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相愛傘-after's rainy-

この作品は、既に投稿されている作品、「相愛傘―アイアイガサ」のアフターストーリーになっています。まだそちらを読んでいない方は、そちらもどうぞ。

「あのさ、市川君って、付き合ってる子とかいるの?」

「は?」

 連日の受験勉強で寝不足に襲われている、平日の朝。僕はその日、早朝からまだ他には誰もいない、クラスの女子に問いただされたものだから、眠気に半開き状態だった目蓋も完全に開いてしまった。

「な、何で」

 きっぱりと否定できる筈なのに、自然と言葉に躊躇が現れる。

「この前さ、駅前で見たのよ。市川君と、違う高校の女の子が相合い傘してた現場」

 しまった、と僕は机に拳を突き立てそうになる。雨足が強かったから、あの時間帯に僕が駅前にいたなんて知らないと思ったのだけど。こいつはただでさえ噂好きなのに、あんな現場を見られたら誤解を招きかねない。 先日、何があったのかと言うと、単純に言えば、僕は生まれて初めて相合い傘というものを経験した。それも、彼女が言うように、女の子と一緒に、だ。勿論、僕の方から誘ったわけではなく、その女の子に頼まれて相合い傘をしたのだけど。

「ねえ、そうでしょ?」

 ウェーブの掛かった髪が特徴の女子は、ひじを突いて顎を手のひらに乗せる。悪戯っぽい表情に、僕は思わずたじろいだ。

「……まあ」

 観念した僕は、俯き呟くように言った。

「へえ! やるねえ! 市川君」

「いや、あれはあっちから誘われたんだよ!」

「うんうんうん、で? で?」

 彼女は満面の笑みを浮かべたまま、僕から視線を外そうとすらしない。僕は嘆息して、僕の言動に期待を膨らませているであろう女子生徒の前を素通りした。

「つれないなー、市川君」

「神田はゴシップ記者か」

 神田は僕の言葉に、頬を膨らませた。

「で、どうなの? 結構可愛いじゃん、あの子」

「……どうなの、って……」

「言っちゃえば? 好きですって」

 僕は机に落としていた肘が、不意にずれる。

「早いだろ、まだ」

「へえー、『まだ』ねぇ」

 しまった、と思った。神田は物凄く面白いこと好きで、こういったことにはすぐ食いついてくる。だから、発言には言葉を選ばなくちゃならないのだけど。

「じゃあ、あの子に興味が無い訳じゃないんだ」 神田は席を立って、目をキラキラ輝かせて僕の方へ詰め寄ってきた。

「結構見る目あるよねえ、市川君も」

「あのなあ」

 僕は少し熱を帯びた口から、必死に反論をしようと試みる。けれども神田は、何故かうっとりとした表情で、あれやこれやと物思いに耽っていた。僕の話なんか聞いちゃいない。こいつと連むと、本当に疲れる。

 と断定した所で、僕は単語帳を開いて英単語をつぶやき始めた。英語は中学の頃から体が受け付けなかったから、単語一つ覚えるにも一苦労だ。前の模試で遂に警鐘が鳴ったから、すぐにでも語彙を増やさないとまずい。

 僕はその傍らで、窓際の席から生徒がぞろぞろと歩いてくる校道に瞳を落とした。ケヤキの並木には、新緑の色が彩色されていて、木々には夏の訪れを感じさせる。でも実際には、空を見上げると分かるように厚い雲が層を作って、陽光の洗礼を遮断する。

 もう一週間は、太陽の光をまともに浴びていない気がした。梅雨は雨が降るのに、しつこいくらいに蒸し暑い。今日も雨が降るみたいだ。

「……今日も雨、降るかな」

 一点、神田の声が沈む。神田は窓枠に手をかけて、眉尻を下げて灰白い空を見上げた。

「しょうがないだろ、今は」

「まあ、でも」

 急に、女の子っぽい――お淑やかな声になるものだから、思わず俺は神田を一見してしまう。

「市川君は、また相合い傘出来るから良いか」

 ……前言撤回。



 商店街の本屋は、他の町から客が来るくらいの、そこそこの規模だ。三階までフロアがあって、よほどマニアックなものじゃなければ大抵は手に入る、貴重な情報収集源である。

 俺は傘を閉じて、少しだけ傘についた雨水を払った。案の定、放課後になるとちょうど、雨音が聞こえてきていた。

 傘を閉じると、俺は階段を上がって二階に向かう。二階には哲学的な著書や、パソコン関係や、歴史書の他に、検定・参考書といったものが集積されていた。近隣の学生が訪れることも少なくないこのフロアにも、学ランやセーラー服姿がちらほら映る。

