19. 夫はストーカー?
「この世に……いない……」
「すまない」
何故かカイザルが謝ってくる。
そう言い放ったのは彼ではないのに。
「謝らないで? それよりそれを聞いたカイザルは……」
「……あんなに、絶望したことはなかったよ。目の前が真っ暗になった」
カイザルは悲しそうな表情を浮かべるとそう言った。
「……」
ディバイン前伯爵夫妻のこの言い方には明らかに悪意がある。
だけど、その言葉は間違ってはいない。
だからこそ何だか悔しい。
確かにあの日、平民の“シェイラ”はこの世から居なくなったと言える。
でも、そんな事情は当時のカイザルに分かるはずがない。
(……カイザルがシェイラのことを諦めるように仕向けたかったんでしょうね。でも───)
前伯爵夫妻はカイザルのことを何も分かっていないと思った。
そういうことをすれば余計に相手のことを忘れられなくなるというのに。
「最初は信じられなくて、でも調べたら、確かにその日……俺とシェイラがいつも待ち合わせをしていた場所の付近で女の子が母親に突き飛ばされて馬車に……という話を聞いたんだ」
「それ……!」
あの時の私は大きなショックを受けて記憶を失ったものの、結果として轢かれず無傷だった。
だけど、噂というものは勝手に尾ひれがついて広がっていくもの───
おそらく、カイザルが聞いた話の私は無傷ではなかった。
なんなら轢かれたとでも聞いたのかもしれない。
そんな話を耳にしてしまっては、カイザルが“シェイラは死んだ”と思いこんでしまうのも当然だった。
「そこからは何もかもやる気が起きなくて、空っぽの抜け殻みたいになって過ごす自分がいた」
「……カイザル」
「シェイラは俺のせいで……俺がもっとしっかりしていたら……そんなこと、ばかり……考え……て……」
カイザルがそこで苦しそうに言葉を詰まらせる。
私はそっと彼の背中を擦った。
「それから、何年経っても、もう二度と会えないんだと頭では理解していてもシェイラは俺の初恋で……いつだって心の奥底にいて忘れられなくて───でも、そんなある日、俺は見つけたんだ」
「見つけた?」
私は首を捻る。
「ああ───コレット・ラフズラリ伯爵令嬢……君だよ」
「私……を?」
「その日は、コレットの社交界デビューだった」
カイザルがじっと私の顔を見つめてくるので、私も見つめ返した。
「ラフズラリ伯爵と聞いて俺は動揺した」
「……」
「そして、コレット……君の姿を見て俺は更に動揺した」
「動揺……」
苦笑したカイザルの手がそっと私の頬に触れる。
私の胸がドキッと跳ねる。
「もし、シェイラが生きていて成長したら……と、ずっと俺が心の中で思い描いていた姿そのものにしか見えない令嬢が目の前に現れたのだから」
「あ……私、変わっていなかった?」
「うん。髪の色も瞳の色も……顔立ちも全部……一目見てシェイラだ! と思った」
平民だった頃の私のことを知っている貴族なんて殆どいない───
お父様も私を引き取った時、カイザルのことは話に聞いていたとは思う。
でも、成長して何年も経っているからコレットと同一人物だと気付くはずがない……
むしろ、ほんの数日ちょっと遊んだだけの平民の女のことなんてすっかり記憶の彼方に追いやって忘れているに違いない。
そう考えたのだと思う。
だから、私は外見を変えるようなこともなくそのまま成長した。
「どうしても他人の空似……とは思えなかった。俺にはもうあの瞬間から、コレット嬢がシェイラにしか見えなくなったんだ」
「……っ」
カイザルのその言葉は、どんな愛の言葉よりも深く私の胸に刺さる。
だって、それってそれだけ私への想いを強く持ってくれていたということでしょう?
そう思うと、また目から涙が溢れそうになる。
「コレット……」
「ご、ごめんなさい、あなたのその言葉が嬉しくて自然と、な、涙が……」
私がそう言うとカイザルが優しく微笑んで、また私の涙をそっと拭う。
そして、今度は目尻にそっと口付けた。
(ひゃっ!?)
