12. すれ違う心
「……」
「……」
(えっと……)
カイザル様の寝室で、看病をしていたはずの私。
だけど、うっかり余計な口を滑らせてしまったことで一気に部屋の中は気まずい空気へと変わってしまった。
「コ、コレットが……お飾り、の妻……ちょうど良かった……?」
「……」
この世の終わりみたいな顔をしたカイザル様が、呆然とした表情のまま呟く。
熱のせいであんなに真っ赤だった顔が今は青ざめている。
(やってしまった……)
いつかハッキリさせなくてはいけない話だったとしても、それは今じゃなかった。
少なくとも“シェイラ”に関する情報は集めておきたかったし、何よりも今、カイザル様は具合が悪いのに。
「ぐっ……ケホケホッ……コレット。もしか、して君は、お、俺と結婚してから、ずっとそう思って……来たのか?」
「……っ」
私は答えに詰まる。
でも、それが答えだと受け止めたカイザル様が悲しそうな表情になった。
「そ、れは俺が……口下手、だからか?」
「え? く、口下手? 確かに口下手ですが……そ、それが理由では……ありません」
私は首を横に振って否定する。
「……」
否定はしたけれど、カイザル様の表情に生気は戻る様子はない。
「……コレット」
「は、はい」
「もしかして俺は熱にうなされている時に、ケホッ……き、君に何か言った……のか?」
「───!」
私は答えられずに目を逸らす。
カイザル様はそんな私の様子だけで察したのか「……言ったんだな」と口にすると下を向いた。
「……すまない」
「え?」
「ちゃんと説明をしたい、のだが……ちょっと今はまだ話す、のは……難しい」
「難しい、のですか?」
「……」
カイザル様は静かに頷く。
そして小さな声でポツリと言った。
「まだ、コレットが…………から」
(──私?)
「カイザル様? 今なんて?」
「いや……」
聞きたいことはたくさんある。
でも、何故かは分からないけれど、確かに今は聞いてはいけない……そんな気がした。
「カイザル様……」
「コレットありがとう。ケホッ、そしてすまない……もう食事は一人で食べられる。薬もちゃんと飲む。だから……」
「あ……」
カイザル様が何を言いたいかは分かった。
今は一人にしてくれ。
そう言っている。
「───分かりました」
私は椅子から立ち上がり部屋から出て行こうと扉に向かう。
「……コレット」
だけど、扉を開けて部屋を出る寸前に声をかけられたので振り返った。
カイザル様は真剣な目で私を見ていた。
「は、い?」
「きっと君は信じられない、と言う、だろうが……俺は君を“お飾りの妻”だと思ったことは一度も無い」
「え?」
カイザル様の発したその言葉があまりにも意外だったので私は一瞬その場で動けなくなる。
「すまない……今、言えるのはそれだけだ……」
「……」
それなら“シェイラ”は?
彼女はあなたのなんなの?
そう言いたかったけれど、文句を言うならしっかりカイザル様が元気になってからにすべきだと思い直す。
こんな体調の時に感情論で言い合いしてもいいことなんかないから。
だから、私は「そうですか……」とだけ答えて今度こそカイザル様の部屋を出た。
カイザル様の前では何とか平静を装ったけれど、部屋に戻り一人になった私は大人しくしてなどいられない。
───お飾りの妻じゃないですって?
確かに、現実では一度もそんなこと言われていないからその通りなのだけれども!
それでも、カイザル様には夢現の中で私に向かって“シェイラ”と間違って呼びかけるほどの特別な女性がいることは事実。
(───もう! 彼女はどこの誰なの!?)
シとラしか手がかりが無かった時とは違って今度は名前が分かった。
調べて辿っていけばどこの令嬢なのかくらいはハッキリするはず────
元気になった後、カイザル様を問い詰めるためにシェイラが何者かハッキリさせてやるわ!