 僕はセンター試験対策、として儲けられているブースに足を運んだ。『絶対受かる!』とか、『やらないと受からない!』なんて受験生の心を掴もうとする参考書が、棚に所狭しと詰まっている。見慣れた予備校系列のものもあって、これだけあると逆に選択に困る。

 目当ては、勿論英語の類だ。単語は確かに数を増やしてきたけど、やっぱりまだ危機感がある。長文問題とか、かなり苦手だし。僕は一冊、問題集を引き抜いて――

「あ、あのっ」

 背後から、怒鳴られたみたいに声を張り上げられて、僕は思わず飛び上がった。反動で外れたカバーを直し、棚に収納すると、僕は恐る恐る背後を見た。

「……あれ?」

「こ、こんにちは」

 心のどこかで、銅鑼の振動が響いたみたいな音がした気がした。二十センチくらいの背丈の差のせいで、彼女の表情を伺うには視線を下げなくちゃならないのだけど、彼女は頬を紅潮させて俯いているから、飴玉のように丸く、大きい瞳が見えない。

「あ、杏奈……ちゃん?」

「は、はいぃ!」はいぃってなんですか、はいぃって。

「どうしたの? こんな所で」

「え、ええと」

 何でここまで遭遇頻度が高いのか、と僕は苦笑する。杏奈ちゃんは、少し前に会って、僕の人生初の相合い傘の相手になった女の子だ。前に聞いたところ、この近辺に住んでる人間なら知らない人はいないくらい有名な女子校の一年生だそうで、そのせいか制服の着方はキチンとしているし、清楚に見える。学ランの第一ボタンを外して、髪に少し縮毛を掛けている僕とは偉い違いだ。

「小説、買いに来てて。たまたまっ、市川先輩を見たから」

 杏奈は僕の顔面に、その文庫本を突きつける。禍々しい文字で「悪魔が来たりて笛を吹く」なんて書いてあったから、たじろいだ後に、苦笑がこみ上げた。

「横溝正史、好きなの?」

 僕は指先で文庫本を弾く。

「は、はい」

 正直、僕はほとんど小説なんて読まないから、内容まで問われたら答えられる自信なんて無いけど、このくらいしか話の話題がないから小説に話題を振るしかなかった。大体、僕は彼女の名前と在籍校と学年くらいしか知らないし。

「い、市川先輩は?」

「俺?」

 俺は髪を掻いて間を取ると、上目遣いで見てくる杏奈から、それとなく視線を反らした。その目で見られると、泣きそうな子供の潤んだ瞳で見られているようだからどうも直視出来ない。

「参考書、買いに来たんだ」

「参考書?」

「まあ、受験生だしな」

 少し、笑ってみせる。当の杏奈は、目をまん丸にして、キョトンとした表情になった。多分、こんな身なりだから受験生と言うより就活生だと思われるんだろう。現に、親戚にもそう言われたことがあるし。

「……意外?」

「いえっ」

 杏奈ちゃんは手を振って、懸命に主張を否定してみせる。神田みたいな奴とは大違いだ。彼女を見てると、本当に女の子と会話をしてるんだな、と思える。

「良さげなやつ、無いかな」

 と、僕はさりげなく彼女に参考書をセレクトしてもらおうとした。「……それなら」と、思っていたより早く杏奈ちゃんは、棚に細い指を当てて何かを探し始める。

「英語、ですか?」

「あ、ああ、長文系とかがいいな」

 杏奈ちゃんはやがて、ぴたりと指を止め、一冊テキストを引き抜く。彼女が取り出したのは、水色が主体となっているカバーが特徴的なテキストだ。どちらかといえば薄く、テキスト自体もさほど大きくはない。

「……これ、いいですよ。レベルとかも、色々あって自分に合ったもの選べますから」

 杏奈ちゃんから手渡されて、僕はパラパラとページを捲る。発行元は、CMなんかでもよく見かける有名な塾だった。中身は、基本的に短めの長文が少しずつ詰まっていて、全訳はもちろん重要単語や重要語句なんかも整理されている。テキストとしてのまとめ方が上手いのか、内容はかなり見やすい。

