クレオパトラの引き渡し
こうして私たちは、クレオパトラ本人を連れてビブロスへと乗り込むことになった。ルチアーノさんも見届け人として同行してくれる。私は、できればクレオパトラを身近でサポートしたいと考え、クレオパトラと一緒に捕らえた侍女という役どころを作ることにした。これにはシャスタさんが真っ先に名乗りを上げてくれたのだけど、私は、それを私の役割として譲らなかった。その理由は、侍女のような女性は、相手にとっては単なるおまけであり、慰み者として扱われる可能性高いことから、かなり危険だと判断したためだ。シャスタさんはプライドを傷つけられたらしく、それならばと、私に腕比べを挑んできた。少なくとも私と同等の強さを持つことを証明するつもりだったようだ。私は侍女が剣を持つのはおかしいだろうと言って、その勝負を素手の勝負にした。結果はもちろん私の圧勝。理屈をつけてシャスタさんが得意とする剣の勝負を避けたということで、彼女は私のことを卑怯者と思ったかもしない。でも、これでよかったと思う。実際、剣を持ってクレオパトラに付いて行ける可能性は低いし、それに、剣でやってもたぶん私の圧勝だったろうから、シャスタさんのプライドを更に傷つける結果に終わったに違いない。シャスタさんには、護衛として不測の自体に備えてもらうことと、ルチアーノさんの安全を確保することに注力してもらうことにした。
私たちは、それぞれの役どころに合った衣装を身につけ、オマルさんが手配した小型の船に乗り、ビブロスへと向かった。クレオパトラには、背中と指輪に位置を特定するための発信機を着け、音声センサーを仕込んだ鉛色の目立たない腕輪を着けてもらった。
ビブロスはアレクサンドリアの西北西約70kmに位置する港湾都市王国である(私が生まれた頃のビブロスとは位置が違う)。この都市王国の施策は独特で、宗教にはかなりの便宜を図っていた。他の宗教を攻撃しない限り宗教活動は自由で、税金もかなり安く設定されている。この国では、色々な宗教を受け入れることで人が集まり、経済活動も活発になって都市が発展すると信じられており、実際かなり発展していた。他の地域から訪れる人も多いから、宿屋や飯屋は数が多く、日用品、食料品、土産物などの商店も多く見られた。当然運輸も発達しており、人の行き交いは活発であった。
私たちは、日が暮れる直前の夕方5時ごろにビブロスの港に到着した。停泊の準備を終えて私たち4人が下船するときには、どこで見張っていたのか、アキリオスが5人の手下を連れて近づいてきた。
「約束通りに来たな。お前さんのその格好はお嬢様付きの侍女っていうところか?デカくて、なんとも似合わんな。」
アキリオスは私の格好を見て吹き出しそうになっている。
「大きなお世話よ。背の高い女が侍女をやっちゃいけない決まりがあるわけでもない。」
「まぁ怒るな。それで、お嬢様役はこの女か?」
アキリオスが無遠慮にクレオパトラのベールを捲り上げると、褐色の肌と青い宝石のような瞳が顕わになった。その顔を見て、副官のターリクは驚きの声を上げた。
「こいつは!シュリーファの娘本人のようですぜ。そっくりだ。」
「そういえば、お前はアレクサンドリアの街でオマルの娘を狙っていたんだったな。そんなに似ているか?」
「まるで生き写しだ。」
「ばかね。本人よ。」
「なんだと?ばかはお前たちの方だろう。自分から生贄を差し出してどうしようってんだ。」
「まぁ、色々考えた結果よ。それで、これからどうするの?」
すると、副長のターリクが答えた。
「今からお嬢さんを、依頼人のミルファーザの旦那のところに連れて行って引き渡すのさ。」
「ミルファーザ?アキーム・ミルファーザのことか?」
「ルチアーノさん、知ってるの?」
「面識はないがね。ビブロスの大商人で良い噂は聞かない。色々と問題のありそうな取引に絡んでいて、人身売買も手がけているとか。それだから今回の話に噛んでいるのかもしれないがね。」
