25. エモさも風情もない夏の風物詩
紫条家での1件から数日。
思い描いていた理想的な夏休みを過ごせている。
初日こそ躓いてしまったが、それからは順当に自堕落ライフを送ることができている。
もちろん一人暮らしで食料などの物資が勝手に湧き出てくるわけではないため、買い物には行く必要がある。
さらに言えば、料理などほとんどしないうえ、外食にはほとんど行かず、出前といった宅配サービスを利用するのも経済的ではないため、カップ麺や冷凍食品、お惣菜などを求めにスーパーは必須と言っていい。
ありがたいことに仕送りは多めに貰っていて、物欲が強いというわけでもないため、足りないということは全くないのだが無駄遣いする理由もない。
というか、流石に出前や外食ばかりだと資金的に難しい。
多めに貰ってるとは言っても何十万も貰うわけではないのだ。
これから一人暮らしを始める方に一言。
料理をしないとしても米だけは炊くことをオススメする。
そういうわけで、本日も日が沈んで暑さが幾分かマシになったこの時間、食糧を求めてスーパーへ赴いた。
今はその帰りである。
いつも通りマンションに入り、エレベーターに乗って、自分の部屋に向かう。
エレベーターを降りると自分の部屋が見えてきた。
が、何やら人影が見える。
あれは背丈的にも…。
「こんな所で何をしているんだ?白石」
白石だった。
知らない中でもないので普通に声をかけ、それに気づいてこちらを見る。
「黒田くんっ。あのっ、助けてください!」
そしてオレと目が合うや否や白石からは考えられないほど大きめな声でそう言った。
近所迷惑、というかただならぬ事だと思われて面倒事に発展するのも良くない。
「あ、あぁ。よく分からないが、一旦上がってくれ。話はそれからだ」
そう言ってオレは白石を部屋に招き入れる。
「すいません、取り乱してしまって…」
「いや、というかどうしたんだ?突然」
一応連絡が来ていないか確認したが、特に来ていない。
白石がアポなしで来ることは今までないため非常事態ということなのだろうか。
「あの…出たんです」
「出た?」
「黒くて素早いアイツが出たんですっ!」
その言葉でオレは察した。
アイツとは夏の風物詩の昆虫だろう。
自然のやつはそんなでもないのに、家に出るやつは謎に触覚が発達していて気持ち悪い。
危機を察知すると、時速150kmにも届くほどのスピードを予備動作なく行えるという話もあるほどの素早さを持つ。
そう、ミスターGだ。
白石の家は確か2階だ。
水道管の外側や、換気口などを伝って登ってきたのだろう。
そしてこの白石の必死な形相から考えられることとして…
「なるほどわかった。それで退散してきたということだな?」
オレの言葉に白石は頷く。
必死に逃げてきたのだろう。
よく見ると、部屋着なのかシンプルな服装をしている。
連絡なぞしている余裕も無かったに違いない。
「それで…、お願いなんですけど…」
「ヤツを退治して欲しいって?」
「はい…」
「リビング、キッチン、自室、トイレどこで見かけた?」
「リビングです。部屋を出る時扉も閉めたのでまだそこにいるはずです」
「分かった。それじゃあ行くぞ」
オレは収納棚からバル〇ンとア〇スジェットを取り出して白石に案内するよう言う。
が、白石は動く気配がない。
「あの、怖くて戻りたくないのですが」
大層ビビりなさってやがる。
だが、知り合いとはいえ、女子の家に勝手に上がるのも忍びない。
「ワガママ言って申し訳ありませんが、退治しに行ってもらえませんか?鍵は空いてるので」
「おい、本当にいいのか。オレが変なことしたらどうするんだ」
いくらなんでも不用心すぎる。
「大丈夫です。黒田くんのことは信用しています。それに、もしもそんなことするならわざわざ言いませんよね」
ということらしい。
「はぁ…。分かった、じゃあ行ってくるよ」
オレは諦めてひとりで白石の家に向かうことにした。
鍵のかかっていない扉を開けると、見慣れた廊下かと思えば、見知らぬ玄関マットに迎えられる。
同じマンションなので家自体の造りは似たようなものなのだが、置いてあるもので雰囲気は変わるな。
そうしてリビングに入る。
