18. 夫の告白
優しく私を抱きしめてくれるカイザルの温もりを感じていたら自然と涙が出て来た。
「あの日も俺はいつものようにシェイラの元に向かおうとして──…………コレット?」
「え、あ……」
私が泣いていることに気付いたカイザルが話すのをやめて小さな声で私の名前を呼んで顔をじっと見つめて来た。
「コレット……」
私は慌てて自分の涙を拭おうとする。
でも、涙はそんな簡単には止まってくれない。
「ち、違うの……これはね、カイザルの温もりが心地いいなって思ったら勝手に……うん、だ、大丈夫だ、から、ね?」
「……」
だけど、自分でも何を言っているのかしらって思うような支離滅裂な言葉しか出て来なかった。
「……」
「……?」
「……」
「あ……あの、カイザル?」
何故かそこでそのままカイザルが黙りになってしまう。
無口なのはいつものことだし、すっかり慣れたものだけどさすがに今はどうしたの? という気持ちになった。
「あ、いや。そうだった……まずはこれを先に言わないといけなかった」
「これ? 先に? ……何の話?」
私が聞き返すとカイザルは小さく笑って少しだけ身体を離す。
そして手で私の目尻に溜まった涙をそっと拭った。
(……ひぇっ!?)
カイザルのそんな突然の行動に驚いていると、今度はしっかり私と目を合わせてくる。
そして、カイザルは静かに口を開いた。
「───好きだ」
「!!」
その言葉にバックンと私の心臓が大きく跳ねた。
目を大きく見開いたまま、私は固まる。
「丁度良かったからじゃない。お飾りの妻が欲しかったからじゃない」
「……あ」
「コレットに求婚したのは、俺が君をずっと好きだったからだ」
「ずっと……」
カイザルが再び腕を伸ばしてギュッと私を抱きしめる。
その温もりにまたしても私の胸が高鳴った。
「“シェイラ”と一緒に過ごしていた時から、君が好きだったよ」
「!」
「ちょっとズレてて、酷い境遇なのに前向きでパワーに溢れていて……会う度に惹かれていた。気付いたら……そ、その、大好き、だっ……た」
カイザルの語尾が段々おかしくなっていったので、私は抱き込まれている胸の中からそっと彼の顔を覗き見た。
「……! カイザル、か、顔が真っ赤!」
「い…………言うなよ」
まるで茹でダコのように真っ赤な顔になったカイザルを見てしまった私は思わず叫んでしまう。
そして、それを指摘されて照れるカイザルの姿がこれまた……
(か、可愛い……)
そう思ってしまったら胸がキュンキュンした。
「……だ、大好きな人をこ、こうして抱きしめていて、あ、あ、愛を告げているのに、て、照れないのは変だろう!」
「は、はい! ……そう、ね……」
「……全く、相変わらず、君はちょっと変わっている」
カイザルは仕方がないな、という表情で私を見つめる。
そして微笑んだ。
「でも、俺は君のそんなところも大好きなんだ」
「っ!」
その言葉に今度は私の方が照れてしまう。
これではもう、カイザルのことは言えない。
きっと私も彼に負けないくらい茹でダコだ。
(───ほ、本当に彼が好きなのは……私、だった)
これが小説のストーリー通りなのか、はたまた盛大に狂ってしまった結果なのかはさっぱり分からない。
それでも、現実は……
そうだ。ここは現実。
目の前で起きていることが真実。
「だから、俺は君と絶対に離縁はしない…………させない」
「カイ、ザル……?」
カイザルの手がそっと私の顎にかかると、そのまま顔を持ち上げられた。
そして、私を見つめるカイザルの目は甘くて優しくて……でも、その瞳の奥には確かな熱を孕んでいて───
胸がトクンッと跳ねた。
「コレット。もう───君は俺の妻なんだ」
(あ……)
そう言ってカイザルの顔が近づいて来て、その唇がそっと私の唇に重なった。
───結婚式で誓いのキスはなかった。
今、思えば式と呼ぶのもおかしなくらい簡素なもので……ただ、婚姻誓約書にサインをするだけの儀式のようだった。
そして、当然その後も私たちはこんな風に触れ合うことは無かったわけで──
(……甘い)
キスがこんなに甘いものだなんて知らなかった。
「……ん」
思わず声が出てしまう。
カイザルは一旦、唇を離すとじっと私の顔を見つめる。
私も私で離れてしまった温もりが寂しくてじっと見つめ返した。
「カイザル?」
「……」
「あの……?」
「…………くっ! コレット! どうしてそんな顔をするんだ!」
(そんな顔──……?)
そして、よく分からないことで文句を言ってきたと思ったら、カイザルは再び……今度はやや少し強引に迫ってきた。
────
「当然と言えば当然なのだが、シェイラと会っていることを俺の両親はよく思っていなかった」
「……うん」
それから。
たくさんたくさん苦しくなるぐらいのキスをした後、カイザルは私を抱きしめながらポツポツと昔の話を始めた。
「友人だと口で言っていても、シェイラのことが好きだって気持ちが隠せていなかったんだと思う。だから日に日に俺と両親の仲は険悪になっていったんだ」
「……平民の私では“友人”としてですら認められなかったでしょうね」
私がそう口にすると、カイザルはすまない……という表情になった。
そんな顔をして欲しくなかった私はそっと手を伸ばしてカイザルの頬に触れる。
「ねえ? あの時、あなたが顔を腫らしていたのも転んだわけではなく、殴られてしまったのでしょう?」
指摘を受けたカイザルが目を伏せた。
「……あの時のシェイラ、やっぱり分かっていたんだ?」
「ええ。だってまるで“私”みたいだと思ったから……」
「!」
カイザルの表情がハッとなり、そしてすぐに悲しそうな表情になった。
そんな彼を見て私は苦笑する。
「そんな顔をしないで? 私は大丈夫だから」
「しかし……」
「別に毎日叩かれていたわけではないもの。あの人の機嫌が悪い時だけだから」
だから、私は“いい子”でいなくちゃと常に思っていた。
カイザルはぐっと何かを堪えるような表情になった後、静かに息を吐く。
「……話を戻そう。なかなか折れない俺に両親は強硬手段に出たんだ」
「強硬手段?」
その穏やかでない言葉に眉根を寄せる。
「そうだ。平たく言うと“軟禁”だな。両親は用事を終えて王都に帰るまで俺を部屋から一切外に出さないようにすると決めた」
「……」
「そして───皮肉にもそれを決行したのが、約束をしていた“シェイラの誕生日”だったんだ」
「───!!」
私は唇を噛む。
よりにもよってなんで“その日”だったのだろう?
そう思わずにはいられない。
「──約束を守れず……すまなかった」
「カイザル……!」
頭を下げようとするカイザルを私は止める。
だって、カイザルのせいなんかじゃない!
あの頃の私たちは無力なだけの子どもだった。
ただ、それだけ。
「だが! ……俺が約束の場所に行けなかったから……シェイラはあの日……あの日……」
「カイザルは私に何があったか知っているの?」
カイザルは小さく頷く。
その身体が震えている。
「思っていたより早く軟禁が解けたから、変だなって思ったんだ」
「あ……」
「それでシェイラに謝りたくて必死に探したけど、君はどこにもいなくて……」
「……」
(カイザルは、私を……シェイラを探してくれていたんだ?)
「そうしたら、両親が俺に言ったんだ」
「……なんて?」
だいたい想像はつくけれど。
すると、カイザルは悲しそうな表情になり遠い目をして言った。
「───シェイラなんて名の平民はもうこの世に居ない、と」




