失った記憶②
『シェイラ!』
それから、私とカイザルは毎日約束をして会うようになった。
さすがにママのお店の前で二人でいると目立つとカイザルが言うので、待ち合わせたあとは違う場所でおしゃべりをしている。
そして今日もいつものように待ち合わせた。
『……』
『シェイラ、どうした? 何かあったか?』
『……』
カイザルは、初めて会った日、また次も会えると言ってくれた。
だけど、まさかそれが毎日だとは思わなかったからさすがにそろそろ心配になって来た。
『あのね? 私、嬉しくてずっとはしゃいでいたけど、カイザルは怒られない?』
『怒られる?』
『だって、カイザルはなにか用があってこの街に来たんでしょ? こんなに毎日、私と遊んでいて大丈夫?』
『……』
(だって、カイザルは絶対貴族の子どもだもん)
カイザルは濁しているけど、私には分かる。
だからこそ、ほんの数時間とはいえ、子どもが毎日遊び歩いていて、その遊び相手が平民だと知ったらお父さんとかお母さんとかが怒ると思うの。
『大丈夫だ』
『本当に?』
『ああ。シェイラは気にしなくていい』
それが本当かうそかは私には分からなかった。
けれど、初めてのお友達と遊べる時間を失いたくなかったのでカイザルのそのことばに甘えることにした。
『あ! そういえば私、もうすぐ誕生日なの』
『誕生日? シェイラは何歳になるんだ?』
『八歳よ! あ、そうだ。カイザルは何歳なの?』
多分、私よりは少し上だと思ったけど。
どうなのかな?
『俺? 俺は今、十歳だ』
『!』
やっぱり少しだけ年上だった。
『シェイラは誕生日、母親と過ごすのか?』
『え? ううん、ママはたぶんお仕事。ママは私の誕生日にきょうみが無いから』
『は? 興味がない?』
私がそう答えるとカイザルは、ちょっと悲しそうな顔をした。
ママの話をする時のカイザルはいつもこうなる。
『なんだよそれ……』
『ママは誕生日もなかなか教えてくれなかったんだけど、いつだったかな? しつこく聞き続けたらようやく教えてくれたのよ!』
私が笑顔でそう言うとカイザルは、ますます悲しそうな顔になった。
『……シェイラ』
『?』
私の名前を呼んだカイザルがそっと私の手を取ってギュッと握った。
その手はとてもあたたかい。
カイザルはじっと私の顔を見つめて言った。
『シェイラの八歳の誕生日は俺がお祝いする! ……いや、させてくれ!』
『カイザル?』
『誕生日はおめでとうってお祝いされるべき日なんだ』
『お祝い……』
知ってるけど使ったことの無い言葉だなぁと思った。
それより……
『カイザル“おめでとう”って言ってくれるの?』
『ああ』
カイザルは当然だと言わんばかりに頷く。
私はそれが嬉しかった。
『そっか、じゃあ、約束ね!』
『ああ、約束だ』
カイザルと誕生日の約束をしたその日の私は、ウキウキした気持ちでママの仕事が終わるのを待った。
『───帰るわよ』
『ママ!』
お店から出てきたママの元に私は走り寄る。
そして、ママはチラッと私に視線を向けると、途端に綺麗な顔を歪ませた。
『ママ、ママって、いい加減にその呼び方やめてくれない? 何度言わせれば分かるの?』
『あ、ご、ごめんなさい……』
『……はぁ』
私が謝るとマ……お母さんは無言でため息を吐いてスタスタとまた歩き出した。
その後ろを私はまた慌てて追いかける。
お母さんは後ろを振り返ってくれることはめったにないから油断すると置いていかれちゃう!
だから、私はいつも必死。
『あぁ、もう! ほんっと邪魔なだけだわ……この子』
『!』
(ごめんなさい……これからもいい子でいるから、お願い……捨てないで?)
