先輩の言うことは絶対
「あれは何だと思う?」
先輩が指を差した。対象は耳が長く、白い毛皮をした四足歩行の生き物——だからうさぎだ。
「えっと、うさぎだと思います」
「違う、あれは猫だ」
猫……? あんなに耳が長いのに……?
「いいか? 先輩の言うことは絶対だ。オレが猫って言ったら猫だし、右向けって言ったら右を向くんだ。——んじゃ、もう一個。ここはどこ?」
そう言って先輩は地面を指差す。
一応実際の場所としては森の中の廃校なのだが、ここはあえて別の回答をしてみよう。
「……アマゾンですか?」
先輩はその瞬間に吹き出しそうになるのを堪えて僕の方を叩きながら答えた。
「ばっ、何言ってんだよオマエ! ここは旧坂島小学校の校庭に決まってんだろ! 忘れたか? 昔ここで一緒に落ち葉で焚き火をしたじゃねぇか」
「は、はぁ……」
「もうあれから六年も経ったのか。早いなー」
大口を開けながら笑う先輩。その姿は小学生の頃とは変わっていなかった。
「それで、今日ここに来たワケだが……」
ひとしきり笑ったあと、スンと口角を落として真顔になった。
「どうやらここ、幽霊が出るらしいぜ?」
わけもわからずここに連れてこられたが、今の一言でやっと理解できた。要は肝試しをしたいのか、この先輩は。
思えば先輩は気ままな人だ。ある日突然見なくなったかと思えばひょっこり現れていきなり付いてこいなんて言う。こっちは一週間も見ていなかったから本気で心配していたというのに。
「そういう話だから、早速校舎の中に入ろう。くれぐれもビビってチビるんじゃねぇぞ?」
重い扉をゆっくりと引き開けて、見えた光景は思ったよりも酷くはなかった。
蜘蛛の巣や、埃は多々あれど、瓦礫や床が抜けているみたいなものはなかった。状態はほとんど卒業したときと変わりなく、どこか懐かしい匂いがした。
不意に、どこからか物音がした。
「————っ⁈」
「おいおいビビりすぎだよ。ありゃネズミだっつーの」
物音がする方に視線を向けると、確かにそこには小さな黒い影の群れがあった。
「さっき猫が居たしな、追いかけられてでもいたんだろ」
「そうでしたね。猫……ん? いやまあいいか」
「じゃあこの階見たら次は上な。さっ、行くぜ」
かつかつ、と階段を登る音が反響する。
踊り場の鏡に視線を移すと、微かな違和感が脳裏に焼き付いた。
「ん……あれ。この鏡、先輩が映ってないように見えませんか?」
「そうか? どれどれ」
ちらっと一瞬のことだったので見間違いかもしれない。先輩が登った階段から戻り再び踊り場の鏡に立つ。
「いや、ちゃんと見えてるぞ」
自分も続いて鏡を覗き込むが、そこには確かに先輩の姿が映っていた。
「すみません……僕の勘違いだったみたいです」
「ハハッ、オマエは気にしすぎなんだよ。もっと堂々と生きねーとな」
「いや、それはちょっと違う気もしますが……」
「いいから、さっさと次行くぞ」
結局、幽霊らしきものは見つからず、登り続けて遂には屋上まで辿り着いてしまった。
空は曇天、予報によればそろそろ雨が降るという話だった。
「雨降りそうですし、そろそろ帰りませんか?」
そう言って帰宅を促そうとすると、先輩は空を見上げて神妙な面持ちで呟いた。
「いいや、晴れるよ」
それはどういう奇跡だろうか。先輩の言葉に応じて、まるで呪文のように厚く広がった雲を晴らしていた。
雲と雲の狭間には月が光を差し、二人を照らしているようだった。
「いや、いくらなんでも出来すぎな気がしません?」
「いいだろ? 先輩の言うことは絶対だぜ?」
「…………そういうモンですか」
星月夜のおかげか、暗闇に目が慣れてきたからなのか、先輩の後ろ姿は今までより鮮明に見えた。
「でもまあ、そろそろ夜も更けるし帰ろうか」
「はい、今日は楽しかったです。結局幽霊はいませんでしたけど……」
「そうだな……幽霊はいなかったな。最後まで見つけられなかったのは残念だったが、それはまた今度の機会にな! じゃあ、また会う日まで!」
その言葉を最後にして、二人は回れ右をするように踵を返した。
それからの二人は一度も言葉を交わすことなく、顔を合わせることもないまま昇降口まで降りた。
そして別れる前に最後にもう一度だけ顔を合わせようと振り向いた時には、既に先輩はどこかへ消えていた。




