり、続いて、希望する家の条件を伝えた。

「うーん平屋建てで、二十部屋ある物件かー」

「はい」

「うーん、見たことないなー」

「難しいですか」

「難しいなー、プロとしては悔しいけどね」

「なんとかなりませんか」

「うーん、とにかく当たってみるよ」

 不動産屋が手を尽くして四方八方を探してくれた。都内では見つからず、やっと埼玉にみつけてくれた平屋へと二人は引っ越した。


「通勤には今までよりも時間はかかっちゃうなー」

「そうねー」

 二人してため息をつき、落ち込んでいきそうになっている。隼人はそれに気づき、これではいけないと、憂鬱な気分を振り払うように、

「でも、部屋が広々としていて、住み心地はいいなー」

 手足を伸ばし、畳の上で大の字になってそう言った。

「そうね」

 美沙も隼人のまねをして大の字になり、言った。

「庭も広いし」

「そうね、これなら建て増しもできるわね。」

 美沙は、隼人がドキッとするようなことを言った。

 数日後、世間をにぎわす出来事が起こった。木材の高騰が原因で、トイレットペーパーが市場で品薄になったのである。やがて市場は落ち着きを取り戻すのだが、消費者が店頭のトイレットペーパーを争って買い求める姿が新聞やテレビのニュースで一か月ほど流されていた。

 そんな世間の慌てた状況を見た美沙は鼻高々である。

「店頭から消えても、うちには予備があるから大丈夫よ」

「そうだね」

「たくさん買っておいてよかったでしょ」

 美沙は一部屋いっぱいに収められたティッシュペーパーを満足げに眺めながら言った。

「美沙ちゃん助かるよ、ありがとう。」

 隼人は複雑な気分で美沙にお礼を言った。今回の騒動で、家にあるティッシュペーパーの在庫が役立ったため、それをいいことに、その後の美沙の買いだめには、ますます拍車がかかっていった。


「行ってきまーす」

 疲れ気味の隼人が挨拶をして、家を出ようとする。以前よりもこころなしか挨拶の声が小さい。

「最近は、休日もとれないのね」

 玄関先で、心配そうに美沙が声をかける。

「忙しくてね」

「大変ね」

「でも、しばらくの辛抱だと思うよ」

 と、美沙に心配をかけないよう作り笑いで隼人がかえす。


 会社全体が忙しいわけではない。忙しくしているのは隼人だけである。隼人が身を粉にしてほかの社員よりも働くのは、高額な家賃を賄うためであった。美沙が物を大量に買えば、そのぶん保管する場所が必要になる。あの広かった庭には、大家さんのご厚意で建て増してもらった別棟がひとつできあがっていた。


 住所の変更は会社に報告することになっているのだが、それが度重なったため、総務課の職員たちには不審な目で見られてきた。もう引っ越しはいやだ、ここを離れたくはないと隼人は思っていた。ここの敷地が広いおかげで、たとえ手狭になっても以前のように引っ越さなくても済むことはせめてもの救いだったが、当然増築部分にも家賃はかかってくるのである。なんだか家賃を払うために働いているみたいだな、いつまで続くのだろうとむなしくなることもあったが、

「会社に貢献できて、いいじゃない。それにお給料が多いのは助かるわ。」

 と美沙が喜んでくれているのである。頑張らなきゃ、と自分に鞭を打つ隼人であった。


 家賃で大金がかかるから買いだめはやめてくれとは言い出せない。彼女は良かれと思ってやってくれているんだし、なによりも、大好きな美沙のやっていることを、隼人は応援したかった。なーに僕がその分稼げばいいだけのこと。それでうまくいくはずだと自分に言い聞かせた。隼人は働いた。働いて働いて、一年後にはとうとう営業成績が社内でトップになった。