私は口には出さずにそう心の中で願いながらお母さんの後ろを歩き続けた。
『カ、カイザル! そのお顔はどうしたの!?』
『……』
その次の日、カイザルが頬を腫らしてやって来た。
『痛そう……』
『ちょっとな。転んだんだ』
その言葉に私は眉をひそめた。
『え? 私もよく転ぶけど、さすがにそんな風にはならない気が……するわ』
むしろ、頬がこういう腫れ方をするときというのは殴ら────……
『え? シェイラは、そんなによく転ぶのか?』
『うん』
私がそう答えるとカイザルは苦笑しながら言った。
『……なんでそんなにお前はいつもそそっかしいんだ!』
『うーん……なんでだろう?』
私は首を傾げる。
カイザルはクスッと笑った。
『……全く、シェイラはこれだから目が離せない』
『カイザル……』
カイザルが優しく私の頭を撫でてから、ポンポンと優しく叩く。
ちょっとムッとした。
(自分だって子どものくせに私を子ども扱いするなんて!)
そんなことを考えていたら、頬の腫れについて感じた疑問はどこかに行ってしまった。
『なぁ、シェイラ』
私の名前を呼ぶカイザル。
その目は真剣。
『どうしたの?』
『───いつか。いつか俺がもっと強くなって、父さんや母さんよりも強くなれたら……』
『うん……? 強く?』
お父さんとお母さんより?
どうしたんだろう?
だけど、カイザルの目がいつもより真剣で、これはそらしちゃいけない!
そんな気持ちにさせられる。
『その時が来たら、俺はお前を必ず───』
びゅぅぅ
『──?』
その瞬間、すごい強い風が吹いてカイザルの言葉は最後まで聞こえなかった。
ただ、よく分からないけれど、カイザルが何か強い決意をしたということだけはなんとなく分かった。
『よし! ───シェイラ! 誕生日楽しみにしていろ!』
『え?』
『プレゼントも用意したんだ』
『プレゼント!?』
そんなのこれまで誰からも貰ったことがない!
私の目がキラキラと輝く。
『わぁい! ありがとう、カイザル! 私、こんなに誕生日が来るのが楽しみなのは初めてよ!』
『ああ』
私たちはにっこり笑い合う。
生まれて初めての“おめでとう”を言われる日が、とにかく楽しみで楽しみで仕方がなかった。
だけど……
────そんな身分も育った環境も違う偶然出会っただけの子どもだったカイザルと私……シェイラが過ごせる時間は、そう長くは続かなかった。
シェイラの誕生日の前日。きちんとしたお別れも言えないまま、二人は離された。
よって、この時の“誕生日の約束”が果たされることは…………なかった。
更に、“シェイラ”の身には別の悲劇が───……
───────
───
「─────っ……」
私はそっと目を開ける。
見慣れた天井……ここはコレット…………私の部屋だ。
「……」
(……今のは……夢?)
なんだかとてつもなく長い長い夢を見ていた気がする。
だけど、これはただの夢なんかではなくて───過去の、ずっと思い出せなかった私の記憶。
(そっか……そうだったんだ)
欠けていた記憶のピースがどんどん頭の中に流れ込んでくる。
だけど、それは正直に言って楽しいと呼べるものはほとんどない記憶。
(“シェイラ”でいた時だけだったわ。あんなに無邪気に笑えていたのは。それも全部……)
そんな何十年も封印して来た過去の記憶を思い出しながらハッとする。
そうよ、さっき私は階段から落ちたはず。
それで、上にいたカイザル……様が「シェイラ!」と呼んで私に手を伸ばしてくれて───
───それで、どうなったの?
困ったことにそこの記憶がない。
(それに……どうして私、あまり身体が痛くないの?)
結婚式の日の夜に階段から落下したあとに目覚めた時は、あんなに身体中が痛かったのに。
どうして、今回の私はピンピンしているの?
───嫌な予感がする。
あんな体勢で私を助けようと無理に手を伸ばしたカイザル様…………彼は無事だった?
そう思った時、扉がノックされメイドが部屋に入ってくる。
そして、目が覚めている私を見つけると慌てて駆け寄って来た。
「奥様! 意識が戻られたのですか!?」
「え、ええ……」
「覚えていらっしゃいますか? 奥様は再び階段から───」
「それは覚えている……わ。だけど」
(カイザルは?)
私は、ふぅ、と深呼吸をしてからメイドに訊ねる。
「───カイザル様……えっと、旦那様は今、どうしているの?」
「………っ!」
私の質問にメイドは明らかに動揺する姿を見せた。