(カイザル様と色々話すのはシェイラを調べてからね)
そういうわけで、私は“シェイラ”について調べることにした。
────しかし。
屋敷の者たちはカイザル様の味方なのだろう。
“シェイラ”について訊ねると知っていそうな様子を見せるけれど、皆、これ以上は勘弁してくれと言ってそそくさと逃げてしまう。
仕方がないので独自で調べることにした。
けれど……
「全然、当てはまる人がいないってどういうこと……?」
あれから、どんなに調べてみても“シェイラ”という名前を持ち、カイザル様と付き合いがありそうな世代の近い令嬢が現れない。
もちろん、シェイラという名の女性がいないわけではない。
だけど、赤ちゃん、幼女……マダム……
(なぜ……?)
「いったい“シェイラ”はどこにいるの……?」
ここまで貴族令嬢を調べているのに、それらしき人物が浮かび上がってこないのだとすると、他に考えられるのは……
「まさか、平民?」
身分差があることは予想していたけれど、まさか相手が平民だとは思わなかった。
そうなるとはっきり言ってもうお手上げ状態。
だけど、もし“シェイラ”が平民なら結婚出来ない事情というのも分かる。
そして、これまたカイザル様の社交界で恋の噂を聞かなかった理由も納得出来る。
だって相手が社交界にいないんだもの。
噂になんてなりようがない。
シーデラ嬢が裏で邪魔していた可能性はあるけれど、私は平民の可能性を推す。
「そうなると……」
シェイラが平民の女性と仮定するとして、残りの問題は彼女が今も生きているのかどうか。
それはかなり気になる所だった。
(カイザル様が約束を破ったらしい誕生日とは何歳頃の誕生日の話だったのかしら……)
「駄目ね。これ以上はお手上げ……────カイザル様から話を聞くしかないみたい。でも……」
すっかり元気になったカイザル様は、あれから私と話すことを避けている節がある。
朝食や夕食の席には現れてくれるけれど、ずっと私の顔色を気にしている。
その様子を思い出すだけで怒りがふつふつと湧き上がってくる。
「そんなに気まずいなら、小説のカイザル様みたいに“仕事が忙しい”と嘘でもついて私を放置すればいいのに! なんでしないのよ! 律儀にしっかり現れるだけ現れて! あなたがそんなだから…………」
(───嫌いになれない)
小説の中のカイザル様なら嫌いになれる自信があるのに。
「中途半端に優しくして妻扱いなんかしないでよ……!」
私は部屋で一人虚しくカイザル様の文句を言い続けた。
そして……
「ああ……もう駄目。我慢出来ない。文句を言いに行ってやる!」
私はそう決めてカイザル様の部屋に向かうことにした。
「コレットは?」
「お部屋にいらっしゃるかと思いますが?」
(ん? 私の名前……?)
カイザル様の部屋に向かおうと階段を上っていたら、ちょうど上の方からカイザル様の声が聞こえて来た。
どうやら使用人と話しているらしい。
「ご主人様、どうされるのですか?」
「どうするも何も、コレットは…………まだ……」
「───ですが、奥様は我々使用人にも“シェイラ様について”訊ねて回っていました。我々も、もうこれ以上は隠してはおけません!」
「だが……!」
(こ、これは! もしかして、シェイラの話をしている?)
話の内容が気になってそちらに気持ちがいってしまっていた私はすっかり忘れてしまっていた。
───今、自分のいるここが階段の途中であることを。
「ん? コレット? 階段の途中で何をしている?」
「……あ! えっと……」
そして、私はあっさりカイザル様に見つかってしまった。
だけど、気まずくてなんと答えようかと目を逸らした瞬間、私は足を踏み外してしまう。
「っっ!」
フワッと自分の身体が浮いたその瞬間、私は結婚式の日の夜のことを思い出した。
(や、これ……あの時と同じ────また私、落ちる────……)
「────シェイラ!!!!」
(…………え? なん、で……?)
再び階段から落ちて行くその瞬間。
驚きと泣きそうな顔で必死に私に手を伸ばしたカイザル様は、確かに私に向かってそう呼んだ。




