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夜会の準備が進む中、リリエットは鏡に映る自分の姿をじっと見つめた。
商会のお抱えコーディネーターが手掛けた装いは、彼女がこれまで身に着けたものとはまったく異なっていた。普段は淡い色のドレスを好んでいたが、今日は深みのあるワインレッド。流れるようなシルエットが、これまでの少女らしさを脱ぎ捨てたかのように、大人びた印象を与えていた。
「とてもお似合いですわ、リリエット様」
侍女が微笑みながら整えてくれた髪は、ゆるやかなウェーブを描き、繊細な装飾が施された髪飾りがそれを引き立てている。
「……本当に、私?」
そう呟くと、コーディネーターは満足げに頷いた。
「ええ、本当にあなたです。今宵、会場で誰よりも輝くことでしょう」
リリエットはそっとドレスの裾を持ち上げ、一歩踏み出した。新しい自分へと生まれ変わるような、そんな予感がした。
夜会へ向かうための馬車の前で、リリエットの兄、エドガーが腕を組んで待っていた。
「リリエット、本当にこれでいいのか?」
「え?」
「クラウディオのやつ、またエスコートしないんだぞ。お前の婚約者なのに」
兄の苛立ちは隠しようがなかった。傍らに立つ父と母も同じ思いなのだろう。特に母は、呆れたようにため息をついていた。
「まったく、いつもこれではあまりに失礼ではないかしら」
「本当に、この婚約を続けていていいのか、リリエット?」
父の静かな問いに、リリエットは少しだけ目を伏せた。
「……私が決めたことだから」
家族がどれほど心を痛めているかは分かっていた。それでも、リリエットはこの関係をすぐに手放したくなかった。理由を言葉にするのは難しかったが、彼への想いは今も変わらず胸に宿っている。
「まったく……あんな奴のどこがいいんだか」
エドガーは呆れながらも、優しく手を差し出した。
「仕方ない、今夜も兄がエスコートしてやるよ」
その言葉に、リリエットは微笑みを浮かべた。
「ありがとう、お兄様」
兄の腕にそっと手を添え、馬車へと乗り込む。
今夜、彼は私をどう見るのだろうか。
ふと、そんな考えが胸をよぎった。
夜会の会場は、煌びやかなシャンデリアの光に満ちていた。貴族たちが思い思いに談笑し、楽団の奏でる優雅な音楽が空間を彩っている。
リリエットが兄のエスコートで会場に足を踏み入れると、すでに多くの人が集まっていた。その中に、見覚えのある姿があった。
クラウディオは、端正な立ち姿のまま、友人たちと談笑していた。彼の周りには、伯爵家や子爵家の青年たちが集い、時折笑い声が響く。表情は穏やかで、どこか楽しげですらある。
――私といるときとはまるで違う。
リリエットは、無意識に手元のドレスの生地を指で撫でた。彼の視界に入ったとしても、きっと何も変わらない。冷たく流し見るか、あるいはそもそも目にすら留めないか。
声をかける気にはなれなかった。
「リリエット!」
そんなとき、セシルの弾んだ声が耳に届いた。
「来てくれたのね!」
振り向くと、セシルとその友人たちが集まっていた。彼らはみな、商会の特別な装いに身を包んでいる。普段の貴族の正装とは一線を画したデザインで、それぞれの個性を引き立てる仕立てになっていた。
「皆、とても素敵だわ」
心からの感想を述べると、セシルは満足そうに笑った。
「でしょう? これが、彼の商会のこだわりなのよ」
セシルが示したのは、一学年下の子爵子息だった。彼は誇らしげに胸を張り、リリエットと兄に向かって頭を下げた。
「ここでお会いできて光栄です。皆さんに協力してもらえて、本当に嬉しい。こうして夜会の場でお披露目できるのも、皆のおかげです」
その謙虚な態度に、リリエットも微笑んだ。
「素晴らしいわ。商会を立ち上げたばかりとは思えないほど、完成度の高い衣装ね。きっと注目されると思うわ」
彼は照れくさそうに頭を掻いた。
「そう言っていただけると、励みになります」
そのとき、傍らにいたエドガーが口を開いた。
「なるほど、確かに面白い試みだな。貴族の夜会に新たな視点を持ち込むというのは、なかなか大胆だ」
兄の目は、珍しく好意的だった。格式ばった場でありながら、こうして新たな風を吹き込む者たちを素直に評価している。
「よければ、詳しく話を聞かせてもらえないか?」
子爵子息は驚いたように目を瞬かせたが、すぐに嬉しそうに頷いた。
「もちろんです!」
和やかな空気の中で、リリエットは少しだけ気持ちが軽くなった。
クラウディオの視線を気にしないふりをするのは、簡単ではない。でも、今はこの場を楽しみたい。
そう思いながら、セシルや友人たちとともに夜会の賑わいの中へと足を踏み入れた。




