王都での夜
「リュミエール!到着が遅れていたから僕はとても心配したよ。でも無事でよかった。」
嫌々振り返るとそこには、思ったとおり、同行を断ったはずのラウルが感極まったというような表情で立っていた。リュミエールは彼を見て冷ややかに言った。
「ラウル様、ご心配いただきありがとうございます。今回の遅れは途中の酷い雨によるもの。足止めされた間は宿で過ごしておりましたので、何の問題もございませんでしたわ。」
「そうかい。同行できてたのなら、こういった心配もなかったんだろうね。でも同行していなかったからこそ、こうして無事なキミの姿を見て感動できたとも言えるな。本当に嬉しいよ。エルラド様にはキミが無事に着いたことをお知らせするつもりだけど、この僕の感動も一緒にお伝えしないとね。」
「お父様には私のほうから、無事に到着した旨のお手紙を出しますわ。ですので、ラウル様にお伝えいただかなくとも大丈夫です。」
「僕がお伝えしたいんだよ。キミからの連絡と重なっても問題ないだろう?」
「もちろん問題ありません。お好きなように。私たちは荷物を下ろして滞在の準備をしなければなりませんので、これで失礼させていただきます。」
「つれないなぁ。夕食を一緒にどう?」
「申し訳ありません。今日は私に同行してくれた二人を労うために、三人でお酒と食事を楽しむことにしておりますの。」
「そうか…じゃぁ、しかたがないね。また声をかけるよ。」
「到着が一日遅れましたから、余裕がなくなりました。今回はやることも色々ありますので、お声をかけていただいても時間が取れないかと思います。それでは失礼します。」
リュミエールは丁寧に深々と頭を下げると、ラウルの返事を待たず、クルリと背を向けて宿へと入っていった。
置き去りにされた格好のラウルに、二人の人影が近づいてきた。彼の手下のジョヴァンニとオリンピオだ。
「イケメンが見事に振られた感じだな。相手にされてないじゃないか。」
「うるさい!彼女の父親には気に入られているから良いんだよ。」
「まぁまぁ。飲みに行こうぜ。慰めてやるから。」
そんな話をしながら、男たち三人は夜の街に消えていった。
さて、商工会の定例懇親会を明後日に控え、ルナは、サラ、クレオパトラ、シャスタと一緒に王都へと出てきていた。せっかく王都に呼ばれたのだから、みんなで一週間ほど滞在して見聞を広げることにしたのだった。滞在の初日は、なかなか来ることのできない高級レストランで夕食を取った。そのあと私は、今後の情報収集の助けになるように、裏社会の人間たちが集まる酒場を探すべく、夜の街を一人で徘徊することにした。この計画を皆に話すと、お転婆なクレオパトラは一緒に来たがったが、全員から強く反対されて諦めたのだった。
私は皆と別れて、表通りから外れた路地に看板を出している酒場を求めて、街を歩き回った。30分も歩き回った頃、一人の若い男が道に蹲っている所に遭遇した。苦しそうな様子だったので、大丈夫?と声をかけると、近くに仲間が屯している店があるから、そこに行くのに手を貸してもらいたいと、苦しそうに言ってきた。私は気の毒に思ったので、その男の脇に立ち、私の肩に手を回すように言って、男が歩くのを支えて歩き始めた。するとその時、背後から何者かが走り寄ってきて、私が腰に付けていた小物入れの袋をひったくって逃げようとした。中にはお金などが入っている。私はとっさに、袋に伸びた手を掴むと思い切り力を込めた。
「いてててて!」
15歳前後の若い男だ。叫び声が上がって袋を掴んでいた手が離れた瞬間、私が支えていた男も暴れ出し、逃げようともがいた。なるほど、こいつらはグルだったというわけだ。人の善意につけ込んでひったくりを働こうとは、とんでもない奴ら。少しお灸をすえてやろうと考えた私は、先ずは私の支えを振りほどこうとしている男を地面に叩きつけ、次いで手を掴んでいた男も引きずり倒して、倒れて入る二人を更に蹴り飛ばした。私としてはかなり加減したつもりだったが、それでも明日いっぱいはまともに立てないはずだ。