「ふーん、そうなんだ。だとすると侍女は売り飛ばされる可能性が高いか…まぁ、いいわ。そのミルファーザから手繰って行かないとしょうがないもの。さ、行きましょう。」
「その前に、お嬢さんと侍女役のお姉さんは、手首を縛らせてもらいますぜ。一応捕虜っていうことなので。」
「すぐに解けるようにしておいて。」
「大丈夫ですぜ。端を引っ張ったら解けるようにしときますから。」
ターリクがそう言うので、私とクレオパトラは両手を差し出して縛らせた。試しに解いてみてと言うと、彼は結び目から飛び出している縄の端を引っ張った。ハラリというほど軽い感じではなかったが、結び目はほどけた。私がうなずくのを見て彼はニヤリと笑い、再び私たちの手首を縛った。
私たち総勢10人は、ターリクの先導で、ビブロスの港から続く坂道を登っていった。先導するのは、ミルファーザのところに交渉に行ったターリクを含めた4人である。その後に私とクレオパトラ、ルチアーノさんとシャスタさんが続き、アキリオスとその手下一人が最後尾に付いた。
「どこでも、大商人のお家って、丘の上にあるのね。」
オマルさんの家のことを思い出しながら独り言を言うと、ルチアーノさんが答えた。
「どこの港でもそういう傾向はあるな。こういう港を見渡せる家は土地代が高いのが普通だから、よっぽど財力がないと買えないんだよ。」
と解説をしてくれた。10分ほど歩くと、前方に大きな門が見えてきた。どうやらそこからがミルファーザの家の敷地のようだ。門から更に歩くこと5分。どれだけ広いのよと口に出したくなったころ、大きな邸宅が見えてきた。玄関の前は広場になっており、広場を取り囲むように松明が焚かれ、そこに、派手な衣装を身につけた50代半ばといった感じの太った男を中心に10名ほどの男たちが待ち受けていた。
アキリオスが進み出て言った。
「アテーナイを本拠とするアキリオス・アスクレピウスだ。ご依頼の娘を連れてきた。」
すると、太った男が尊大に答えた。
「ふん。ようやく連れてきたか。ずいぶん時間がかかったものだな。」
「すまないね。シュリーファもそれなりの人材を雇って娘を守ったからな。」
「まぁ、目的が達成できたならそれで良い。先ずは拉致した娘が本人かどうか確認することとしよう。こちらへ連れて来い。」
「おい、ターリク。娘を連れてゆけ。」
命ぜられて、交渉でミルファーザと面識ができたターリクたち4名の手下が、ミルファーザの所にクレオパトラを連れて行った。
私は横に立っていたルチアーノさんにそっと囁いた。
「どうやらクレオパトラ本人かどうか判断できる人間がいるみたいね。こうなってくると、替え玉でなくてよかったかもって思う。」
「確かにな。いきなり替え玉疑惑が湧いたんでは、すんなり進めなかっただろう。」
ターリクが、クレオパトラをミルファーザのところ連れて行くと、側に立っていた男がクレオパトラのベールを上げて、顎をつまんで顔を上げさせ、容貌を確認した。
クレオパトラはフン!とでも言いそうな感じで口を尖らせ、キツイ眼差しで男を睨んでいる。しげしげとクレオパトラの顔を見て、男は言った。
「どうやら、シュリーファの娘本人のようです。」
「ほほぅ。私はてっきり替え玉でも使うのかと思ったが、なかなか正直な仕事をするものだな。」
「納得していただけたなら、報酬をいただきたいんだがね。」
アキリオスが声をかけた。
「よかろう。残りの半金を払ってやろう。」
「ちょっと待て!半金だって?」
「そうだ。ヴィットリーニには先に半分を支払ったからな。」
「何だと!あの野郎、そんなことは一言も言ってなかったぞ。これは、タダで済ますわけにはいかんな。」
どうやらアキリオスはこの場で報酬の全額が支払われると思っていたらしい。半分が前金として支払われていたことを今初めて知って、ヴィットリーニへの怒りが沸騰したようだ。だが、これは私にとっても都合の良い展開だった。私は小声でアキリオスに言った。
