21. 愛しい人を (カイザル視点)
「……」
「コレット? ……え? もしかして、この状況で寝ちゃったのか?」
「……」
残念ながら、初夜のやり直しはお預けとなってしまったが、半ば強引に一緒に寝ようと言ってコレットをベッドに引き込んだ。
(目を丸くしているコレットも可愛かったな)
そのままコレットのすべすべの肌とか柔らかくて甘い唇とか、たくさん堪能していたけど、やり過ぎたかもしれない。
コレットが力尽きて、すーすーと寝息を立てて眠ってしまった。
自重しないといけないと思いつつも……
「……寝顔も可愛い」
可愛いコレットに俺は見惚れる。
結婚後、コレットが目覚めなかった時は寝顔を堪能するどころではなかったからな……と思う。
「───コレット。ようやく君をここに迎えられた」
「……」
シェイラのことを好きだと気付いてから、君がこうして俺の隣に居てくれたら……といつしか願うようになっていた。
聞いた話から貴族の落胤なのは分かっていたが、平民のシェイラにそれを望むのはとても難しいことだと分かってはいたけれど。
「…………君は知らないんだろうな」
「……」
俺が求婚する前、三十歳ほど年上でかなり女好きの全くいい噂を聞かないとある侯爵が、やはり借金の肩代わりを条件にコレットへと求婚しようとしていた。
それを知った俺は慌ててもっといい条件を伯爵に提示して無理やり割り込んで君を手に入れた。
(──誰が他の男に譲るものか! 君のことを誰よりも好きなのは俺だ!)
そっとコレットの頬に触れる。
柔らかくてモチモチしたコレットの頬。
これは癖になる。
ずっと触れていたい。
「……ずっとずっと君に会いたかった。そして、こうして触れたかったんだ……」
────────
────……
───嘘だ! シェイラが死んだなんて俺は絶対に信じない!
シェイラがもうこの世に居ないと聞かされ、更には馬車で轢かれたらしい“平民の女の子”の話を聞かされても俺は彼女がもういないという事実をなかなか受け入れられずにいた。
『───いい加減に婚約者を決めろ! カイザル!』
『そうよ! いつまでそのままでいる気なの? 我が家の跡継ぎはお前しかいないのよ!』
『……』
自分の目の前に並べられたたくさんの釣書。
どれもこれも俺の婚約者候補として見繕われたお見合い相手らしい。
中には社交界で人気と謳われる美しい令嬢もいたらしいが、どの令嬢のどんな姿絵を見ても俺の心は全く動かない。
『……』
『おい、カイザル! 何か言ったらどうなんだ!』
『本当に……ますます無口になっちゃって、どうしてしまったのよ?』
『……』
怒りをあらわにする両親。
だけど、俺の心は───
(だってどの人もシェイラじゃない……)
自分だって分かっている。
もうこの世には居ないらしい初恋の彼女を想い続けるのがどれだけ惨めで阿呆なことか。
『──跡継ぎは養子でも取ればいいじゃないか!』
『なんだと!? ふざけるな! カイザル!』
『っ!』
その時は、怒鳴り声と共に父親の拳が飛んできた。
◆◆
『痛てて……』
鏡を見てみると頬は中々の腫れっぷりだった。
これまた父親は随分と力いっぱい俺を殴ったようだ。
喋ろ! と言われたから、言われた通り思ったことを口にしただけなのに。
(久しぶりに殴られたな……)
シェイラとの逢瀬を繰り返している時は毎日のように両親と揉めていた。
そして、殴られたこともある。
(あの時はシェイラ、俺を見て心配そうにしていた……転んだというのも嘘だとバレていたんだろうな)
脳裏に浮かぶ心配そうなシェイラの顔。
本当に本当に大好きだった。
『───本当は分かっている。シェイラ、君のことは思い出にして前に進むべきだと』
だけど、きちんと別れが言えなかったことや、俺のせいで彼女が最期にあんな目にあったのだと思うと……
胸が締め付けられる。
『シェイラが今の俺を見たら、プンプンした可愛い顔で怒るんだろうなぁ……でも』
怒っていてもいいから会いたい。
君に……もう一度会いたい────……
俺はずっとそんなことばかり思っていた。
◆◆
そして、両親との関係は冷え切って完全な冷戦状態に入った頃、とあるパーティーで俺は“彼女”を見かけた。
───コレット・ラフズラリ伯爵令嬢
そう呼ばれた彼女を見た時、俺の全身に電流が走った。
(───シェイラ!?)
