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読切短編 きれいな世界

作者: 黛 文彦
掲載日:2026/05/02

 魔法使いのリオルは、問題の原因を消す。


 病気になった子どもを連れてきた母親に、リオルは言う。「薬はいらない。その子が病気になる理由を消します」。指を鳴らす。翌朝、子どもは健康になっている。病原体を取り除いたのではない。病気になる理由そのものが世界から消されているのだ。


 村と村が争い始めたと聞けば、リオルは争いが発生した瞬間まで遡り、火種になった言葉を消す。王国が滅亡の危機に瀕すれば、王国が弱体化した原因の原因の原因を辿り、それを消す。 いつからか、人々は奇跡に驚かなくなっていた。


 依頼は絶えなかった。「ありがとう」と言われるたび、リオルは自分の魔法が誰かを救えたのだと知った。


 だが、いつ頃からか、一日の来客は少しずつ減っていた。


 十年が過ぎた。


 ある朝、リオルが扉を開けると、通りに誰もいなかった。いないというより、来ない。依頼人が来ない日は以前にもあった。だが今日は違う感じがした。昨日も来なかった。一昨日も。その前がどうだったのか、もう曖昧だった。


 街に出ると、人々は普通に暮らしていた。ただ、誰もリオルを見なかった。見えていないのではなく、最初からそこにいないもののように通り過ぎた。


「すみません」と呼び止めると、老婆は振り向いた。「魔法使いに頼みたいことがあれば——」


 老婆は首を傾けた。「まほうつかい?」


 知らない言葉を聞いた顔だった。


 リオルは宿に戻り、鏡の前に立った。自分は映っている。存在している。ならば何かがおかしい。


 考えながら、リオルは気づいた。


 問題が消えれば、魔法使いへの依頼は消える。依頼が消えれば、魔法使いを必要とする理由が消える。ならば——「魔法使いが必要になった原因」を消せば、やがて魔法使いという言葉すら忘れられるのではないか。


 いつ、自分はその役目を背負ったのだろう。


 思い出せない。


 ただ、手の中にまだ魔法がある。世界から問題を消した記憶だけが、靄のように残っている。誰も覚えていない仕事の記憶だけが、リオルの中に残っていた。


 リオルは窓の外を見た。


 穏やかな街だった。争いも、病も、飢えも見当たらない。


 誰に感謝されたのかも、もう思い出せなかった。 とても、きれいな世界だった。

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