「良いかもね、これ」

「そ、そうですか?」

 彼女は少しだけ微笑んだ。笑った顔がかなり純真で可愛い。とくん、と心音をかき乱された。

「でも、中級レベルはまだ無理っぽいな。基本レベルからにするよ」

 僕はテキストを棚に戻し、隣の基礎レベルのものを引いた。値段が大してかからないところも、僕にとっては福音だ。

「ありがと、杏奈ちゃん」

「い、いえ……」

 杏奈ちゃんは頬を桜色に染め上げ、少し俯いてしまう。僕らはその後、他の棚で彼女が色々な小説を薦めてくれたから、暫くはその本屋にいた。



 街から雨は去っていなかった。本屋からでた僕らは、まだしとしとと降り続ける雨に一瞬戸惑い、少したってから僕は傘を開いた。でも、

「……傘は?」

「え、ええと」

 杏奈ちゃんは眉を潜めて、目尻を下げる。

「あの、本屋に来るまでは降ってなかったから……。持って、なくて」 そのまま、杏奈ちゃんは両人差し指を突っつきあって、声をくぐもらせた。……こういう時って、どうしたらいいんだ? と僕は反芻する。

 雲を見ても、鉛色の空が晴れることは無さそうだし、このまま立ち尽くしているのにも埒があかない。

「ほら」

 僕は藍色の傘を開いて、左隣を開ける。

「入りなよ」

「えっ、え?」

「前だって、相合い傘やったんだし」

「で、でも」

「良いから早くしなよ。後ろ、つっかえてる」

 僕は僕よりずっと小柄な彼女の小さな手を取って、傘の中へ入れた。杏奈ちゃんは恥ずかしさのせいで(もしかしたら不本意かもしれなかった)、なかなか僕の隣に入ろうとしなかったけど、後ろでは僕らの他の客がつっかえていた。特に最前列にいた中年サラリーマンなんかは、聞こえやすいように咳払いをしている。

「あ、ご、ごめんなさいっ」

「ほら、早く」

 僕は足早に本屋から離れて、駅に駆け出した。

 少し走ったところで、漸く並んで歩き始めると、僕らは早速黙りこんだ。僕としても、何を話題にあげたら良いのか分からない。彼女は彼女で、少し俯きながら歩いているから、顔色すら見えない。

 大きめの傘には、小柄な杏奈ちゃんの体感が僕の隣に丁度入っていた。とは言え、時折彼女の服が僕の制服に振れるせいで、さっきから心臓の鼓動が凄い。

「……市川先輩っ」

「え? あ、何?」「……なんか、さっきから斜め前の人の視線が気になるんですが」

 視線?