「あんたたち。仕事が無くてしょうがないのかもしれないけど、こんなこと続けてたらいつか命を落とすわよ。なんとかまともな仕事を探しなさい。」
「う、うるさい!」
「あら。態度が悪いわね。まだお仕置きが足りないの?」
倒れている二人に近づいて、ゴツゴツと二人の頭を小突いていると、数名の人間が近づいてくる気配に気がつき、頭を巡らせた。路地の奥から5名ほどの人間が近づいてきている。その右端の男が私に凄んだ。
「おまえ、俺たちの仲間に何をしやがる!」
「あんたたちもこの二人の同類ってわけ?組織的に通行人を襲うのを生業としているんだったら、全員叩きのめして、二度とまともに動けないようにしてあげるけど?」
「何をっ!」
すると、中央の男が苦々しい表情で仲裁に入って来た。
「姉さん、すまない。その二人は俺たちが最近面倒を見始めた若者なんだ。まだ分別もわかっていない愚か者だが、根性だけはありそうだから、何とか真っ当な人間にしてやりたいと思ってる。ここは俺たちに免じて、どうかそのへんで許してやってはもらえないだろうか。後で、リーダーの俺からもよく言って聞かせるから。それ以上やられると、まともな仕事にも就けなくなってしまいそうだ。」
「まともな仕事に就けなくなったら元も子もないか。まぁ、そのとおりね。ではこいつらへの制裁はここまでにしておきましょう。その代わり私の頼みを聞いてくれるかしら?」
「いいよ。こいつらのことを許してくれるなら。」
「許すわけじゃないけど、この場は貴方たちに預けるわ。でも、もし二度目があるようなら次は容赦しない。」
「わかったよ。肝に命じておく。ずっと見ていたが、姉さんの強さはとんでもなさそうだからな。ここにいる全員でかかっても勝てない気がする。それで、頼みっていうのは何だい。」
「私は人の困りごとを解決する仕事がしたいの。簡単には解決しないよう歯ごたえのある仕事がね。そのためには情報収集の手段を持つ必要がある。裏社会の情報も含めてね。だから、そういった裏社会の情報を収集できそうな場所を教えて欲しいのよ。例えば、良からぬことを考える者たちが屯する酒場とか。自分で探そうと思ってたのだけど、人に教えてもらえば手間がはぶけるでしょう?」
「なるほど。姉さんの要望に合うかどうかはわからないが、そういう感じの酒場を知っている。そこに案内しよう。」
「ありがとう。助かるわ。今からお願いして良いかしら?」
「いいとも。おい、この二人を医者に連れていって手当を受けさせるようにしてくれ。俺はこの姉さんをシークレットに連れて行くから。」
リーダーがこう言うと、リーダー以外の四人は、一人の怪我人を二人ずつで支えて歩かせ、路地の奥の方に消えていった。
「今回のことは悪かった。若いやつらをまとめている者として、改めて謝罪させてもらうよ。俺はロレンツォと言うんだ。」
「私はルナ。」
「じゃぁ案内するから俺についてきてくれ。歩いて10分ぐらいだな。」
大通りを一緒に歩き始めるとロレンツォが聞いてきた。
「ルナさんはどういう人なんだ。出身とか、どこに住んでるとか…」
「あら、いい女だから気になる?」
「な、何を…普通の話題だろうが。」
「ふふ…可愛いわね。昼間だったら赤くなってるのが見えるのかしら?」
「バカ言うな。」
一通りからかってから、私は出身地が遥か東方の島国であることや、最近この国にやって来たことなどを教えた。王都の夜の大通りは、あちこちに篝火が焚いてあって比較的明るく、どのような店があるのか見て取れるし、人通りもそれなりにあった。いくつかのお店には店独自の小さな篝火を焚いているところもあるが、これはまだ営業していることの目印のためと思われた。こうしたお店の多くは、窓を通じて店内の様子が見てとれるのだが、どうやら飲食店が多いようだ。カーテンをかけないのは、窓から溢れ出る暖かい光で街ゆく人々を惹きつけようとしているのかもしれない。こうした街の風情から、ルナは王都はなかなか治安が良さそうだなと感心していた。しばらく歩いて、ロレンツォは大通りから路地へと歩を進めた。通りの明るさはグッと下がり、篝火を焚いている店もかなり減る。角を一つ曲がったところに、小さな篝火に照らされた、白い文字の看板が揺れている店があった。「シークレット」と書いてある。
