せっかち彼女と、おっとり彼氏
今日はデートの日だ。この日のために私は必死でスケジュールを組んだ。大好きな彼に後悔させないように。
朝の九時、駅前の噴水で集合だ。もちろん私は余裕をもって十五分前には待っている。
「お待たせー」
彼は予定時刻の二分ほど前にやってきた。彼はおっとりとした性格だけど時間にルーズというわけじゃない。
そんなところが私は好きなのだ。
「どこにいくの?」
「まずはショッピング!」
彼氏の手を引っ張って、ちょうど青になったスクランブル交差点へ駆け出していく。
そうして着いたのは市内で唯一の百貨店だった。並び立つ数々の商品に目を奪われながらもスケジュールの管理は忘れない。
十一時半にはここを出て、ランチに行かなければならないのだ。
「じゃあ次の場所行くよ!」
商品棚を眺めている彼の肩を掴み、移動を促した。結局とりわけて何かを買うということはなかったが、時間が時間なので仕方がない。
正直ここは前座、本番はこれからなのだ。
電車やバスで移動して一時間ほど経ったあたりで、私たちはあるカフェに着いた。
オープンテラス席から見える湖と空のグラデーションが二人の網膜に焼きついた。
それから程なくして料理が届く。彼が頼んだのはデミグラスソースのオムライス。私はそれを掬っては彼に食べさせたり、自分の口に運んだりして揶揄ってみた。
しかしこの時間も長くは続いてくれない。次はいよいよ本命ともいうべき、遊覧船だ。
先程のカフェから歩いて十分ほどの港にて、私たちは遊覧船に乗った。
片道約三十分。だけど体感ではそんなに長くは感じなかった。隣に佇む彼と水鳥を眺めているだけで、時間を忘れそうになってしまった。
向こう岸では様々なお店があったので、ちょっとした甘いものを食べ歩きしながら周囲を散策した。
時計を見ると時刻は三時半を過ぎていた。
そろそろ戻らねば。そう思って、彼氏の手を掴み軽く引っ張った。
「ねえねえ、早くしないと次の出港遅れちゃうよ!」
「え、ちょっと待って」
おっとりとした声でありながらもその脚は強く、一歩たりとも動こうとはしなかった。
すると間もなくして、店員さんが彼にビニール袋に入った何かを渡した。
「ごめんね。どうしてもこれ買いたくて」
その袋の中には小さな箱が二つ。その中身はどうやらマグカップのようだった。
「まだ、ペアのマグカップとか買ってなかったよね? ちょうどいいものを見つけたから記念ついでに買っておこうと思って……っとごめん。もう行かなくちゃだよね。急ごう」
そういうと小走りで彼は港へ向かった。私は彼の心遣いへの感動を受け止めきる時間も与えられぬまま彼の背中を追いかけていった。
あれだけ急いで走ったのに、出港の時間には間に合わなかった。次に船が来るのは二十分後になる。
「ごめんね。私が脚遅いばっかりに……」
実のところ、彼は出港時刻に間に合っていた。しかし私を待ったせいでその船を見過ごすことになったのだ。
「全然いいよ。せっかくだし、次の船来るまでここで夕陽を見ていようか」
時刻はすでに四時前になっていた。ゴールデンアワーの時間帯だった。オレンジ色に染まった空と、鏡写しのように反射した湖が幻想的な空間を作っていた。
「はいこれ、微糖だけどいいかな?」
彼は缶コーヒーを片手に持って私の方に寄越してきた。じんわりと、柔らかな温かみが私の両手から全身に広がっていく。
「……今日は、楽しかったよ」
なんの脈絡もなく彼はその言葉を口にした。あまりに唐突すぎて、返す言葉が見つからなかった。
スケジュールにない空白の時間。ここでは時間を気にする必要はない。ただ船が来るのを待つだけだ。
「だけど、こういう時間もいいよね」
彼はそう言った。こんなに無駄な、なんでもない時間を。
「なにもする必要がない時間ってのは案外自分では作りにくいんだよ? 人は時間があるとしなけりゃいけないことを埋めたがるからね。みんなそういう時間でスマホを開きがちだけど、缶コーヒーを飲みながら夕陽を観るのだって悪くないでしょ」
「よくわかんないけど、あなたといるならそれでいいかな……」
なんてことを言ってみた。すると彼は軽く笑って、
「そりゃあ嬉しいことを言ってくれるねぇ。僕も君と乗る電車は好きだよ」
と、白い息を吐きながら言った。
普段乗る電車のホームは好きじゃないけどね、と付け加えて。
ああ、今度は——なんのスケジュールも組まずただ街を歩くだけのデートも、良いかもしれない。