ずっとずっと頭の中だけで想像していた大人になった姿の“シェイラ”がそこにいた。
────
(あ、また外を見ている……)
コレット・ラフズラリ伯爵令嬢。
初めて見かけたあの日が社交界デビューだったという彼女は、それから社交界にも顔を出すようになっていた。
そんな彼女は、必ずと言っていいほどパーティーでは庭ばかり見ている。
他の令嬢たちが将来有望な独身男性に色目を使いながらうっとりしている中、彼女だけは庭を見てうっとりしている。
(あの顔! もう、シェイラにしか見えないぞ!)
あの見た目に趣味嗜好、そして幼少期時代については不明なことばかり。
調べれば調べるほどコレット嬢は怪しかった。
それに、だ。
ラフズラリ伯爵はあの時の街の領主だ。
───ママには内緒よって言われたんだけど、私のパパ? は、この街で一番偉い人なんだって。
シェイラの言っていたあれは、ラフズラリ伯爵のことだと思われる。
だが、俺が滞在していた頃に娘がいた様子はなく───
つまり……コレット嬢は……
俺の中で疑惑が確信に変わった瞬間だった。
◆◆
その日も父親からのお小言が飛んで来た。
『───カイザル! いい加減に婚約者を決め──』
『ああ、父上。それなんですが、俺が結婚したらすぐに爵位を譲ってくれますか?』
『は? お前、何を言って……』
驚き顔の父上に俺はにっこり微笑む。
『───実は、今すぐにでも結婚したいと思える令嬢を見つけました』
『なに!』
『カイザル! 本当なの!?』
俺のその言葉に両親は色めき立った。
『やっとその気になったのか。で? どこの令嬢だ?』
『ようやく、ようやく結婚する気になってくれたのね!』
『……』
嬉しそうにはしゃぐ両親に俺は冷たく言い放った。
『そうですね……その気にはなりましたから、さっさと爵位を譲って退いてください』
『は? 本気、か?』
『もちろんです』
たじろぐ父親。
だが、俺は絶対に譲らない。
(シェイラ……コレット嬢を迎えるのに両親は邪魔だ)
今は俺が結婚する気になったことで喜んでいるが、俺の望む相手が“コレット・ラフズラリ伯爵令嬢”だと知ったらこいつらは絶対に彼女を傷つける存在となるだろう。
そんなことは絶対にさせない。
『お二人は残りの余生を仲良く領地でのんびり過ごされたらどうですか?』
『カ、カイザル……?』
『俺に結婚して欲しいのでしょう?』
『ぐぬぬ……』
そうして俺は邪魔な両親を領地へと追い払うことに成功。
それからも色々あったが、無事にコレット嬢の婚約者の座を手に入れて迎えた初顔合わせの日。
俺は盛大に緊張していた。
俺のことを覚えているだろうか?
あの頃、俺は自分を貴族だとは名乗らなかった。
それでも“カイザル”という本名は伝えていた。
きっと、きっと、シェイラなら俺だと分かってくれるはずだ────
だが……
『初めまして、ディバイン伯爵様。コレット・ラフズラリと申します』
『……!』
少々、ぎこちなさの残るお辞儀とともに挨拶に現れたコレット嬢。
彼女は俺の顔を見ても顔色一つ変えなかった。
俺の心が一気に不安になる。
(……シェイラ、ではない、のか? それとも、俺のことが分からない?)
ラフズラリ伯爵がこの場にいるからか? だから、初対面の振りをしている?
そんな淡い期待を抱くも、コレット嬢の態度はその後に二人っきりで話す機会を貰っても全く変わることはなかった。
(───どういうことだ?)
そして、コレット嬢と話をしていて気付く。
コレット嬢はとある年齢より前のことをまったく語らないし、話題にすらしない。
(まさか……覚えていない、のか?)
そんな疑問を抱いた俺は、初顔合わせの帰りにコレット嬢のいない所で伯爵を問いつめた。
『八歳の時に引き取った……一応、私の子です』
目を逸らしながらそう語る伯爵。
『母親は……へ、平民で……もうコレットとは暮らせない……ので』
『……!』
『コレットには平民で暮らしていた頃の記憶が……ありません』
(───シェイラ!)
ようやく見つけた大好きだった彼女は俺のことだけでなく、全てを忘れていた────
──────
───……
「驚いたよ……でも記憶がなくても俺はやっぱり君が欲しかったんだ、コレット」
「……」
忘れてしまったなら、また一から始めればいいじゃないか。
だって、やっぱり君は君だったから。
「なのに、コレット。君は……」
なぜか自分のことを“ちょうど良いなんて理由で選ばれたお飾りの妻”などと言い出した。
「全く君は……どうしてそんな勘違いをしたんだい?」
俺はスヤスヤと気持ちよさそうに眠るコレットの髪を手ですくって、そこにキスを落としながら訊ねた。
(───そうだな。目覚めたら教えてもらおうかな?)