「ここだよ。店には入るのか?」
「せっかくだから入りましょう。飲み物ぐらいはおごるわ。ただ…私のこの格好で大丈夫かしら。」
私の衣装は、サラ達との食事に合わせて、女性らしい柔らかな印象の服であったので、裏社会の者たちが集まる酒場には場違いな感じがしたのだ。
「うーん、そうだな。俺の連れということだったら、良いんじゃないか?」
「彼女のふりってことね。」
そう言うと私は悪そうな微笑みを浮かべて、ロレンツォの腕にギュッとしがみついた。
「バ、バカな真似はやめろ。」
狼狽しているところが可愛い。
「あら。バカな真似ではないと思うけど?さ、入りましょう。」
私はロレンツォの腕を引っ張って、店の扉を開けた。
店に入るとそこは、二十個あまりのランプが灯る仄暗い空間だった。10人ほどが座れるカウンターがあり、3人の客が酒を飲んでいた。また、6人掛けのボックスシートもいくつかあり、2組の客が店の娘と一緒に談笑しているようだった。
「へぇ…なかなか落ち着いたお店ね。」
私が店内を見回していると、カウンターの中のマスターらしき男が話しかけてきた。
「お嬢さん、初めての方ですね?」
「ええ。たまたま王都に出て来たので、知り合いに頼んで夜の街に連れて来てもらったの。」
「おい、ロレンツォ。お前さん、彼女ができたのか?よかったじゃないか。」
「バカ言うなよ。ウチの若い者がお嬢さんに迷惑をかけたから、その詫びの意味でお嬢さんの要望を叶えただけだ。ルナさん、何か飲むかい?それとも何か食べるか?」
「お酒をいただくわ。もしあればカンパリを。」
「お嬢さん、よくそんな酒を知ってるね。もちろんありますよ。この店は酒の種類の多さが売りなんだ。」
「俺には、いつものウィスキーを。」
「わかった。」
私は、マスターとロレンツォを相手に、どんな人がこの店に来るかを訊いた。マスターによれば、王都の役人、商工会に所属する商人、それらの関係者、そして裏稼業の者たちが中心で、個人で商売している者や肉体労働者はほとんど来ないらしい。私の今の情報源として有力なのは教会だが、こういう店で得られる情報は教会を通じては得難いので、この店を知ることができたのはラッキーだった。私が直接来なくても、忍び込んで音響センサーを仕掛けておけば、三日分ぐらいの情報が収集できるから、とても役に立つはずだ。それにこの店は、好きなカンパリを扱っている点が、私にとっては何よりも嬉しいことだった。
いずれサラを連れて純粋にお酒を飲みに来ようかしら、などと考えていると三人組の客が入って来た。一人はいわゆるイケメンだが何となく荒れている感じ。あとの二人はガラが悪そうで下卑た感じだ。三人はルナたちの席近くのボックスシートに席を占拠すると、それぞれ好きな酒を注文して飲み始めた。
「おい、ラウルよ。お前、まったくあの娘を飼い慣らせていないじゃないか。いいのか?あんなに好き勝手に言わせておいて。」
「ふん、大きなお世話だ。あの娘の親父の方はもう取り込んであるからな。俺があの子爵家に入り込めるのはまず間違いない。」
「貴族様の婚姻は本人の意思とはあまり関係ないようだからな。だが、もしそうなら、何故婚約すらしてないんだ?」
「それは、俺が曲りなりにも隣国の貴族だからだ。国の進路を決める立場にある上流階級の人間が、勝手に隣国と姻戚関係を結ぶのが許されないことぐらいすぐわかるだろうが。今は審査中だってよ。だが、子爵レベルの婚姻は国に対してそう影響があるわけでもないから、割と早いうちに許可されるだろうさ。」
「お貴族様は面倒なことで。」
「結婚するのは良いが、その後はどうなるんだ?当主は結局その娘が継ぐんだろう?肝心の娘がお前のことを嫌ってるんじゃあ、結婚しても思うどおりにはならないんじゃないのか。」
「ふふ…それは、娘が当主だった場合だろう。世の中には不慮の事故や病気で命を落とすやつがゴマンと居るんだ。そうして当主不在となった場合は、もっとも近しい者が当主になるのさ。」
