王都に向けて
商工会の定期懇親会の招待状を受け取った約1月後、リュミエールは王都へと旅立った。全部で11日間の旅だが、行き帰りにそれぞれ丸2日を要するため、王都滞在は実質7日である。おおざっぱなスケジュールは、到着の翌日が商工会への挨拶。2日目が王都内の観光。3日目が定期懇親会。そして4日間以降は得意先への挨拶回りと、エルラドの病気を相談できる医者探しである。この医者探しは、リュミエールの中ではかなりのウェイトを占めていた。実は定期懇親会の招待状を受け取った少し前からエルラドの病状は悪化していて、それまでは薬草酒を飲めば2週間ほどは体調を維持できていたものが、せいぜいもって3〜4日という状態になっていたのだった。だが幸いなことには、それから間も無くしてラウルが持ってきた薬がかなり効き、15日〜20日ほどは体調を維持できるようになっていた。リュミエールはこれを天が与えてくれたチャンスと考えて、父を残して出かける不安はあったものの、定期懇親会に出席することで色々な人から話を聞き、信頼できる医師を探すことにしたのである。
さて、リュミエールの王都行きには、ファルファレッテ家の二人の使用人が同行することになった。一人は、ファルファレッテ家の家令であるティベリオ・ライナルディで、彼はファルファレッテ家が栽培した薬草の取引実務を取り仕切っており、得意先への挨拶周りには欠かせない人物であった。もう一人は、リュミエールの侍女であるジュリアーナで、父親の病気という不安材料を抱えるリュミエールにとっては、快活な彼女の性格が大きな慰めになるのだった。ティベリオは往路の宿と護衛5名の手配を行い、ジュリアーナは衣類や携行品の確認と準備を行って、出発の10日前には旅の手配が全て整ったのだった。
ところが出発の1週間前になって、ファルファレッテ家にやってきたラウルがリュミエールに同行したいと言い出した。
「ね、リュミエール。僕は君を心の底から愛している。そして、できる限り君の近くに居て、何かあったときには力になってやりたいんだ。自分で言うのもなんだけど、僕の剣の腕はかなりのものだと思うし、信頼の置ける屈強な部下たちも大勢いる。だから護衛の面だけから考えてもきっと役にたつと思うんだ。それに、僕が君の夫になるのだったら、今のうちから王都の商工会や得意先の方々と顔を繋いでおいた方が良いだろう?だから一緒に行こうよ。エルラド様もそう思われませんか?」
エルラドはこのラウルの申し出を聞くと、顔を綻ばせた。
「おぉ!それはいい。確かにラウル君の言うとおりだ。どうだね、リュミエール。ラウル君と一緒に行っては?」
リュミエールは、このエルラドの言葉には頭が痛くなる思いだった。父とは違って、リュミエールはラウルを胡散臭い男と思っていたため、彼が家に来たときには彼をできるだけ避けるようにしていたし、会話も必要最低限の表面的な言葉を交わすに留めていた。それにも関わらずラウルがリュミエールへの愛情を滲ませるような物言いをすることや、リュミエールへ向けて自分をアピールするような態度には、心底うんざりしていたし、気持ち悪いとさえ思っていたのだった。
「お父様。ラウル様と一緒に王都への旅に出るとなれば、人目も多く、必ず人の噂にのぼるようになると思います。しかしながらラウル様は隣国の貴族。婚姻を結ぶにしても国から許可を受けなければなりません。まだ婚約もしておらず許可も受けていない状態で、人の噂にのぼることは避けた方がよろしいのではないでしょうか?それに今回の王都への旅は、私が全て取り仕切りたいのです。うまく行こうが行くまいが、その経験が学びとなり私の成長の糧となりますから。それなのに、ラウル様が近くに居たのではつい頼りたくなってしまうかもしれません。それは私の成長のためには良くないと思うのです。」
リュミエールが冷静に諭すと、エルラドは渋々といった様子で答えた。
「うぅむ…確かに、お前の言うとおりだな。ラウル君とは日頃から親しくしているから、つい隣国の貴族だと言うことを忘れてしまう。それに、お前が全て取り仕切ることは確かにお前の成長につながるだろう。わかった。今回はお前の好きにしなさい。だが次の機会にはラウル君と一緒に出かけられるよう、しっかりと環境を整えておこうじゃないか。」
エルラドを説得できて、リュミエールは内心ホッとしていた。しかしそれにしても、父はどうしてこうラウルを買っているのだろう?私から見ればラウルなんて、自分の利益のために薄っぺらい言葉を吐く詐欺師で、ゴロツキまがいの手下を従えた危険な男にしか見えない。この男と一生を添い遂げるなんてまっぴらだ。結婚はなんとか回避しないと。リュミエールはそう強く思うのであった。
出立の日の早朝。車寄せでリュミエールたちを見送るエルラドと使用人一同に対し、リュミエールは笑顔で言って来ますと告げ、ティベリオが御者を務める馬車にジュリアーナと二人で乗り込んだ。朝の清澄な空気の中、空は晴れ上がり、爽やかな風が吹いて、旅立つリュミエールたちの心を浮き立たせてくれた。好天に煌めく木立や農園の景色は見るものの心に安らぎを与えた。馬車の中では、王都に着いたら流行のドレスやアクセサリーを見ようとか、どこそこの菓子は美味しいとか、人気の役者のこととか、若い娘らしい楽しげな会話が盛り上がっていた。一行は長閑な風景の中をのんびりと進んでいった。昼食の時間になると、街道から少しだけ離れた、数本の木が涼やかな木陰をつくっている場所で昼食をとった。全員にファルファレッテ家が用意したサンドウィッチと飲み物が振る舞われ、馬たちにも十分な飼葉と水が与えられた。サンドウィッチは、裕福な貴族家が準備しただけあって、具材も豊かで味付けも素晴らしいものであり、全員がこれに満足して、午後からの旅に向けた力を回復したのだった。