「な! 何をするの……!」
「ん……こうしたら涙も引っ込むかと思って」
「もう! 確かに引っ込んだけど!!」
「ははは!」
私が怒るとカイザルが声を立てて笑った。
その笑顔が私の脳裏に昔の彼を思い出させる。
(カイザル……変わってない……)
──その笑顔も……好き。
そうして、お互いしばらくじゃれ合った後もカイザルは話を続けた。
「そして俺は、ふと気付いたんだ」
「えっと。気付いたって?」
私が聞き返すとカイザルはうん、と頷く。
「───あの時期、我が家が訪ねていたのはラフズラリ伯爵領だ」
「そうね……」
「そうして思い出したのは、到着した時に一度だけ俺も両親について領主宅に挨拶へ行ったことがあった。けれど、その場には令嬢……コレット嬢はいなかった」
「!」
カイザルたちが到着した時なら、当然ながら私がまだ伯爵家に引き取られる前だ───……
「そして俺と歳の近い娘がいる……そんな会話すらなかったな、と」
「……」
「コレット……」
「……ん」
カイザルがギュッと私を抱きしめる腕に力を入れる。
「だから、俺は君を……コレット・ラフズラリ伯爵令嬢を調べることにした」
「それで、私が“シェイラ”だと確信出来たの?」
「……いいや。だけど、コレット・ラフズラリには不審な点がいくつかあった」
「……不審」
不審って……言い方!
それではまるで、私が推理小説の犯人みたいじゃないの。
私はちょっとムッとする。
「誰に聞いてもコレットの子どもの頃のことは知らないと言うんだ」
「あー……そうでしょうね」
むしろ、私自身も子どもの頃の記憶なんてそんなものか、と思って分かっていなかったくらいだもの……
私は遠い目をする。
「コレットは、ダンスやマナーがとにかく苦手のようで、特にダンスは幼少期から教育を受けてきたようにはちょっと見えないとも言われていた」
「うーん……やっぱり皆、結構鋭いのね」
それだけ私のダンスの腕が壊滅的だったとも言える。
なかなか失礼な物言いなのが気になるけれど。
私がそんなことを考えて、ちょっとむくれていたら、カイザルがクスッと笑う。
「でも、コレットをシェイラだと確信したのはもう少しあとだ」
「そうなの?」
「うん。いつだったかな? どこかのパーティーでこっそり見かけた時にコレットは、うっとりした顔で庭園ばかり見ていたんだ」
「……えっ!」
「そのコレットのうっとり顔は、完全にシェイラのそれと重なったんだ」
ええっ!? そんなの知らない!
それに私が参加したことのあるパーティーにカイザルもいたことがあったなんて初めて知った!
いつ見られていたのかしら……ちょっと恥ずかしい。
「色気より食い気よりも庭! ってそんな妙ちくりんな思考の女の子は俺の知っている限りはシェイラだけだったから」
「……うっっ」
妙ちくりんってなによ! と怒りたいのに事実すぎて怒れない。
悔しがっていたら、カイザルは笑顔のまま話を続ける。
「これまでもコレットを調べる度に必ず俺の中のシェイラがちょこちょこ顔を出していたけれど、こんなにもシェイラ! と叫びたくなったのは初めてだったな」
「……っっ」
もう、聞いているだけで恥ずかしくなってくる。
無性に照れくさくなってしまい目を逸らしたらまた、笑われた。
(もうーーーー!)
それにしても、カイザルの情報収集能力がすごい。
私の知らない所でこんなに動いていたなんて!
でも、これって、一歩間違えるとストー……
私が少しだけ疑惑の目でじとっとカイザルを見たら、何かを感じとったらしいカイザルが少し脅えた様子を見せた。
「……」
「──コ、コレット! 俺は……」
カイザルが何かを言いかけたその時、部屋の扉がコンコンとノックされた。




