帰還
クレオパトラの奪還から一週間が経って、ルナ達は各人の仕事がどこまで進んだかをお互いに確認した。先ずルナが、ミルファーザからせしめたお金のうち手形の分は全て換金し、今回の関係者10名の銀行口座に均等に振り込んだことを説明した。銀行口座の無い人もいたので、その人にはこれを機会に新しい口座を開設した。囚われた女性の一人が怪訝な声で尋ねた。
「私たち、何もしてないのに、そんなにたくさんのお金をいただいてしまって良いんでしょうか?」
「いいのよ、慰謝料だと思ってくださいな。このお金はクレオパトラの拉致に関与したミルファーザに拠出させたものなの。何の罪もない人を拉致したという罪に対しての慰謝料だから、拉致の被害者は等しくそれを受け取る権利があると思う。だからどうぞ受け取ってください。それに、貴女たちの救出に関与した人には功労者としての報酬をちゃんと渡すから、その点も気にしなくて良いわ。」
「そうですか。そうおっしゃるなら、ありがたく受け取らせていただきます。」
「ルチアーノさん。囚われた人たちが帰郷する際の護衛は雇えました?」
「あぁ、4組のチームを編成できたよ。」
「費用は見積もりどおりのお金でよかったかしら?一応見積もりを考慮した上でかなり余分に現金を用意しておいたのだけど。」
「あぁ、見積もりと大差なかった。大丈夫だ。」
「じゃぁ、現金を渡すわね。帰還のための馬車や護衛の代金、途中の宿泊・飲食代、その他の諸経費を考慮して、ルチアーノさんが適切に分配してちょうだい。余った分はみなさんのお小遣いにして。」
「わかった。」
「アキリオスたちは、船は奪還できたの?船がないと私たちも困る。」
「おうよ。ついでにターリクたちは粛清したぞ。放置しておくと後に禍根を残しそうだったからな。」
それを聞いたルナは、肩をすくめるだけであった。
「じゃぁ、これで帰郷の準備は整ったってことね。夕方までにみんなは、出立できるように身の回りの整理をしてちょうだい。その後でみんなでご飯を食べに行きましょう。クレオパトラ、シャスタさん、どこか良い店に心当たりはあります?この一週間、色々と見て回ったと思うけど。」
するとクレオパトラが嬉しそうに答えた。
「はい、任せてください。とても素敵なお店を見つけましたから。」
その夜、一行はたらふく飲んだり食べたりして、ビブロスでの最後の夜を思い切り楽しんだのだった。
翌朝、囚われていた4人の女性を雇った護衛に託して送り出し、私たちはアキリオスの船に乗ってアレクサンドリアへと向かった。天気は穏やかで、船のスピードこそ上がらなかったものの、翌日の夕方には予定どおりアレクサンドリアへ到着することができた。
港に到着してしばらくすると、オマルさんご夫妻が馬車で迎えにやってきた。クレオパトラは、自分が無事であることを手紙で伝えてはいたが、実際に対面したときの喜びはやはり格別だったらしく、長い時間、家族3人で無事を喜びあった。
オマルさんご家族が喜びを分かち合っている間、私は、アキリオスがやると言った二つのことがらについて念を押した。
「いいこと?ヴィットリーニにはきちんと報復をしておいてちょうだい。少なくとも、王都での商売はできないようにして。後で、貴方のところから拝借したヴィットリーニの手紙を返すから、必要なら使って。」
「まかせておけ。ヤツはターリクとつるんで俺を騙したから、思い知らせてやらんとな。」
「それから、クレオパトラを狙った最初の襲撃の時に拉致した人たちの引き渡し先を、調べて教えてくれる約束よ。忘れないで。」
「おぉ、そうだったな。アテーナイに戻ったら調べて連絡しよう。連絡はどうすればよい?」
「ナポリエール王国の王都の商工会に連絡してくれたら、わかるようにしておくわ。」
「わかった。」
そう言うとアキリオスは、船を動かす人員を少し補充するからと言って、配下のガリアノスと一緒に、街の方へと出かけていった。
その後私たちは、場所をオマルさんの家に移して、ことの顛末をオマルさんに報告した。
私の報告の内容は次のとおりである。
1. クレオパトラの拉致は、ビブロスの聖シェファード教の教祖、ムスタファ・シェファードが黒幕として指示を出しており、同じくビブロスの大商人ミルファーザが段取りを組んだものであったこと。
