7. 手がかり
(なぜ、そんなにじっと見つめるのかしら?)
そして、カイザル様はしばらくすると小さな声で何か言った。
また、その表情には少しだけ陰りが見えた。
「………………か」
「え? あの? 今、なんて?」
(ようやく喋ってくれたわ、と思ったのに声が小さいなんて!)
私は聞き返す。
すると今度は答えが返って来た。
「───昔、庭師が気を利かしただけだ」
「はい? 気を?」
「いつか俺の元に花好きの女性が嫁いで来たら、喜ぶだろうからスペースは空けておきましょう、と」
「!」
───花好きの女性ですって!?
もしかしてそれが、カイザル様の好きな人の趣味なの?
でも、それだけではまだまだ情報が少なすぎるわ。
だけど、庭師が気を利かしたということは、その趣味を持った女性が嫁いでくる可能性があると思ったからで……
(それって、庭師はカイザル様から何か話を聞いているのではないかしら?)
これは有力な手がかりを得るチャンスかも!
「その庭師の方は今もこちらで働いている庭師の方ですか?」
「……いいや。前任の庭師だ」
「あ、そうでしたか」
可能なら、庭師にこっそり話を聞こうかと思ったのに。
私は内心でがっくり肩を落とした。
「それであのお庭……本当に私が好きに使ってしまってよろしいのですか?」
「……? 何を言っている? 君は俺の妻だろう?」
「っ!」
カイザル様は、特別照れる様子などもなく淡々とした口調でそう言った。
(口調はアレなのに妻……改めて言葉にされると何かしら……なんだか……て、照れ……)
───いいえ、勘違いしては駄目!
私はあくまでも離縁される予定の “お飾りの妻”なのだから!
そう自分に言い聞かせた。
◇◆◇
「ふむ。身体の方はもう大丈夫。頭も今のところ、大きな異常はなさそうだのう」
「……」
(いえ、おじいちゃん先生。大きな異常はありました……頭を打ったら前世を思い出しました)
とはさすがに口に出来ないので「そうですね」としか言えない。
そんなこと言い出したら入院する羽目になるかもしれない。
「では夫人、さすがにもう屋敷の外に出歩いても構わぬ。伯爵にもそう言っておこう」
「外に? ありがとうございます!」
私は喜んだ。
これで、ついに外を歩き回ることが出来るわ!
「本当はもう少し早く許可を出しても良かったのじゃが……」
「え?」
「伯爵が過保護でのう……」
「か、過保護……?」
(過保護ってあの過保護よね!?)
私の知っている……少なくとも小説のカイザル様からは、全く想像も出来ない言葉が飛び出した。
「何をそんなに驚くのじゃ? ────あぁ、そうか。夫人は気絶しておったから知らぬのだな」
「?」
先生はどこか意味深に笑う。
「夫人が階段から落下して意識不明だと騒ぎになっていた時、誰よりも一番取り乱していたのは伯爵だったからのう」
「え!?」
取り乱していた───これまた過保護並みに想像出来ないとんでもない言葉が飛び出した。
「伯爵のことは彼が子供の頃から知っておるが、昔からいつも何を考えているのかよう分からん奴だったからのう……」
「何を……では、あ、あの様子は昔からなのですね?」
「そうじゃ。だから、あやつにも取り乱すことがあったのかと驚いたものじゃ」
(前にも思ったけど、さすがに寝覚め悪いものねぇ……必死にもなるわ)
「ずっと夫人の手を握っていてな。必死に名前を呼びかけていて…………ん? じゃが、そういえば……」
「どうかされましたか?」
先生が何かを思い出したかのように首を傾げた。
「夫人の名は“コレット”で間違いないかのう?」
「はい」
「愛称でも構わぬが、何か別の名で呼ばれたことは?」
「いえ、ありません」
私が首を横に降ると先生はしかめっ面で、うーんと唸った。
「……はて? あの時、伯爵が必死に呼びかけていた名は違ったように聞こえた……気がしたが。すまない、年寄りの気のせいじゃったか───……」
「───!」
その言葉に私はハッとする。
人は取り乱した時などに本音が出やすい。
…………私ではない名前!
それは、もしかして!
「おじいちゃ…………じゃない、先生! カイザル様はその時なんと? 私に向かって何て呼んでいたのですか!?」
「ふ、夫人!? な、何じゃ!?」
私はものすごい勢いで先生に詰め寄った。
「うーん……」
私は悩んでいた。
先生による新情報で、私が意識不明の時に取り乱していたというカイザル様のことを聞いた。
その際に呼びかけた名前がコレットではない名前……
そうなると、彼の想い人の可能性が高いと思って問い詰めてその名を聞いたのだけど。
───シ、で始まっていてラで終わっていたように聞こえた……そ、それだけじゃ。はっきりは聞いとらん……
「シ……ラねぇ?」
これだけだと今はさっぱりだけど、カイザル様の交友関係を調べたら、当てはまる人が出てくるかもしれない。
「あとは、どうして倒れている私にそう呼びかけた……かよね?」
考えられるのは二つ。
私とその“彼女”が似ている所がある。例えば髪の色とか眼の色。
もしくは……
「過去に似たようなことがカイザル様の目の前で起きていた、とか?」
もしかしたら、その彼女はカイザル様の前で倒れたことがあるのかも。
それがフラッシュバックしたという可能性───
「あ! そうなると……病弱な女性?」
身分差のことばかり考えていたけれど、その可能性があったことにも今更ながら気付く。
それなら身分関係なく相手との結婚が難しいのも頷ける。
でも……
(それだと、コレット……私と白い結婚を貫く理由が分からないわ)
腹が立つけれど、好きな人が病弱で子供を産めないから代わりに娶った私に跡継ぎだけは産ませよう……
子供さえ出来れば用済みだ!
と考えるなら、ちょうど良かった令嬢……私を選んで結婚したのも分かる。
でも、(小説の)カイザル様は初夜であんな宣言をしている。
あれはコレットと子供を作る気は無い宣言だ。
「そうなると……病弱の件も違う……?」
こうして、カイザル様の好きな人探しは、確実な決め手となる有力な手がかりもないまま日にちだけが過ぎて行った。
そして、嫁いで約一ヶ月……小説内ではコレットが冷遇されているのを実感していた頃。
現実の私は初夜に聞き損ねた話をされることもなく、毎日カイザル様とほぼ無言の食卓を共にしながら過ごしていた。
───しかし、ついに、ある女性が私の前に現れる時が────……
その日、なんと朝食の席でカイザル様の方から私に話しかけて来た。
こんな珍しいこともあるのね、と驚いていたら……
「───従姉妹? その方が屋敷にいらっしゃるのですか?」
「結婚祝いに来たいらしい。実はずっと訪問したいと言われていた」
「え? そうなのですか!?」
カイザル様は静かに頷く。
「だが、君の怪我のこともあって待ってくれとお願いしていた」
「あ、そうですよね……」
カイザル様の従姉妹! 身内ならカイザル様の好きな人について何か知っているかも!
ついついおかしな方向に興奮しそうだったので、一旦落ち着こうと思ってお茶を飲みながら訊ねる。
「えっと、ディバイン伯爵家の身内の方ということは……」
「ニースへフ子爵家。名前はシーデラだ」
「シ……ラ」
私は飲んでいたお茶を吹き出しそうになった。