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「奇遇ですね。私の婚約者と同じ名前だ」  作者: つむぎ


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5

会場の中央で、優雅なワルツが流れていた。リリエットは子爵子息と軽やかにステップを踏み、ドレスの裾がふわりと舞う。


「貴女と踊れるなんて光栄です、クラウゼヴィッツ嬢」


「こちらこそ、素敵なダンスをありがとう」


にこやかに笑い合いながら、二人は曲が終わると同時に手を離した。息を整えながら、リリエットは少し満足げに微笑んだ。久しぶりに心から楽しめた気がする。


だが、その直後だった。


「次のダンスをご一緒してもよろしいでしょうか?」


不意に差し出された手。


リリエットは目を見開いた。


差し出したのは、クラウディオだった。


周囲の空気が一瞬にして張り詰める。驚いた視線が彼とリリエットに集まるが、当のクラウディオは平然とした様子で微笑んでいた。


――何が起こっているの?


リリエットは思考が追いつかず、ただ呆然と彼を見つめた。


「美しいお嬢さん、お名前は?」


会場がざわめいた。セシルが遠くで息を呑むのが見えた。兄のエドガーは驚きすぎて、グラスを傾ける手が止まっている。


――まさか、私だと気づいていない……?


リリエットは息を飲んだ。彼は普段、彼女のことを見ていなさすぎて、いつもと違う装いの彼女を別人だと勘違いしているのだ。


どうしよう。どう答えればいいのか。だが、クラウディオの真剣な瞳に見つめられると、言葉が出てこなかった。


「……リリエットです」


戸惑いながらも、絞り出すようにそう答えた。その瞬間、彼は少し驚いたように目を瞬かせ――そして、微笑んだ。


「奇遇ですね。私の婚約者と同じ名前だ」


その言葉に、リリエットは凍りついた。


周囲の誰もが固まる中、クラウディオだけが優雅に手を差し出し、再び言った。


「ダンスを、踊っていただけますか?」


リリエットの手が、震えた。


ダンスの音楽が再び流れ始め、リリエットはクラウディオの手を取った。


――これは夢かしら。


そう思うほど、彼の態度はこれまでと違っていた。クラウディオはごく自然にリリエットの腰へと手を添え、リードする。彼と踊るのは初めてではないはずなのに、まるで知らない人と踊っているようだった。


「こんなにお美しい方と踊れるとは光栄です」


リリエットは、驚きと共に彼を見上げた。クラウディオの視線は、まっすぐに自分を見つめている。いつもは決して向けられないはずの眼差しが、今はまるで特別な何かを見つけたかのように注がれていた。


――今まで、私のことなんて見ていなかったのね。


胸の奥に、ひやりとした感情が広がっていく。


彼はこれまで、リリエットに冷淡だった。それは自分自身に何か問題があるのだと思っていた。足りないところがあるのではないか、気に障ることをしてしまったのではないかと、何度も考えた。


でも――違った。


ただ、彼はリリエットを見ていなかっただけなのだ。婚約者であるという事実があるにもかかわらず、一度もまともに向き合うことなく、ただ遠ざけ続けていた。その証拠に、今夜こうして目の前にいるリリエットが「リリエット」だと気づきもしなかったのだから。


クラウディオの視線は、リリエットの頬から髪、そして露出した胸元へとわずかに動いた。


――いつもは私のことを見ようともしないのに。


ほっとするような気持ちと、冷たい失望が、リリエットの中で交錯した。


クラウディオが冷淡なのは、リリエットに問題があるわけではなかった。それが分かっただけでも、気持ちは楽になった。けれど、その安心と同時に、心の中にあった恋心がゆっくりと冷えていくのを感じた。


ずっと憧れて、ずっと好きだったのに。


ずっと、彼に振り向いてほしくて努力してきたのに。


こんな形で、答えを知ることになるなんて。


「……どうかしましたか?」


クラウディオが静かに問いかける。リリエットは微笑みながら、軽く首を振った。


「いえ……少し疲れただけです」


そして、ワルツの最後の音が響き、二人の手が離れた。


リリエットは、そっと息をついた。もう、頑張らなくてもいいのかもしれない。

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