2. 動機は、ムスタファが製造した秘薬なるものの使用・販売をオマルさんに邪魔されたことへの意趣返しであったこと。
3. 拉致したクレオパトラは、オマルさんへの意趣返しとして、その秘薬なるもので彼女を薬漬けにしたあげく、中毒になった姿をオマルさんに見せつけるという悪辣なものであったこと。
4. ムスタファはルナが首を撥ね、秘薬の製造設備は完全に破壊したこと。
5. クレオパトラを奪還したときに、ムスタファに捕らえられていた女性4名を発見して解放し、彼女たちを信頼できる護衛に託して故郷に送り出したこと。
6. 拉致に関与したミルファーザから、彼の所持金の半分近くを巻き上げ、慰謝料や経費として関係者に分配したこと。
7. ヴィットリーニの処罰や攫われたミルセさんたちの捜索については考えていることがあるので、私に任せて少し待って欲しいこと。
以上を私が説明した後、見届け人であるルチアーノさんが、説明は間違いないことをオマルさん夫妻に保証した。
オマルさん夫妻は、私が説明を進める中で驚いたり激しく怒ったりといった反応を示していたが、私たちの説明が終わった時には、私たちの努力を厚くねぎらうとともに、クレオパトラの安全を確保し将来の不安を取り除いてくれたことに対し、改めて深い感謝の念を表したのだった。そしてその夜、オマルさんの家では、クレオパトラが無事に戻ってきたことのお祝いと私たちの慰労を兼ねた宴が開催された。
クレオパトラの拉致事件が解決しても、私は、ルチアーノさんの商売の関係で、アレクサンドリアに10日ほど滞在することになった。その間、クレオパトラは留学に向けた最低限の準備を進め、私たちがエルミスの港へ帰る時には、クレオパトラも私たちに同行することになった。オマルさんは、クレオパトラを送り出す時に持たせるものが揃わないと言って、クレオパトラを私たちに同行させることをかなり渋っていたが、クレオパトラ本人がどうしても同行したいとの気持ちだったことと、足りないものはルチアーノさんが手配できることから、結局オマルさんが折れた。唯一オマルさんが譲らなかったのは、クレオパトラに護衛を兼ねた侍女を付けることであったが、その役はシャスタさんが引き受けてくれることで解決した。シャスタさんであれば護衛としては申し分ないし、クレオパトラとの関係が良好なので、侍女としても適切だろうと考えられたのだった。一方シャスタさんからすれば、侍女として必要な機転や気配りができるか不安ではあるものの、新しい国で生活してみたいという願望や、私から格闘技を学びたいという希望もあって、護衛兼侍女役としてクレオパトラについて来てくれることを快諾してくれたのだった。
出航の日は快晴。爽やかな風が吹き渡って、私には、それがクレオパトラの新しい生活を祝福してくれているように感じられた。クレオパトラはご両親と少しだけ抱き合うと、荷物を持ってさっさと船に乗り込んだ。名残惜しそうにしているご両親とは対照的だ。私はオマルさんご夫妻に、私がしっかり面倒を見ることを改めて約束し、近いうちに一度様子を見に来てくれるようにお願いしたのだった。
航海の間の天候はずっと穏やかで、私は毎日甲板にテーブルと日傘を出してお酒を飲みながら、時には一人で海を眺め、時には色々な人とお話をして過ごした。クレオパトラについて来たシャスタさんとも、この時にお話ができた。彼女の生まれはアレクサンドリアよりもっと東のラマーディという街だそうだ。実家は王家に仕える武門の家柄で、幼少の頃より剣と格闘の腕を磨いてきたらしい。16歳のときには既にかなりの腕前になっていて、軍の遠征にも参加して実戦経験を積んでいた。その遠征で知り合った60歳近い年配の剣士の技術に惚れ込み、遠征から帰ってきたときに弟子入りさせてもらったのだそうだ。弟子入りして5年間は、実家のあるラマーディにその剣士を招き、日々修行に明け暮れた。剣士に対する一般的なイメージは、剣の腕だけをひたすら追い求めるというものなのだが、シャスタさんの師は剣と格闘をうまく組み合わせて戦うことを得意としていたらしい。武器と格闘の両方の腕を磨くことは、実戦的には極めて価値のある戦い方だと私は思う。不意の襲撃を受けた場合にすぐに武器を手にできないことも有り得るし、戦闘中において武器を手放すことで、戦術のバリエーションも広がるからだ。