簡単ながらも美味しい昼食を満喫した一行は、再び馬を進め始めた。ところが1時間も経ったころ、空には少しずつ雲が広がってきて、間も無くポツポツと雨が降り出した。天気の崩れは一行の気持ちを少し内向的なものに変えたようで皆の口数は減り、リュミエールも領のことや自分の身の回りのことを考えるようになった。リュミエールにとっては特にエルラドの病が大きな心配の種であったが、特に不安を助長しているのが、ラウルが持ってきた薬であった。リュミエールはこの薬が実は麻薬的なものではないのかと密かに危惧していたのである。その理由は、この薬の持つ速効性である。冷静な目で見て、エルラドがこの薬を服用した時の体調の急回復は、麻薬の切れた中毒者が麻薬を摂取した時の変化と極めて類似しているように思われた。何かの発作が起こったときに投与して、その発作を押さえるという薬があるのは知っていたが、エルラドの症状は急な発作というわけでもなく、継続的な体調不良を急回復させる薬というものをリュミエールは知らなかった。リュミエールは心配になって、かの薬の原料についてラウルに尋ねたことがあったが、彼は、薬の原料は薬草酒の原料と同じ希少な薬草であると言うばかりで、具体的な植物名を教えようとはしなかった。では、どういった経路で手に入るものなのかとも尋ねたが、それも教えようという感じは見て取れなかった。
「入手経路を口外したことが知れると、もう二度と手に入らなくなるんだよ。そうなったらエルラド様が困るでしょう?」
と言うのが彼の主張であった。こうした疑問に答えようとしないラウルの態度は、リュミエールの不安を煽るものであった。だが一方では、薬を飲んで一時的に健康を回復した時の父の様子は、書物で読んだり話に聞いたりした麻薬服用者の症状とは明らかに異なっていたため、リュミエールは、もしかしたら自分が知らないだけで本当に効果の高い薬なのかもしれないと自らに言い聞かせ、湧き上がる不安を抑え込むのだった。
夕刻、雨がいよいよ本降りになってきた頃、一行は最初の宿泊地であるヴァレ・ディ・マッダローニに到着した。この町は王都まで1日の距離に位置することから宿場として栄えており、ピンからキリまで色々な客層に合った宿屋があった。リュミエールたちが泊まったのは、貴族や大商人を相手にしたかなり上級の宿屋であった。雨は夜の間に上がることはなく、朝になると一層雨足が強まってきた。王都までの街道は比較的よく整備されているのだが、この雨では、おそらく道のところどころは酷くぬかるんで、事故が起こる心配もあるのではないか?というのが、ティベリオの意見であった。宿の主人の意見も同様であったため、リュミエールは止む無く出立を一日延ばすことにしたのだった。降りしきる雨を見ながら、リュミエールが思ったのは、やはり天候の予測は有用ではないのか?ということだった。雨がいつ降ってどのぐらいの期間続くのかが予めわかっていたなら、出発の日を早めるなどして、移動の途中で足止めを食うということを回避できるはずだ。それに、今回はたまたま宿を確保できていたから良かったが、これが雨の中の野営ということになれば、事故に遭う危険性も高まるのではないか。そういう意味で、リスク回避にもつながることは疑いないと思われた。こう考えるとリュミエールは、エルラドが教えてくれた新商会を営む女性二人に会って、自分の着想にを聞いてもらうことを、とても楽しみに思えてきたのだった。
いつ止むともわからないと思っていた雨は、幸い夜半には上がって、リュミエール一行は一日遅れで王都に到着することができた。もともとのスケジュールでは最初の2日間にはかなり余裕があり、それが1日に短縮されることには何の問題もなかった。王都の観光が少し減っただけである。リュミエールたちの王都での宿泊先は「マドンナの憩い」という名前の宿であった。この宿も貴族や富裕な商人を対象とした宿で、部屋のしつらえといい、出される食事といい、かなり上質のものを提供してくれることで有名だった。また、馬や馬車を預かってきちんと管理してくれる点でも、宿泊客には重宝されていた。
リュミエールたちが宿に着いたのはちょうど日が沈む時刻で、あたりはバラ色の残照に包まれた気持ちの休まる夕暮れであった。宿の前で馬車を降りたリュミエールは護衛の者たち5名に声をかけて労をねぎらい、ティベリオが彼らに報酬を渡して彼らと別れた。その後、ティベリオは逗留の手続きをするために宿に入って行き、ジュリアーナは馬車から荷物を下ろし始めた。その時、リュミエールに声をかける者がいた。リュミエールは、その声を聞いただけでそれが誰なのかわかり、宿に着いてほっとした暖かい気持ちが、一瞬にして冷めてしまったのだった。