 僕は彼女が言う方向へ、目を向けた。

「げ」

 と、僕は口を半開きにして、顔を硬直させる。その顔に、見覚えがあった、なんてレベルじゃなかった。

「……神田だ」

「誰、ですか?」

 杏奈ちゃんはあどけなく問う。

「うちのクラスの、友人茶化すのが好きな女子」

 僕は嘆息して、思わずその場に立ち止まってしまう。雨音が傘から鳴る中で、数メートル先の神田は分かり易いように叫んだ。

「市川くーん」

 僕は黙った。

「黙るなー!」

 黙るに決まってるだろ。

「悪い、杏奈ちゃん、早く行こう」

「え、でも」

 杏奈ちゃんは何故か憤慨する神田を気にかける。神田も今いる立ち位置から離れる気は毛頭無いみたいで、少しずつ歩み寄ってきた。

「今帰り?」

「ああ、まあ」

 神田はニヤニヤした笑みで、僕の顔を覗き込んでくる。

「やっぱり可愛いじゃん! あたしとは大違い」

 矛先を杏奈ちゃんにまで向け始めた。彼女は彼女で、年上の(立ち位置上の)先輩にそんな事を言われ続けているせいか、どんどん顔を俯かせる。

「ねえ、市川くんとどういう関係なの?」

 それ、問う事かよ、と僕は少し憤る。杏奈は俯いて、何も言えずにいるのに、これじゃゴシップ記者じゃねえか。

 衝動的に、僕は杏奈ちゃんの左肩に手を回し、思わずそれを言葉にしてしまう。

「……俺さ、こいつ家まで送らなくちゃいけないから」

 そのまま、僕は杏奈ちゃんの手を取って、神田を振り切って走り出した。

「ちょ、ちょっと市川先輩っ」

 後ろで神田が何かを喚いたけど、今の僕には何も関係ない。ただ、単純な気持ちに任せて走り抜くだけだ。

 ――彼女の、嫌な顔を見たくないという素直な気持ちを。

 それから、神田の姿が見えなくなった後も、暫くは走っていた。スニーカーに雨水が染み込むのも、気にならない。

「い、市川先輩!」

 やがて、杏奈ちゃんは僕の手を振り払って駅から五十メートルくらい離れた所で立ち止まった。

そう言えば、彼女の手を握っていたことをすっかり忘れていて、叫びたてる杏奈ちゃんを振り向く。

「あ、わ、悪い……」

 僕は不意に傘を放り投げてしまう。おまけに、まだ少し雨が振っていたというのに、僕らはずぶ濡れになった猫みたいに髪を濡らしていた。やってしまった、と言うのが素直な気持ちだ。

 怒ってるだろうか、と言う気持ちが先決して、なかなか杏奈ちゃんにかける言葉が思いつかない。

「……急に走らないでください」

「わ、悪い……」

 少し雨足が引き始めた頃、僕は何も言えずに彼女のように俯いてしまう。

「衝動的に色々、言い過ぎたな」僕は少し、頭を下げる。「……ごめん」

「……そうじゃないんです」 杏奈ちゃんは声を曇らせて、僕に少しずつ歩み寄ってくる。濡れた僕の手を、小さな彼女の手が包んだ。

「……肩」

「あ」

 強く掴みすぎです、と杏奈ちゃんは呟くように言う。やばい、さっきから耳の先の温度が上がりすぎだ。動悸が疼いて、口元が戦慄く。

「あの」

「な、何?」

「……あの人は、先輩の何ですか?」

 杏奈ちゃんの、どことなく硬い声が聞こえた。あの人、と言うのは、神田だろうか。僕は首をぶんぶん振って、何でもないと否定する。

「ただのクラスメートだよ! 特に何も関係はないから!」

 思わず、早口で僕は必死に弁解してしまう。周囲を行き交う人たちが、横目で僕の顔を見ていくけど、不思議と気にならなかった。

「……悪い。色々、振り回しちゃって」

「いえ、そ、それより」

 杏奈ちゃんは、雨に濡れる頬を紅潮させて、

「い、家まで、送って……くれますか?」

「あ……」

 しまった、と脳裏で呟いた。出任せばかりを叫んでしまったのは失敗だったとも思った。僕は、少し声をくぐもらせる。

「あ、杏奈ちゃんがいいなら」

「……はい」

 杏奈ちゃんは僕から手を離すと、アスファルトに転がっていた傘を取り、僕の頭の上を覆う。彼女は柔和に微笑んで、眉を垂らした。

「行こっか」

 少し戸惑った後で、僕らはまた少しずつ歩き始める。小さく、小さく、足音を立てて。

「出来れば」 彼女は言った。

「こ、これからは。その、私と、ずっと――」

 その後の言葉は、雨音に溶けてあまり聞こえなかった。けれど、僕には何となく答えが分かって、耳の先まで赤くなった顔を、少しだけだけ首肯させた。



 群青に彩り始めた街で二人、隣同士で傘の下を歩く。ちょっとした感情を、雨音に乗せて。

率直に言って、当初この「続き」を書く気は無かったのですが。


前作、「相愛傘―アイアイガサ」を読んだ友人に「続きは?」と言われ少し時間を押して書いてしまいました。


※8/31、修正しました。


淡い感情が書けたかわかりませんが、楽しんで頂けたならなによりです。

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― 新着の感想 ―
[良い点] ・丁寧で落ち着いた文体に、作者様ご自身の読書量の多さを感じました。 ・地味ですが読後感もよく、きれいにまとまっていたと思います。 [気になる点] ・「市川君って付き合ってるの?」→「~付き…
2010/08/31 04:04 退会済み
管理
[良い点] 夏くさい 季節感を出す為に太陽の射し方一つにも凝ってる [気になる点] たとえば序盤の、主人公がなぜ級友の詮索を嫌がるのか分からない。 感情とかを足した方がいいと思います。 [一言] は…
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