「なかなか優秀な先生だったようね。そういう柔軟な思考の剣士って、そういないと思うわ。」
「ええ。師匠はとても強くて、二十歳以降200回以上にわたる戦闘で負けたことは1回しかないと仰ってました。」
「へぇ、なかなかやるじゃないの。」
「でも、その1回で目が覚めたそうですよ。全く歯が立たなかったんだそうです。振り下ろした剣をあっさりかいくぐられて接近され、訳のわからないうちに転がされて。何回やっても同じだったんだそうです。その場で教えを乞うたって仰ってました。」
「あぁ…きっとそれは、合気道というものかもしれないわね。私の格闘技術も合気道の技術を応用しているの。」
「そうなんですか。実は、先生が負けた相手って、なんだかルナさんと似てる気がします。だって、背が高くて髪が黒くて、でも胸はちょっと残念、なんだとか。」
「何よ、その最後の表現は!」
実際、残念というほど平べったいわけではないと思う。適度な大きさで素敵ですってサラも言ってくれたもの。ものごと全て適正なレベルがあるはずだ。
「うふふ、ごめんなさい。でも年齢さえ合ってたら、師匠に勝った女性はルナさんのことかと思うぐらいです。だって、そのような格闘技術を持った女性って、そう居るはずないですもの。」
それを聞いて、私は昔の記憶を探ってみた。そういえば、40年ぐらい前に、30歳前後の武芸者と模擬戦をやって、模擬戦の後の数日間、合気道の技を手ほどきしてあげたことがあったのを思い出した。しかし、胸がちょっと残念などと思われてたとは失礼極まりない。もっと厳しくするのだった。全く!
「それで、先生はその後どうしたの?」
「その女性に格闘の技を少しだけ手ほどきして貰ったおかげで、目指す方向が定まったって仰ってました。そして、その女性が手ほどきしてくれた技術を深める旅に出たそうです。私を弟子に取ったのもその一環なんだそうです。教えることが自分にもプラスになるのだって。私、今は当時の先生の気持ちが少しだけわかります。私もルナさんにコテンパンにやられて、改めて体術の修行をしようと決意しましたから。もしよかったら、私にその合気道を教えていただけませんか?」
「私は弟子を取ることはしないけど、でも時々だったら教えてあげますよ。合気道を広めることは私の実家の生業の一つでもあったし、シャスタさんを強くすることがクレオパトラの安全確保にも繋がるもの。」
「ありがとうございます。これからよろしくお願いいたします。」
シャスタさんは嬉しそうに答えて一礼をし、船室に戻っていった。
7日経って船がエルミスの港に入港した時には、波止場にサラが迎えにきていた。ヘルメスからの発信がサラに伝わったらしい。久しぶりに見たサラの姿に、私は胸の奥がホワンと暖かくなるのを感じた。終わりの見えない自分の人生において、サラはかけがえのないパートナーであることを改めて実感したのだった。
「サーラー!」
私が思い切り手を振ると、サラは両手を胸の前に組んで祈りを捧げるようなポーズで応えた。船が桟橋に着くと同時に私は船を飛び降りてサラと抱き合い、再会できた喜びをお互いに確かめ合ったのだった。
暫くしてクレオパトラとシャスタさんがやって来たので、私は彼女たちをサラに紹介した。
「ヘルメスの情報でもう知っているかもしれないけど、この子はクレオパトラ。アレクサンドリアの大商人、オマル・シュリーファさんの娘さん。こんど王都の聖ミカエル学園に留学するのだけど、ウチで預かることになったのよ。そしてこちらがシャスタさん。クレオパトラの護衛兼侍女を務めてくれることになっているの。」
「ようこそ、クレオパトラさん、シャスタさん。サラ・セントマリアと申します。服装のとおり、教会のお仕事も一応やっていますけど、ルナさんの面倒を見るのが一番のお仕事と神様から仰せつかっていますのよ。これまでお家ではルナさんと私の二人しかおらず、時折寂しく感じることもありましたが、これからは4人。一気に賑やかになるのがとても楽しみです。」
サラとシャスタさんもそれぞれ自己紹介をして、私たち4人は、ルチアーノさんや船長さんに挨拶をした後、サラが用意した馬車に荷物を積んで、私の家へと向かったのだった。
まだ続きますが、新しいエピソードに入るのに少し時間がかかるかもしれません。