「なんだ。そういう筋書きか。それなら安心だな。だがあの娘、そんじょそこらにはいないレベルの良い女だ。それをあっさり切り捨てるのは勿体無くないか?」
「どうしてお前はそう単純なんだ。表向き事故や病気で亡くなったことにすれば良いというだけだ。実際には、外に出ないようにして、俺たちが楽しめばいいのさ。飽きたら、外国に高値で売ればいい。」
「いや、恐れ入った。女だったらお貴族様でも容赦ないってわけか。」
「これまで俺のことを蔑ろにしてきた罰も含めてだ。薬の中には女に言うことをきかせるっていうものもあるからな。それを使えば、たぶん思いどおりに事を運べるはずだ。」
「まったく、お前ってやつは女の敵だぜ。」
「そうそう、そう言えばこの前知り合った女は…」
そんな会話をして、三人はいやらしく笑いながら酒を飲んでいる。
どうやら、とんでもない奴らのようだ。貴族の娘さんを巻き込んだ良からぬたくらみもあるらしいし、他の話も吐き気を覚えるほどだ。私はおもむろに席を立って彼らのところに行こうとした。するとロレンツォが慌てた様子で私の手を掴んだ。
「お、おい。どうしようっていうんだ。」
「あのバカどもにちょっと注意をするのよ。」
「やめとけ。イケメンの方はいざ知らず、残りの二人はこの辺りでも有名なならず者だぞ。腕も立つ。」
「あら、心配してくれるの。ありがとう。でも大丈夫よ。」
そう言って私はやんわりとロレンツォの手を外すと、ラウルら三人が占拠しているボックスシートにツカツカと歩み寄り、静かだが怒りを込めた低い声で言った。
「聞こえたわよ。あんたたち、どうやら悪巧みをしているようだけど、やめとくのね。女を自分たちが良いように扱おうとするその態度にヘドが出る。もし実行に移したことがわかったら、ただではおかないわ。」
「おいおい、言いがかりはやめてくれ。俺たちはこのイケメンの結婚について話をしているだけだ。」
「外国に高値で売るみたいなことを言ってたわよね。」
「うるさいな。お前には関係ないだろう。なんなら、お前も一緒に売ってやろうか?やけに背が高くてこの辺では見かけない顔つきだが、意外に整っているから買い手がつくかもしれん。」
「私にもちょっかい出そうっていうわけ?まだ実行に移していないから警告だけで許してやろうかと思ったけど、私を巻き込むつもりなら痛めつけてあげるわ。」
すると、それまで黙っていたガラの悪い方の一人が、手にしていたグラスを思い切り投げつけてきた。私は片手であっさりとグラスをキャッチすると、からかうように言った。
「あら、おごってくれるの?ありがとう。でもこのお酒は趣味じゃないのよ。」
私はキャッチしたグラスを男の鳩尾辺りに投げ返す。男の腹にグラスがめり込んで、胃に入っていたものが逆流して、男の服がドロドロに汚れた。相手があっけにとられている間に私は店の入り口のドアまで移動し、そこでくるりと向きを変えて男たちを手招きして挑発してから、店の外に出た。
逆上した男たち三人がルナを追って店を出てから2分後、ルナは再び余裕の足取りで店に入ってきた。
「はい、これ、奴らの飲み代よ。お勘定がはっきりわからなかったのだけど、慰謝料も含めて多めに貰っておきました。」
そう言って、私は幾ばくかのお金をマスターに支払った。
「おい、大丈夫なのか?」
カウンターに再び腰を落ち着けた私にロレンツォが訊いてきた。
「大丈夫って彼らのこと?私が一人を痛めつけたら、他の二人が慌ててそいつをお医者さんに連れていくようだったわね。だから大丈夫なんじゃないの?」
「そういうことじゃなくて!」
「ふふふ…まあ、たぶん大丈夫でしょう。奴らも後ろ暗いところがあるんだから。マスター、騒ぎを起こしてごめんなさい。今日のお代は奮発しますから。カンパリ、もういっぱいお願い。」
「気にしないでください。やつらの話は、私にとっても気分が悪いものだったので、胸のすく思いです。」
騒ぎのせいで他の客はみな帰ってしまったようだったので、私はマスターも誘ってロレンツォと三人でお酒を飲みながらおしゃべりすることにした。
結局私が宿に帰ったのは、午前2時を過ぎたころだった。