「ねぇ、ヴィットリーニには何らかの報復をするんでしょう?」
「ああ。このままで済ますのは、俺たちの名前にも傷がつくからな。」
「だったら、ヴィットリーニにへの報復にはオマルさんからの分も上乗せしておいて。娘さんを拉致しようと画策したことには、とてもご立腹なの。もし上乗せしてくれるのなら、貴方がクレオパトラ拉致の実行犯であったことはチャラにするようオマルさんに話しておくから。いいわね?」
「いいだろう。ついでに引き受けてやるぜ。」
「押収したヴィットリーニからの手紙も返すわ。あった方が都合がいいでしょう?貴女は暴力でカタをつけるタイプではなさそうだから。」
「ああ、そのとおりだ。一文無しにして放り出してやるぜ。しかし、お前さんは本当に悪知恵が働くようだな。まったく、呆れたもんだ。」
「まぁ、裏工作の経験は多いからね。それより、一緒に攫ってきたクレオパトラの侍女も付けるからって言って、報酬の上乗せを切り出してみてよ。できるならクレオパトラに付いていたいの。」
「それはどうだろう。お前さんがお嬢さんについてゆくのは難しいように思うがね。」
「ダメ元でいいのよ。」
これを聞くとアキリオスはミルファーザに向かって大声で言った。
「半金はわかった。娘を拉致した際に、その侍女も捕まえたんだ。もし報酬の上乗せをしてくれるならこいつも引き渡すが、どうだ?」
「ほほう。なかなか気が効くじゃないか。普通の奴隷の価格でよければ引き取ってやろう。」
そうミルファーザが答えた。その時、それに異を唱える声を上げる者があった。
「そいつはやめた方が良いですぜ。その女は侍女なんかじゃない、とんでもない危険人物だ。この場で始末した方が得策ってもんだ。」
クレオパトラを連れていったターリクだ。彼を初めとした4名の手下たちは、ギラギラした目でこちらを睨んでいる。
「おい、ターリク!てめえ、いったどういうつもりだ!」
「お頭。俺たちはもうあんたやり方にはうんざりだったんだ。ちょうど良いから、ミルファーザの旦那にお願いして、この場であんたを殺し、とって代わることにしたのさ。ミルファーザの旦那も俺と付き合う方が得だと考えたってわけだ。」
「何だと!」
アキリオスは顔を真っ赤にして怒りを顕にした。
「なるほど、そういうことだったの。なぜすぐバレそうな前払いのことをヴィットリーニが黙っていたのか不思議だったんだけど、アキリオスをここに連れてきて殺すって言う話が通っていたのね。クレオパトラを拉致したことの成功報酬は、たぶんターリクたちが全て受け取ることになっているのだわ。」
「ちっ!」
アキリオスが忌々しそうに舌打ちをした。ターリクとその仲間がミルファーザに与したことにより、私たちは人数的に一気に劣勢に転じた。向こうは10名プラス4名の14名。こちらは、戦闘力が期待できるのは、アキリオス、私、シャスタさんの3名しかいない。
ミルファーザの手下5名が私たちの背後に周り込んで、退路を断とうとしていた。
私は隣のルチアーノさんに頼んで手首を縛っている縄を外してもらおうとしたが、ターリクがやったように簡単にはほどけなかった。
「どうやら、騙されたみたいね。さぁ、逃げるわよ!」
私は手首を縛られたまま、背後に回り込んできたミルファーザの手下を体当たりで蹴散らし、さっさと逃げるよう、ルチアーノさんとシャスタさんを促した。二人が逃走に転じるとアキリオスとその手下1名もそれに続く。シャスタさんとアキリオスは門のところで一旦振り返り、追跡者への威嚇の意味で剣による一撃を加えた。二人の剣技はなかなかのもので、瞬く間に4名の追っ手に手傷を負わせた。これに怯んだ追っ手が足を止めている間に、私たち5名は一気に坂を駆け下り、夜のビブロスの街へと身を隠したのだった。