「だれか凸凹産業に営業行ってくれないか。」

 朝礼の場で営業部長が懇願するように社員たちに向かって言った。

「ええー、あそこですかー」

 値切るので有名な会社である。労力を使う割に儲けが薄いので、割に合わないとみんなが敬遠している。

「勘弁してほしいなー」

 隼人もそれは知っていた。が、たとえわずかでもいいから営業成績を上げたい彼としては、お客を選んではいられない。

「僕に行かせてください」

 隼人は立候補した。

「おー、君、行ってくれるか」

「はい」

「ありがとう、ありがとう」

 部長は隼人の右手を両手で強く握り、半べそをかきながらお礼を言った。

「結婚してから頑張っちゃってるねー」

「ええ」

「愛する奥さんのためっつーやつかな」

「そうですね」

「健闘を祈っているよ」

「ありがとうございます」

「いってらっしゃーい」

 部長は玄関先で、ハンカチを振って見送ってくれた。


 凸凹産業の応接室で交渉相手を待っていると、知っている顔が部屋の中にはいってきた。

「あれ?大家さんじゃありませんか」

「おー、君かー」

 先方の交渉相手は、今の住まいの大家であった。

「いやー大家さん、いつもお世話になっております」

「いやいや、こちらこそ」

「こちらにお勤めだったんですかー」

「そうなんだよ、ずっとサラリーマンをやっていてね」

「長いんですか」

「うん、かれこれ三十年経つかな。」

「そうでしたか」

「大家といっても、以前は店子にめぐまれなかったからねー」

「はあ」

「外で稼がないとやっていけなかったんだよ。はははー」

「二足のわらじは大変でしょう」

「わかってくれるかね」

「わかりますとも。特に大家さんの仕事の苦労はわかります」

「そうかね」

「問題のある店子を抱えると、実に大変だと思いますよ」

「ありがとう、わかってもらえて、うれしいよ」

「わかるからこそ、行くところがなく困っていた私どもを住まわせてくれた大家さんに対しては本当にご恩に感じています。」

「そうかい、そうかい。末永く、よろしくたのむよ。で、今日はなんだっけ。」

「はっ。本日は、仕事で参りました」

「そうか、そうか」

「御社が弊社製品の購入をお考えいただいていると伺いまして、商談に参った次第です。」

 カバンから書類を出しながら隼人がそう言うと、

「買うよ。」

「えっ」

「担当が君なら決まりだ」

「いいんですか?」

「ああ、定価で買うよ。」 

「えっ、ほんとうですか?」

「ああ」

「ありがとうございます」

「実を言うと、あの家は、田舎の一軒家でなかなか借り手がつかなかったんだ」

「はあ」

「それを君たちが借りてくれた」

「はい」

「助かってるんだよ」

「そうですか」

「私も女房も喜んでいるんだよ。」

「うちの妻も喜んでいます」

「ご祝儀ということで、今回は定価で、契約させてもらうよ。」

「ありがとうございます。感謝します」

「なになに」

「大家さんには公私ともどもお世話になりまして」

「なんのなんの」

「家賃はきっちり払います」

「それはお願いするよ」

「どうかご安心ください。」


 隼人の仕事はそれからも順調にいった。休日返上で働いたことと、運も味方して、営業成績と収入はどんどんあがっていった。


 そんなある日、隼人は社長から呼び出された。初めて入る社長室。要件はなんだろうと不安を抱えながら、入っていった。

「君の頑張りで業績が上がり、会社は助かっている」

「はい、微力ながら」

「礼を言うよ、どうもありがとう」

「はっ、恐縮です」

「しかし」

 隼人はドキッとした。社長が続ける。

「それと同時に問題も出てきてしまった。」

「問題、と申しますと」

「うん、君の営業成績と報酬が社内で突出してしまい、他の社員とは随分かけ離れてしまった。」

「はい、存じ上げております」

「その貧富の差がもとで、社員たちに不満が出始めているんだよ。」

「申し訳ありません」

「謝ることはない、きみが悪いわけではないからな」

「恐れ入ります」


「儲かることはいいんだが、何らかの手を打たなければ、不満がつのり、やがては組織がうまく機能しなくなってしまう。それは何としても避けたい。」

「おっしゃる通りです」

「そこで君に提案なんだが」

「はい」

「給与を定額に抑えて組織に残るか、または独立して自営業として働くか、どちらかを選んでほしいんだ」

「はあ」

「苦しい決断を迫るようだが、考えてみて欲しい。よろしく頼むよ」

 会社に残って、みんなと仲良く仕事をしたい。けれども上がり続ける一方の家賃をまかなうには、収入を上げ続けるしかない。難しい選択だった。悩んだ末、隼人は結論を出した。やむなく、退社し、独立することを選んだ。

 身分は変わっても、必死で働く隼人には、ゴールは遠かった。サラリーマンから自営業へ、やがて人手を増やす必要に迫られて会社を設立、そして海外にも進出していった。

 隼人は働き続けた。

 やがて隼人の会社はあらゆる業種に広がるグループ企業に成長した。いまでは日用品なら自社製品ですべてを賄いきれるまでになった。社員割引で品物がいつでも手に入るので、スーパーで安い品物を買いだめする必要はなくなった。

 結婚から三十年経ち、やっと美沙の買いだめ行動は、その役割を終えたのである。この時点で、隼人と美沙の自宅と倉庫は、埼玉県の五分の一の地域を占めるまでに達していた。


 昼休み、何気なく地図帳を見ていた社員が言った、

「あれっ、社長の家、日本地図に載っちゃってますよ。ここは以前、何とか山脈とか書いてあったところだと思うんですけどねー。地図帳に人のうち載せちゃっていいのかなー、個人情報には当たらないんですかねー。そのうち、テレビで社長のうちの天気予報が流れちゃったりして。はははー。」


最後まで読んでいただき、どうもありがとうございます。

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