こちらも設置している家具が異なり、やはり他人の家だなぁと感じる。
ざっくり部屋を見渡すが、ヤツの姿は見られない。
元来臆病ということもあり、物陰に潜んでいるのだろう。
そんな時はコイツ、バ〇サンの出番だ。
カバーなども要らないタイプなのでそのまま使えるのが魅力である。
部屋の中央に設置し、起動して部屋を後にした。
そして、靴を履いて白石の家を出ようとしたところ、靴箱の上のあるものを目にする。
写真だ。
そこには幼い少女と若い夫婦のような人が写っていた。
女性の方はなんとなく白石と似ている部分があり、少女も白石の面影があることから、昔の家族写真だろう。
現在、一人暮らしをしているということは何かしら会えない事情などがあるのだろうか。
オレも親の転勤でこちらに一人残っているため、不思議なことはないのだが。
家族…ね。
オレはえも言われぬ感覚を持ったまま、自部屋に戻った。
「これで恐らくは大丈夫だ。効果が出るまでしばらくかかるから、くつろいでくれ」
オレは安心させるために白石にそう言った。
白石も不安が取り除かれ、先程のような悲壮感漂う雰囲気は無くなった。
のだが、こちらを訝しげに見ている。
「何だ?」
たまらずオレは聞いた。
「あの、食材が傷んだらマズいと思って、先程買い物袋のものを整理させてもらったんですけど」
「それは悪かったな。ありがとう」
そうだった。
白石のことに夢中で置いたままにしていた。
冷凍食品などが入っていたからありがたい。
「その際、キッチンにも勝手に入らせてもらったんですが…」
許可なく入ったことに後ろめたさを感じているのか?
本当に全く構わないのだが。
「一応聞かせてもらいますけど、黒田くんは普段料理などはされるんですか?」
急に料理について聞いてくるなんてどうしたのだろうか。
「いや、普段はしないが?」
オレは正直に答えた。
否、答えてしまった。
そういえば以前スーパーで会った時は誤魔化したな。
一段落してすっかり油断していたようだ。
が、別に悪いことしたわけではないしこの間の違和感は気のせいだろう。
「それで、普段もこのような物を召し上がって?」
オレの答えに続くように白石はスーパーの惣菜とカップ麺を指して聞いてくる。
「まぁ、そうだな」
オレの答えに白石は震え、収まったと思えばこちらに強い視線を向けた。
「こんな食生活では体を壊してしまいます!」
そう大きな声で言い放った。
「いや、ちゃんと野菜も摂ってるぞ?」
ちゃんとパックのサラダを買っている。
「そういう問題ではありませんっ!添加物や塩分なども多くバランスが良くないです」
オレは白石の言い分に何も言い返せない。
事実だからだ。
「ふぅ〜っ…、そうですか、わかりました」
何かに納得した白石は怒りを鎮め、改めてこちらに向き直る。
「今回、と普段のお礼じゃないですけど、定期的に料理を教えさせてもらいます」
決めました、と白石は宣言した。
「いや、礼なんか要らない。オレも好きでやってる節はあるし」
オレは即座に否決。
しかし同時に失言してしまったことに気づく。
白石が気づかないでくれるといいのだが。
「でしたら、私も好きで教えさせていただきます」
しっかりオレの言葉の揚げ足をとられた。
そしてさらに、
「もしくは、…そうですね。夏休み明けからお弁当でも作ってあげましょうか」
そんなことを言いやがる。
もしも白石に弁当なんて作ってもらってみろ。
クラス中の視線を受け取るだけでなく、男子からは嫉妬、女子からは興味本位で色々と聞かれ、面倒事まっしぐらというものだ。
無視でもしてしまえば最悪の展開になるだろう。
オレに最も効果的なカード(脅し)を持たれているため、オレには断ることなんてできない。
「分かった。ご教示願うことにさせてもらう」
「はい。しっかり教えさせていただきます」
白石は納得と言う感じで満足気に頷いた。
正直料理は面倒なので気乗りしないが、もしかしたら楽しめるかもしれないし、ありがたく厚意を受け取っておこう。
それにそんな頻繁に行われないはずだ。
オレはそんな淡い期待を背負い、バルサンが終わるまでの残り時間を過ごすこととした。




